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COWBOY BEBOP/カウボーイビバップ全話考察

このコンテンツは2002年に特集されたものを再掲示したものです。ネタバレを含みますので、未視聴の方は読まないようにするのが賢明でしょう。 また、リンクを一々辿るのも面倒臭いかと思いましたので、ここに全部まとめてあります。多少重いかもしれませんが、リンク移動を繰り返すよりは快適なはずです。

第1話「ASTEROID BLUES」アステロイド・ブルース

生活の中のヒトコマでまず視聴者に印象を与える、ということに成功している点から、スタッフの技量を思い知らされます。「肉の入ってないチンジャオロースなんてチンジャオロースとは言わねぇんだよ」脚本の信本敬子さんに脱帽。

さて、全体の印象ですが、賞金首、というのがどういった人種であるかを上手く解説しつつ、このシリーズに期待させる要素というものを盛り込んだ、といった感じです。

紅い麻薬、ブラッディ・アイ(非合法目薬の中でもとびっきりの品、らしい。元々はテラフォーミング作業に従事する人々独特の疾病等に対する処方箋だったようだ。眼球に噴霧するだけで良いことを考えると、注射器を取り替える必要も無く、麻薬独特の嫌な印象を打ち消しているように思える。日本で麻薬を取り扱った作品の配慮としては、見事)。それを使用し、自身の体を犠牲にしてでも恋人と逃げる、という目的に固執したアシモフ。 そんな恋人を懐疑し、最終的に殺してしまったカテリーナ。その後二人はパト・シップの斉射の下に宇宙の中の不動のモノと化す。

なんとかしようとするが、なんとかしようができなかった。といった感触です。アシモフは、ある意味、物事の変化に対応するのが下手な不器用な人間のように思えます。計画を立てるにしても、ブラッディ・アイを盗む、というリスクだけが大きい選択肢を選び、またカテリーナに対しても彼女は変わるはずがない、と考えて節があり、スパイクと話している彼女を見ただけでも、嫉妬します。いい年こいた男性がこういった反応をするのは一種異常で、精神状態もかなり不安定であったかのようです。

音楽の演出、という点で考えると、私としてはやはり、スパイクの雪辱戦時の空中に投げた目薬のアンプルを打ち抜いた瞬間から始まる、RUSHの軽快なテンポでしょう。このテンポはハンマーヘッド到着まで続きます。

第2話「STRAY DOG STRUT」野良犬のストラット

典型的なアクションものの展開が上手くまとまりつつ、音楽がそれにスパイスを与えている、という、ある意味最もビバップらしい話であります。これを地上派での初回にあてたのは苦肉の策ながらも英断だったんじゃないかな。

主人公達に入る、日頃からのソースである老人からの一つの情報。それによって賞金稼ぎ、ハキムとその他の面々との奇妙な追いかけっこが始まる、といったところでしょうか。アインの動きも可愛げで、面白い、と単純に思わせてくれる話です。しかし、その分、無理に考察するような無粋な真似もできない話でもあります。

第3話「HONKY TONK WOMEN」ホンキィ・トンク・ウィメン

地上派で放映されたものはほとんどがテーマ性というものが皆無で、娯楽性のみが存在するといっても過言ではありませんので、考察のし甲斐が無いのですが、かといって考察しないわけにもいきません。

さて、第3話はフェイ・バレンタインの初登場の話なだけに、彼女の破天荒(こうと書くしかない)な性格が前面に押し出されたつくりがなされています。

「戦いの基本を知ってる? ……先制攻撃よ!」そう言ってマシンガンを乱射する彼女を破天荒と言わずなんと言うのか。店の親父にしてみれば、破天荒だろうと引田天巧だろうといい迷惑であることに変わりはありませんが。

演出面での話に移りますと、フェイが腕のブレスレットに「ショータイムよ!」と言うと、モノ・ポッド(この世界における搭乗部およびそれを含む中枢部の規格名)のシステムが起動し、フェイのいる場所へ飛んでくるシーンの曲の挿入の仕方は正に見事。その後のスパイクとゴードンの部下との取引場面での曲のかかり方もナイス。こういった手法は第1話からも見受けられ、一つの技法としてスタッフで確立していたような感があり、監督の能力の高さに思い至ります。

