外伝その2

 
柏木家にて日付は五月下旬某日、時刻は午後八時半
 
「なんで俺が祝辞を読まにゃぁいかんのだぁーーーーーー!」
柳川裕也の怒声は柏木家一同が会している食卓がある居間を通り抜け、ご近所一帯に響き渡った。寝ていた犬は吠え出し、縁の下の猫は飛び上がって頭をぶつけ、夫婦喧嘩は協奏曲を得てヒートアップ。一人の人間の怒号がここまで世界に影響を与えるのだから不思議なものだ。非常に限定されたごく小さい世界ではあるが。
 
 その小さい世界の一部である柏木家の食卓であるが、本日は六月最初の土曜日に挙行される柏木耕一と柏木楓の結婚式の最終的な取り決めについての確認をしていた。
 そう、最終確認、であるから、祝辞の件に関しては担当者が知っていて当然であったわけであるが…その担当者があまりにも毎日顔を合わせている相手であったから、耕一の性格も影響し、通達はされていなかったようだ。
 柳川の反応を見て一番驚いていた”つもり”なのは耕一であるが、周りの人間は尚更である。
 
 柏木家長女の千鶴は上座で「ほぇ?」という顔をしている。
 次女の梓は呆れ半分失笑半分という割合の感情をまさしくお茶で濁している。
 三女の楓は隣に座っている耕一の顔を細目で眺めている。
 四女の初音は柳川の隣の席だったものだから、彼の大声で少々電波っている。
 仲人役の鶴来屋会長、つまりは千鶴の補佐である足立はお茶でむせいている。
 
 柳川も「もう決まったことだから」という耕一のありきたりな言い訳に、仕方ないなと思いながらもそれでも不満を零さずにはいられなかった。
 
「千鶴がいるだろう?式場である鶴来屋を取り仕切っていて、おまけに新婦の姉という立場的にも一番ベストな人物が!」
机に手をついて立ち上がった柳川が、びしっと千鶴を指差す。それを梓は全員分のお茶を煎れ直しながら諭す。
「千鶴姉ぇは駄目だよ。なんせ二人の結婚に一番反対してたのは千鶴姉ぇだぜ?しかもそれは本家のウチらはもちろん、分家や親戚筋、おまけに友人知人まで知れ渡ってることだし。今更どの面下げて祝辞すんだよ。やったって場が白けちゃうっての」
…諭す、というより遠回しに姉に皮肉ってるだけのようだ。
「梓!あのねぇ、それは前の話であって、私は今では耕一さんと楓の…その…」
「ほうら、結婚、っていう単語を言葉に出すのすら覚束無い人間が祝辞なんてできるわけないだろ?下手したら途中で泣き出すぞ(笑)」
「あ、あのねぇ…(怒)」
 
「それじゃぁ梓、お前はどうなんだ」
柳川が言葉の矛先を変えた。どうやら手当たり次第に矛先を変えるらしい。
「あぁ?あたしは駄目だよ。そりゃぁ結婚を一番喜んでるのは私かもしれないけど、第一、さっき叔父さんが自分で言った『立場』って奴が今一つ。私は仲間内で歌でも歌って祝うよ」
 
 矛を見事に折られた柳川がその後、初音、足立の順に当たったが、前者は立場というやつが梓のそれ以下であるし、足立は仲人役が決まっている。結局のところ…
 
「暇で」
「新郎新婦両方の親友という立場で」
「他に潰しの利かない」
 
 以上三点を満たした柳川に白羽の矢が発った。というより、発っていた。
 
「む〜〜〜〜〜〜〜」
柳川が観念いったのか、どすりと席に腰をおろし、煙草を取り出す。
「あ、こらこら、ここの家は禁煙だっつーの」
「……耕一さん、元はといえばこちらの不手際でもあるわけですし、それぐらいは…」
耕一と楓のやり取りを聞き終えるまでもなく、初音は既に灰皿を台所から持って来ていた。
「初音ちゃん、ありがとう…」
その時の一服は肺全体の毛細にまで染み渡る極上のものであったと後に柳川は語っている。
 
 
 
