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小人、エルと住む

 師匠こと八意永琳が将棋に凝り出したのは、説教に何らかの必然性を持たせるためだったと、私は聞かされている。
 あの方も、見かけからは引き出しようの無い年齢の所為か、人のための説教ではなく、説教のための説教を好む。そういう不逞な考えを私が抱いていると、これは禅問答だと言い、私の口に弁をしてしまう。
 しかし、竹の中から子供を取り出すために竹を真っ二つにするなど言語道断と怒られても、私に責任は無い。竹を割ったような性格というのは、姫を地上人と同形のものとする悪辣な譬えだと窘められても、私の知ったことではない。
 縁側には陽が射している。こんな天気の良い日に、将棋も何も無いだろう。
 そんな流れの中にあったものだから、師匠が唐突に熊がどうのと独り言を繰り出したとき、私は思わず訊ねてしまった。
「熊がどうかしましたか」
 この時点で、私は耳の先から爪先まで、看破されていた。もっとも、それはとっくの昔から、もしかしたら師匠と出会う前からかもしれず、それは有り得ないようで、しかし、有り得なくはない話だった。
「熊が?」
「熊が……」
「はあ、熊が」
「熊がー」
 さながら『熊蛾』という架空の動物だか昆虫だかの話をしているようだったが、やおら何かの拍子に『熊』と『が』がパカーンと割れた。
「熊がねぇ、出るらしいのよ」
 言いつつ、師匠が角の通り道を開け、私はすっかり硬直してしまった。
「あら、そんなに熊が嫌いだった?」
「むしろ愛してますね」
「愛するものほど、危機に曝されるものよ」
 どんぴしゃの角度で師匠の角が私の穴を崩す線上に出ていた。私が囲いを作る合間に、師匠はどうやってか、手数以上に駒をよく動かしていたのだった。
 こうなると、穴熊の作り方に限りがある以上、崩され方にも限りがある。あるのだが、師匠にとってはこうなってからが将棋の醍醐味らしく、何が楽しいのか、金銀をざくざくと穴から掘り出している。
「で、熊なんだけど。熊は竹なんて食べないわよね」
「それは熊じゃなくてパンダですね。ジャイアントパンダ」
「パンダ・ザ・ジャイアントって言うと、強そうだと思わない?」
「元から強いですから、なんとも」
 今や、素っ気無さだけが最後の牙城となっていた。大体、ただ取られるためだけに駒を動かすのも相当の忍耐がいるというのに、一方の師匠はカルタ取りよろしく駒を取るものだから、私の心の磨り減り方たるや、おろし金に当てられた大根のようだった。
「その熊……ああ、パンダですか。パンダが何か?」
「竹を食べるのよ」
「そう言ったのは私です」
「食べるのは貴方じゃないでしょ。それとも今、この場で、竹を飲み込んでくれるとでも言うの? 盗人『たけだけ』しいとはこのことだわ!」
 どうしてそこまで言われなければならないんだ。私はどさくさに紛れて将棋台を横にずらし、師匠と膝を突き合わせた。
「師匠は竹を食べて欲しいんですか、欲しくないんですか」
「欲しくないわ」
「まぁ、私も食べたいとは思いません。でも、パンダはそうもいかんでしょう」
「そうね、なんせパンダ・ザ――」
「ああ、はいはい、それはもういいですから。天才なんだから、そんな細かいことにこだわらないでください」
「失敬な! 細かいことにこだわらない天才なんていないわ!」
「だーかーらー、そういう所が天才らしくないって言っているんですよ!」
 激昂に恥じて私がそっぽを向くと、こめかみに硬い物が投げ付けられた。薄目を開けて見てみると、畳に将棋の駒が転がっていた。
 ふふん、可愛いものだ。たまには私がこんな優越感に浸っても良い。二度、三度と駒が投げ付けられながら妙な感慨に耽っていると、不意に場の空気が変わるのが感じられた。
 さすがにやり過ぎたかと思ったが、それは師匠の方だった。
 私が目を開いた直後には、師匠は将棋台を私の頭に振り下ろしていた。

 恐らく、事態が急変したのは私が意識を失っている間だったのだろう。その間に私が知り得たことといえば、『熊蛾』が想像上の動物にせよ昆虫にせよ、夢の中では想像こそが唯一の真実だということだった。