第4話「GATEWAY SHUFFLE」ゲイトウェイ・シャッフル

明るく楽しい思想活動、といった話です。

トゥインクルが自身の思想の盲信者であり、自分のやっていることに疑問すら感じていなかったということが、彼女自身の問題です。どんなに客観的に見て正しい行為であっても、それを行なっている当事者は常に自分のやっていることは正しいのか、という懐疑を持ちつづけること、それこそが人として正常なのです。 割り切った自分をどこかで蔑んでいる自分。それを忘れた人物が歴史上でどのような役を演じてきたか。人を殺す行為を行なっておいて、自分に疑問を持つなど、それこそ偽善だ、と言う方もいらっしゃるでしょう。私自身も、自分で書いていてその考えに至らないほど愚かではありません。しかし、偽善であって何が悪いのでしょうか。偽善とは、「人が為す善」と書いてそう読みます。善というのは自然現象的に起こるのではなく、必ず人の影響があって、初めて起こるのです。ですから、人の言う善とはすなわち偽善であって、偽モノの善だろうとなんだろうと、善に変わりが無いのです。善というのは客観的に見て良しとするものなのですから、それに思想が入ろうと入るまいと、関係はないのです。すなわち、自身の善に対する懐疑を忘れたのが、トゥインクルというわけです。

演出面に話を移します。先に挙げたトゥインクルの楽しい思想活動を彼女達にとっては楽しいものである、という演出がそこかしこに見受けられます。 最初のレストランの虐殺の際もトゥインクルは自身の歌とともに踊っていますし、病原体内臓多弾頭ミサイル発射の際も、実に楽しげです。そういった演出が、スタッフのこういった行為に対しての批判というより、一種の誇張として戯的な演出を行なっているのだな、という感想です。また、位相差空間ゲートの仕組みをさり気なく解説しているあたりも、上手いな、といったところでしょうか。

第5話「BALLAD OF FALLEN ANGEL」堕天使たちのバラッド

この話は、以後に続く、いわゆるスパイク編の最初に当たるものです。

マオ・イェンライの暗殺に始まるビシャスの計画は、最終的にスパイクとの決着をつけるための過程にしか過ぎません。その点で、ビシャスという人物は部下に対する感謝とかそういった念は完全に失せているといっても過言ではないでしょう。尤も、マフィアの幹部が部下に対する感情を持ち合わせているのが正常なのかというと、そうとも言い切れませんので、人間的に見た場合に彼は異常だと言えるのです。しかし、そのような彼だからこそ、部下がついてきた、という印象も拭えず、ビシャスという人物の罪深さを慮らずにはいられないのです。それらが相まって、彼という人物に悲壮感や悲惨感を視聴者に与えているのかもしれません。

スパイクやジュリアについては後のジュピター・ジャズや最終話前後編と重複しますので、割愛。

演出面で言いますと、まずビシャスの初登場時の印象の与え方。血の回廊を歩き、明るい場所へと歩いていく彼の描写は、スタッフの彼に対する考え方そのもののようにも感じられる、良いシーンです。教会での戦闘ラストでのスパイクが落下していくシーンでの曲の挿入と記憶の入り混じり方は、妙技と言えます。

第6話「SYMPATHY FOR THE DEVIL」悪魔を憐れむ歌

ウェンの不老不死(?)が故の郷愁と、それを誤魔化すために生きることを続けたように思えます。どんな手を使っても。彼にとって、生き続けることそのものが自身を肯定することなのですから。死を許容したとき、彼の上に覆い被さって死んだ両親の行為を無駄にするとか、様々な因子があったのでしょう。しかし、彼の最大の問題は、どんなことでもする、という点であって、それに他人を巻き込んだことでもあるのです。 ジラフとゼブラ。この二人の人生を決定的に変えてしまったというだけでも、ウェンは批難されてしかるべき、なのですから。何より、ウェンは逃走時にタクシーの運転手を平然と殺しています。平然と。