 同日、鶴来屋社員寮、時刻は午後十時。
「で、結局は貴方が祝辞を読むことになったわけね」
何時の間にか半同棲状態になっている佐々井夕奈に事の経緯を語り終えた柳川は、先ほどの極上の一服を反芻しながら、また煙草を吸っていた。
 
 半同棲になったのは、彼女がちゃっかりと挨拶回りを社員寮中にしてしまったからで、柳川にしてみれば、姐さんもうやめて〜、と泣きながら言いたい気持ちであった。
 彼としては「いくら夫婦住まいができる寮だからって同棲とはもってのほか」という反応を周囲に期待していたのだが、ご時世なのか彼女の人当たりの良さ(家の外限定)なのか、あっさりと認知された上、ご近所からお祝いの言葉と品をいただいてしまうのであった。
 
「もう、馬鹿かと、阿呆かと…耕一に小一時間(以下省略)」
などと柳川は言いながらも、テーブルの上のノートパソコンでは祝辞の草稿が出来上がりつつある。
「どんな状況下でも仕事はしてしまう…サラリーマンの悲しい習性よね」
「うう…金にもならんどころか祝言まで取られるのにこれじゃ釣り合わん…」
「はいはい、美味しい夜食作ってあげるから、機嫌治しましょうねぇ〜」
「……ありがとうございます」
 
 こうして着々と式の準備は進み、結婚式当日へと話は移る。
 
 柏木家一同、分家等親戚筋、友人知人、その他諸々ひっくるめて数にして総計二百人を越えるという、一大挙式が挙行された。鶴来屋旅館の一階ロビー全体を貸し切るという、費用やら祝言やら金なんぞ数えただけで頭が痛くなる。
 これには鶴来屋の今後の挙式サービスに関するプロモーションの意味もあり、広告代理店などは支払われる金額に見合った体勢で、式を余すところ無く取材していた。
 
 先ずは結婚式。今回、この式に間に合わせる形で改装が完了した一階は、奥にあるチャペルからロビーまでの数個の大部屋をその式の規模に合わせて、多段的に一体化させることが可能となっている。和式にも完全対応であるから、大した物である。
 
 結婚式というのは参加者はとにかく暇である。何かするにしても、泣いたり笑ったりの親族知人の引きこもごもをウォッチングする程度が精々であろう。その点でいえば、非常に見応えのある式であったといえる。
 
 特に千鶴の反応が
 
 初音などは目を輝かせながら姉と従兄弟の晴れ舞台を見守っていれば良かったのだが、梓などは分家筋に密な相談を事前に行った上で、千鶴の暴走を押さえつける体勢に逐一気を遣っていた。
 
「まさか結婚式にインカムつけて出ることになるとは思わなかったよ」
梓が隣の千鶴に聞こえないように反対側の柳川に愚痴る。彼はそれを聞いてギョっとした。確認してみれば、梓の耳には小型のインカムが装備されている。辺りをそれとなく見回してみると、いるいる、目立たないように着けているとはいえ、数えられた人数だけで二桁はそれを着けていた。
「おい、このことを千鶴は知っているのか…?」
「知ってるわけないだろ…初音にも知らせてない。夢を壊すにはあまりにも不憫だし」
「で、具体的に千鶴が…その…そうなった場合、どういう風になるんだ?」
「先ずは最優先でスタッフ全員に勧告。その後に柏木の能力で一斉に事態を収拾させる」
「おいおい…」
「撮影してるカメラとかは後でいくらでも改竄できるし、やろうと思えばその部分の記憶を封じることができる人間も分家にはいる。いざとなったら叔父さんも頼むよ?」
「……」
嫌な雰囲気で張り詰めた空気の中で式は進み、当の千鶴も流石は社会人、ことを荒立てるようなことはしなかったため、滞りはなかった。
 
 
 そして披露宴。先ほどまでの重い空気の反動なのか、梓やその他インカムを着けている人間も警戒はしているにせよ、比較的普通に披露宴を楽しんでいる。
 
 結婚式では比較的自由に席を決められたが、披露宴となると席決めは厳格である。表向きには本家と関わりが無いことになっている柳川は、新郎の親友扱いで席を割り振られていた。同席の夕奈がオードブルに手をつけながら隣の柳川をからかっている。
「ほうら、いよいよ出番が近くなってきたわよ〜」
「ネクタイ、曲がってませんかね」
「曲がってるわ……性格が」
「お互い様でしょう、それは」
二人で静かに笑い合う。後で柳川は気づくのだが、これが彼女なりのリラックスのさせかただったのだ。
 
