×

[PR]この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。

フーテンのこいし

 私、生まれはわからず、育ちは旧都、何の因果か姉泣かせ。姓は古明地、名はこいし。
 人呼んで、フーテンのこいしと発します。

「ちょいとそこいく皆々様よ、これに見せるは河童が作った、ありがたーい麦電球だよ。一つ見ていきない」
 里の近く、山裾の田畑との間を繋ぐ道の端。すぽっとハットを被った少女が、いつの間に用意したやら、台を叩いて調子を付けた。
 昼過ぎの作業が終わった者達がそれなりに集まってきて、一人の親父が首を伸ばした。
「ただの麦電球と違うのか?」
「おうおう、聞いて驚け、これを団欒、食卓に、吊した日から、麦飯冷や飯、その味銀舎利、ぴしゃりとくるって代物だよ」
「つ、吊しただけでか! そいつは凄いが、いったいどういう仕掛けなんだい? それがわからねえと、ちと胡散臭いってもんだ。なあ、みんな?」
 親父につられて、周りが頷く。それに合わせて、少女が帽子のつばを押し上げた。くりりとした小さな瞳が、大人達を捉える。
「親父さんったらやり手だね。そういう親父さんには特別に教えよう。どれ、ついでだ、周りの奴らも近寄りない。ほら、もっともっと。さあ、さてさて、河童の先生、言う所……」
 数分後には、八割方の麦電球が台の上から消えていた。辺りの人間が一通り帰ると、やがて先程の親父だけが戻ってきた。
「やあ、こいしちゃん、すまなかったね。助かったよ。うちのに頼んで、握り飯もらってきた。食ってくんな」
「そんなに気にかけてもらわなくて良かったのに」
 と言いつつ、握り飯が三つ包まれた袋を貰う。
 この親父から「河童から仕入れたものを売りさばいてほしい」と言われたのは、朝飯を食べられずにとぼとぼと道を歩いていたときだった。
 この親父、畑仕事を適当に切り上げて釣りに行くのが癖とかで、時折、河童と話す機会があったらしい。それが昨日、急に頼まれごとをされてしまったという次第である。人が良いのは構わないが、売ることになる相手が知り合いばかりだということまで頭を回すべきだった。
 途方に暮れていた所に、こいしと行き当たった。
「でもさあ、別に売らなくても良かったんじゃない? 河童からは、別に使い道は指定されなかったんでしょ? なら、倉にでもしまっておけば良かったんだよ」
「そりゃそうなんだけどよお……あの河童、なんか元気無かったからさ。売った金で精のつくものでも食わせてやろうかな、と」
「ふうん? 可愛いの? ロリコン?」
「おいおい、勘弁してくれ。その……うちのは子ども産めなくてな、それで、子どもがいたらこんなかなあ、なんてなあ……」
 こいしには関係の無い話だ。台の後片付けを親父に任せて別れ、食べながら山の方へと歩いていく。
 
 彼女は未だに、感情の機微が苦手だった。


 近頃は地上に出てぶらついては、最後に山の上の神社に寄って、自宅である地霊殿に帰るようになっていた。一度の旅程に二週間弱ほどかかるが、以前はもっと長く家を離れていることもあったから、こいしにしてみると近頃の自分は姉孝行だと思える。
 ところが姉のさとりの方にしてみれば、こいしに世話を任せたはずのペットにまで餌をやらないといけないのに変わりは無い。それでも妹を見放さないのだから、こればかりは兄弟姉妹のあるものにしかわからない感覚だった。

