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枝はけ

 枝を伸ばした椿が、寒々と揺れていた。
 ナズーリンが思い出したのは、髪のことだった。自分のではなく、主人である、星のものを。
 ここ一年ばかし、髪結いの務めをうっかり忘れていたが、星の頭は平素の通りだった。まさか自分で切っているとも思えず、あるいは、髪の毛も伸びない、神業でもあるのかもしれなかったが、朝の掃除を終えて食事を取る段になって、問い質した。
 膳に、一々と箸を置いて、星は答えた。
「私も、教えるのを忘れていました。以前、聖のことなども落ち着いた折に、里の様子を見に出ました。その際、良さそうな髪結い床を見付けたのです」
 そうでしたか、と言っておきながら、ナズーリンは不審を覚えた。
 倹約には倹約を重ねる星が、髪結いに金を払うのを良しとするとは、思えなかったのだ。何か他に、心に秘めるものがあって、機会が訪れるのを、待っているのではないか。
 それから後、珍しく洋装をして出かける星を見ると、ナズーリンは、追わずにはいられなかった。

 髪結い床は、里の裏辻にあった。古くからやっている店以外は、裏辻の長屋を借り受けているらしい。
 髪結いの他には、両替、口利き、易、――なるほど、あまり所在を問わない商売が集まっていた。
 星が戸口の中に入るのを、曲がり角から認めたナズーリンは、にわかに、ドブ板の辺りを見た。そこにはきちんと、配下の鼠の何匹かがいて、号令があれば、いつでも集まることができた。
 そいつらに粟の一掴みを盛ってやって、外套のフードで頭頂の耳と口元を覆い、髪結い床の傍に寄った。
 辻に活気らしい活気は無かったが、将棋を長椅子の上で差し合う者がいて、その周りには数人がたかっていた。大方、金でも賭けているのだろう。しかし、商売道具らしいノミや金槌を腰に下げている所からして、カタギではあるようだった。
 威勢の良さそうな男に近寄り、声をかけてみる。
「ちょっと、見させてもらって構わないかな」
「金を出さねえなら、口は出すなよ?」
 それで良い。首肯して、打ち手の一人の後ろから、成り行きを見守る風に、腕組みをした。そこからだと、向かい側の、髪結い床の窓から、中を覗くことができた。
 周りの者は、ナズーリンの身長からして、どこぞの将棋好きの子どもがからかいにきたのだと、タカをくくったようだった。
 髪結い床の中では、ちょうど、星が椅子に腰掛けていた。
 土間を利用して、そこに大きな椅子を一脚、しつらえてあった。これが髪結いの一財産のようで、革張りの立派さだけでなく、高さの調整まで、している。
 その髪結いは、見た限り還暦をとっくに過ぎた爺で、仕草こそ落ち着いているものの、腕の方はどうか。君子然とした長身だが、頭髪と髭は、短い。白いシャツには皺が無く、糊も効いていたから、印象自体は悪くなかった。
 星は、首下を白いシートで覆われるや、相貌から力を抜いた。こちらの位置からは壁に鏡がかけられているかどうかまではわからなかったが、気配を消している限り、不意に姿を見られることは、無いようだった。
 考えてみたら、我ながら、随分と余裕だった。つい先日までは、星に不足の無いように、最初に彼女の下に遣わされたときから変わらずの気持ちでいた。
 それが今では、鼠らの食事を心配するにしても、さして切迫もせず、探すというより、果物を見付けに、森へ足を向けるような具合だった。
 何が変わったのだろう。第一には、長年の懸案が解消されたことだろうが、それより、周囲に自分らの素性が知れ渡ったことが、大きかった。
 星は長年、立派に勤めていたから、この幻想郷でもそれなりに威徳を上げていた。しかし、幻想郷の人間の異質に対する嗅覚は繊細で、どこか余所余所しさを含みながら、星が何者だろうと、毘沙門天として付き合えるならそれで良いのだと、割り切っていた。
 それが白蓮の復活で、何者かが、一挙に知られた。この間なぞ、以前、外で付き合いのあった妖怪が訪ねてきて、「こちらでお会いできるとは思わなかった」と笑っていた。
 つまり、何者であるか以前に、知られてすらいなかった。異変を通して、幻想郷という大きな生物のハラワタで、消化されたようだった。
 あるいは、星もまた、ここに居着くのに相応しい風になろうと、苦慮しているのか。
 思案げに目を伏せていたナズーリンの横を、すうっと、通り過ぎる者があった。
 身長は自分ぐらいで、周囲の者より低い。目に付いたのは、その銀髪で、眉宇の下の相貌は炯々、打ち据えてなお、未だ冷めやらぬ鋼を、思わせた。少女の姿には不似合いな、太小の刀を佩いていた。
 人間の年齢の枠に収まらない風貌に、これは、と思ったときである。
 太刀の鞘の先に括られた花が、そよぎ、鯉口が切られた。
 ナズーリンは、寸での所で切っ先を見切って、体を捻った。周囲は何が起こったかもまだわかっておらず、きょとんとしていた。
 将棋を打っていた二人が、下に落ちた。盤が宙に投げ出されて、コマがぱらぱら、足元に転がる。
 ナズーリンにも見えない軌道で、長椅子の脚の一つが、切られていた。
「ひいっ!」
「こいつら、妖怪――!」
 その言い方に、ナズーリンは舌を打った。フードが外れて、耳が露わになっていた。
 周囲の連中が騒ぎ始めたのに合わせて、辻の真ん中に、体を移す。少女は目をこちらにくれるだけだったが、油断はならなかった。
 気になったのは星のことだが、辻に出てはこない。今の位置からでは中の様子がわからず、歯がゆいが、ここから更に移動するのは、不用意だった。
 それにしても、あの少女は何者か。
 もしや今頃、星は拘束されていて、その手下をも一度に仕留めてくれんという、計略だったのか。そういう考えが頭に浮かぶと、どうやら髪結いの髪の色と、少女のそれが同じことが、証拠のように思われてきたのだった。
 状況が判らないままでは、鼠らを動かすわけにいかない、か。――
 思わず、視線を曲がり角に投げた直後だった。
 霊気だと明らかに判る、冷え冷えとした力が固まるのが、わかった。視線を戻したときには、銀髪の少女が、刀を真っ直ぐに向けて、突っ込んできた。
 無我夢中だった。かえってそれが、迷いを生まなかったとも言えた。
 反射的に避けようとして、地面を蹴ると、刀を避けて、少女の諸手を、脇に抱えることができた。最小限の動きだったからこそ、少女に切り払わせずに、済んだ。そうなっていたら、深い傷は覚悟しなければならなかった。
 隠していた尻尾に括らせておいた、二対のダウジングロッドは、しかし衝突によって、落ちた。なおさず、二人はそのまま長屋の壁にぶつかって、そこの薄い壁を破壊すると、今度は屋内の壁を破って、あの曲がり角の先に、出る始末だった。
 小癪さに駆られて、ナズーリンは少女の髪の毛を、掴んだ。あまりこういう児戯みたいな真似はしたくなかったが、躊躇わずに、毟った。
「きゃっ!」
 鍛えようの無い場所をやられて、少女が蹴躓いた。刀が落ちて、安心する間も無く、また壁に当たる。今度は、そこで止まった。が、ナズーリンは背中を強打して、おまけに少女の肩が腹に食い込んだものだから、跳ね返った少女に一撃をくれてやることもできず、膝を付いた。
 嘔吐は何とか堪えたが、毟った髪の毛が道べたに散乱した。その内の一本に、目が留まった。
 銀髪の中にそれを見付けられたのは、ナズーリンの眼力があったればこそだった。
 それを見たナズーリンは、反撃の気力を失っていた。

