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FUGURI

 佐渡から来たフェリーが直江津に着いたとき、おかしなものを見た人がいる。荷物の影に隠れていた狢が、人間と目が合ったと思うと、ダカダカダカと物凄い勢いで、陸に上がったのだという。
 それだけなら、「狢なら有り得ることだ」と言えたのだが、その狢の背中には立派な脇差が括られていたのだった。
 その後を二頭の狢が、これまたダカダカダカと付いていった。


 それから時を下って、冬を控えた、幻想郷の端っこでのこと。
 三頭の狢が道中の出来事を面白おかしく話し合っては、昼間捕まえた鳥を焼いたものを、齧っていた。
「おう、源五郎。そろそろその酒を開けてしまっても、良いんじゃねえかい?」
 三頭の中でも特に声が低いのは、平四郎といった。
 その平四郎に呼ばれた源五郎の方は大変な無口で、しかし体格は三頭の中でも一番だった。といっても、普通の狢と比べて、二回り大きい程度である。
 聞こえない振りをしている源五郎の代わりに喋ったのは、脇差を背中に括った、喜平次その人、その狢であった。
「お前は毎晩、それだ。あの酒は姉御に会ったら一緒に飲むってんで、林泉寺の天育からもらったものじゃねえか」
「他の場所でもらったものは、その晩に飲んじまったろうが」
 ここに来るまでに結構な数の狢に世話になっている。
 特に飯縄山を越えるときに飯縄権現の所の天狐と大勢でやり合ったことは、この幻想郷に一足先に来ている姉御、二ッ岩マミゾウに自慢するには、最高の土産話であった。
『お前らは化かすよりも先に血の気が昇るから、いけないね』
 そんな風に叱られるような気もするのだが、それはそれで楽しみな喜平次たちである。
「今頃、姉御が持っていった酒は切れちまってるだろうさ。俺らよりも呑兵衛だからな。佐渡のは持って来られなかったが、せめてこれぐらいは持っていってやろうじゃねえか」
 近頃はフェリーの検査も厳しくて、地元から持ち込むのは難しかったのだ。マミゾウのように化かすのが上手ければ良かったが、生憎とこの面子は、世に名高い佐渡の四天王などではない。
 マミゾウの子飼いの、言ってみれば旗本で、武勇伝と共に傷を増やしてきたような連中である。四天王には東光寺禅達のようなお経を読む者もいるのだが、この三頭にはいない。
 特に喜平次は古参中の古参で、佐渡に本間氏征伐にやってきた上杉景勝を狙撃から守ってふぐりに弾をもらったために「三ッ玉の喜平次」と呼ばれて、仲間から尊敬されていた。
 喜平次という名も景勝からもらったものだが、脇差も然りで、こうして肌身離さず、持ち歩いているのだった。
 平四郎はどちらかといえば若手の部類だったから、我慢が苦手だ。
 今も喜平次に諭されたのが癪にさわって、ごろんと寝転がってしまった。
「あーあ、こんなことなら、あの巫女の所から、くすねてくるんだった」
「そんなことをしてみろ。俺がお前の皮を剥いでやるぞ」
 この幻想郷の境界には神社があって、そこの巫女に許されなければ、入ってこれない。
 マミゾウは流石に化かすのが上手かったが、この三頭には無理である。
 それでもこうして幻想郷に入れたのは、マミゾウが事前に、巫女の袖の下に金色の餅を入れておいたからだった。
 喜平次たちがマミゾウの子分であることを告げ、揉め事は起こす気は無いこと(ただし火の粉は払うつもりだ)を誓うと、巫女は面倒臭そうに頬杖を突いたまま、通行を許した。
「ふん、お前の脇差は飾りみてえなもんじゃねえか」
「てめえ!」
 脇差のことになるとカッカし易いのは、毎度のことである。
 しかしながら、場所が場所である。
 源五郎はすっくと立ち上がると、他の二頭を睨みつけた。
 この源五郎、マミゾウの寝室に立ち入ることを許された数少ない狢であり、暗殺者の凶刃からマミゾウをふぐりで庇いきったこと、一度や二度ではない。
 かつて心無い者が酒の席で、源五郎のふぐりの傷の多さを笑ったことがあった。マミゾウはその狢を叱り飛ばすのではなく、一つ一つの傷のついた理由を皆の前で説明してみせ、源五郎の忠義は一層強くなったのだった。