演出面では、ゲート事故時の地球の変わりようを、ウェンの暖かいブルースハープの音色からの衝撃的な音楽への切り替えといった風に演出するなど、悲惨さを上手く描いています。ラストの「これで俺も死ねるのか…わかるか、お前に…わかる、か……」というウェンに対して、スパイクが「わかんねぇよ…」と言った後のブルースハープを空中に投げてバァン、と決める演出は、個人的に気に入っています。

第7話「HEAVY METAL QUEEN」ヘヴィ・メタル・クイーン

V.Tとスパイクの会話は、彼女に昔のことを思い出させたように感じます。自分を置いてとっとと逝ってしまった男。その心境をカウボーイに対する嫌悪に反映させることによって、自分を誤魔化さないといけなかったのではないか。ただ、そこまで悲観的な捉え方するのも性分ではないので、単純にスパイクという人物に惹かれるものがあったのではないかと考えてもみます。

演出面。初っ端からどかんと一発、その景気を最後まで一気に描ききった感があります。ただ、このヘヴィメタルもヘヴィではなく、後を引かないさっぱりとした曲で、聞いていて心地よいです。やっぱり菅野さんらしい曲です。この話のラストもさっぱりとした終わり方で、曲のイメージを大切に作ってるなぁ、という印象でした。

第8話「WALTZ FOR VENUS」ワルツ・フォー・ヴィーナス

スパイクとロコの奇妙な関係が最後にあっけなく終わってしまい、それがまた喪失感にも繋がったりする、結構不思議な話です。何か暖かいものを必死に助けようとするロコ。そしてロコを助けようとしたスパイク。ステラはただロコに帰ってきてほしかった。

スパイクを見ていると、「どうしようもできなかった自分」を責める代わりに、「俺らしくねぇや」といって物事を切り捨てる、ちょっと悲壮感のある人物のように思えてきます。それが、ステラの言う、スパイクの「すごくわかりづらい」部分なのかもしれません。

演出。暖かいオルゴールの音色に合わせて、去ってゆくスパイク。このラストが、古典的ながらも、実に効果的に私には感じられました。こういう話は、奇をてらわないのが一番なのかもしれません。

第9話「JAMMING WITH EDWARD」ジャミング・ウィズ・エドワード

人工知能搭載衛星、んぴゅーについてスパイクが最後に、寂しかったんだろ、という感想を述べている部分に、スパイクがんぴゅーに自分を投影している部分があるのか、という勘繰りをしてしまったりします。スパイクは非常にわかりづらい人物ですが、反面、ちょっとした場面で自分をさらけ出すことがあり、それが非常に魅力に感じられるのかもしれません。

演出。戦闘シーンも良いことは良いのですが、ここはやはり、ジェットが聞き込みを行なっているときのテンポの良い展開でしょう。最後に地球土産にぴよこを買ってしまうあたりが、ジェットの変な可愛さなのかもしれません。

第10話「GANYMEDE ELEGY」ガニメデ慕情

ジェットとアリサ、それにリント。それぞれの感情が上手く、そしてしっとりと染み入ってきます。最後に止まった時計を海に投げ捨てたジェット。よく考えてみれば、他のビバップ・クルーはかなり後半で自分の過去にケジメをつける(つけていく)ことから、彼のビバップという中での特異さが意識できます。

演出は、やはり山場であるリントとアリサをジェットが追うシーンが秀逸。スパイクの問いに対してジェットは毅然として答えます。ケリは自分でつける、と。その後にかかる曲は、上手く心情を反映しており、逆に考えれば映像が曲を反映していました。

