第二幕あの「試験会場」からアパートメントに戻った俺とシエルは無事に戻った旨をサンとビエラに伝えた後、ソロモンの大家室にいる。今、俺はビエラの一挙手々々々に見惚れていた。何故にビエラがここにいるかという質問には、こう答える。俺が部屋を出るときに、ジャケットの背中に切れ目を見つけたのが気になって、サンと一緒にここまで来てくれたから。なんで見惚れているかという質問には、こう答える。ビエラの裁縫が余りにも手際が良かったから。その俺の様子に気づいたサンが嬉しそうに、Tの字に整った顔を少し崩して、話し掛けてきた。「親が無くとも…とでも申しましょうか、いや、だからこそ、でしょうかね、彼女は本当に色々と私のことを助けてくれます。色々とね…。まぁ、その片鱗を今貴方のために見せているといったところです」当のビエラはというと、楽しげにチクチクと細かく切れ目の部分を繋ぎ直している。四角いテーブルの上座とその隣で会話しているソロモンとシエルも、それを見ながら茶を微笑ましく啜っている。先ほどまでナルバレックの殺し方なんて物騒な会話してたとは思えない程に。上司の悪口ってのは万国共通で弾むんだなぁ、と考えていると、ビエラが裁縫道具を机に置いた。「…できました……元々手縫いで作られているので簡単でした」彼女から手渡されたジャケットの局面を見てみると、カードで繊維が切断されていた部分が、虫眼鏡で見ないと乱れが見えないほどに綺麗に修繕されていた。「へぇ…すごいね、どうやったの?」思わずそんな質問をしてしまった。「え…っと…その……」急に口が詰まったけど、どうしたんだろうか。「あ、志貴、彼女はあまり自分のやっていることを口で表せないので…」サンのその言葉を聞いて得心したと同時に、自分の背中を正す気持ちを感じた。彼女にはそれを理解して相手をする人間こそが必要なんだ、と。俺はおもむろにジャケットに袖を通すと、下のボタンを留めないまま、ダンスパーティで酒に酔った紳士のように、踊ってみせた。「ありがとう、ビエラ」その言葉を踊り終えてから彼女に言うと、彼女の口元にはえくぼができていた。あとでソロモンに悪戯半分で聞かされた話だと、そのときシエルの眉間にはシワが寄っていたそうな…。「にしても、この煎餅というのは相変わらず美味しいですねぇ…顎にも良さそうです」さっきからずっとソロモンはシエルの土産であるそれをバリバリと食べている。彼は長髪でそれを後ろで絞ったような髪型をしており、眼鏡もしいてるので前髪はオールバックにしてある。目つきが悪いのと雰囲気から大人びて見えるが、実質のところ彼は童顔の部類に入る。身長も白人種には珍しく一六〇前後だ。要するに背が小さい。「試験会場」で指揮を執っていたときのシルエットも、他のメンバーよりも頭一つ以上は低かった。そんな奴がバリバリと煎餅を食べているのを見ていると、これで素直ならばとついつい考えてしまう。よって、ソロモンから視線をビエラ、ビエラからソロモンというようなことを繰り返していると、ソロモンがこう言った。「すいませんねぇ、素直じゃなくて」……それが素直じゃない、と言われる理由だ。「ただでさえ若く見られるのに、それ以上変わりようが無いんですからねぇ…女性から見たら羨ましい限りですよ、ソロモン」俺とソロモンの会話を聞いていたシエルがもっともな意見を出した。左右の瞳の動きの差が彼女の心情を垣間見せているようだ。「そうだそうだ、まがりなりにも聖職者なんだから少しは人の意見を聞け」俺もシエルの言に便乗した。この際、聖職者は関係無いのだが、こういった自分の仕事になんらかのプライドを持ってる奴にはこういった方が効果があるだろう。すると、思いがけない反応が返ってきた。「…私は聖職者であり、聖職者でない」意味がわからなかった。大体、俺はこういう謎解きみたいな台詞が嫌いだ。相手を試してることが見え見えだからだ。「ふん、そう怒った顔をするな、意味がわかったら褒美をやる」釈然としなかったが、元々こういう奴だったな、と思い直して聞き流すことにした。そんなやり取りの間中、サンは「ビエラはこういうお話に慣れちゃダメだよ〜」と言いながら、ビエラの食べやすいように煎餅を割って口に運ばせていた。コンコン…コココン……コンコン…コココン日付が換わろうとするあたりで全員が解散しようとしていたとき、部屋のドアが規則的な音を発てた。誰か来たようだ。ソロモンが立ち上がり、全身の筋肉を緊張させながらドアをノックした。コココン…コンココン……コココン…コンココン『確認……伝聞です。椅子の下に集まれ。以上』「了解……」ソロモンが返事をすると、火事の煙が引いていくように気配が消えていった。「え〜、不本意にも仕事のお知らせです。椅子の下に集まれ、とのことです。あの伝聞役の合図の仕方だと、ナルバレックからの指令のようです。相変わらず彼女は時間を選びません。人が空間転移できるとでも思ってるんでしょうか…」ソロモンが全員に伝聞を伝えながら、愚痴を続けていく。