 さて、ようやく山に入る。
 また変な奴に会えないものかと、斜面を行く足が弾む。その足が、しばらくして止まった。
 喉が渇いたのだ。
 あの親父は気が利いているようで、そうでもない。握り飯を食べた後の喉が渇いて、仕方がないではないか。
 たしかここら辺に川へ出る近道があったはずだ。冬ということもあって、道は草に隠れていなかった。さっささっさと、緩やかな下り坂を歩いていく。
 その内に川のせせらぎが聞こえてきた。前に聞いたものより、音が大きい。きっと山の上には雪があるのだろう。それで水量が増しているようだ。もっとこいしが耳を澄ませたなら、滝が遠くで落ちる音も聞き分けられたかもしれない。
 そして、視界が開けた。
 渓流には大小様々な石があったが、にとりは一目散に、川っぺりの洗濯場にあつらえたみたいな、大きな岩に飛び乗った。
 変な気配がしたのだ。ほとんど同時に、上空から風が吹いた。
「おやまあ、これはこれは。鴨が葱背負ってまあ」
 地上では何度か顔を合わせているカメラ天狗である。野宿のときに彼女の新聞は色々と役に立つので、こいしの印象は比較的良かったりする。
「鍋なら、この間食べたばっかだよ。お姉ちゃん、鳥とかシメるの上手いんだ」
「むふーん、そこら辺についてよくよくお聞きしたいのですが……今は都合が悪いんですよ。ときに、河童を見かけませんでしたか?」
「河童から頼まれ事した人となら、会った」
「何ですかそりゃ? まあいいか。その方はどちらに?」
 あっち、と今朝まで厄介になっていた里の方を指差した途端、風と共に天狗は去っていった。お世辞にも優雅とは言い難い。
 やっと水が飲める。こいしは帽子を岩の上に置いて岩から身を乗り出すと、川の水面に直に口を付けた。流れが結構きつくなっていたが、それがまた楽しいぐらいである。
「ねっ、ねっ、これ下れる? 下ったら楽しいよね?」
 誰に話しているのか。他人が見たら独り言にしか思えなかったろうが、しかし相手は確かにいた。
 空気がにわかに蠢き、岩陰から河童が現れた。
「さすが天然ステルス少女……私の発明品ぐらいお見通しなのね」
 河童は河城にとりと名乗って、こいしに岩の上の帽子を手渡した。それを被って、こいしは笑みを見せた。
「変な奴にでも追われてる?」
「残念ながら、文さん、ああ、あの烏天狗様ですけど、あの方以外には追われてないのよね。まだ内々の話で済んでる……かな?」
「何か悪いことでもしちゃったわけだ」
「いや、むしろ、悪いことしてる人達のために良いことをしないといけないという……そういう複雑な事情があるのよね」
「ふうん。ごちゃごちゃした話は苦手だな。お姉ちゃんならこんなとき、ぱぱっとわかるんだ」
「ぱぱっと、って、あっ」
 地底の妖怪。にとりが半ば口に手をやって、驚く。
 姉を知っているんだ。こいしは少し嬉しくなって、相手について聞くのではなく、姉のことを話した。
「お姉ちゃんのやってることは、それが能力だから、簡単なことのように人には思えるかもしれないんだけど、あんな風に割り切るのは、私には無理だったのよね。でも、私はお姉ちゃんのことが好き。心が読めないことを残念がってくれるのは、お姉ちゃんだけ。そういう心配の仕方が出来るのは、お姉ちゃん以外にいないんだもん」
 ほとんど一息に喋られて、にとりは目を丸くした。
「ほへえ。仲が良いんだねー」
「ま、そんなわけだから、遊びに来たくなったら、気軽にそうすると良いよ」
「あははは……逃げ場所が他に無くなったら、そのときはお邪魔するね。それじゃ、私はそろそろ行くから」
「うん」
 再び、独特の音がして、にとりはステルス迷彩の中に消えた。
 どういう事情があったか知らないが、山の神社に着いたら、無事を祈ってあげることにしよう。
 こいしはそれまでよりも早く、頂上を目指したのだった。