第11話「TOYS IN THE ATTIC」闇夜のヘヴィ・ロック

完全に馬鹿話ですので、テーマ性云々については割愛(笑)。

演出面はテーマ性が無いことなんか気にならないくらいに面白さを際立たせてくれます。一つ一つ挙げているとキリが無いので、一番印象に残ったものだけ。ずばり、ラストの冷蔵庫とビバップクルーのダンスでしょう。踊っていないのに、踊って見えるのは、正に演出の上手さといえます。もちろん、曲がそれを連想させるように流れてはいるのですが、それに合わせて画像を繋いでいくのは、本当に見ていて面白かったです。

第12話「JUPITER JAZZ(Part1)」ジュピター・ジャズ(前編)・第13話「JUPITER JAZZ(Part2)」ジュピター・ジャズ(後編)

わざわざ考察まで二つに分ける意味が無いので、一緒に(第25話と第26話もそうしてあります)。ただし、二話に渡って描くに際して、演出やパートごとの展開はスタッフが当然工夫した部分でしょうし、そこに見出せるものもあるはずです。

ビシャスにとってグレンは、既に過去の人物であったに違いないでしょう。また、自分のようにもう何かを信じることを忘れているはずだ、とも思っていたかもしれません。しかし、グレンはビシャスを恨みもしましたが、最後までビシャスのことを考えていました。そして、それを見た、感じたビシャスは明らかに動揺しています。リンが身を呈して自分を守ったとき、彼はこういって自分を肯定します。「この世に、信じるものなど…」ない、と続けなかったのは、その必要が無かったからか、それとも彼自身の戸惑いか。ここら辺りに、彼の矜持を見出せるような気がします。

フェイに関してなのですが、恐らくグレンに語っていることが本音だと思いますので、割愛。

スパイクとジェットは…今回は上記の面々の引き立て役でした。

演出。ジュリアの名を聞いたとたんに飛んで出て行くスパイクの身のこなしだとか、色々あるんですが、ラストの変形エンディングとでも言うべきものが、一押し…ですね。哀しみとはまた違う感情が心中に差し込んできます。

第14話「BOHEMIAN RHAPSODY」ボヘミアン・ラプソディ

ボケるってのがどういうことか。自分が自分でなくなることと同義なのか。そしてそれは果たして不幸なことなのか。まぁ、考えたって仕方の無いことではありますが、ボケた人に対しての考え方ってのは、大切ですね。

演出。賞金首を求めて廃棄ステーションを歩くスパイクとフェイの探検心みたいなもんが、実に上手く音楽と映像で表現されている点、ですね。

第15話「MY FUNNY VALENTAINE」マイ・ファニー・ヴァレンタイン

ウィットニーとフェイ。この話はこの二人の考察に尽きますね。最終的に互いがケジメつけられたようですが、ウィットニーは本当にあの時、フェイを騙していたのか、ということがあります。ウィットニーは最初は彼女を騙すつもりで接触していたんでしょうが、段々と自分の中の、「スリーピング・ビューティに一目ぼれ」した事実に逆らえなくなってきたようです。しかし、現実の借金取りが彼の乗る車を爆破し、事態は自分が干渉できなくなってしまう。なんだか、せつなさがあるのは、そこらへんなのかなぁ。

演出。フェイの心情の変遷。これが上手い。戸惑いからウィットニーへの信頼、そして恋愛感情。そして時は移って、再開、そして先に挙げたケジメ。これらが音楽共にビバップらしく軽快に描かれます。

第16話「BLACK DOG SERENADE」ブラック・ドッグ・セレナーデ

どうも、ウダイの脱走の手引きしたのはファドなのではないか、という懸念を拭えません。その理由はもちろんジェットをおびき寄せるためでして、しかし、それだと、ファドは自分のケジメをつけるために、護送人等を犠牲にしたということになります。彼にそれができたのか、という点が最大の問題です。彼にはできたと私は考えます。彼にとって、ジェットとの過去のケジメをつけることが最大の目的であって、それ以外のことは考慮するに値しないものであったことも確かであると感じたからです。ファドという人物は、その心中を慮るに値はしても、行為自体は人間として許されざるものです。また、このこと自体、自分でそう思っていたような身の振り方を彼はしており、頭の痛いところです。