空間転移はお前ならできるじゃねぇかと突っ込みたくなったが、そういう雰囲気でもなかったので止めておいた。そんなことよりも聞くことがあったからだ。「質問。俺もその…椅子の下とやらに集わないといけないのかな?」ソロモンが答える。こういうときはまだるっこしい言い方をしないあたり、ちゃんとわきまえているようだ。「答えは、いいえ、です。志貴君はまだ正式な書面での登録が完了してませんので、行くとか行かない以前に、入れません。今日はのんびり休んでください」そこでシエルが眼鏡を輝かせた。「質問!」ソロモンが即答する。「ダメです」シエルがくぐもった溜息を出す。「大方、私も志貴を監督する必要があるから一緒にいていいですか、なんて言おうとしていたんでしょう。それも書面での確認が取れていませんからダメです。それに、貴方はナルバレックに事の次第などを報告する義務があります。ついでに言いましょう、サン、貴方も来てもらいます。椅子の下で、ということは、この命令にはなんらかの作戦行動が提示されることが予想されますので」サンはわかっていた様子だったが、ビエラの方を見て溜息を吐いていた。それにしても、椅子の下、以外にも何か言い方があるのかなと思ったので聞いてみることにした。シエルが言うには、埋葬機関の命令には誰が命令をしたかを示す暗号が必ず入っていて、召集し易いようにしているらしい。ちなみに、十字架の下に、棺の下に、頭の下に、足の下に、などが他にあるらしい。それがそのままその召集した人物の地位を表しているそうで、普段は椅子の下、つまりナルバレックからの命令ばかりで、十字架の下…教皇が命令することは一〇年に二、三度あるかどうかだそうな。シエルから事前に聞きかじった程度の知識で言えば、埋葬機関は教皇直轄の影の機関で、イスラエルのモサドのように教会のために色んなことをするらしい。色んなこと、と曖昧に言ったのには彼女なりに配慮があったようだが、生憎と想像できた。現在、教会独自の国家としてヴァチカン市国がある。きっとイタリア政府に対する諜報活動や他の国の宗教問題など、あらゆることに手を尽くしているのだろう。人が知らないところで血が流れているということか…。「サン、ところでビエラはどうしますか?」ソロモンが突拍子も無く発言した。その内容と同じ事を思案していたようだったサンが、はっとした顔でソロモンに顔を向けた。「そうですね…この時間からとなると…」そう、もう少し早い時間だったならば知り合いに頼んだりすることもできただろう。かといって埋葬機関のあるところに連れて行くこともできるだけ避けたい。どうしようかと思案を続けているサンに俺は確認することにした。「サン、昼間の約束、覚えてますか?」俺は今、自分とシエルの部屋で、日本で一〇カートンほど買い溜めしてきた煙草を吸っていた。流石に二万円近くの出費は、メイドの琥珀さんがつけている家計簿をチェックしている妹の秋葉に怪しまれたが、別にこの際ばれても構わないと思ったので実行した。何故に部屋で一人煙草を吸っているかといえば、ビエラちゃんが寝巻きに着替えを終えてここに来るのを待っているからだ。先のサンとのやり取りから、俺がビエラちゃんを一晩預かることになった。シエルはやたら反対していたが…まぁ、ことの成り行きから、最後は承諾せざるをえなかったようだ。「どこでも月は同じように空にあるんだよなぁ…」そんな当たり前のことを再確認しながら、煙をベッドに座りながらその脇にある窓から吐いていると、部屋のドアが開く音が聞こえた。「志貴…来たよ」既に入り口の方を見ていた俺は、待ってたよ、と返事をして、煙草を灰皿で消し潰した。ビエラの寝巻きは、よくある白いワンピースだった。シルク製であるあたりから、サンのビエラに対する感情の重さが伝わってくる。「志貴、煙草吸うんだ…」部屋に立ち込める匂いに気づいたのだろう。「うん、いけないってわかってるんだけど、俺、頭悪いからさ、他にリラックスする方法知らないんだ。コーヒーとか紅茶の淹れ方とかも知らないしね」「ううん、いいの…サンがね『人にはその人なりの時間の過ごし方がある』って教えてくれたことある。だから、平気」彼女にとってサンの教えることは、他の誰が言う事よりも、どんな本に書いてあることよりも、説得力があるのだろう。月明かりしかない部屋の中を、ビエラが足元を確認しながら俺の所に来た。するとおもむろに、俺の開いた足の間に座った。「ビ、ビエラ?なにもこんなところに座らなくっても…」そうだ、俺だって男だ、それに、こういう体勢だとついついシエルとの「こと」を思い出したりしてしまう…。幸か不幸か、俺のアレは疲れのためか勃たなかったが。「えっ…いつも寝る前はサンにこうしてもらいながら寝るの…それでね、ビエラが起きるといつもベッドの中にいるんだ。サンが私が寝た後にベッドに入れてくれてるんだよ。