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浮上

 その力を何と呼ぶべきか。人々はあらゆる世界で、想像力によって、その力に名前を付けてきた。
 気、オーラ、霊力、フォース、ストレッチパワー、女子力……。
 絶対的な神の手による時代が訪れる前、人々は自分たちの中に神を持ち、その記憶を呼び覚ますことで文明を興した。その記憶の中に、その力はあった。
 やがてその力は、人々の中にいたはずの神々と同じように、ほとんど思い出されなくなった。
 その力は、宇宙、ユニヴァース、桃源郷、アトランティス、ムー大陸、書物などの中にだけ追い込まれ、本来は記憶を呼び覚ますだけだった想像力が、その力の代名詞となった。そのことを理解し、正しく実践した一部の者は、ときに仏陀と呼ばれ、大工の息子として生まれ、天使の言葉を唱え、科学を育んだ。
 またある所に、そうなりえたかもしれない男がいる。
 その男の名前は長きに渡り忌まわしきものとされ、死から七百年の後、その地からの決別と忘却という死を迎えた。
 その地の物語を記憶している者は幸福であるといわれる。
 ここ、幻想郷においても、そうあらんことを。


 黒衣を纏った金髪の男は、自分が二本の足に立っていることに気付いた。その瞬間に、この地は彼の記憶を呼び覚ました。
 それは彼にとって輝かしくも忌まわしい記憶であったが、その記憶が確かなものであればあるほど、見上げる空は青く見えた。
 彼は二十代の姿であり、精悍な顔つきであったが、瞳は憂いを湛えるための器であった。
 その瞳はしばらく揺らめいていたが、やがて止まった。
「生きている……」
 彼がこれまで経験してきた事柄からすれば、それはあまりに陳腐な言葉だったが、親から呼んでもらう名前と同じぐらいの重みを覚えた。
 それでもやはり、彼の精神は留まり続ける性質のものではなかったらしい。
 青く眩しい空を、頬を触る風を、山々から連なる木々を、彼は冷静に観察し始めた。
「太陽がある、ということは地上だろうが、この湿気と緑……インドネシア、いや、ジャパンか。台湾などかもしれんが」
 乾燥しているよりは好ましいが、問題はここがどこかではなく、いつの時代であるか、だ。結論によっては、身を隠す必要がある。
 何はともあれ、まずは野生の獣に襲われないようにしなければならないだろうか。
 あれこれと雑多な考えが次々と頭に浮かぶが、彼の心を掴んだのは、空を征く存在だった。
「――人型!? 馬鹿な!」
 彼の知っている地上に、人型の機械が飛行する技術は無かった。それを完成させたのは、他ならぬ彼であり、彼と彼らの消滅と共に、その技術は失われたはずだった。
 その飛行物体が生身の人間だとわかったときの彼の驚きといったら、かつて自分の発明を着想したときに匹敵していた。
 その人間はこちらに気付いたらしく、どんどんと高度を下げ、彼の頭の上を風となって通り抜けた。
 紅白の服を着た人物は東洋の少女の姿であったが、彼が今まで見聞きしたどんな妖精のタイプとも違っていた。
 少女はすれ違った瞬間、彼と目を合わせた。
『あなたは誰?』
 そう訊ねられた気がした彼は、風にはためく外套を押さえて、聞こえるはずがないのにも関わらず、独語していた。

