小悪魔改造計画〜はしたない女は嫌いですか〜

一つ、本を読む邪魔をするな
二つ、本を読ませろ
三つ、本をくれ

以上が小悪魔が図書館で働くにあたってパチュリーが最初に命じた司書三大原則である。一つで充分だという当然の突っ込みもせず、小悪魔はよく働いた。だが、知らず知らずの内に理不尽な命令が彼女を追い詰めていたのだろう。パチュリーが彼女の悪癖に気づいたときには、もう手がつけられないほどになっていた……。

「マグネシウムのごとく激しく燃え尽きようとする恋、しかし魔理沙様はただの魔法使い、パチュリー様は魔女。そんな葛藤の中で、ある日に魔理沙様と二人きりになったパチュリー様はとうとう決心をしたわ……そしてこう告げるの」

パチュリーが読み捨てたままに積み上げられた本の上に座る小悪魔の口上に、他の者達が固唾をのんで聞き入っている。明かりは小悪魔の持つランプ一つ。その灯火が揺らめいた。

「『あなたは私の心に栞を挟んでしまった』」

その明らかに消費期限が過ぎて腐臭すら感じ取れる台詞も、今この場にあっては最高の玩具である。周囲に集まっていた十名ほどの司書のある者は嬌声を上げ、ある者は目を潤ませ、ある者は股に手を遣り、ある者は他の者を押し倒す。

小悪魔はというとそんな周囲の阿鼻叫喚すら眼中に無く、無限に連なる棚の遥か先へと視線を泳がせていた。

「楽しそうね?」
「ええ、とっても!」

小悪魔が後ろに浮かぶパチュリーに気づいたのは、図説処刑全書完全版の背表紙で脳天をかち割られた後だった。


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「まったく、後輩に変なこと吹き込まないの!」
「だって、だってぇー!」

かれこれ二時間ほど説教を喰らっているというのに、小悪魔は落ち込むどころか、ああ、こんな厳しい口調のパチュリー様も魔理沙様の前ではめろめろなのね、そうなのよ、そうに違いないわ! と想像を膨らませるばかりで、逆効果であった。現実逃避をする分には可愛いもんだで済ませられるが、現実を題材にした上に現実に想像を持ち込まれると可愛いどころか殺意すら覚える。

しかし、そこはパチュリー。小悪魔に対する愛の深さは余人には計り知れないのだ。ほら、彼女の心の声を聞いてごらん。

『だめ、だめよパチュリー! ここでこの子を殺したらまた本の場所がわからなくなっちゃう!』

聞かなかったことにしてください。

パチュリーは、あふんだのはふんだの叫び一人で盛り上がっている小悪魔を、去勢された種馬を見るような目で冷ややかに眺め、なんとか平静を保つと、かねてより考えていた小悪魔改造計画を実行に移す決意を固めたのだった。

本を読んだまま眠りこけ、夢の中ではまた別の本を読み、起きた後は夢の中で読んだ本を探し回るような自堕落極まった輩にそんな決意を固めさせるのだから、小悪魔も大したものだ。

「そんなに盛り上がりたいなら、自分でやってみれば良いじゃない」
「それって、私と魔理沙様とパチュリー様との三角関係ですかっ!? ああ、想像しただけでお嫁に行けなくなっちゃいそう!」
「誰も悪魔なんか嫁に取らないわよ!」
「がーんっ!」

擬音を口に出すぐらいだからふざけているのかと思えば、小悪魔は本当に未来に絶望したらしく、しなりと体を横にすると、床に『の』の字を指先で何度も描きはじめる。

『私は、大きくなったら、金持ちのボンボンをダマして大きなおうちに住みたいです。でも、わざとそっけなくして、フリンに走らせたいと思います。そうすれば、その人が死んだ後、もっと地獄が潤うからです。』

以上、愛欲者の地獄区立小学校三年九組当時の小悪魔の作文(地獄全区作文コンクール・ロタン部門銀賞)より抜粋。

「あなたも悪魔なら、少しぐらい実践なさい。私や魔理沙以外でね」
「そんな人、いましたっけ……」
「いるじゃない。身を焦がすほどの情欲に駆られながらも主従関係に縛られ、日々自分を慰め、傷つくしかない哀れな子犬が」

パチュリーの目に、悪魔が宿っていた。


******


十六夜咲夜は不満だった。何が不満か。自分がだ。

愛して止まないレミリアにその心中を告げることもできず、彼女の我儘に振り回されることで偽りの満足を得、それでも止まぬ恋患い。ふざけすぎた季節の後で、今日も恋に恋するのである。

そんな折、珍しくパチュリーから手伝いの頼みを受けた。小悪魔が休日であったり、大規模な棚の整理をする際、パチュリーのお茶や食事の世話をすることがたまにあった。今回もそうなのだろう。そう思い、図書館に出向いた所、のっけからそれを否定される。

「小悪魔がね、部屋から出て来ないのよ」
「はあ、こんな年中変わり映えの無い場所で、五月病ですか」
「失礼ね。小悪魔だって女の子なんだから、たまにはそういうこともあるでしょう。一応は上司の私じゃ相談になってあげられないから、あなたに頼みたいのよ」
「他の司書に頼んだらどうなんですか。仲の良い子ぐらい、いるでしょうに」
「昨日、小火《ぼや》があってね。その後始末で大変なの。云いたいこと、わかる?」
「……かしこまりました」