   ******


「またあの子は人様の厄介になって……」
 古明地さとりは今まで読んでいた手紙をティーテーブルの上に投げた。妹には独特の連絡網があって、最終的にペットの手からさとりは受け取るのだが、全容の解明には至っていない。
 手紙によれば、とある人里で三日ほど過ごして、この手紙を出した後にでも妖怪の山へ向かうようなことが書いてあった。
 能力は既に封印してあるとはいえ、あれも妖怪に変わりはない。にも関わらず人の厄介になったりできるのは、自分よりも妹の方が、そうした魅力に長じているからかもしれなかった。
 それについて嫉妬したことはないのだが、勿体ないと思ったことはある。
 そういえば、昨日の鍋の出汁と材料がまだ残っていた。勿体ないから、夕食はそれで済ませてしまおう。
 暖炉の前にある安楽椅子から腰を引っこ抜く。足下にたむろしていたペットらの頭に、使っていた膝掛けが落ちる。それにペットがじゃれている隙に、厨房へと向かった。
 ほとんどの部屋が使われていない地霊殿の廊下を、ぽたぺたとスリッパ鳴らし、歩いていく。
 本当ならもっと手狭な家屋にでも移れば良いのだろうが、これでもかつては、地獄の庁舎である。あまり人に恩義を感じる性質ではないさとりでも、閻魔の顔が頭に過ぎれば思い付きは霧散してしまう。
 それにこの建物、灼熱地獄の直上にあるおかげで、かなり暖かい。先日に起こった異変でペットのお空の力が強力になって以来、むしろ熱いぐらいで、雪の降らない日は窓を開けておくよう、ペットたちには言ってある。
 しかし、これが夏になったらと思うと、嫌な汗が出てきた。それまでにお空の管理能力が向上することに期待するのは、無謀というものだ。まさか出て行けとも言えない。
 元が地獄烏だからか、お空は何でも美味しそうに食べてくれる。パワーアップしてからはますます食欲旺盛で、それがまた可愛い。
 火焔猫のお燐と比較した場合、お空がさとりに対して畏怖のようなものを持っていないのも、それだけ可愛がられているからなのだが、当のペットらはもちろん、さとりも自覚していない。
 厨房への廊下に入ったとき、美味しそうな香りが鼻に触れた。やがて食器のかちゃかちゃという音が聞こえてきて、開け放ってある戸から中に入ると、先客がいたのだった。
「あ、お姉ちゃん。ただいま」
 妹のこいしは姉と目が合うと、持っていたレンゲを取り皿に置いた。五人分は一度に賄える大きさの鍋からは、しかし湯気がほとんど立ち上っておらず、さとりがおかえりと返しつつ覗いてみれば、中身は無くなっていた。
「全部食べちゃったの?」
「一昨日、川で魚を食べたきりだったからさあ。勝手にやらせてもらったよ」
 ただいまを先に言いに来てくれれば、人数分を用意できたのに。内心で舌を打ちつつ、棚に突っ込んである材料を確認する。
 相変わらず大根と葱、それと白菜は大量にあったが、取っておいた肉が無い。肉類は他の地底に住んでいる者らと分け合うため、ここには二日分程度しか置かないようにしてある。今からでは、時間が遅い。
 手癖の悪いお燐ならば個人的に保存してありそうだが、あまり食べたいものではない。
 こうなったら手頃なのを一匹……、と不穏な考えに頭が傾き始めたとき、こいしが笑顔を振りまいた。
「私が作るよ!」
「それは嬉しいけど、食いでのある材料が無いじゃない」
 水炊きぐらいが精々だろう。まあ、冬の最中に食べられるものがあるだけ幸せという考えもある。折角、こいしが作ると言っているのだ。無下にすることはない。
「じゃあ、お姉ちゃんはここで見てるから」
 手頃な椅子を引っ張ってきて、腰掛ける。こいしは姉に帽子を預けると、準備にかかった。