 ――ショット・ウェポン。


 紅白の少女は、あのまま征ってしまった。
 ショットはしばらく、風に酔ったような心地で小川に沿って歩き続け、気付くと人里に出ていた。
 都会のような賑わいこそ無かったが、店らしきものが並ぶ通りもあった。
 暑苦しい格好をした金髪の男を、里の者達は仏教徒か何かだと思った。確かに彼の雰囲気は落ち着いていたし、目付きはただの優男にしては鋭かった。
「もしかして、命蓮寺さんに御用ですか?」
 それを聞いたショットの感想は、『言葉が通じる』というものだったが、さして驚かなかった。通じないはずの相手と言葉が通じるといった経験は、いくらでもしてきたからだ。
 不思議だったのは、頭の中に『命蓮寺』という漢字が概念として興ったことで、それが東洋の寺院を指すものだと理解することもできた。
「私のような者が、そこにはいるのか?」
「いやあ、ほとんどは妖怪なんですけどね。ただ立派な尼さんもいるし、その人もあなたみたいに黒い格好をしているものだから」
 妖怪とはモンスターに近いもののようだが、あまり凶悪な印象を受ける言葉ではなかった。
「あなたが外から来た人なら、やっぱり命蓮寺さんに行ってみると良い。博麗神社はちょっと遠いし、あそこに集まる妖怪はちょっと特殊だっていうしね。命蓮寺さんなら、あなたが落ち着けるまで、世話してくれると思うよ。あっ、もしかしてあなたも、紅白の巫女さんに蹴り出されて、逃げてきた口かな? だったら大変だったね」
「紅白の巫女……」
 あの空を征く少女のことだろう。ショットはそう確信していた。
 妖精でもなく妖怪でもなくモンスターでもなく、普通の人間でもない。そうした存在を当てはめるのに、巫女というのは、いかにもしっくりきたし、あの少女自体の高潔な雰囲気にも合っていた。
「この地では、空を飛ぶのが当たり前なのか?」
「そんなことはないよ。人間でも飛べるのは、数えられる程度だよ」
 ――それでも数えられる程度にはいるわけか。
 ショットはそこに隠されているだろう秘密に興味が湧いたが、立ち話をしながら考えられるものでもなかった。
 立派な尼というならば、考察を深めるための話し相手としては向いているかもしれない。
 道順を聞いた彼は、迷わずに命蓮寺へと歩いていった


 命蓮寺の境内に入ったショットは、眩暈を覚えていた。
 珍奇な格好をした少女が木の下で酒を喰らっているかと思えば、「がおー!」という声を上げて驚かせにかかってくる者がいて、彼は混乱していたが、目付きは厳しさを増したため、近寄ってきた者の大半はすごすごと引っ込んでいた。
「ジャパニーズの文化はよくわからぬ」
 そういう心境だったものだから、命蓮寺の住職である白蓮が少女の姿で出迎えても、その綽綽とした佇まいに、驚くどころか、安堵の溜息を漏らした。
 ショットは名前と生まれを名乗った後、自分が呪いから解き放たれた身であり、この風変わりな土地に自分が現れた理由は、そうした自分が関わってきた世界での出来事によるのではないかという推察を、白蓮に対してぶつけた。
「初対面の相手にここまで話すのも不躾に思うが、東洋の坊主というのは、思想はどうあれ、社会的には神父や牧師と似たような存在だろう? こういう形で話してしまった方が早いと考えた」
「禅では少し違うようですが、あなたの考え方で間違っていません。耶蘇は私も近頃になって勉強したものですから誤解があるかもしれませんが、懺悔の基本的な考え方はどちらにも共通しています。もっとも、あなたは赦しを請いに来たわけではありませんから、世界についての一種の議論と私は考えます。つまり、対等なのです」
「それで構わない。私もあの世界、バイストン・ウェルを、はっきり定義付けるつもりはない。そこにいたであろう私と今こうして話している私の連続性を説明し、確認できれば良い。その上で、これからのことを考えたいのだ」
「わかりました」
 変に誤解を与えるのだけは避けたかったショットは、思わず肩の力を抜いた。
 そのとき、酷い眩暈に襲われて、胡坐の格好のまま横にころりと倒れてしまった。
「……な、なんだ? まさか体の構成が完全ではないのか?」
 起き上がろうと思っても、なかなか叶わない。白蓮が何事かと傍まで近寄って観察し始めたが、じきにくすりと笑ってみせた。
「あなたは空腹すら忘れてしまっていたのですね。腹の虫が喚いていますよ」

