愛・天狗

 天才とそれ以外を分ける方法は幾つかあるそうだ。
 犬走椛がその幾つかの一つに加えられそうなのは、最初から才能を発揮することを楽しめるかどうかだろう、ということだった。
 楽しめる者にこそ人が懐き、人が教え、才気は光をより強める。

 そこいくと、なるほど、あれなんかは良い例なのだと思う。

「お姉ちゃんおかわり!」
「はーいちゃんと並んでねー」
 子どもが天狗から豚汁を受け取り、ふうふうやりながら口を付ける。一人や二人ではなく、十人もいる。
 もちろん最初から天狗として生まれてくる天狗というのはあまりいないのだが、そこはあくまでも「あまり」であって、いることはいる。例えば、あんまりにも長い間天狗として暮らしている者の子どもは、そうなる場合が多い。
 そうした二世以降はもう「天狗」という種族で、天狗道がどうたらとかは関係が無くなってしまう。閻魔辺りに確認してみれば、もしかしたら天国や地獄に行く天狗なんてものまで、いそうだった。
 が、実際は天狗の子どもには天狗風の教育が施されるのだから、ここら辺は天狗として暮らしている椛だからこそ思うことである。
 大体、こうとも思うのだ。
 子どもは子ども、天狗も何も無いだろう、と。
 そういった物分りの良さの所為で、良い様に使われている側面もあるのだが……。
 今日も今日とて、久々に定時で上がれたと思ったら、とある天狗に頼まれて、子どもの託児所まで引っ張って来られた。大概の天狗は育児放棄の一歩手前程度には無責任なので、一箇所に子どもを集めておいて、それぞれ都合のいいときに面倒を看たりしている。
 白狼天狗は子どもにも人気で、そういうと聞こえは良いが、要は絡まれる役だ。髪やら耳やら引っ張られて、鼻を摘まれて、お前彼氏いないのか、とかまで言われるわけだ。
「べ、別に作らないわけじゃないんだからね! 仕事が忙しいだけなんだから!」
 とか反論しても空しいだけなので、
「そんなことばかり言ってるとお前を私の家に浚うぞ」
 と脅しておいた。そこで顔を赤らめられて、微妙に気まずい空気が流れたのは予想外だったが。
 ああ、近頃の子どもは進んでいるなあ、と思う今日この頃。
 そんなときに夕飯ですよー、と声がかかり、ようやく一服させてもらっている。

 いやあ、それにしても、微笑ましい光景だと思う。
 エプロン姿の女の天狗が、子ども相手に豚汁を振るまっている。まだ足りなさそうにしている子には、その場でおにぎりを握ってやったりなんかして。

「お姉ちゃん、ほっぺにご飯粒ついてるー」
「あやややや、取ってくださいよ」
「んー」
「はい、ありがとーねー」

 ……うん、射命丸さん、輝いてる。
 未だに外とのギャップがある対象を、椛は細目で見ていた。

 お互いに見知ったのが最近のことなので、椛もつい先日までは「射命丸文」の名前には色々と思うところがあった。
 身内だけに限らず、人間、妖怪、相手に構わず取材と称して絡んでは、好き勝手やっているような天狗。天狗として、それは大変結構なことだろうとは思っていたが、聞く話聞く話、どれも天狗天狗していて、ある意味でうんざりした。
 以前の事件で会話をするようになってからは、それなりに好印象も抱くようにはなった。下手にやり方を変えないから、良くも悪くも「射命丸さんなら別に良いか」と思える部分がある。
 それは多分、何事でも心底から、楽しそうだからだろう。
 だから別に、おかしくはない。そう、子どもに優しくても、子どもを構っていて楽しそうでも、何らおかしくはないはずなのだ。

 が、

「ぶふぅーーーっ!」
 盛大に吹き出してしまった。
「しゃ、射命丸さん、どんだけ子ども好きなんですかっ、はひ、はふふふふ、ふひーぃ!」
 今なんてもう、子どもを抱き上げてほっぺたすりすりした末に、「勘太郎ちゃんは瞼がぷっくりしてますねー」とかなんだその微妙な箇所。
「いやですねえ、スキンシップは愛を育むのですよ」
「愛?」
「愛です」
 ここまで真剣に愛についてやり取りした経験は、椛には皆無だった。案外、ここまで無頓着に愛という言葉を使えるぐらいでないと、愛なんて身に付かないのか。
「ブフッ!」
 無理だ。真面目に考えようとすればするほど、目の前でにんまりしている文の顔が笑えてきて、仕方ない。
「文ちゃん、お皿片付け終わったよ」
 と、年長の子が文のエプロンの裾を引っ張る。
 上は人間でいうと十歳、下は乳児までと、雑多な年齢層となっている。これが一人前になると、人間の後頭部に小石を投げてきゃっきゃうふふ言うような最低の屑になったりするのだから、なかなか複雑ではある。
 そんな葛藤すら文の愛には無効で、
「はいはい、よくできましたね。あとで算数の宿題手伝ってあげますからね」
「はーい!」
 実によく躾けていた。愛は偉大だ。
 一方の椛は抱腹絶倒、ヒイヒイ言いながらのた打ち回っていて、食事の前までは群がっていた子らも、微妙に距離を置いていた。
「あのお姉ちゃん、仕事で疲れてますからねー。そっとしておいてやりましょうねー」
「大人は大変だなー」
 何だか酷くむかつく会話だと椛には思えて、大分落ち着いてきた。
 とりあえず残っていたお茶をゆっくりと飲み、息を吐く。
 その間に文は子どもらを食卓から、座敷の方へと移した。
「さて、犬走さん。お疲れでしょうし、そこまで送っていってさしあげますよ」
「え?」
 一瞬、耳を疑った。
 まあ、礼儀は心得ている人なので(でなければあそこまでギリギリの無礼を人に働いたりはしない)、本当にねぎらってくれているのだろう。
 そう考えて、深くは追求せずに、外に出た。

 夏は近いようで、日中に残った熱気が、木々の葉っぱの匂いを濃くしていた。
 冬場はそうでもないが、こうなってくると俄然、滝の近くで働くのが楽しくなってくる。
 明日からも大変だろうが、それなりに頑張ろう。
 案外、子どもらからそれなりに元気をもらったのかも。

 何とも微笑ましい思案をしていたら、ぽんと肩を叩かれた。

 ああ、この人は本当に子どもが好きなんだな。





「……よくもあの子達の前で恥をかかせてくれましたね」

 帰ってきた文のエプロンに染みが付いていることに、子ども達は気付かなかった。