ウダイのナイフについて少し取り上げますと、接近戦においてのナイフの有用性をスタッフはわかっているな、という確信が持てました(というより、そういった風に見せるこだわりが感じられたな)。ナイフの基本戦術は相手の動脈を切断することです。すなわち、軽装が基本の現代、一度接近されれば、動脈を保護していないものを一撃のもとに戦闘不能にさせることが可能です。銃の破壊力は、しかして直線的な範囲に限られ、接近された際には他の武器、特にナイフ等の振り回せる武器には敵いませんから。また、銃が構える、狙いをつける、打つ、といういわゆる3アクションを要するに対し、ナイフは抜く、切る、の2アクションで済みます。この1アクションの差は大きく、また絶対的なものでもあるのです。すなわち、これらがナイフの有用性です。

演出では、ファドが銃弾を一発しか込めないシーンもあるのですが、やはりその辺りの曲の演出を取り上げたいと思います。狂気をテーマとしたような曲がとめどなく流れつづけ、そしてファドが映像を切った瞬間にその曲も途絶える。そのシーンはやはりはっとするものがあります。

第17話「MUSHROOM SAMBA」マッシュルーム・サンバ

これも物語面での考察は第11話と同じ理由で割愛。

演出面ではラストのドミノ追撃戦に尽きるでしょう。ちゃんとオチがつくのも良いのですが、そこまでに至る過程は見ていて引き込まれます。個人的には、シャフト兄弟弟と女賞金稼ぎコフィそれぞれのガン・アクションが好きですね。特にコフィの片手でロケットランチャーぶっ放すシーンは格好良いというより滑稽さを強調していて、なかなかに見ごたえがあります。

第18話「SPEAK LIKE A CHILD」スピーク・ライク・ア・チャイルド

フェイの過去への渇望が再び、という機となる話です。恐らく、それが強く後に出たのは、地球へスパイク達が自分を置いていってしまったと勘違いした後だけに、余計そうなったのだと思えます。勘違いであれ、一度そう感じてしまった自分に嘘はつけなくなってしまったのでしょう。

 

個人的には20世紀映像マニアの男を考察したいところですが、物語的になんら意味が無いので割愛(笑)。

演出筆頭は、冒頭のオペラに乗せて流れるギャンブルの映像です。ギャンブルというものが一種狂ったものであるという観点から捉えた、見事な演出です。私もそこそこにギャンブルは好きなんですが、だからこそ、こういった一面があるということを誇張した映像というのは、実に楽しく見ることができます。

第19話「WILD HORSES」ワイルド・ホーセス

個人的に好きなのは、マイルズとドゥーハンの心情でしょうか。スパイクは二人に対しての考え方が固定されているように見えますので、割愛。ドゥーハンもマイルズも、互いに相手に思うところがあるようなのですが、お互い、というよりドゥーハンが不器用な、またそれを他人に見せしめているような人物ですので、それ叶わず、とったところです。私は実にこういった関係が好きでして、見ていて楽しかったです。

スペースシャトルを離陸させるシーンは圧巻。強引にブースターで機首角度を上げる辺りが、ドゥーハンらしいのではないでしょうか。着陸時の手腕も見たかったなぁ……。

演出。マイルズの野球好きなど、伏線引きが見事なのは言うまでもなく、山場のスペースシャトル発進シーンの盛り上げ方も見事。まさか戦車で引っ張るとは……ドゥーハンとマイルズの自信有り気な表情が技術屋らしい矜持が出ていて、格好良かったです。