 ぽかん。
 こいしの調理が佳境を迎える頃には、さとりは口を開けていた。
 大根とニラをごま油で炒めたものや、片栗粉でとろみをつけた白菜と水菜の汁物、他には何がなんだか、とにかく美味しそうなものが皿に盛られている。
 いつの間にかペット達も厨房の出入り口に溜まり始めていて、とうとうお空までやって来た。いつもなら灼熱地獄から上がってきたら、先に行水をしてくるのに。ごま油の匂いがここまで強力だとは、さとりも忘れていた。
「お燐はどうしたの?」
「昼頃から見てませんよ。また地上に出てるんじゃないかな」
「ふうん……そう」
 やはり地下よりも地上の方が手癖の悪さを発揮するのに向いているのだろう。前に一度、「幻想郷は冬に出歩いても坊主がいないから、殴られない」とか言っていたが、いまいち意味がわからなかった。夜には必ず帰ってくるから、変に律儀といえば律儀だ。
「ま、食事の用意をしてればじきに来るんじゃないですか。私、お腹空いちゃった」
「お空は相変わらず食いしんぼだなあ」
 いよいよ調理を終えたこいしが、さとりから受け取った帽子で顔の辺りを煽る。その首に汗が浮いていた。
 調理というより、お空の影響だろう。換気口が空いてはいるが、ここは狭く、食堂にでも行かないと熱が逃げない。
 さとりはそれとなくこいしに目配せをすると、皿を運ばせた。
「あっ、私も手伝う」
「あなたは私を手伝いなさい」
 言って、足下を睥睨する。数十匹の大小が、わけもわからずたむろしていた。匂いがそこら中に行き渡っている所為で、こいしが皿を運び始めても動こうとしない。
 恐らく、他の場所でも似たようなことになっているだろう。
「そこら辺を回って、驚かせてきなさい。私の所に逃げてくるはずだわ」
「はーい」
 ばっさばっさと羽ばたき、廊下の方へ出て行く。さとりはその場にいたペットらをまとめあげると、こいしの後を追った。
 ところが廊下に出た途端、食堂とは反対の方向に、数匹が逸れていってしまった。放っておいてもお空に追いまくられるだろうが、任せっぱなしというのも悪い気がした。
 幸い、すぐ傍の勝手口から外に出ただけで、そこからなら門扉の所で足を止めることになる。
 これは客が来たときの反応だ。さとりは目を細めて、ほの暗い中を歩いていった。そこにちょうど、お燐がやって来た。
「何だ、貴方だったの」
「ただいまでーす!」
 やけに威勢が良い。心なしか息も荒い。これはと思い、お燐の猫車を覗き込む。
「……何これ?」
「河童です。さっき、地上の川原に倒れているのを見付けましてね、へへ」
 まあ、多分そうなのだろう。雨具みたいなものを身に付けて、全体的に青っぽい。人間がこんな所に、こんな雨支度した格好で来るわけが無いので、当てずっぽうだが、河童と片付けることにした。
「それで、どうするの?」
「食べるんですよ! 当たり前じゃないですか! さとり様には精を付けてもらわないと!」
 付けてどうするんだ。大体、河童を食べると精が付くなんて、眉唾だろうに。
「何でも良いけど、腐る前に処分しちゃってよ? ああ、そうそう、河童なら、ミイラにしておけば後で使い道があるかもしれないわね」
「うへえへあはは」
 もう聞いちゃいない。さとりに食わせるとかは後付けで、拾おうと思ったときには拾っていたのだろう。
 腐る前にとかさとりは言ってしまったが、死んでいるのかどうかも怪しかった。
 あまり無体なことをすると、また地上の連中が来るかもしれない。往き来に支障は無くなったとはいえ、住処を荒らされるのは好きじゃない。一本角の鬼も、またぞろ嫌味の一つでも言いに来ることだろう。
 とりあえず息があるかどうかだけでも、と顔を近付ける。その二の腕を、お燐が掴んだ。
「さとり様に死体愛好の気があったなんて初耳です」
「言ってないし、そんな自覚もないわよ。耳が四つもあるんだからしっかりしてちょうだい」
「え? それじゃなんで接吻なんて?」
 お空と違って、変な知識ばかり付いていて困る。持ち前のじと目を向けてやるが、あまり効果は無い。

 そうこうしてる内に、建物から大量のペットが出て来てしまった。思ったより、お空の行動が早かったらしい。いや、こちらが手間取り過ぎたのか。
 さとりが玄関先にいると知って、我先にとペットらが群がってきた。終いにはお燐や猫車にまでよじ上ってきて、動かない河童なんぞは揉みくちゃにされ始めた。
「わわわわわ!」
 当然の如く、猫車が押し倒されて、河童が転がった。すると、その両目が開いたのだった。
「あれ、生きてた?」
「……生きてたわね」
 わかっててやっているもんだと思っていたのだが、天然だったようだ。これまで運んできた中にもそういうのがあったのかと思うと、少し罪悪感が湧いた。
 さておき、河童である。
「な、何じゃこりゃあ! ぎょえぇぇええええ!」
 状況が掴めていないようで、ペットの波間で踊らされている。お空も出て来たが、こうなっては下手に刺激したら河童が潰れる。
「んもう、お姉ちゃん! ご飯冷めちゃうでしょ!」
 ご立腹のこいしもやって来て、これはもうお手上げか。
 さとりはこの場を放棄して、それこそ食事に行ってしまおうかと思ったが、しかし、こいしが呟いた。
「おやや、いつぞやの河童ちゃんじゃないの」
「おわっ、おわあああ! 」
 歓喜のような、ただの悲鳴のような。
 そんな大声が、地下に響いた。