 この年恰好で、白髪とは。――
 少女はナズーリンの表情から感じ入るものがあったようで、鼻水を啜った。薄っすらと、涙を浮かべているようだった。


 銀髪の少女、魂魄妖夢の祖父が髪結いをやるようになったのは、ここ一年ぐらいのことだという。隠居先に出した時節の手紙の返事がなかなか来ないと思っていたら、こんな裏辻で商売をやっていたのだった。
 自分の主人に話せば面白がられるだろうし、黙っていたが、いつ耳に入れる者が現れるかと、戦々恐々としていた。里でも変な噂が立っていないか、心配で、用も無いのに里に出ては、迷いに迷って、結局帰る、そんな生活が続いていたのだという。
 それが今日、やっと店の前まで来れた。
 将棋指しの集団に混じった怪しい輩が、店の方をちらちら見ているのに気付いたのは、妖夢の普段の鍛錬が故の不幸だった。
「御祖父の腕は確かですし、あまり人様に頼めない身なものですから、重宝していますよ」
 星の過不足の無い説明に、妖夢は観念したようだった。
 すっかり見つかる見つからない以前の問題になってしまって、ナズーリンも、店の中に入っていた。
 星は以前から妖夢のことは、その祖父である妖忌から聞いていたから、今日も放っておいたらしい。そしたらそこに、ナズーリンの気配が混じったものだから、驚いたものの、任せることにした。
「喧嘩は人数が増えれば増えただけ、ややこしいものな」
 妖忌の言葉に、星は首肯して、整えたばかりの髪の毛を撫でた。壊れた長屋は、ちょうど大家が壊すのを決めていた所だったとかで、問題にもならなかった。どうりで、鼠を待たせておくのに良さそうな場所だった。
 さて、妖夢は今、椅子に括られていた。毟られた部分と合うように、髪を短くしなければならなかった。
「すまない、咄嗟のことだったんだ。許してほしい」
「ああ、良いですよ、気にしないでくださいね、本当に。雪かきのとき、邪魔じゃなくなって、うんうん」
 うろたえているのは、ありありとわかった。聞けば妖夢は、自分より年下だというし、鯉口が緩いこと以外は好感が持てた。
 彼女の髪が伸びる頃には、話に花を咲かせられるようにもなるだろうか。
 さくさくと鋏に散らされる髪を見ながら、ナズーリンは自分の髪を撫でた。耳を切られる心配が無ければ、自分も頼んでみるのも、悪くない気がした。