 つまり私は、数時間も熊蛾の群れに竹籔の中を連れ回された最後に、自分のかち割られた頭を見つけたのだった。いや、見つけたと表現するなら、私が見つけたのは自分の身体だった。首の無いままに歩み寄ってくる身体を見た途端、私は悲鳴にならぬ叫びを上げ、それによって覚醒した。

 呆然としたまま布団に足を突っ込んでいた私は、しばらくして違和感に気付いた。
 永遠亭に住んでいるのは、姫と師匠を除けば、耳聡い者ばかりだった。もっとも、姫と師匠の場合は耳に頼らないだけなのだが。
 それはともかくとして、悲鳴を上げたのを聞いたなら、誰かしらが襖を開けて飛び込んで来るか、長い廊下を無闇に駆ける音が聞こえそうなものだった。
 案外というか、自分でも可能性が高いと思えるから嫌なのだが、将棋台を頭にぶつけられたときに、私の諸々の感覚が失われてしまったのかもしれない。
 だが、平静を装って布団を片付けている内に、私は本当に安心できた。空気が布団から逃げる音も聞き取れたし、手足は布団をしっかりと持ち上げられた。
 師匠のことだから、何かこう、天才的な方法で手加減してくれたのだろう。天才に『何かをするな』と嗜めるのは無駄なのだ。『何かをしてくれ』と縋ることこそ、天才には良いに違いない。
 身支度を整えて自室から廊下に出た私を迎えたのは、冷たさが目立ち始めた廊下の床板だけだった。普段はいるはずのふわふわとした格好の因幡達は一人もおらず、それがまた床板の冷たさを際立たせているように思えた。
 彼女らが総出で何かしているのは確かだろうから、今は真夜中だろう。
「パンダが出るというのに、御苦労なことです」
「本当にね」
 師匠は自分の机に向かったままで答えた。私の頭をどうこうしたことは気にもしていないようで、唯一の明かりに照らされた紙に筆を走らせるばかりだ。
「何を書いているのですか」
「それは正確な言い方だわ」
 私は正に、書いているだけなのだから。――師匠の肩越しに覗き込んだ紙面には、そう書かれていた。
 そうだろう、そうだろう。この方には自分の身体以外に必要な物など何も無いのだ。書くには紙と筆が要るが、書くという行為そのものが師匠にとっては必然的な行為ではない。
 紙と筆にすら困らない師匠が、何故に竹を気にかけるのか。
 まぁ、その原因が姫以外にないことぐらいは私にも想像が付く。あのときもそうだったが、姫のことが呼び水となって大洪水を起こす。わざわざ奸臣ぶってまで姫を喜ばせるのだから、徹底している。
 思うに、私はここを動くべきではない。因幡達が心配なわけでもないし、師匠から何か言い付けられたわけでもない。
 しかし、筆と紙の擦れる音以外の一切が聞こえない空間は、私には窮屈過ぎた。寝起きだからか、外の空気を吸いたいとも思う。
 私はしばらく思案してから、師匠の邪魔にならないようにという適当な言い訳をして、屋敷を出た。

 人が悪い。そう言うとき、相手は悪人ではない。だが、そこに悪意が無いわけでもない。師匠の場合、その悪意が少々、人よりも多いのだろう。
 パンダは、屋敷を出て一里も行かない所で囲まれていた。囲っているのなら良いではないかと楽観もできない。囲っている面子が、因幡はともかく、どこの馬の骨だか、メイドが多数。更には上空に見覚えのある喧しい三姉妹がいた。
「『家路』にはまだまだ早いからね」
「んじゃ、第四楽章!」
「ちょっ、『家路』飛ばすな!」
 何やら忙しそうな三姉妹を無視して、竹林の隅々にいたメイド達が第四楽章に入る。どうも第一楽章が終わった辺りで、私が来たらしい。
 何でだろう。首を傾げた横に、超然とした風にメイドの長が腕組みをしていた。
「お嬢様が白黒のパンダからは灰色の血が出るはずだと言い出しましてね」
「出ないですよ……」
 赤くない血は血ではなく、体液だ。馬鹿らしい提案にも本気で取り組まないといけないのだから、この方も大変だ。
「出ないんですか!」
 どうやら本気に本気だったらしい。呆れて上空を見ると、黒いのが延々と第四楽章の出だしを憂鬱そうに弾き続けていた。下ではとっくに盛り場にさしかかっている。
「姉さん、いつまでやってんの!」
「それじゃ、スピルバーグで」
「変わらないから!」
