カタリ

ミスティア・ローレライはスランプに陥っていた。元々からして数少ない客、もとい食料である人間が、近頃では全く自分の網に引っかからなくなったのである。何が原因かはわからなかったが、それでも彼女は夜になる度に歌い続けた。

日が落ちたと見れば塒《ねぐら》から飛び出し、日が昇るまで歌う。しかしながら、それは売れない画家がそれまで以上に気合を入れるようなもので、貧しさに過労が重なり、才能の花が咲く前にぶっ倒れた。

白玉楼の庭でうろうろしていた彼女の魂を見つけたのは、魂魄妖夢である。妖夢は迷い込んだ幽霊に情けをかけることもなく斬りかかったのだが、彼女を見て急に泣き出してしまったミスティアの目を見、刀を振り下ろすのを止めたのだった。

ミスティアが泣き出したのは、妖夢を見て自分が死んでしまったことを自覚したからだ。それでも彼女は妖夢に縋りつき、こんなのは嘘だと喚き続ける。妖夢はほとほと困ってしまって、成仏させるにしろなんにしろ、とりあえずは幽々子に引き合わせることにした。

妖夢が西行寺邸の居間に入ったとき、幽々子は畳に片手をついて満足げな顔をしていたのだが、妖夢を見るなり、間の悪さを露骨に顔に出す。どうせまた間食でもしていたのだろう。妖夢は呆れながらも事の次第を説明してから、ミスティアを居間に通した。

「いただきまーす!」

ミスティアの顔を見た途端に彼女に飛びかかった幽々子を、妖夢が横から蹴り飛ばす。幽々子は襖の表具をぶちまけながら隣の部屋まで飛んでいった。

「私の話を聞いていなかったんですか!」
「冗談よ」

いいや、こいつは本気だった。妖夢は幽々子を引き摺って居間まで戻ってくると、震えながらも流れに身を任せるしかないミスティアの横に座った。

「今度やったら、おやつは抜きですからね」
「二時のおやつ? それとも三時のおやつ? ああ、四時のおやつかしら」
「おやつは三時に一度だけです!」

幽々子は一頻り妖夢をからかうと、ようやく背筋を正した。それでも油断はならない。妖夢は茶を入れに立つことも無く、幽々子の一挙一動に気を配った。これでは喉が渇いて仕方が無い。幽々子は手早く話を済ませることにした。

「それで、どうしてほしいのかしら」
「生き返りたい。生き返って、また歌いたいの」

先程まで泣いていたというのに簡潔な答えを口にしたミスティア。幽々子は珍しく、ほうと感心してみせた。しかし、現実は厳しいものだ。空腹によって一時的に魂が抜け出ただけならばなんとかなるとはいえ、生き返った途端にまた空腹で倒れるのが関の山というやつである。

「未練があるのなら、ここに留まって歌えば良いじゃない」
「人間に聞かせられなきゃ、意味が無いのよ」

なんでまた。そう云う幽々子に、ミスティアは熱っぽく返答する。自分が歌うことによって人間が鳥目になり、恐怖する。人間は死の瞬間まで、自分の姿を暗闇の中でどのように想像しているのか。それを考えるのがたまらなく良いのだと、ミスティアは語った。

「可愛い顔をしている割には業が深いのねぇ」
「目隠しプレイと変わらないじゃないの……」
「妖夢、何か云った?」
「いえ、なんでもありませんです、はい」

どこかしら思春期を刺激するところがあったのだろう。幽々子はそう納得すると、ミスティアの趣味はともかくとして、話を元に戻すことにした。

「そもそも、どんな歌を歌っているの?」
「えっと、普通よ、普通の歌」

普通と云われても幽々子と妖夢には何が普通なのかさっぱりである。長いこと浮世で暮らしていると、音楽などを嗜むことはあった。八雲の紫はたまに外の世界の音楽を持ち込んできては、人間の趣味が変わるのは早いと漏らしている。なるほど紫の云うとおり、歌や音楽というのは一定の傾向こそあれ、千差万別で、普通などと一括りにできるわけが無かった。