 目を覚ましたら毛むくじゃらの大群に囲まれていたのだから、さぞ怖かったことだろう。
 瞼を腫らした河童、河城にとりは、食事を取り始めてからようやく落ち着いたようだった。
 地霊殿の食卓は、十人は座れる大きさの卓袱台になっている。ここが庁舎だった頃はかなりの奢侈をしていたようで、他にも沢山、倉に転がっている。
 さながら貴族の古屋敷に住んでいるようなもので、何かにつけて陰鬱さが首をもたげる中、この立派な食卓に座るときだけは、ほっとした気持ちになるのだった。
 料理がそれぞれの取り皿に揃うまでの間にこいしから聞いた内容からすると、にとりは天狗に追われていたようだ。しかしさとりの知る範囲で、河童と天狗という話は聞いたことがない。
 あるいはそうした種族間のことではなく、個人的なことが原因なのだろうか。ややもすると、にとりこそが悪人である可能性もある。
 が、そんなことは心の読めるさとりにしてみれば、すぐにわかることだった。にとりもそれを知っているようで、ちらちらとこちらを窺っている。
 上座のさとりから時計回りに、こいし、にとり、お空、そしてお燐の順となっている。普段ならここで確実に食事を取るのはさとりだけだから、席順を決めたことはない。
 ただしこいしが一緒に食事を取るとなると、さとりの左手に座る。それを楽しんでお空がくっついて座り、という具合で、他の来客との場合はそれを挟んで、現在のような形になるのだった。
 なお他のペットらはというと、長辺が二十メートルはある食堂の好き勝手な場所で、餌皿にがっついている。
「河童ってハゲじゃなかったんだね」
「こら、お空っ、そんなこと言うもんじゃないって!」
 こいつらも他のペットと一緒にいさせた方が良かったかもしれない。
 もしにとりが自分から話を打ち明けた場合、かなり込み入った話になる。いっそつらつらと、こちらから言ってしまうのが思い遣りというものではないのか。
 そうだ、いつもならそうする。しかしこいしの前では、憚られた。妹にはもう、できないことなのである。
 さても困った客である、というのが適当な落とし所だった。ここは妹に仕切りを任せて、自分は食事を楽しもう。
 そう考えられるようになった矢先、ペット達が騒ぎ始めた。にとりが反射的に、肩を竦める。先程の珍事が後を引いているようである。
「お燐、ちょっと外を見てきてくれる?」
 この大根の炒め加減が……水気の切り方も! と、ご執心であるからして、ペットの扱いがぞんざいになる。
 そのペットは立ち上がろうとせず、何度か猫の耳の方を動かした。
「これって……風、かな? 変だなあ。お空、また何かした?」
 お空がぷるぷると首を振る。
 地下にも風はあるのだが、それは地上との寒暖の差で起こるから、外が夜になって気温が安定すると、風はぴたりと止んでしまう。そうした見かけ上の天気とでも言えるものも、灼熱地獄内の熱量が大きくなってからは、また少し変わりつつある。例えば、雪の粒の大きさだとかだ。お燐が確認したのは、そうした点についてだった。
 さて、お空に原因が無いとすると……。
 さとりはにとりの内側から引き出した情報から見当が付いていたが、それに加えて、こいしとにとりの様子を見てみる。二人とも、神妙な顔付きで窓の方を眺めていた。
 これはまず、間違いなかろう。
「お燐、急いで戸締まりしてきなさい」
 先程までのいい加減なものとは違い、完全な命令口調だった。こういう態度を取られると、お燐はほとんど無条件で、従う。
 自分も行くとお空は言ったが、彼女は少し、目立ち過ぎる。口の周りを拭いてやりながら、やんわりと却下した。
「お、お姉ちゃん?」
「……何?」
 珍しく、頼み事でもしてくれるのだろうか。お空に料理を取り分けてあげながら、言葉を待った。
「私、今日、にとりと寝る!」
 あはは、そっかー。
 お姉ちゃん、ちょっぴり寂しいなー。
 さとりのこめかみに青筋が浮いているのに気付いたのは、お空だけだった。