 本来であればマミゾウが幻想郷に旅立ったとき、一緒に付いていくつもりだったのだが、「人数が増えると、友の危機に間に合わぬかもしれん」と言われて、仕方なく引き下がったのだった。
 そのときの源五郎は、泣くは喚くは、一度も声が聞いたことが無かった若いのに至っては世界の終わりでも来たのかと思ったほどで、落ち着かせるだけで十頭以上もの狢が怪我をした。
 平四郎は源五郎と義兄弟であったから、マミゾウから「もう来ても大丈夫じゃぞ」という旨の手紙が届けられたとき、一緒に付いていくことを決めた。
 そこにリーダー気取りの喜平次がしゃしゃり出てきたものだから、平四郎は面白くない。道中、ことあるごとに喧嘩をしたのもそのためだ。
 幻想郷に入ったことで、道中の心配もほぼ無くなった。今日こそは白黒をはっきりさせてやろう、と平四郎はなかなか引き下がらなかったのだが、最終的には源五郎を立てて、諦めた。
「けっ! ふぐりでも風に当ててくらあ」
 唾を吐いて森の闇に消えていった平四郎に、喜平次は頭を掻いた。
「焦らなくても、ここは俺みたいなロートルが隠居するにはもってこいじゃねえか。なあ?」
 そんなつもりで喜平次が旅をしてきたことは源五郎も知らなかったので、目を丸くした。自分や平四郎が道中で悪さをしないか心配で、付いてきたのだと思っていた。
「ふん、少しは頭を使ってみろ。用事が済んだなら、姉御はすぐに帰ってきたっておかしくねえ。あの人だって郷土(くに)の酒が恋しいさ。そうしないのは、ここが俺みたいな奴がのんびり暮らすのに向いてる場所か、確かめるためだろうぜ」
 佐渡の狢も高齢化が進み、若い連中との溝も深まってきた。
 喜平次は幾つもの修羅場をくぐってきたが、無益な争いごとは嫌いである。
 マミゾウに再会したら、酒の席で隠居を願い出るつもりだ。
「この背中のモンも、俺にはそろそろ、重くなってきやがったのさ」
 喜平次の気持ちを汲んだ源五郎は、いつにも増して固く、口を閉ざした。


 焚火に当たりながら、マミゾウに再開する前に川で体を洗っておこうか、と喜平次が思っていると、平四郎が戻ってきた。
 風に当てるために広げていたふぐりを畳みながら、ドテドテとやってきた平四郎に、喜平次はあくびを投げた。
「なんでえ、情けない格好で歩きやがって」
 ふぐりの畳み方は親から子へ、師から弟子へと伝えられる、大事なものである。この畳み方一つが生死を分けることさえあるのである。
「待て、待て。喧嘩をしている場合じゃねえ。様子がおかしい」
 平素と違う平四郎の態度に、喜平次も横たえていた体を起こした。
 焚火に枝をくべていた源五郎が、その手を止めた。
 ガササガササ。
 最初は風の音かと思ったが、焚火が揺れない。三頭が同時に空を見上げると、数体の光る物体が、木と木の間を飛び交っていた。
 尾を引くその姿に、ふぐりを畳み終えた平四郎の目が輝いた。
「ありゃあ天狐じゃねえか!」
 憂さ晴らしにはもってこいの相手である。一方、喜平次は浮かぬ顔をした。
「あいつらは糞生意気だが、出る場所は選ぶ。あんな辺鄙な神社の近くで、こんなに出てくるか?」
 逆に本物の天狐だったとしても、平四郎のようにやる気満々でかかると、翻弄されてしまう。
 実際、飯縄山のときに平四郎は危うく崖から落とされそうになっていた。
 化かし合いを身に付けろとは言わない。誰にでも得意不得意はある。それを補うために仲間がいるのである。
 平四郎の真の欠点は、つまり仲間を信頼していないことなのだった。
 源五郎にそれとなく平四郎を護るように目配せをした喜平次は、上空の光にではなく、木々の闇に注意した。
 その覇気によって周囲に独特の緊張感が生まれたことで、事態が動いた。
「ははははは、そうか、お前達にはあれが天狐に見えるのか」
 笑い声がしたのに前後して、木々の間から無数の影が鋭く伸びた。
 上にばかり気をやっていた平四郎は弾き飛ばされたが、源五郎がすかさず飛びついて、地面に落ちるのを防いだ。
 散らばった影がある地点に集約すると、屹立し、少女の形となった。
 他の二頭は彼女と面識が無かったが、喜平次は違った。
「ぬえの姉御……」
 マミゾウの友にして、彼女が幻想郷に旅立った理由を作った大妖、それがぬえだ。