 そして祝辞代表の出番がやってきた。数が多すぎるので、他の祝辞は全て紙面の上でのみ伝えられる。
 
 柳川の祝辞は正に完璧であった。自分が本家と血の繋がりが無いことを前提に書いたにも関わらず、新郎及び新婦との交友や心情、経緯などをほぼ余すところ無く説明し、一部ではホロリとさせる一節まであったのだ。
 祝辞が終わった後は拍手喝采の嵐。普段、柳川の存在を疎ましく思っているような分家の一部の者達までそれに倣っていた。
 
「いやぁ、夕奈さんのアドバイスが効いたみたいですね」
席に戻った柳川が、場の興奮の余韻を噛み締めている。
「何言ってるの。私がアドバイスしたのなんて、文章の端ぐらい。後は全部貴方じゃない。誇って良いと思うわよ。けど…」
「けど?」
夕奈が柳川の疑問に言葉で応える代わりに、新郎の方を見ていた。そこには…
「……あの野郎…なんで笑ってるんだよ。しかも必死に笑いを堪えた上で…」
 
 
「―――くっく…ああ、駄目だ、が、我慢できん…くっくっく…ひ〜っひっひ」
耕一が周囲に目立たないように笑いを堪えているのだが、逆にそれが目立つ要因となっていた。それに気づいた楓が、テーブルの下で耕一に会心のスネ蹴りをかました。
 
 
「あ、楓さん、早くも女房っぷりを発揮したみたいね」
耕一の痛みに堪える表情を見取った夕菜がぽつりとつぶやいたのを柳川は聞いて、苦笑せざるをえなかった。
 
 
 大体のスケジュールが消化されると、披露宴はただの宴会の場と化す。披露宴と通夜は酒をおおっぴらに飲める場所だ、という風に田舎者は大概は勘違いしてるので、尚更である。
「あ〜、梓忙しそうだなぁ〜」
 
 これは柳川の感想であるが、酒に酔った千鶴相手に分家の仲間共々、宴会に紛れて奮戦している様は闘神と崇められてしかるべきであった。
 
 まさかこのために会場を広くしてるわけじゃないよなぁ、という柳川の考えは実は的外れではない。大体にして新郎新婦の親族は会場の角に席分けされるのであるが、それを利用して千鶴は新郎新婦の半径百メートル以内には近づくことができないよう、何時の間にか陣形が組まれていた。披露宴がスタンディングOKの状況になった途端にそれであるから、梓の「千鶴封殺の計」は完璧の度合いに達していたようだ。千鶴が酒を呷ればすかさずチェイサーを薦め、挨拶回りに行こうとすれば新郎新婦の方角には最低五人の漢が立つ。
 
 柳川はそんな情景を見ながら泣きそうになっていた。というか泣いていた。泣かずにはいられなかった……。なんでこんな親戚ばかりなんだコンチクショウ。それはお互い様だコノヤロウ。その瞬間、確かに柏木の血筋は一体となっていた……。
 
「昔の偉い人は言ったわね。『人をまとめるには共通の敵が必要だ』」
夕奈の愚痴は誰に聞こえたわけではないが、全員がそれを聞いていれば心の中で全員が納得しえただろう。
 
 柏木千鶴という「全員に共通した敵」がすぐ目の前でウェイターから酒をひったくっているのだから。
 
 披露宴も二次会へ向けて撤収を開始し始める。参加者一同は二次会に出る出ないは別として、新郎新婦達とここぞとばかりに記念撮影を行っている。そんな様を見遣りながら、柳川は、これでようやく終わりだなぁ、と人心地ついていた。そこで適度にアルコールを摂取した夕奈が一声かける。
「そういえば、私達まだ新郎新婦に挨拶してないわよねぇ…行ってきましょうよ」
「どうせ二次会で会えるんだ、別に今挨拶しなくてもいいだろう」
「あのねぇ、ここで挨拶をすることに意味があるのよ」
そういうもんかねぇ、とゴネる柳川を半分引っ張る形で、夕奈は人だかりの間隙を縫って新郎新婦の元へと歩いた。
 