第20話「PIERROT LE FOU」道化師の鎮魂歌

賞金稼ぎが存在するようになったのは、I.S.S.Pが設立した賞金首制度によるものである。現に、賞金は賞金首を捕まえた後にI.S.S.Pに申請することによってはじめて受け取れる。で、この制度自体なし崩し的なもの、つまりゲート事故によるところが大きく、その存在上、かなりの社会問題になっていると思われる。それは、ともすると犯罪者同士を殺し合わせるという、倫理的に非常に問題のあることだからだ。実際に、現代においてもアメリカやイギリスにて一部的に認められている賞金首制度でさえ、既に問題になっている。これを解決するための一つの解決手段としてI.S.S.Pが考えたのが、対賞金首暗殺を目的とした東風(トンフー)などの暗殺者を正に作ることであったのではないか。人道的、倫理的に整合性を持たせるために、非人道的人体実験を行なう。矛盾していることさえ、国家的平和のために正当化される。それは現として存在し、この考え方の根拠にするには不足ではないように思える。

演出は、ともするとこのシリーズの中で最も多くの演出技法が用いられていると言えるのですが、それらは全て東風の強大な個性を引き立たせるものであると感じました。これはあまり細かく話すと野暮になると思いますので、ここらで。

第21話「BOOGIE WOOGIE FENG SHUI」ブギ・ウギ・フンシェイ

メイファが後にどうなったかが気になるんですが、スパイクがいなくなった後にジェットとフェイの二人とトリオ組んだら、面白そうですなぁ。賞金首を宇宙風水で探したりして。まぁ、そんな同人根性はさておき、パオの組織のコンサルタンティングについて。

 

占い、という行為は事業の一つの方向性を決定する際によく取り込まれます。大安吉日などはもとより、風水やその他占星術など、日本でも政治家が利用していたりします。中国系のマフィアともなれば、占い士を用いるのは常道で、当然重要なことを聞くので、劇中でジェットが語っている通り、組織から抜けるなどということは不可能です。 パオに対するメイファの感情の解決もただの誤解が元ですので、ジェットがパオについてをメイファに教えた時点で、メイファのパオに対する感情は十分軟化しました。しかし、恨み、という感情はそうそう消えるものではなく、それでも、最後にパオと話して、ケジメがつけられたようです。ジェットが言っているように、これは、彼女が望んだことです。占いは一つの方向を提示、あるいは支持したりはしますが、それを選ぶのは自分なのですから。

演出。タバコ吸う人間の哀愁が上手いですね。夕日を背景にタバコを吸うスパイクとフェイ……グッと来ます。また、メイファが太陽石の秘密を解くシーンの「そうなんだわ」というところの各々の表情の挿入の仕方が、個人的には面白かったです。

第22話「COWBOY FUNK」カウボーイ・ファンク

アンディを通して、スパイクを考えてみたい。「アンディ好きなのに〜」という方には申し訳ないが、一発キャラなのと、考察したってその魅力が引き立つだけなので割愛(笑)。馬に踏まれたら骨折するよ、スパイク丈夫だねぇ、などという考察はもちろんしないので、安心してください。

スパイクが何故アンディを毛嫌いするのかは、フェイの言う通り同族嫌悪の類でしょう。この二人は印象こそ違いますが、物事に対してサッパリしている点など、相似箇所が多々あります。深読みをすれば、スパイクはアンディのような生き方がしたかったのではないか、ともとれます。最後にアンディはスパイクとの決闘に負けた後、あっさりと侍に転向したりします。逆に、スパイクはどんなことがあっても自分の状況を変えませんでした。ただ、どちらも彼ららしい生き方でありますから、それがどうした、などといわれる返せません。

テディ・ボマーについてなんですが、彼は単に自己主張がしたかっただけで、資本主義に対するなんたらはこじつけです。まぁ、そこらへんを最後に自分で気づいただけ、可愛げがありましたが。

演出。アンディの魅力全開。声優といい脚本といい音楽といい、彼を引き立てるために全力を注いでいます。ラストの音楽と夕日をバックに馬に乗って走る姿は、奇妙な感動すら覚えた。

第23話「BRAIN SCRATCH」ブレイン・スクラッチ

テレビ、メディアを宗教と捉えたのは見事です。それに関することは劇中で語り尽くしているように思えますので、ドクター・ロンデスの正体であるロニー少年について。

植物状態になった人間というのがどういう状態なのであるか。なったことがないのでわからないんですが、病気やこういう特殊な状態になった場合、患者自身よりもその周囲の関係者こそが問題であるのではないでしょうか。