「変わるわ。全然違うもの。あれを同じと言う人は、音楽を耳ではなく頭でしか聞けない、不幸な人……欝だわ」
「ああ、もういい。――リリカ、キーボードよろし?」
「餅は餅屋のロンバルディア!」
 耳が良いと、聞きたくない会話まで聞こえてしまう。北方十字軍にでも行く気か知らないが、新世界とは逆方向だ。
 黒いのが出だしを終えた途端、割り込む形でキーボード他が鳴り響いた。新世界にギターやキーボード他はあったのだろうか。
「仕方ないわねぇ」
 隣にいたメイド長が虎柄のギターを取り出す。どこにしまっていたんだろう。
「ルカはルカでも七つの奇跡はノーサンキュー!」
「幾千万の硫黄の雨を! トゥリッリ一番、カインは二番、三時のおやつは愚弟の血!」
 メイド長がギターを取り出すや、他のメイド達も三姉妹にリズムを合わせる。
 こいつら、パンダはどうでも良いらしい。
 そのパンダはというと、眠そうな目付きながらも黙々と笹を食べていた。
 にしても、私もパンダなんてこれまで一度か二度しかお目にかかったことがないが、これまた特別に大きい。
 立ち上がったら、三丈(約十メートル)ぐらいあるんじゃないか、あれは。
 でかいよねぇ、これ。どう考えてもでかいよねぇ。
 なのに、何で、――
「何で誰もあれを目の当たりにして慌てないの!」
「ちゃんと慌ててるじゃない」
 言ってから、ソロパートを一通り弾き始める。早い。しかもピックが十円玉だ。
「HRは宇宙を救う!」
 駄目だ、話にならない。曲まで変わり始めた。よっぽど、血の件で自棄になったらしい。
 私はパンダやメイド達の傍で踊り来るっていた因幡達の中から顔見知りを見付け、適当なメイドから奪ったバイオリンを投げ付けた。
「うぎゃあ!」
 そのバイオリンは、顔見知りの因幡、てゐの頭にぶつかるや、大爆発した。
「うえっ?」
 当惑している私に、メイド長がギターを振り下ろした。私は無意識に後退りをしていたために難を逃れ、すぐに距離を空けた。
 てゐがどうなったかは不明だが、死にはしないだろう。それよりも、後々になって復讐される自分のことを心配した方が良い。
「どっちを向いても敵ばかり。狙いをつける必要はないわ、とにかく撃てば敵に当たるのよ!」
 メイド長は大はしゃぎで部下をけしかけていて、メイド達は因幡達を相手にときに演奏をし、ときに刃物を投げ散らかしていた。
 しかし、メイド長の言葉通りには行かず、因幡達はひょいひょいと無意識に近い形で刃物を避けており、当たっているのはメイド長操る、弦が柄に付いたナイフだけ。
 三姉妹はというと……何をか況や。気にするだけ無駄だ。
 その場にいた者達が真に気にすべきだったのは、誰でもない、パンダだけだった。竹と竹の間を飛び交う危険物の一つがパンダに命中した瞬間、三姉妹を除いた誰もがそのことを思い知らされた。
 パンダは唸り声を上げて持っていた竹と笹を振り回し、それだけで十数名が薙ぎ払われた。
「むう、あれは」
「知っているのか、紅美鈴」
 その前にこんな人いたっけ。私に構わずメイド長は紅美鈴とかいう、いかにもパンダに詳しそうな格好をした女性に向き直った。
「あれは、あれはデスパンダ!」
「却下」
 哀れ紅美鈴は出てきて一頁分も持たず、ナイフに倒れた。
「な、なーぜぇえ……」
「これはラブコメではないの。ついでに成人向けでもないわ」
 そうこうしている間も、パンダは暴れ続けていた。メイドも因幡もパンダへの手出しは一切諦めたらしく、倒れた同僚や仲間を演奏パートの合間に助けている。救援が最優先ではないのが酷い。
 なお、パンダの最優先目標は、通り道に居座っていた私とメイド長に固定されたらしく、私らは一斉に逃げ出した。
「永遠亭の至近で大騒ぎをして、その隙に攻め入る作戦がパーだわ!」
「土壇場にかこつけて白状するな!」
 後ろではたった今、紅美鈴らしき人影がパンダの前足に踏み潰された。生い茂った竹がでかい図体の邪魔をしているおかげで追い付かれないが、スタミナの点ではこちらが不利だ。
 とはいえ、ここで上空に逃げても永遠亭が危険に晒される。一足先に飛び上がったメイド長に、私はしがみ付いた。