 七百年ぶりの飯は、質素だった。
 日本食が口に合う合わないとかではなく、体に直に染みるような感触を覚えながら、ショットは玄米飯と野沢菜、他のおかずを、がつがつと食べた。
 その箸が、ふと止まった。
「研究に没頭した後はいつも、こんな風に食べていたな」
 それは大仰な、殺伐とした記憶ではなく、懐かしさを伴うものだった。
 客人の食事を傍らで見守っていた白蓮は、一輪に茶の用意を言いつけてからショットに訊ねた。
「研究、といいますと?」
「あなたのような人にはわからないかもしれないが、機械工学が私の専門だった。人工のカラクリ人形、とでも言えば良いだろうか、それを作り出した。最終的に、それによって多くのものを戦火の炎で包んでしまったが……果たして、ここと同じ世界のことなのか、どうなのか」
 違うのだとしたら、自分がしてきたこととは何なのだろうか。そもそもが虚無の中での出来事であり、零の中に無限を見出すような、観念的なことだったのか。
 箸が止まってしまったままのショットを見た白蓮は、茶を持ってきた一輪に再度言いつけて、エア巻物を取ってこさせた。
 虚空に文字を浮かび上がらせるエア巻物を見て、ショットの目の色が変わった。
「おお……これは……」
「法力によって動いています。西洋の方に、法力がわかりますか?」
「それを真にわかる者は、私以外にいないかもしれん」
 傲岸ともいえる台詞が出た所で、白蓮は微笑した。
「あなたの懊悩をすぐに晴らすようなことはできませんが、この世界にあるものを伝えることは出来ますし、見せる機会もあるでしょう。どうか安らかにお過ごしください」
 真摯な言葉に我に返ったショットは、自分の鼻頭を指先で掻いた。
 結局、自分に残ったのは誇り高き研究者としての面だけであることに、妙な照れ臭さを覚えたからだ。
 自身の在り方を悪くない方向に引っ張ってくれるような白蓮の人柄から、ショットは意識せずとも、煩雑さとは縁遠い生活を手にすることができた。
 数日の間、慎重に身の処し方を考えた彼は、最終的には白蓮の申し出を受けて、命蓮寺の裏手に位置する庵に住むこととなった。
 もちろん、修行僧となったわけではない。もしそうした身分に共通する部分を挙げるなら、早寝早起きに努めたくらいだろう。
 日中は白蓮が暇なときに、自身の経験について知識を交えて話し、白蓮もまた、比較論として、話題を提供したのだった。
 そうした席は、白蓮を慕う妖怪が闖入したりしない限りは、維持された。そのため一ヶ月も経った頃には、彼女や彼女を取り巻く環境がどのように形作られたか、ショットは把握していた。
 しかし、白蓮の特異性について、ショットは少し違った角度から捉えた。
 彼女の信仰心や遊行、そして不老不死と封印、解放といったワードは詩人には代え難い魅力だったろうが、ショットは技術者なのだった。
 彼は特異性そのものよりも、それがどのように影響し、何に起因するのかが、気になるのだった。
 仙人や錬金術師、魔術師の例を引くまでもなく、不老不死を求めるには、求道的な精神に隠れた、研究によって明らかにしようとする側面がある。
 ショットは白蓮から、それを見出すことができた。
 エア巻物は彼女の発明で、驚くべきことに、今こうして存在している命蓮寺自体が、空飛ぶ船の変化したものなのだった。それを可能としたのは彼女の弟が偉大な僧侶として法力を有していたからだが、そうであれば尚更、それを応用した白蓮の性質は研究者としての態度に近かった。
 ショットはそういうことを安易に指摘して、破壊への挑戦的な一歩を踏み出そうなどとは思わなかった。
 とはいえ、そうした心境をここで述べたところで、ここに端を発した事件の前では無意味なのかもしれない。