 しかし喜平次は、脇差にかけた手を離さなかった。
 彼が目の前の妖怪をぬえと呼んだのを聞き逃さなかった平四郎は、慌てて諌めた。
「ぬ、ぬえの姉御といったら、たった一人で京の都を恐れさせた、あの姉御だろう!? 敵う相手じゃねえ、何をいきがってんだ!」
「……考えてもみろい。そのぬえともあろう御方が、堂々と姿をさらすなんて、おかしいじゃねえか。それこそ、天狐に化かされてるのかもしれねえぜ」
「馬鹿か!? そんなの、俺たちに見抜けるわけねえだろ!」
 ごもっとも意見だ。
 しかし喜平次には、揺るがない信念がある。
「化かされてるかどうかなんてのはな、実はどっちでもいい。ただな、こんな舐めた態度取られて頭下げるなんてなあ、男じゃねえ。――いや、狢じゃねえんだよ!」
 平四郎の頭にガツンとくるものがあった。
 狢や狐の化かし合い、――それは化かすか化かされるかではなく、化かされても己を保てるかどうかの戦いなのである。
 喜平次のような腕っぷしだけで生き残ってきた狢だからこそ、皮肉なことに、化かし合いの真髄に達したといえる。
 その喜平次の生き様を今の言葉から一挙に学んだのだから、平四郎も大した狢であろう。
「……どうやって戦うんだ?」
「ふん、その気になってきたじゃねえか。それなら話は簡単だ。『俺の脇差は飾りみたいなもん』だからな」
「あん……?」
 平四郎がよく呑み込めていない内に、喜平次は源五郎に目配せをするや、駆け出した。
 自分より弱い相手が何やら偉そうなことをいってかかってくると見て、ぬえも楽しみに待っていたから、ここぞとばかりに攻撃をしかけた。
 先程と同じ、影による触手攻撃……と思わせておいて、実際は上空の物体による落下が本命である。
 横からの触手を脇差で切り払いながらかわしていた喜平次に、光が降り注いだ。
 それを防いだのは、飛び出した源五郎の体であった。
 生意気そうなリーダー格が光で潰されるのを見物しようとしたぬえは、このとき触手を引っ込めてしまっていた。
 その隙を突いて、喜平次が飛びかかった。
 ここぞとばかりに脇差が揮われ、流星光底、ぬえを斬り付けた。
「よくやった。――お前はここまでだがな」
 声がしたのは、喜平次の背後である。
 ぬえの必殺の銛が、残像に刀を空しくされた喜平次の背中に、突き刺さろうとした、正にその瞬間、彼は叫んだ。
「平四――」
 それ以上の声は、銛が深々と刺さったために、継がれなかった。
 途端に、辺りが真っ暗となった。
 それは喜平次の命の光が消えたからではない。
 上空に、影が現れたからだった。
「な、なに!?」
 ぬえが驚くのも無理はない。
 その影は、平四郎がこれでもかと広げた、ふぐりなのだった。日頃から丁寧に畳まれていればいるだけ、爆発的に広がる。
 最後はお前が仕留めろ。脇差を飾りだと喜平次が自分で言ったのには、そういう意味が含まれていた。
 夜が落ちてきたようにぬえは錯覚しただろう。ふぐりはぬえの本体を包み込んだ。
 平四郎もこの旅の間、ほとんど体を洗っていない。
 濃過ぎる雄の臭いに、ぬえは卒倒した。


 喜平次が目を覚ましたとき、彼は誰かに背負われていた。
 最初は源五郎かと思ったが、心地よい香りがして、そうでないとわかった。
「……姉御」
「おうおう、気が付いたか」
 二ッ岩マミゾウは人の姿になることが出来たから、喜平次ぐらいの大きさなら、子供を背負うが如くだった。
「迎えに行ってもらったぬえが戻ってこないもんだからワシが来たんじゃが、随分楽しそうなことしたみたいじゃのう」
「面目ねえ。俺がいながら、本物のぬえの姉御と見抜けなかったんでさあ」
 銛で突かれたはずの背中は、ほとんど痛まない。その代りに体力が無くなっていて、これは妖力による消耗だと、長年の経験が教えてくれていた。
 月明かりもほとんど無い夜道を歩いていたマミゾウが、足を止めた。
「おぬし、相変わらず嘘が下手じゃのう」
「……へい、実は、本物かどうかはどうでも良かったんでさあ」
「そいつも半分ぐらい嘘じゃのう」
「……」
 マミゾウは喜平次が持っていた脇差を預かっていて、喜平次を片手と自慢の大きな尻尾で器用に支えたまま、脇差を掲げてみせた。