性質の悪い魔道書が火を吹いたり、その相手で被害が出たり。そんなことはしょっちゅうある。咲夜はやれと云われれば嫌と云えない自分に歯噛みをしつつ、とぼとぼとパチュリーに教えてもらった小悪魔の部屋へと向かった。

方向音痴とは無縁の咲夜は、五分後には目的の場所の前に到着した。ドアには穴の空いた表札が引っ掛けられていて、そこには『小悪魔のお部屋』という、果たしてこれで用が足りるのか疑わしい内容が丸文字で書かれていたが、よくよく思い返してみると、他に小悪魔という名称に該当する者もおらず、咲夜は疑問もそこそこに、ドアをノックしたのだった。

どうぞ、という言葉を受けて、咲夜はドアを開ける。部屋の中は特別変わった所も無く、古い木で統一された質感が、居心地の良さを感じさせる。意外にも本棚の類は無く、考えてみれば外で本と文字通り格闘して疲れた後、自室でも本を見たら発狂してもおかしくない。

それでも全く本が無いわけではなく、残った仕事か趣味なのか、隅の机には何冊かの本と原本、それに写本が置かれ、インクの匂いが気だるい雰囲気を醸し出している。

「咲夜様、どうなさったんですか」
「それはあなたよ。何かあったの?」
「いえ、それが、朝に着替えをしていたら、眩暈がして……」
「どれどれ」

ベッドに体を横たえたままの小悪魔に近寄った所で、咲夜の動きが止まった。小悪魔はワイシャツいっちょで寝ていたのだ! うっ、うぐ!! より安全な一日を望むこの十六夜咲夜がっ! この咲夜がぁあああっ!!

「ああ、すいません、昨日、疲れてこのまま眠っちゃったんです。汗臭いでしょ?」

そんなことを云うな! 吐き気がする! 咲夜はそう心で叫ぶが、云われてしまえばそれまで意識していなかった臭いにまで鼻が反応する。布団の中で小悪魔の柔肌に暖められた空気と共に、咲夜の鼻が刺激される。

何だこの女、誘っているのか……いいや、こいつ、狙ってやがった、これを狙っていたんだ……!

ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド !

波紋疾走でも指先から迸りそうな勢いであったが、咲夜は瞬間的に時間を止め、なんとか平静を保った。その間にタオルを用意し、時間が動き出すと、彼女の体を拭う。

そうよ、意識しなければ大丈夫。同じ女だもの。そう自分に云い聞かせながら背中を拭き終えると、今度は前に手を伸ばそうとした。

「あ、良いですよ。それぐらい自分でやりますから」
「何を遠慮してんのよ」

こっちが意識しないように努めてるんだから、あんたも意識しないでよ。咲夜の言葉は口に出されることはなく、小悪魔は小ぶりの翼を小刻みに動かしながら、ベッドから立ち上がった。が、そこで彼女の姿勢が崩れる。咲夜は咄嗟に小悪魔を支えたが、そのままベッドに倒れこんでしまった。

「すいません、また眩暈が……あっ」

あっ、じゃないわよ、何胸を押し付けてるのよ、しかも私よりも……。

ちくしょう……ちくしょう……ちくしょーーーーーっ!

今度は思い切り我を忘れることによってなんとかこの場を切り抜けようとする機転の利かせようだったが、パチュリーの授けた十重二十重の策から逃れることは不可能。何がこの策の恐ろしい点かといえば、それは咲夜が無理に時間停止を行って逃げ出せば、今後ずっと気まずい関係が続くというペナルティが発生するという点だ。自分を犠牲にしてでも館内の風紀を乱すまいとするANEGO的精神……それこそがこの策の狙い目なのだった。

「咲夜さん、私よりも疲れているんじゃないですか」
「えっ?」
「だって、こんなに枝毛が……」

小悪魔がさわりさわりと優しく咲夜の髪を撫でる。その手先は床屋見習いが剃刀の練習をするがごとく、指先にまで細心の注意が払われた、まさに髪技。小悪魔の細い指が咲夜の髪を梳く。どういう空間の繋がり方をしているのか、窓からは陽射しが射し、小悪魔の顔に魅力的な影を作ってい、咲夜はそれを見上げる。

見上げる姿勢というのも不思議なもので、ただ普段見ない角度で相手を見ているだけなのに、それだけで相手を意識せずにはいられない。

「少し、ここで私と一緒に休んでいきませんか。一人でいるのは……」

来る。来る。来ちゃう。来ちゃいますよ。咲夜は必死で抵抗したが、やはり言葉にならない。

「寂しい、です」

ベッドが大きく軋んだ。


******


パチュリーはドアの隙間から顔を離した。やり過ぎである。本来であれば、盛り上がったところで「お茶を入れたわよ、あら、お邪魔だったかしら、ごめんあそばせ!」などとわざとらしく叫んで闖入するという隣の晩御飯的企画だったのだが、その機を逸した今となっては、どうすることもできない。

あー、やだやだ。やればできる子なんて大嫌いだ。やりすぎちゃうから大嫌いだ!

パチュリーが後ろにいたレミリアに気づいたのは、ドアごとデーモンクレイドルをかまされた後だった。