ビエラ、それだけでとても嬉しいんだ」俺が想像するに、サンのことだから最初の頃、女の子をどう扱っていいものかわからなかったからこうやって安心させるのが良いだろうと思ってやっていたことが習慣化してしまているのだろう…。「けどね、サン以外にこうしてもらおうって思ったのは志貴だけなんだよ。他の人にやろうとすると怒られるんだ、はしたない、って。はしたないのかな?私…」まぁ、たしかに一四にもなってこういうことを、知らないというわけでもないが他人にやるというのは、はしたないと言えばはしたないが…。「ううん、いいんだよ、ビエラちゃん。今日は俺がサンの代わりだよ。こうしてていいからね」そう言うと、安心したのか、ビエラは嬉しそうに、サラリと流れるような金髪を揺らしながら頷いて、背中を預けてきた。これは今日は眠るのは諦めた方が良さそうだ…。「ビエラね…あ、私って言わないとサンに怒られるんだった…私ね、サンが夜帰ってこれないときは、いつも眠れないの。ううん、眠らないの。前にサンが『ビエラがいてくれると思うから、無事に帰ってこれるんですよ』って言ってくれたの。だから、私もサンが私のことを思い出すときは私もサンのこと想っていようって思ったの」なんだ、意外としっかりしてるんだな、と俺は感心した。だってそうじゃないか、一四といったら成長期。昼間中何かしら体を動かしていれば嫌が応にも眠くなる。それを我慢して、サンの無事を願っているんだから。けれど、それでは神経が疲れて仕方無いだろう。たまには息抜きさせてやるのが年長者の勤めってものだ。この場合、サンはそれをやろうと思ってもできないだろうから、俺がそれをしてやろうと思う。「うん、ビエラちゃん、それはとても良いことだと思うよ。けどね、サンだってそんなにずっとビエラちゃんに想っていられると思うと、疲れちゃうんじゃないかな」ビエラが首を曲げてこちらを向きながら視線をそらして考え込む。目をそらして考え込むのは癖のようだ。「う〜ん、そうかな?」「そうだよ、それに、ちゃんと寝ないと次の日に体ふらふらしちゃうじゃないか。それを見たら、サンはきっと心配するよ。いいかい、ビエラちゃん。誰かのために何かをするのはとても良いことだよ。だけどね、その何かのために自分を辛い目に合わせるのは、やっちゃいけない。そうでないと、その誰かが辛いからね」そう優しくビエラに言った。自分で自分が可笑しい。自分はそういうことを何度もやってきたじゃないか。これはもしかしたら神様とやらが俺の口を使ってビエラはもちろん、俺に対しても叱ってるんじゃないか、なんて考えたりした。「志貴、何がおかしいの?」おっと、どうやら表情にも出ていたようだ。顔をまた引き締める。「ううん、ちょっとね…それでビエラ、わかったかい?」「うん、なんとなくだけどわかった。私、ちゃんと寝る………でも…」顔をしかめる仕草がまたなんとも可愛い…ってイカンイカン。また「遠野志貴ロリコン疑惑」が息を吹き返してしまう…って俺は何を考えているんだ?それよりも、でも、の続きが問題だ。「でも、なんだい?」「私、こうやっていないと眠れないの…」思わず溜息が出た…結局、俺は今夜は眠れないようだ。サンのように力もそんなに強くないから(サンはあれでいてなかなか力がある。クローゼットの間に落ちたコインを拾うために、大人二人分の重さはあるクローゼットを一人でずらしていたのだ)、ビエラが目を覚まさないようにベッドの中に入れてあげるなんて芸当はできない…。「じゃ、おやすみ、志貴」「おやすみ、ビエラ」まぁいいか…この可愛い寝顔を見ながら一晩過ごせるのだから……。初稿2002/7/11
あとがき「あ〜、あとがきなんて久々だなぁ…(´σ`)y―〜フゥ…ん?隣の部屋から俺を呼ぶ声が…俺『なんだぁ?』兄貴『おお、やす』兄貴の彼女『ほらほら、これ〜』俺『なんですか、こりゃ…って昔の小さい頃の俺と兄貴の写真じゃないですか』兄貴の彼女『やっくん、痩せたねぇ〜』俺『ん〜、痩せたというより、この頃ぽっちゃりしてただけなんですけどね〜』兄貴の彼女『もってきなよ〜』俺『は、はぁ…』…よくわからんイベントだったなぁ…けど、あの人が、今まで女という女と付き合ってきた兄貴と長く続いているのも納得がいくような気がするな…っと、そんなことよりもあとがき。この作品、実はかなりシリアスです。本当でしたら、埋葬機関の方に行った連中のことも書きたかったんですけど、志貴とビエラの描写だけで大分長くなったので一端切ります。というわけで、次回はかなり早くUPできます。最近はあまり不登校の執筆を焦らなくなった、というか、焦っても良いものは書けないと想っていますので、ちまちまと草稿を書いてます。そんなわけで、SSも二週間に一度ぐらいのペースでUPできるかと。次回は明後日にでもUPできると思います。珍しく設定が最後の方まで段取り良くできてますんで。さてと、睡眠薬飲んで寝るか…次回は戦闘描写あります、サンヴァルツォの武器も初お目見えします。それでは、また読んでくれるきさくな方、また次回〜」