 季節が孟夏にさしかかった頃には、ショットはある研究成果を手にしていた。
 元々の着想は、実は紅白の巫女との遭遇のときである。そのときの光景が白蓮との対話の日々によって醸されて、上澄みを作った。
 前段階として、この幻想郷の現象を計測するための装置を作り出した。それは湿度計と似たような仕組みで、かつてバイストン・ウェルではオーラ力の強弱を調べるために個人的に用いていたものだった。
 この計測器の作成には、白蓮も携わった。基礎となるデータを取るためには、それに精通した協力者が必要だったし、こうしたものがあれば、話もし易いと素朴に考えたからだった。
 計測器はたった一週間で完成した。更にはそれを基に、瞬間的に計測が可能な、光学的な仕組みを採用した物も作られた。
 この装置は白蓮が静止しているときと飛行しているときとの著しい数値の変化を示した。
 これは彼女の法力をオーラ力に見立て、そこから計測器を作ったのだから、当然といえば当然の結果である。
 だが、他の妖怪、人間からもデータが取れた。
 興味深いことに、数値の大きさ自体よりも、変化の波に当たる部分による差が顕著であった。
 つまりどういうことかといえば、数値自体は人間の方が高い傾向があった。これには白蓮も驚いた。妖怪の方が人間よりも力は上であると思っていたからだ。物を凍らせられるのは、卑小な妖精の方ではないか。
 ではどうして妖怪はあれほどに活力があるのかといえば、霊的な力と存在がほぼイコールであり、文字通り『自在に』力を発揮しているからだった。
 インドにおいて呼吸が体内の風を司り、それによってヨーガの秘儀を実現しているのも、こうした人間の特性と無関係ではないようだった。他の四大、地水火も含めれば、立証は可能のようである。
 ショットにとって問題だったのは、バイストン・ウェルでのオーラマシンのように、力の発現を促すオーラコンバーターやオーラ増幅器を作るための素材が思いつかないことだった。これが解決されれば、よりわかりやすい形で成果を出すことができた。
 彼は戦争行為を志向していたわけではない。妖怪達がやるような弾幕ごっこについて自分なりの解釈が為され、同時にそれが、この世界の摂理と合致していることが証明されれば良い。
 さりとて、急ぐ必要があるわけではない。
 その日ショットは、横切る者の無い空を縁側で眺めては、白蓮から借りた本に目を落とすことを繰り返していた。
「あの……」
「うん?」
 声をかけてきたのは、白蓮の弟子に当たる一輪だった。彼女から声をかけられるのは珍しかったので、ショットは首を傾げた。
「君から見て、私は白蓮に対して何か失礼なことをしているのだろうか?」
「そういう話ではありません。もっと身近な話です」
「ふむ」
 例えば、食事の量を減らせとか、そういう話だろうか。
 日本食の味はほぼ初体験だったが、あんな美味いものを食べていたら、ジャパニーズは質素倹約に励む気になるだろう。特にあの野沢菜とかいう食べ物は素晴らしい。一度、お焼きというものを白蓮からもらったが、あれがあればマリファナ狂いが野沢菜中毒者となれるほどの素晴らしさだった。あの漬け方は是非とも教わっておいて、後々の――。
 ショットが考え込み始めたのを見た一輪は、溜息を吐いた。
「そこにある物干しが見えませんか?」
「洗濯物を干しているな」
 流石に大所帯だけあって、十本もある竹製の物干し竿全てに、洗濯物が吊るされている。幻想郷は技術レベルのわりに服は凝っていて、ヒラヒラしたのがハタハタと風にはためいている。
「つまりそういうことです」
「さっぱりわからんな」
「女物が多いですよね?」
「男は私以外にほとんどいないではないか。当たり前だろう」
「あああああ、もう! 下着を干してるから他所行けってんですよ!」
 なるほど、洗濯物の大半は下着であった。
 少女に興味は無く、女性に対する愛もとっくに燃やし尽くした感が彼にはあるのだが、そういうことを言っても無駄そうだったので、ショットは素直に場所を変えることにした。
 ――これからの時期は下着の替えも多くいるだろうから、大変だろう。
 そんなことを漠然と考えながら、離れへ行こうと庭の角を曲がったとき、ショットは物凄い勢いで一輪の場所へと戻った。
「これだ! これだ!!」
 下着の干してある前ではしゃぐショットを見ながら、『この人もやっぱりおかしいのかもしれない』と、一輪は思ったという。
 そんなこととはつゆ知らず、ショットは離れに飛び込んで、作業に取り組み始めた。
 以前、女性用のオーラバトラーを試作していたときの知識が、彼の脳髄を転寝から叩き起こしていた。
 落ち着いて資料を作り上げ、実験を試みていく中で、ショットに再びあの巫女の姿が浮かんだ。
 今ならわかる。あの姿形こそ、ある種の究極なのだ、と。