「わしを化かそうなんて、百年早いわい。おぬしは平四郎に度胸を付けさせてやるために、無茶な喧嘩をさせたんじゃろう? それも、いざとなればわしが助けに来れる場所でな」
 そこまで見破られているとは、いっそ清々しい。
 喜平次はこのまま寿命を迎えても良いような気がして、目を瞑った。
 そんな彼の頭を、マミゾウは脇差の鞘でこつんと小突いた。
「こんな大層なもん、預けられても困る。ふぐりと一緒に墓場まで持ってけ。ま、今だけは別ってことにしておこうか」
「ありがとうございやす」
 ――当分、隠居は無理そうだ。
 気が抜けたやら、安心したやら。一息ついた喜平次は、他の二頭のことが気になった。
「あいつらは?」
「意外と元気じゃったから、一足先にぬえを運んでもらった。今頃は、命蓮寺に着いてるんじゃないかのう。ああ、そうそう。持ってきた酒を温めておくように言っておいたから、着いたらおぬしも付き合え」
「寺に着いた早々、酒盛りとは豪気じゃねえですかい」
「そうじゃろう、そうじゃろう。ま、その前に風呂に入った方が良いか?」
「へ、へい……」
 普段は強情な喜平次だが、マミゾウには敵わない。
 狢は徳が高いほど長生きであり、若さを保てるが、喜平次の処世ではどうしても限界がある。
 そういう生き方に広がりを与えてくれたのがマミゾウであり、それは喜平次に限ったことではない。
 任侠を生きるための道具ではなく、仲間や人間と楽しくやっていくための芝居にしてくれた。マミゾウのためなら、どんな猿芝居、狸芝居でも、打つことができた。
 喜平次は瞼を下ろすと、鼻歌混じりの夜風に任せて、束の間の眠りについたのだった。


 一ヶ月後、ちらちらと雪が降る頃には、喜平次は寺に居着いていた。
 冬が明けたら帰ろうか、とは思っているものの、肝心のマミゾウに帰る気配が全く無いので、しばらくは読経で暇を潰すしか無さそうだった。
 寺の主である白蓮は喜平次を気に入ったようで、それを知ったマミゾウは「こいつを布団の中に入れておくと暖かいから、貸してやろう」とか言い出した。
 喜平次は知らなかったが、佐渡の狢の毛は他のよりも軟らかいとかで、近頃では白蓮は喜平次を抱っこしていることが増えた。
 平四郎は、一足先に佐渡へと帰った。元々、源五郎に付き合うための旅である。その上ぬえに嫌われてしまったので、居辛くなった。今頃はフェリーの荷物に隠れて、冬の日本海を渡っている頃だろう。
 マミゾウから「一人で帰すのは心配じゃないかのう?」と喜平次はからかわれたが、そのような心配は皆無だった。平四郎は幻想郷と佐渡との連絡係に任命されたから、会える回数も少なくない。
 源五郎はといえば、こっちでちゃっかり女を作って、よろしくやっている。
 どうも子供を作った上でその子を鍛えあげ、マミゾウに預けたいらしい。幻想郷の狢は雌でも肝っ玉が据わっていたから、そういう気にもなれたのだろう。
「女ねえ……」
 喜平次は寺の縁側にごろんと寝転がって、冬の間の貴重な陽射しをふぐりに当てながら、ぼやいた。
 若い頃は色々とやったし、自分の子供を名乗る奴は両手の指じゃ足りないのだが、本気で惚れたのは誰かといえば、やっぱりマミゾウになってしまう。
 別に人間でもないのだから、誰が一番だとか決めなくても良いのだけれど、そこが喜平次の頑固な所なのだった。
「寺に来て女で悩んでれば、世話ねえや」
 溜息を吐いて腐っていると、陽射しを遮って、マミゾウが現れた。
「苔みたいになっとらんで、ちょいと付き合え」
「何をするんで?」
「お前と源五郎も来たことだし、そろそろ、ここらの狐を相手にしても良い頃じゃと思ってな」
「おっ!」
 聞いた途端に、源五郎の頭に血が廻った。
 ひょいと起き上がると、そのままの勢いで庭に飛び下りる。脇差を掴む手に、力が籠められていた。
「姉御は足下を気にせず、化かしまくってくだせえや」
「おう、頼んだぞい」
「やいやい、源五郎! どこいった、源五郎――」
 ダカダカダカと仲間を探しに行った喜平次を見て、マミゾウは酒を一口、呷った。
 歳を取ったというだけで、ああいう愉快なのが縁側に寝転んでばかりいるのはつまらない。
 子分も化かしてやらないといけないのだから、親分というのも大変なのだった。