   ******


 天狗と河童の話し合いで、一つのことが決まった。
 誰か一人、身内を地下に置いておこう。
 往き来が自由になったことで、地下にいる鬼、星熊勇儀のことが気になりだしたのだった。
 最初の話し合いの席で、にとりは異を唱えた。勇儀は、山を返せと急に言い出すような鬼ではない。むしろ鬼とはそういう実直さこそが売りで、鬼の中の鬼である彼女は尚更だ。
 誰もが理解できる話だ。にとりはそう言って、しかしそう言えば誰もが納得すると思っている辺り、少女でしかなかった。
 ある河童は天狗と頷き合った。
「しかし我々は、鬼ではない」
 それが何だと言う前に、にとりは背筋に寒気を覚えた。転がるように話し合いの場から逃げ出した。

 仲間から、地下に行くのはにとりに決まったと聞かされたのは、三日後のことだ。

「それで落ち着かなくなっちゃって、麦電球を作ったりしてたんだけど……堪えきれなくなって、家を飛び出したんだ」
 別に鬼が嫌なのではない。しかし余りに話が急過ぎて、気持ちが追い付いていないのだった。
 こいしには、そういう機微がよくわからない。
 気持ちが追い付いても、結果が変わらなければ意味が無い。そう思ってしまう。
 自分が納得しさえすれば何でも堪えられるなどというのは、所詮は我慢できる程度のことしか経験していない者の言うことだ、と。
 いや、もっと言うのなら。
「我慢できて、凄いな。にとりは」
「ほえ?」
「……水を取ってくるよ」
 そう言い残して、こいしは自室を出た。

 ところが、気付くと建物の外に出ていた。お燐の戸締まりは抜かりが無く、暗い中で無理に開けようとして、勝手口の鍵を壊してしまった。
 その音で我に返ったのだから、無意識の領域が広いというのも、なかなか困りものだった。
「中に招いてくれるなら、もっと静かにお願いしたいもんですね」
「ごめーん」
 先日、川原であった天狗だった。やはりさっきの風は、彼女が起こしたものだったようだ。にとりを驚かせて、出て来させようとしたのだろう。
 彼女は自分のことを射命丸文と名乗ると、酒の席を用意してあると言って、踵を返した。
「私で良いの?」
「にとりさん以外なら、どなたでも良かったんです。事情をよくわかっていただく必要がありましたから」
 そのにとりの問題ではないのだろうか。
 あまり考えている暇は無い。今の鍵の壊れる物々しい音は、お燐などのペットなら、簡単に起きてしまうだろう。にとりを待たせたままであるのが気がかりだったが、今を逃すと、また夜中に出られるという保証は無い。
 文の隣に並ぶようにすると、彼女は嬉しそうな顔をして、歩き始めた。
 それにしてもこの時間に、どこで飲むというのだろう。
 その疑問は、旧都の路地裏に入った辺りで解けた。鼻をくすぐる、焼けた脂の匂い。暗がりを照らす、提灯の明かり。
 屋台ののぼりにはヤツメウナギの文字があった。
「そっか、冬が旬だもんね」
「ええ。無理を言って、地上からここまで出張してもらいました。何せ接待の相手が相手なもので」
 ならもっと声を落として言えばいいものを、彼女にも思うところがあるのだろう。
 先にのぼりのしたを潜っていた先客が、顔を、いや角を出した。
「早かったじゃないか。てっきり、一騒動起こしてから来るもんだと思ってたよ」
 向こうは覚えが無いかもしれないが、こいしは何度も目の前を通って、顔を見ている。
 星熊勇儀だ。口には串が刺してあって、こいしを見付けるや、その串がぴょんと跳ねた。
「おや、そっちがあれの妹か……ずっと垢抜けた顔してるなあ」
「お姉ちゃんは良い子だからね!」
「はは、それじゃお前は悪い子か。どれどれ、ここに座れ」
 自分の隣の椅子を叩いて、こいしを促す。文はそのまた隣に座り、ようやく店主の顔が見えた。
 妖怪なのだろう。羽根が割烹着の隙間から生えていたが、本人は焼くだけ焼くと、屋台の外に出てしまった。
「地下の暗さが珍しいんだとさ」
「なるほど、夜雀の第二の故郷ってところですかね。メモっておきましょう」
 他愛の無い感じで話してから、グラスを傾ける。こいしもしばし、文の接待に応じていた。
 勇儀も勇儀で、妹から見て姉はどうかなど、取るに足らないことばかり聞いてくる。むしろ聞きたそうなのは文の方で、楽しくなってきたこいしは、酒が進んだのだった。
「ときに天狗よ」
「はいはい?」
「私ら鬼は、そんなに信用できないものかね」
「……聞かずとも、よくご存知では?」
「かもしれんねえ」
 ついでのような話し振りだったが、端的にお互いの関係を露わにしていた。
 鬼が実直なのは間違いがない。だからそれだけ、周りは間違いを畏れる。こればっかりは理屈がどうこうではなく、生存に関わる、文字通りの死活問題なのだった。
 派手な着物に引っ掛けた半纏の袂を直し、勇儀が手酌をする。
 こいしと目が合うと、ふと気付いたような顔になった。
「何でここに連れてくるように仕掛けたんだ? お前が行けば済む話じゃないか」
「逃げ場をあえて用意しておくのも、追い込むコツでして」
「本気で言ってるなら最悪だし、冗談で言うようなことでもないさな」
「ま、ま、ここは越の誉の大吟醸でもどうです?」
「ふん、こりゃまた随分、屋台で飲むには勿体ないもんを持って来たもんだ」
 口ではそう言いつつ、ちゃっかり酌を受ける。
 こいしは話を聞きながら色々と考えてみたが、どうも勇儀は今回のことに乗り気ではなさそうだった。言ってみれば目付役が置かれるようなものだから、それも当然ではある。
 一方、文の熱心さはどうしたことだろう。こんな夜中に、それもつい先日までは足も踏み入れられなかったような場所に来て、立ち回っているのだ。
 こいしが腰を上げたのは、文の酌を一杯、受けてからのことだった。
「しばらくあの子、そっとしておいてやって」
 にとりのことである。文はにやついた顔をして、頷いていた。
 路地裏から抜けるまでの間ずっと、こいしは勇儀の流し目を背中に感じていた。

