外伝「A4」
 
 
『こちらは日差しが強くなってきている。散策とばかりに街に出れば、熱気に、その歪ながら逞しい腕で背中を抱かれ、森へ至れば咽るような緑が、目と鼻を痛めつけるといった具合だ。こういった点を踏まえると、そちらは随分と過ごしよさそうに思えるのだが、実際のところどうなのだろうか。
 こうして手紙を出すことを思い立ってから、早、二年もの時間が過ぎてしまったことを謝らせてもらいたい。どうやら私は自分で思ってるほど生真面目ではないらしい。しかし、これから書く、この二年ばかりの間に起こったことを読めば、それも納得してもらえるように思える。
 
 先ず、志貴とシエルだが、私はこういった沙汰には、とんと、慣れておらず、どう書いていいものやらわからない。かといって、書かぬわけにもいかないだろう。一つ確実に言えるのは、彼らが夫婦として生活を続けているということだけだ。いや、家族と云った方が正確だろうか。このことに関してはまた後ほど詳しく触れさせてもらう。
 
 次に、件の事件のその後について。あの事件については、本当に申し訳無いと思っている。成り行きとはいえ、関係のない君達を巻き込んでしまったのだから。こう書いておいて失礼かもしれないが、ことの真相などについてはこの手紙に書くわけにはいかない。こちらにも事情というものがある。口数が多ければ罪は避け得ないのだ。
 書ける範囲でとなると、私のアパルトメントに関してだが、建物自体が古くなって痛んでもいたようで、結局、引き払うことになった。私達は他の諸々の事情も考慮してローマを出たのだが、サンだけは、ビエラの学業のこともあり、残ることになった。それで、私達はというと、実は―――手紙の印を見てもらえればわかる通り―――アメリカのサンフランシスコに移った。一度、西海岸を眺めながら本でも読みたいと思っていたが、よもやこのような形になるとは思っても見なかった。こちらには私の同志も何人か居るので、そういった面でも問題は無い。問題といえば、ようやくここで志貴達の話になるのだが、落ち着いてもらいたい。特に、この手紙を最初に読むであろう君は。
 今年の四月ごろだろうか、二人の間に子供が生まれた。女の子だ。どうやら、志貴は生来、女性に恵まれているらしいな。名前に関しては、志貴が決めた。日本語らしく、私は上手く発音できなくて困ったものだが、咲美という。恐らく、彼はいつか日本に戻るつもりなのだろう。そのために名前をこういった風にしたように私には思えるのだ。かつて、ハワイの田園に移った日本人と似た心境なのだろうかな。色々と想うところはあるだろうが、機会があれば、手紙の住所の場所に彼女の顔を見に来てやってほしい。
 私達の仕事に関しては、表向きは探偵業だ。こちらはやり易い。なにせ、それなりに顔が効いて技量さえあれば、公的な機関から何かと仕事が流れてくるからだ。もちろん、情報集めの意図もある。色々と調べることがあって忙しい。
 
