純ブライダル
枝を刈るとはよく言ったもので。
妖夢は今日も太刀を握り、庭木の枝を手入れしていた。
知り合いなどからは庭仕事なんて大変そうと同情されることもあったが、こと冥界に限っていえば、そうでもない。異変でも起こらない限り気候は安定しているし、温度だけでなく湿気も低かったから、虫もほとんど出ない。そんな所に生えている木々は厄介だが、妖夢の持っている太刀は特別製である。
後は体を動かすのが好きなら、それで十分だった。
今日は午前中から紫も屋敷に来ていたから、幽々子のことを気にかけず、存分に仕事に励むことができた。
少し遅い昼食を取ろうと屋敷に戻ると、一々玄関に回らず、勝手場の方から屋敷に入った。
めんどくさいので、用意してあった握り飯を框に腰掛けて食べ始める。味噌汁が温まった所でお椀に装い、ずずりとやる。
ああ、毎日こんな風なら良いのになあ、と思ったときのこと。
「この腐れマ××!」
台無しにするのに十分すぎる、卑猥な言葉が聞こえた。
咽せかえった妖夢は鼻から出た刻み葱を拭い、水を飲んで、ようやく落ち着くことができた。
今のは声からして、そうであってほしくはないのだが、どうも幽々子らしかった。
何があったか知らないけれど、いくらなんでも「腐れマ××」は無い。
「いくら自分が腐らないからって……おっと」
危ない危ない。口を塞ぎ、妖夢は腰を上げた。曲がりなりにも紫は客人である。手助けしなくてもそれなりにやり返しているにせよ、宥めるぐらいのことはしておいた方が良いだろう。
「いったいどうなさったんですか」
縁側の方まで回ってみれば、紫が顔を両手で覆って泣きじゃくっていた。想像以上に傷付いているようである。いやまあ気持ちはわからなくもないが、この人は神経がもっと図太いだろうに。
一方の幽々子は、そんな紫に言い過ぎたと謝るでもなく、苛立った表情で饅頭を囓っていた。
「えっ、うっ……! ゆ、ゆ、っこが……うう……!」
泣き過ぎだ。手拭いで顔を一度拭ってやってから、それを渡してやる。あ、さっきの刻み葱が。
「まあまあ、紫様。何があったか知りませんが、化粧が落ちなくて良かったじゃないですか」
「し、してないわよっ!」
「えっ、嘘?」
顔を覗き込む妖夢である。その様子に紫はますます泣いた。
取り付く島も無い。
幽々子と話して訳のわからない説明をされるのは嫌なのだが、そうもいかないようである。妖夢は紫の背中をさすってやりつつ、幽々子に聞いてみた。
すると、
「だって紫ったら、結婚式にはウエディングドレスが着たいとか言うのよ?」
「紫様に結婚のご予定があったとは初耳ですが……」
相手はいったいどんな物好きだ。新手の結婚詐欺じゃないのか。
「いやいや妖夢、実際の話じゃないのよ。ときに貴方、結婚するならどんな格好したいと思う?」
「そりゃあ……ってああ、そういうことですか」
婚約届けに判子を押した紫に対して極悪な笑みを浮かべていた結婚詐欺師が、頭の中で霧散した。
こし餡とつぶ餡とではどっちが好き、みたいな話をしていただけらしい。それで意見が合わずに喧嘩した、とまあそういうことなのだろう。
「どう考えても幽々子様が悪いじゃないですか」
「あら、そんなこと言うのね」
そりゃあ言う。妖夢にしてみれば、口喧嘩ごときでどこをどうしたら腐れマ××なんていう罵倒が飛び出てくるのか、見当も付かない。
「とにかく幽々子様は少し散歩でもしてきてくださいよ。しばらくしたら呼びに行きますから」
「そのときには妖夢にも私の気持ちがわかっていると思うわ」
「はいはい、そうですね」
縁側に置いてあった煎餅やら何やらを手早く包んでやって、送り出す。
泣きじゃくって手拭いを湿らすばかりだった紫も、じきに顔を上げる程度には落ち着いた。眉にくっついていた葱を手早く取ってやってから、仔細を聞き出し始めた。
途中、思い出しては泣きそうになる紫を宥めてやる必要があった。
それでもほんの十分程度で、妖夢はうんざりし始めた。
紫が一向に説明を止めようとしない。あのね、そのね、とか間に挟みつつ、それでいてはにかみながら、ウエディングドレスの優美さやら可憐さやらについて語り続ける。
まあ、妖夢だって少女である。幽々子みたく達観しているわけでもないので、それなりにドレスとかは着てみたいと思っている。
しかし紫の言い様は、可愛いというよか、もう恐怖の領域に達している。怖い。いったいどんだけ執着しとるんだというぐらいで、ブーケの投げ方まで解説する。
「そんなに言うなら、着たら良いじゃないですか」
そんなことを言ってしまうまで、妖夢は苛ついていた。腐れマ××よりはずっとましだが。
ところが紫は途端に表情が明るくなり、涙の跡は綺麗さっぱり無くなったのだった。
「妖夢ならそう言ってくれると思ったわ!」
「そ、そうですか……あっ」
ふうっと、微かな浮遊感があった。
今のは何だろうと自分の体を見ると、
「な、何じゃこりゃあ!」
自分がウエディングドレスを着ていた。背中は豪快に腰の辺りまで出されており、太刀は紫の足下に捨てられていた。しかも記憶しているのよりずっとスカート丈が短い。それでも膝下まであるのだが、ご丁寧に足下まで着替えさせられていた。頭から指先、靴下まで、レースばりばりのぎとんぎとんである。少女趣味を通り越してバロックっている。
気恥ずかしいやら気持ち悪いやら、妖夢はわなわなと体を震わせた。それを見ている紫は、白馬の王子と出会ったみたいな目をしている。妖夢のむき出しの背中に鳥肌が立った。
「やっぱり似合うわあ! 素敵だわあ! ほら、ブーケ!」
「ああ、こりゃどうも……って、私が投げるんですか!」
「そうよ! もちろんよ!」
ここまできてやっと、妖夢は了解した。
幽々子と紫は、自分ではなく妖夢をネタにしていたのだった。幽々子は妖夢を所有物みたく思っているから、紫の強引な口調に人一倍激しく反発したのだろう。
こうなったら紫の希望通りブーケを投げてやれば満足するだろう。
そう思って振りかぶったとき、腕が止まった。
それは本能の仕業であった。
狼が好ましい同族のみをリーダーと認めるように。
ハイエナがチーターを格下と見ているように。
動物は自殺を滅多にしないように。
紫にブーケを投げるのは、この世の理に反する行為だった。
何てことだ。投げれば終わるのに、世界も終わってしまいかねない。妖夢は涙を流して悔しがったが、最後には屈した。
あの紫を放っておけるか?
ここまでして夢を叶えようとしている紫を?
できない……!
「そぉいっ!」
初速三百キロを超す剛速球が、紫の顔面に直撃。その意識を刈り取った。
「ふひー、すっきりした!」
「おめでとう、妖夢! あなたならきっとやり遂げると思っていたわ!」
いつの間にか戻ってきた幽々子の拍手を受けながら、ドレス姿の妖夢は笑顔を浮かべていたのだった。