 衣装替えが終わってから初めて新郎新婦を間近で見たが、柳川は豪奢だったウェディングドレスよりは、今の落ち着いた色合いのワンピースが楓には似合っているなと、柄にも無い感想を覚えていた。
「今更だけど、結婚おめでとうございます!ほら、何ぼけっとしてんのよ」
夕奈に新郎新婦二人の前に突き出された柳川は、言葉をなんとか絞り出す。
「あ・・・いや、結婚おめでとう、楓さん」
「ありがとうございます、叔父さん」
楓の本当に嬉しそうな声色でその言葉を聞いて、ああ結婚式って良いなぁと思い直していた柳川であったが、耕一がそれを台無しにした。
「おいコルァ!俺にはおめでとうとは言わんのかっ!」
「うるさい!人の祝辞を笑うような奴に祝う言葉なぞ出るかっ!」
そんな二人を見ながら、夕奈と楓はほっとしたような笑いを浮かべていた。
 
 
 
 そんなこんなで披露宴も終わりを迎え、二次会へと進むのだが、カフェバーを貸し切ったそれも一瞬だったように時間が過ぎていった。
 
「お〜い、三次会行く奴!私に着いてこいっ!」
「梓ぁ!ばんばん行くわよぉっ!」
「千鶴御姉ちゃぁん、飲みすぎだよぉ〜」
ちなみに千鶴はもちろんのこと、足立、柳川も翌日は仕事である。
 足立は千鶴の素行に頭を抱えながら、明日のスケジュールのずれを計算していた。
 
 耕一と楓は二次会までは主賓であるが、それが終わったら柏木家宅に戻ることになっていた。新婚旅行は最初から二人の眼中に無かったようだ。ただ、様々なことがあった柏木家でしばらく幸せを噛み締めるだけの時間がもらえれば良かった。
 柳川は最初から二人を車で送ることになっていたので、酒は一滴も口にしていない。相方の夕奈は、怪我が完治したためだろうか、周囲が「あんなに飲んだのに」と思う程に傍から見ればシラフに近い。
「それじゃ、私は新郎新婦をエスコートさせていただきます」
柳川はそういって二次会の終了と共に二人を連れ出し、近くの駐車場に停めてあった愛車に向かおうとしていた。
 
「あ、待ってってば〜、私も行くわよ!」
夕奈が、梓達の三次会百鬼夜行の隙間から抜け出し、三人のところに走り寄ってくる。
「あ〜、はいはい、すっかり忘れてましたよ」
「まったく、私を置いていっても、またどうせ迎えに来なくちゃならないんですからね」
そういう夕奈に、車のキーを渡す。
「ん、なに?」
「楓さんと先に車に行っていてください。スターターかけちゃって構いませんから」
そう告げると、夕奈が首を蛇のようにして下から嫌らしく微笑んだ。
「あ〜ら、男と男の語り合いってやつ?相変わらず流行らない性格してるわねぇ。ま、いいわ。それじゃ先行ってるわね。早く来なさいよ」
「了解しました」
夕奈が耕一と楓に説明し、楓と一緒に駐車場の方へと歩いていった。
 
 本来なら、柳川から耕一に話があったのだが、先を越された。
「……なぁ、柳川」
「なんだ」
「色々、ありがとうな」
それは俺も言いたかった台詞なんだがな、とは柳川は口にしなかった。ただ、頷いただけだった。言ったらそれこそ自分が惨めに思える。耕一もそれがわかっていたから先を制したのだ、と柳川は思っていたし、事実そうであった。
 
 二人でとぼとぼと夕奈達の後を追いながら、一人は夜の帳が下りたばかりの空を眺め、一人は煙草を吹かしていた。
 
 仕事も、同人も、その他日ごろの生活など、二人の心には無かった。ただ、充足感が心の器を満たしていたのだった……。
 
 
 
 その後、降山歓楽街でパトカーの増援要請が続発したそうだが、その理由を知り得たもの、或いは推測できたものは数少なかった