 ショットから「これを穿いてみてくれ」とストッキングを渡されたときの白蓮の心境を正確に描写することは、難しい。
 ゲルニカを見てムンクが叫び、南の島でどこからきてどこへいくのか考え始めたら疲れてしまったので涅槃図のように寝転んでみたような、そんな具合の色彩を思い浮かべてもらえれば良いとしておこう。
 白蓮が困惑するのも当然であるから、ショットは丁寧に説明を加えた。
「このストッキングはただのストッキングではない。繊維全体にフィルターとコンバーターとしての役割両方を担わせてある。これを穿けば、以前に取らせてもらった君のデータから簡単な試算をしてみたところ、飛行速度は二倍になる」
「穿いただけで!?」
「穿いただけで!!」
 説明を聞く前より聞いた後の方が困惑は深まっていたが、ストッキングを受け取る手はしっかりとしていた。
「ふふふ、私としたことが、あの巫女の勇姿の真髄を極めるのに、こうまで時間を食うとはな。あのドロワーズの膨らみは、オーラコンバーターの内部と同じ役割を果たし、あの一見無駄にしか見えない腋の下のスリットも、オーラの力を正確にコントロールするためにあえて開けてあったのだ。あの姿はいわば結跏趺坐であり、ミロのヴィーナスであり、マリアがイエスに微笑んでいるのに等しい。だが私はそのような完全なるものにだけ頼るような真似はごめんだ。このストッキングこそが私なりの神への挑戦状と言っても良い」
「言っていることはよくわかりませんが凄い自信ですね!」
「だろう!」
 とにもかくにもストッキングを穿いてみることにした白蓮は、準備を終えた後、庭でショットと合流した。
 滅多に穿かないものを穿いたものだから、白蓮はスカートの裾を太腿の辺りまで持ち上げては、どこかおかしくないか確認している。その傍でショットは小さな装置をストッキングの端に接続し、それを受け取った白蓮は、手早く下着に挟んだ。
 何やら面白そうなことが始まることを嗅ぎつけた妖怪達が、わらわらと周囲に集まってきた。
「聖はああいう格好が似合うなあ」
「きっとストッキングには女性の独立願望が詰まっている」
「ムラサのセーラー服みたいなものか」
「いや、あれはただの趣味だろう。出番も無いし」
「お前ら何の話してるんだ!」
 そんなことを話していた野次馬らによって出来ていた壁が、吹き飛んだ。
 白蓮がいつも通り空中に飛び出しただけで、それだけの衝撃波が発生したのだった。この衝撃波によって、命蓮寺の屋根の一部が剥がれ、妖怪少女のスカートがめくれ、やまびこが折角掃除した境内は再び汚れた。
 なお、至近にいたはずのショットは、事前に開発しておいたバリア発生装置のおかげで全くの無傷であり、実験成功に喜んでいた。
「マッハとまではいかなかったが、オーラマシンのような大型を介するよりも、エネルギーがダイレクトに確認できたな」
 白蓮が優秀であることもそうだが、女性のオーラの在り様とストッキングの相性が良かったのである。不満としては専門分野が活かせなかったことだが、ノウハウを別分野に転用できたと思えば、さしたる問題ではなかった。
 白蓮本人はこのときの体験について後に「ほぼイキかけました」と語っている。
「あの、ところでこの、甘い香りは?」
 一輪の鼻は、周囲に漂う、どこか落ち着く香りを拾っていた。ショットはゆっくりと頷いた。
「白蓮の香りだ。下着を素材に、発汗作用と気の流れを組み合わせて爆発的なエネルギーを発生させている関係上、こうなることは予想できた。私はこれを、少女臭と名付けたい」
「色々言いたいことはありますけど、もしかしてストッキングじゃなくても……」
「いけるだろうな。というより、組み合わせることを前提に考えた方が良いだろう。そうそう、フェロモンとの因果関係も認められるようだから、これからも改良を続けたい。他にラバー素材などを使っても――」
「ちょっと、頭冷やそうか」
「うわ、なにをする、ちょ、まっ」
 一輪が操る雲山の拳はバリアを突き破ってショットに直撃した。
 が、ショットはそのダメージにもめげず、言葉通りに、研究を更に進めていった。
 一輪にはその場の思い付きを興奮のままに語ったが、この研究の最も価値がある点は、霊力や法力というものが、ある程度は技術的なコントロール下におけることを証明した点である。
 元から能力のある者はそういうことに無頓着で、それに対して大衆は嘲笑的でしかない。
 そこにショットの研究成果が加わった。幻想郷の大衆は、しかし外の世界よりも、感覚的には世界に働いている力に敏感である。ショットのように装置を作り出せたわけではなかったが、服装次第でエネルギーをコントロールできるのではないか、という発想は完全に定着した。
 そしてここに、幻想郷の大衆ファッションが開花した。里の通りでは服の露出度について一家言ある者同士が服を見せ合いながら議論を戦わせ、農夫でさえ、褌の締め方に拘るようになった。赤ん坊はおしめを変えてもらいたがった。
『八雲氏の式神による簡単な計算によれば生理的な効果により幻想郷の平均寿命は1.2倍にまでなった』と、文々。新聞は報じている。
 妖怪と人間の軋轢は絶対的な寿命の差から生じていると白蓮は考えており、この報道には三日三晩の大宴会を催すほど狂喜した。
 この波紋は、新聞を読んだ紅白の巫女にも及んだ。それはショットが無意識に願っていたことである。