 ガンガンガン。
 翌朝、あの程度で二日酔いでもなかろうに、耳の奥が痛んだ。
 ガンガガンガンガガンガン。ギュインギュインギュギュギュギュイーーン。
 ああ、実際に音が鳴っているようである。廊下の方から、ひっきりなしに騒音が聞こえていた。

 昨日は結局、服を着たまま眠ってしまった。隣で寝ていたはずのにとりの姿は、無い。
 さては、と廊下に顔を出してみれば、案の定、騒音の原因はにとりだった。
「あっ、おはよー」
 にとりが廊下の壁のある部分に、体を半分ぐらい突っ込んでいた。元から埋め込まれていたらしい何かの設備が、見事に分解されていた。
「この建物、温熱設備とかに対応してたみたいなんだよ。だから基部や煙管にちょっと手を入れれば、灼熱地獄の余熱を上手く循環させられると思うよ」
「へえー」
 よく理解できなかったが、熱が上手くやり繰りされるのは何となくわかった。寒くなりやすい場所に多く、暑くなりやすい場所に少なく、熱を行かせることができる。その恩恵を想像するのは容易であった。
 しばらく作業を見守っていると、じきに開いていた機械部の蓋を閉めて、ばんと叩いた。
 ごうんごうん。壁の奥で、音が響き始める。
「あ、こういう音がするのは動かし始めだけだから。熱が流れ始めれば、じきに止むよ」
「そういう話はお姉ちゃんにしてくれると、手間が省けると思うなあ」
「げげ……しまった、やること自体、まだ話してなかった」
 本当に騒がしい朝になりそうだ。
 こいしは顔を洗いに向かいながら、頬を弛めていた。