そう食い下がった幽々子に妖夢はうんうんと頷く。ミスティアは困ってしまって、とりあえずは話を続けながら考えることにした。

「気持ち良く歌えれば何でも良いんだもん。それって、普通でしょ?」
「つまり、聴く側と歌う側とでは感覚が違うわけね」
「そうそう、そういうこと。うん」

妖夢の助け舟にミスティアが乗る。それなりにミスティアの気持ちがわかる幽々子は、二人のやり取りを微笑ましく見守っていた。

「それならそれで結構。でも、それなら尚の事、何を歌っているのかが気になるわね」

感覚の違いによってミスティアの歌を人間が聴かなくなってしまったのなら、それが原因と云って間違いない。明らかに違った感覚の歌が聞こえて来たら、人間は夜雀の仕業だと即座にわかって、目が完全に見えなくなる前に逃げ出してしまうことだろう。

幽々子の説明にミスティアは得る物があったらしく、覚えている歌の題名や源曲を歌った歌手の名前を口にしていく。妖夢が書きとめた所によると、以下の通りである。

甲斐バソド

中島ゐゆき

嘉問達夫

北島四郎

Nine Inch Nose

ヒデー

「どんなレパートリーよっ!」

ノリツッコミよろしく書くだけ書いてから妖夢が筆を投げた。

「大体、NINとかどーすんの! 楽器無ければ無理でしょ! 甲斐バソドは地下室で歌うのか!?」
「妖夢は詳しいわね」

幽々子と紫が深夜に大音量で音楽をかけていれば嫌でも耳に入るというものである。恐らく、人間の音楽はほとんど聴いてしまったことだろう。民族音楽から始まったものが、今や人間の流行に追い付いてしまっていた。たった半年程で。

「演奏はこの間知り合った、プリズムなんたらとかいうのに手伝ってもらって……」
「あいつら最近見ないと思ったらそんなことを!」
「ここのところ紫に付き合ってばかりで、呼ばなくなったものねぇ」
「スターファッカー!」
「歌わなくて良いわよ!」

間違い無くこのレパートリーが原因である。妖夢は興奮しながらも結論に達していた。そもそも、幻想郷の一般人は百年ぐらい前で流行が止まっているのだから、変な曲が聞こえてきたら裸足で逃げ出すというものである。

「わ、私だって最新の流行に遅れまいと必死だったのよ!」

ジリ貧、先細り、蟻地獄。そういった言葉が妖夢の頭を過ぎる。そういった余計な努力をした所為で、この有様なのだから世話が焼ける。妖夢は助けようと思った自分が馬鹿らしくなって、茶をいれに立った。

幽々子の前に一人取り残されたミスティアは、恐る恐る幽々子の顔を見遣った。

いただきます。幽々子の顔に、ミスティアはその言葉を見た。

彼女が泣き叫んでも妖夢は来ない。そうこうしている間にも幽々子は卓に身を乗り出し、ミスティアへと手を伸ばす。

「いや! 死んでても食べられるのはいやーっ!」

震えて物の役に立たない足を引き摺り、なんとか逃げ出そうとするが、服の裾を掴まれてしまう。翼を羽ばたかせてみても、彼女の体は全く動かなかった。幽々子の手がミスティアの肩を叩く。振り向いた先には、笑顔があった。

「冗談よ」

そんなに怖がらなくても良いじゃない。白々しさがミスティアの体から力を奪った。好きにしてくれということだ。そうしたとき、ようやく妖夢が勝手場から戻ってきた。ミスティアが尻餅をついていると、お茶が冷めてしまうから早く飲めという妖夢の声が聞こえた。

「妖夢、戻った所で悪いけど、お弁当の用意を」

茶を飲んで落ち着いたミスティアを眺めながら、幽々子が命じる。ミスティアはもちろんのこと、妖夢もよく話が飲み込めなかった。

「このままじゃあまりにも不憫だわ。この子にお弁当を持たせて、帰してあげないと」

その言葉に、ミスティアは感動で打ち震える。妖夢もミスティアの傍に寄り、良かったわねと励ました。

「お弁当といえば幽々子様」
「なあに?」
「間食はまだしも、拾い食いはほどほどにしてください」
「あら、ばれちゃった。でも、どうして?」
「どうしても何も――」

勝手場に雀の羽根が落ちていましたよ。

ミスティアの泣き声に、冥界が震えた。