さて、肉体と魂についてなんですが、この二つはワンセットであるからこそ、価値があるのです。どちらか一方だけになった時点で、意味はなくなります。それは肉体がなければ魂はなにもできないとかいう事ではなくて、肉体があるからこそ、魂はその形、つまり自己、個性を保っていられるのです。自分の体型、顔などの特徴から、持病まで、それら全てをひっくるめて、魂という思考に影響を与え、また逆もしかり。どちらか一方になった場合、肉体はただ肉体であり、魂はただ魂でしかない。肉体は器であり、魂は水。その考え方は、私の中にずっとあり続けています。こんなかったるい考えするのも良いんですが、個人的には病院の警備の人とジェットの会話が好きです。

演出。冒頭からのテレビ番組後とのつなげ方が見事。それ以外は特筆すべき点は特に無し。

第24話「HARD LUCK WOMEN」ハード・ラック・ウーマン

書く前に一言。別に私がシスター好きだからじゃありませんよ! ……さて、シスターなんですが、地球に宗教、それもキリスト教系の教えが残っていることがわかる、貴重な話です。シスターの外見からの年齢を想像すると、40から50といったところでしょうか。つまり、若年齢においては既に宗教的な教えを受けていたはずですから、ゲート事故後10年以内には既に教えが守られていたということになります。宗教がこの世界でどういった発展・復興をしていくのか。興味深いところです。

女二人、心情の変遷、そしてその演出。アップルデリーとスパイクの戦闘時にビバップ号が突っ込んでくるのも、エドの意志が感じられて良いです。アインの動き方も、いろいろな感情があることを再確認させてくれます。ラストのスパイクとジェットのタマゴのヤケ食いも心情が出ていていいですね。

第25話「THE REAL FOLKBLUES(Part1)」・第26話「THE REAL FOLKBLUES(Part2)」

いよいよラスト。スパイク、ビシャス、ジュリア、赤龍……そしてビバップ号、帰れる場所。

人物の関係などは既に他の方などが考察されていますので、スパイクの目について。スパイクは左眼が義眼で、右目が生来のものです。本人曰く、「片方で過去を見て、片方で今を見てた」演出の仕方から考えると、義眼で過去を見てたようです。 ラストシーンをよく見てください。彼は怪我で左眼が見えなくなっています。つまり、現在だけを見ていました。そして、死。彼は、最後にようやく、今を見ながら、逝きながら、生きたのです。

演出では、最後の曲に乗せて赤龍本部での戦闘、これに尽きます。格好良いビバップ。その全てが集約されてます。

まとめ

今回、全話を見直す機会があり、この考察に至ったわけですが、じつに魅力が多い作品です。見直す度に発見があり、この考察もその度に更新していくことでしょう。

――2004年12月15日追記:このドキュメントを最初に書き上げたのは、私がまだ学生を卒業したばかりの頃。改めて読み返すと恥ずかしい点などもありますが、これまで、様々な方がこのドキュメントを参照してくださいました。それに感謝を表し、また、ドキュメントとしての普遍性を高めるため、今回は誤字脱字の修正及び最低限かつ必要なマークアップの改善だけを行いましたことをここに記します。それにしても、ここまでキャラの一挙手一投足が気になったアニメはそれまでもそれからも無かったと言わざるをえません。そして、再びこのドキュメントに手を加えるまでには、様々な方々の有象無象の示唆があったことも忘れてはなりません。思えば、映画までの放映当時はビバップファンサイトは数多ありましたが、今ではグーグルのキャッシュにそのほとんどを認めることができる程度です。それでも、未だ多くの人がビバップを認めているのも事実です。そんな作品について拙いながらも考察することを許容してくれたネットと、それに関わった方々に、心中で拍手を送らせていただきます。

あの興奮を今度はいつ味わえるのだろう。

――See You Next Cowboy...