 地霊殿の工事が完了したのは、三日後のことだった。その間、そこかしこで気流が噛み合わないままに駆動音が響き、さとりの愛して止まない静寂は、一分と長持ちしなかった。
 作業中にペットが紛れ込んだりして鳴こうものなら、建物中に声が響いた。お空はすっかり出来上がった気分になっていて、こいし様がいる間は暖かく過ごしてもらうんだと、聞く分には殊勝なことを言っていた。私のコレクションがどうたらとお燐がぶつぶつ言っていたが、さとりはあえて無視した。
 しかしそんな日々も、これで終わりである。
「あと五秒っ! 四! 三! 二!」
 音が止むまでの時間を計算していたとかいうにとりに従い、ペットらも揃って、カウントダウン。
 かくして、その瞬間。ぴたりと音が止んだ。
 何とも言えぬ解放感が皆に行き渡り始めた頃、徐々に室温が以前よりも快適になっているように感じられた。
「成功だ!」
 にとりに変わって、こいしが叫ぶ。さとりはその様子をしばらく眺めていたのだが、やがて、昼寝をするからと立ち去った。
「付き合い悪いなあ、お姉ちゃん」
「……良いお姉ちゃんだよ?」
「うん?」
 妙にしゅんとした言い方に、こいしが首を傾げる。
 この工事が終わったら、今度はこいしが、にとりの部屋を用意してあげるつもりだった。
 それなのに、
「それじゃ、私は帰るよ」
 にとりは帽子を脱いで、改まった。
「な、なんで? やっぱり、地下は嫌?」
「逆だよ。元々、そんなに嫌いじゃなかったんだ。それと、工事は恩返しのつもりだったんだけど、その間に思い出したんだ。私、山の友達に、じゃあね、って言ってない」
 友達という単語に、頭がガンと鳴った気がした。そんな人のこと、考えたこともなかった。
 このまま流れに任せて、にとりと一緒にいられるものだとばかり考えていた。
「ま、どうなるかわかんないけどさ、こっち来たら、またよろしくね?」
 それは嬉しいことだったが、にとりが選んだことだ。こいしはこいしのままで、いただけだった。
 姉は気付いていたのだろう。
 こいしは帽子で顔を隠して、こくこくとにとりに頷いていた。

 そしてにとりが地下に下りてくることは、もう無かった。


   ******


 昼寝のつもりが、翌朝まで寝てしまった。それも早朝の五時半だなんていう、かなり中途半端な時間である。
 さとりはしばらく顔を洗いにもいかず、本当に静かになってしまったらしい環境の中で、思考を巡らせていた。

 最初ににとりの心を読んだ上で、あの風が吹いたとき。わかったことがあった。
 話し合いの結果とかいうものは、十中八九、ふっかけである、と。
 大体、河童が逃げ出したことにすぐ気付いた癖に、追いかけ方が無様過ぎて、片手落ちである。あの風にしたって天狗の仕業なのは明白で、ならばさとりに直談判して、河童を連れ帰れば済む話だ。そうしなかったのは、さとりに心を読まれたくなかったからに間違いなかろう。
 それに、あの河童の科学的な嗜好である。先日のお空の騒動のときのことを踏まえて考えてみれば、色々なことが推察できる。
 今回のことは天狗と河童らの生活の安定のためとか銘打っていたようだが、むしろ、もっと広範な考え方をしていたようだ。つまり、にとりが自分からすすんで地下に下りてくるような事態を、避けようとしたのだろう。
 実際、にとりの心には地下に下りることそのものへの罪悪感が強く、研究熱心につっかえ棒をしていた。あれが無理に外されるようなことがあれば、誰も止められないだろう。お空も好き勝手に弄り回されたかもしれない。
 にとりは、関係者の緊張感を適度に抜くための役目を担わされたのだ。鬼が変に関わってこなかったのも、河童を心底、不憫に思ってのことだろう。
 天狗が苦慮したと思われるのは、極力、自分以外に全容が掴めないようにしていた辺りだ。そんな策士に目を付けられたにとりも、可哀想といえば可哀想なもの。今頃は気が抜けてしまって、川に流されているかもしれない。

 しかし本当に可哀想なのは誰かといえば、こいしだった。

 そういえばさっき、十分ぐらい前か。
 夢を、見ていた。

 泣いているらしいこいしに声をかけようとしたら、突然目の前から消えた。
 すると、いってきますの声が聞こえて、さとりは振り返ったのだった。

 そこで目が覚めた。
 ああ、あれは夢だったのだなあ、と、今更のように思い返す。あの子の声が聞こえるわけがないのである。

 顔を洗うために、のろのろと部屋を出る。そこにお燐が、慌てた様子でやって来た。
「あら、貴方も早いのね。どうかしたの?」
「それが、さとり様! またこいし様が置き手紙をして出てっちゃいましたよ! んもう、折角快適になったんだから、もっとのんびりしてれば良いのに」
 いつもならここで、朝っぱらからやかましい、声を出さなくても聞こえている、という具合で怒るのだが。
「……いつ出ていったの?」
「ああ、どうもお空は、ちゃんと挨拶できたみたいでして」
 つい、十分ぐらい前のこと。
 いってきます、と出て行った。

 さとりは顔を隠し、洗面所に走った。

 こいしは今頃、友達求め、ぶらぶらと。
 地上の朝陽は、目に痛い。