 巫女・博麗霊夢は、命蓮寺に乗り込んでくるやいなや、こう切り出した。
「あなたのやっていることはでたらめだわ」
 白蓮と一緒に霊夢に応対したショットは、その挑戦的な台詞を喜んだ。
「立場ある者にそういう認識をしてもらえることこそ、私のような者にとっては最大の勲章だ」
「ふん、ポリシーが感じられないってのよ。あなたは方法を提示しただけで、絶対の一を作り出したわけではないわ」
「ほう……」
 そこまで言われるとは思っていなかった。ショットの反応を嘲笑と取った霊夢は、立ち上がると、体から余分な力を抜いた。
 すると彼女は床から浮かび上がり、光を纏い始めた
 白蓮は目を見開いた。
「むう、これは夢想封印!」
「知っているのか白蓮!」
 一々教えている暇は無かったが、白蓮は危機感を抱かなかった。霊夢の霊力に攻撃的な志向は見て取れない。
 しかしながら、光がどんどんと強くなり、霊夢の体が見えなくなると、流石に訝しがった。
 ショットの方は腕を組んで、事態の推移を見守るしかない。
 そしてあるとき、バン、という音が響いて、辺り全体に光が及んだ。それは白蓮の見立て通り攻撃的なものではなかったが、ある意味では破壊的であった。
 光が通り過ぎた後に残されたのは、霊夢だった。
 霊夢は、裸体であった。
 真っ白な肌には円みのある艶が滑り、腰から足のてりむくりは、鶴翼でもカモシカの後肢でもなく、少女を浮かび上がらせるためだけにデザインされたもののように見えた。
 ショットは目を見開いた後、自身の敗北を悟った。
「……なんということだ! あの少女のあるがままの姿に敵うものを、私は作り上げられる気がしない……!」
 このとき初めて、白蓮はショットのことを『ああ、この人は本当に研究馬鹿なんだなあ』と思ったという。遅過ぎである。
 そして満面の笑みを湛えた霊夢は、帰っていった。
 ――スッポンポンのままで。


 霊夢のささやかな反攻は、ショットには決定的だった。彼はオーラの解明にばかり集中していた自分を恥じ、あくまでも真理を導き出すための一手段として割り切ることにした。
 しかしながら、研究に協力してくれた白蓮には、明らかな誠意を見せておきたかった。
 彼は発想の転換により、ランドセル型のオーラコンバーターを作り上げた。これは革さえあれば手に入る範囲の機械部品で完成することができた。手軽さや効率では肌に密着しているものよりも劣ったが、ランドセル自体が幻想郷では珍しかったことや、修理が容易だったことなどから、商品として成功した。この利益だけで命蓮寺は向こう百年分稼いだとまで言われる。

 その後のショットがどう過ごしたか、命蓮寺には記録が残っていない。
 別の世界へ旅立ったという者もいれば、白蓮と研究を続けたという者もいる。
 幻想郷を作り上げたのが八雲紫であれば、彼女の見る夢こそが、ショットのような人物を形作ったのかもしれない、と、そういう発想をする者もいた。
 ただ我々は、感謝しなければならない。
 ショットが真性の変態ではなかったことを。