 そういったわけで、そろそろ、手紙を終えようと思う。では、ごきげんよう』
 
 
 手紙を書き終え宛名を書いてある封筒に入れると、私は机を離れた。三時にミーティングがあるが、それはでは暇だった。昼飯を食べに行くついでに手紙を出すことにする。実のところ、一つ仕事が片付いたので、二三日は悠々自適な生活だ。そうはいっても、いざ暇になると何をしてみようにも思い至らず、前々から気にしていた手紙を書くことにした次第だった。
「ソロモン、いるか」
開けようと思っていた書斎のドアが開く。ゼフィールが汗ばんだ前髪を撫で付けながら入ってくる。「なんだ、仕事か?」
「いや、今朝言った通り、当分は暇だ。昼飯ついでに、これを出しに行こうと思ってな」
手に持っている封筒をゼフィールに見せる。
「ああ、遠野の家に出すやつか。悪いな、俺が書くようなことを言っていたのに」
「気にしなくて良い。お前だと余計なことも書きかねないからな」
気の赴くままにペンを走らせるような輩にこれを任せるのは、象にアイロンを掛けさせるようなものだ。しかし、特に気にも留めずに話を進める。
「よし、一緒に飯を食いに行くか。一人だと迷いそうだしな」
「志貴達はどうした?」
「ここで食べるとよ。まったく、付き合いが悪い」
「付き合いを優先して、子育てに支障が出たら困るだろう」
「それにしたって」続けようとした口を止める。どうにも昨今、歯ごたえが無くなってきた。私としても、詮無いことで話を荒立てるのは本意ではなかったのだが。「行くか」
「ああ」
 程近い坂道沿いに建ち、よく使っている食堂に向かう。途中、ヤッピーが慌てて発進しようとしているバスに乗る様や、手当たり次第に消火栓を棒切れで叩いてはしゃぐ子供、それに腹痛みたいに音を内部から響かせているバンなどを見かける。
「ここらへんは良い。馬鹿みたいな格好をした奴がいないだけ、な」
たまに足を運ぶマンハッタンには、そんな奴らが、ブルックリンの港沖に浮いているブイみたいに、彼方此方にいたのを思い出す。
「いや、お前さんがこっちに来たのが去年の夏過ぎだろう?シーズンが来れば、そういった連中も来るのさ。そのくせ、ヤバイ犯罪も立続けだ。そのおかげで、知り合いの市警の奴なんざ、夏に予定していたベガスへの家族旅行をキャンセルだと」
その知り合いが胃薬を扱けた口元に運ぶ様でも想像して笑う。いやいや、意外と大丈夫の男かもしれない。何にせよ、苦労しているのは確かだろう。
「こんなに良い場所に住んでいるのに、わざわざ遠出する奴らの気が知れないな」
「お前さんは、普段、書類やらコレクションやらを相手にばかりしているから、そういうことを言えるんだよ」
なるほど、そうかもしれない。出歩く度に周りの様子について感想を述べるなどというのは、そこに住んでいる人間にしてはおかしいのだろう。
「ご忠告、覚えておく」
「なんだ、近頃は素直じゃないか」
「おかげさまでな」
 
「どう思う?」
席について注文を終えると、ゼフィールに手紙の内容を見せる。一通り読み終えると、それを再び封筒の中に戻して、鼻を鳴らす。
「俺はこれで良いと思うけどね。強いて言えば、子供のことは黙っておいた方が良かったんじゃないか、ってことぐらいか」
乾いた唇に手をやる。リップぐらいは塗れば良いのだろうが、それなりの矜持というものがあるのかもしれない。一息ついでに意見について考えてみる。さしたるものも出ないまま、注文のコーヒーだけが出てきた。
「しかしな、それを書かないのでは余りに不憫だろう。どちらにとってもな」折角意見を言った本人が目の前にいるのだから、聞かないのは馬鹿に思えた。「そうは思わないのか?」
「思わないわけではないけど」一旦そこで区切ると、懐からプリンタ用紙らしい光沢のある紙が折りたたまれたものを取り出す。「ここ一年間の各州のカトリック系団体の資金の流れだよ。これは西海岸だけの範囲だが、名義を変えて小分けにしてるみたいで、それを全部合わせた上で、更に、関連しているものも合わた奴を基にして、合衆国単位での金の流れを試算してみたんだ」
「どれくらいになった?」
お互い、コーヒーを飲む。乾いた喉で話せるほど、軽挙な話ではなかった。
「大統領選挙で二度ほど勝てるだけの額だ」
「おいおい、冗談だろう?」
「これでも少なく見積もった方だ」
たしかに、下の注意書き―――後でわかりやすいように自分で書いたらしい―――を見ると、なるほど、法人と見なせないものや個人規模のものは数に数えていないと添えられている。合衆国大統領選挙での選挙活動における費用は、およそ三千万ドルは優に超えると言われている。それを二倍三倍にした数字がプリントされていた。
「とにかく、こういうわけだ。こんなきな臭いときに、彼らに志貴達のことについて興味を持たせるのは良くはないと思うんだがな」
「書きなおしたものだろうか」
「いや、構わないだろう。別に戦争が起こるというわけでもないんだ。俺が心配し過ぎなだけさね」
鼻をこすりながら言う様ほど、軽く考えてはいないようで、笑い声もどこか陰があった。
「この先にあるのは何だろうか」
「多分、一つじゃないだろう。だけど、種類は多くないだろうな」
埋葬機関がその中に含まれているであろうことは、お互いに予想でき、また、そうでなくては説明がつかないようだった。そういった思索をしていて、コーヒーが八割方無くなる頃、大皿の海鮮スパゲティが運ばれてきた。
「ま、何はともあれ、素晴らしき休日に感謝感謝」
「そうだな」
「ほら」小皿に、私の分を取って寄越す。「たくさん食べて大きくなれよ」
「余計なお世話だ」
遠くで、汽笛の音が聞こえる。毎日のように聞いているはずなのに、どこか祝福めいたものを感じて、私はその日を過ごした。
 
2003/7/30初稿

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