「師匠には私から上手く説明してあげるから、協力しなさい! このままじゃどこに向けても説明ができないんだから!」
「……わかったわよ」
 しぶしぶといった態度ではあったが、メイド長は再び地面に立った。
「でも、協力しろって言ったって、あんなものどうするのよ」
 ごもっともだが、そもそもからして、あれだけでかい図体のパンダが笹だけを求めて、こんな奥地にまで来るのはおかしい。
 考えながら走り続けていた私の足が止まったとき、責任感はそれなりにあるらしいメイド長も倣った。彼女はどうしたのかと問う代わりに、私の言葉を待った。
「あの三姉妹はいつからいるの?」
 振り返った先にはパンダがいて、その後方では三姉妹が未だに演奏を続けていた。
「私らが来たときにはいたわよ。それから兎の連中が紛れ込んで来て……」
 やはり、あいつらが原因か。どうせまた、ここいらで迷って、暇潰しに演奏会を始めたらパンダが誘われたのだろう。
 てゐにパンダを誘導してもらうという手も、今となっては使えない。
「それはあなたの所為じゃないの」
 直接的にはそうだが、バイオリンに爆発物なんか仕込む方が悪い。悪いのだが、それを言っても始まらない。
 私はパンダがある程度の距離に近寄るまで考え、メイド長に目を合わせた。
「リクエストしても良い?」
「……良いわよ」
 新世界より、第二楽章『家路』。この際、リミックスなのは我慢しよう。
 メイド長が弦を十円玉で掻き鳴らし、三姉妹の注意がこちらの演奏に合わせた機に、私は両目をパンダに向けて見開いた。
 私の目から見た風景に変化は無いが、他の者には違う。天高く伸びる竹は湾曲し、地面は隆起し、空は縮む。これにメイド長のギターに誘われた三姉妹の演奏が加われば、パンダの神経では耐えられないだろう。
 この上、竹林を抜ける方向に限って、歪みを抑えさせる。逃げるならそちらだと、パンダに教えるためだ。
 家路を想像しろ。想像こそが狂った世界では真実だ。
 ギターが最後の一鳴きを上げたとき、パンダの背中は遠くにあった。
 そして紅美鈴の悲鳴を合図に、私達は解散した。


 賑やかさの戻った屋敷の廊下を抜け、私は師匠の部屋に入った。師匠は未だに書き続けていたが、今度は私に振り向いた。
「終わったみたいね」
「終わりました。全部」
 姫と師匠のことを除けば。――だが、それに触れて何になるだろうか。
 黙り込んだ私に、師匠は書くだけ書いた紙の内の一枚を私に差し出した。
「『小人、エルと住む』……ですか?」
「あなたにはそう読めるのね」
 意味がよく酌めなかったが、私にはこの一節が妙に気になった。小人とエルの間に句読点があるから、『小人のエル』ではなく、小人とエルは別人なのだろう。
「コビト、エルトスム」
「正しい発音ではないわ。真実はそれではないのよ。でも、それではあるのかもしれない」
 師匠は再び私に背を向けた。
「ここで私がいくら書いても意味は無いわ。あなたには『小人、エルと住む』としか読めないし、言えないのだから」
 やはり意味が酌めない。書いてあるのは実際に『小人、エルと住む』なのだから。
 師匠は私に見切りを付けてしまったらしかったが、じきに思い出したように呟いた。
「我思う、故に我あり……ふむ、これは言えるのね。やっぱり、本来のものだけが駄目なのかしら」
 その呟きを聞き取った瞬間、私の頭が激烈に痛んだ。耳が根元から千切れそうな恐怖に襲われながら、頭を押さえる。
「さあ、もう目覚めなさい」
 師匠に言われ、私は目を閉じた。目覚めではないはずのそれが、しかし目覚めだった。


 目を開けると、割れた将棋台が私の隣に転がっていた。私の頭には痛みがあったが、出血は無いようだった。
「これは何の冗談ですか」
「何のことかしらね」
 師匠は床に散らばった駒を手早く片付け、部屋を出て行ってしまった。縁側には陽が射していて、私は胡坐を組んだ格好で首の後ろを押さえた。
 あれは全部、夢だったのだろうか。しかし、あの中で師匠は、私が全く知らないことを喋っていた。
 釈然としないままにそわそわと上体を前後に揺らしていると、襖が勢い良く開けられ、てゐが飛び込んできた。
「熊が、熊が!」
 それを聞いた私はひきつき、再び気を失ってしまったのだった。