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払食

梅雨明けである。これから夏の終わり頃までは何かと忙しいはずなのであるが、八雲の紫にしてみれば「お盆、祭、台風」のどれかが引っ掛からない限りは暇で暇で仕様が無かった。

それでも梅雨明けから三日間までは紫も大人しかった。山登りに出た人間が迷い込んだだのセミにしょんべを引っ掛けられただの、橙が何かと騒ぎ立て、それを藍がうんうんと聞くという光景にそれなりに微笑ましさを覚えてもいた。

とはいえ、梅雨明けである。暑さは鰻上り。見る景色は緑に染まり、影も濃い。たまに見る分にはと紫もそれなりに我慢はできたのだが、三日が過ぎた頃には厭き厭きしてしまった。スキマ伝いに外へ行ってはみても、どこも似たようなものである。それに、帰ってきたときのことを考えると出かける気さえ失せるのであった。

「どこか連れてって、ねー、連れてってー!」
「とりあえず屋根の修繕が終わるまで待ってください」
「そんなの後でもできるでしょー!」
「後ではできないから今やってるんですよ!」

駄々っ子のように藍を相手に屋根の上でごねる紫である。どこかに行くだけなら紫一人であれば勝手も利くのだが、そうしたところで疲れて帰って来るだけだ。収穫がある日などほとんど無い。それならば藍にでもどこか引っ張り出してもらえば楽しいだろうという、正に他力本願ここに極まれりという心である。

「紫様、瓦を」
「はーい」

橙が見回りという名の山遊びに興じているため、紫が手伝いである。紫はスキマから庭に置いてある瓦を手に取った。そのとき、ふと屋根の様子が目に留まる。色褪せた古い瓦は直射日光を浴びて色を取り戻すかのようで、触れれば熱く、見るだけで暑い。紫はあまり暑さを気にしない口ではあるが、見ていて気分の良いものではなかった。

一頻り屋根を見渡すと、藍を見遣った。いつも着ている衣服の裾を襷掛けにし、頭には手拭をかけ、尖った狐耳だけが露出している。それはそれで様になっていて、彼女の主人である紫にしてみれば頼もしく思えた。だが、問題はある。尻尾だ。なんせ九本もある。おまけにふさふさのふかふかである。太陽に当てられた尻尾は輝き、嬉しそうにふわふわと毛を躍らせている。

――見ているだけで殺意を覚えた。

何故に九本もあるのか。九尾だからだ。堂々巡りの考えで苛立ちは高まり、日傘を持つ手には力が篭る。そして紫は手に持った瓦を藍に投げ付けた。

「ぶはぁっ!」

藍は見事なやられ声を上げると、そのまま屋根から落下する。どうやら後頭部に直撃したらしかった。もし手拭が頭に巻かれていなければ、間違いなく昏倒していたことだろう。さしもの紫も自分の仕出かしたことに後悔を。――

「これでどこかに行く気にもなったでしょ」

――後悔を全くしていなかった。さて、藍はどこに連れて行ってくれるのだろう。山から帰ってきた橙が顔中血塗れの藍を見つけて騒ぐまで、紫は日傘を嬉しそうに回しながら、想像に胸を膨らませていた。


******


「それでここに来たのね」
「もっとマシな所が良かったわ。涼しいから良いけどね」

あらそう。そう云うのは幽々子である。紫の軽口に気分を悪くするでもなく、幽々子は妖夢に冷たい茶を用意するよう命じた。藍が橙に手伝うように促したが、幽々子がそれを止めた。それを見た紫が口を挟む。

「いいわよ、お土産もあるから。藍は橙と一緒に手伝ってきなさい」
「お土産?」

その言葉に幽々子が目を輝かせたように紫には見えた。彼女は土産が鰻十匹だと答えると、藍によろしくするように命じ、居間には紫と幽々子だけが残ったのだった。

「嬉しいわ、鰻だなんて久しぶりだもの!」

幽々子が手を叩いて喜んだ。妖夢はどう作るのかしら。鰻重? それとも……。嬉しそうに語る幽々子の声は勝手場に向かう妖夢達にも聞こえていた。

「大変そうだな」
「いえ、幽々子様はああでないと」
「ふむ、主人に瓦を投げ付けられない限りはそうも云えよう」
「投げ付けられたんですか」

苦笑いを浮かべる藍の傍らで、惨状を思い出した橙がショックのあまり涙を目に浮かべた。一方、居間も居間で、卓を挟んだ紫と幽々子の間では、好ましくない空気が流れていた。

「……妖夢なんて近頃じゃ私が云ってもいないのに、五人前の御飯を出してくるの」
「それは食いでがあるわ」
「霊夢とかが遊びに来ても、必ず一升瓶を抱えてくるし……」
「結構なことね」
「結構じゃないわよ!」

突然の幽々子の大声に紫が慌てた様子は無い。夏の景色同様、彼女には慣れたものだった。

「あなたも変なキャラが染み付いちゃって大変ねぇ」
「本当にそうよ……私だって上品に食べたいけど、あの量じゃそうもできないのよ。それに妖夢は私が食べ終わるまで自分の分に箸を付けないのよ? あれはきっと私が食べ終わって、美味しかったっていうのを楽しみにしてるに違いないわ」
「それはあなたの食いっぷりを見たいからなんじゃない?」
「それよそれ! それが問題なのよ! 私だってお嬢様なのに!」

紫はスキマから細長い煙筒を取り出すと、それに葉を詰め、火を点けた。紫は思う、また始まった、と。幽々子のお嬢様かくあるべしの論は彼女が周囲に見せる様子とはかけ離れているのだった。ここの所、二人っきりになると先ず間違い無くこの話題が出ていた。

「そもそもの事の起こりは何だったかしらね」
「ほら、私と妖夢で竹林の屋敷に行ったでしょ?」
「ああ、はいはい」

妖夢達が戻ってくるまでが勝負である。紫は何度も聞いて覚えているにも関わらず、幽々子の話に耳を傾けた。時間稼ぎのためだ。そうとも知らず、いや、知ってか、幽々子は自分の鬱憤を晴らすために、話を続けていく。

「あのときの私はどうかしてたのよ」
「そうだったの?」
「妖夢とお出かけするのなんて久しぶりだったから」
「はいはい」
「良い所を見せようと思って」
「なるほどねぇ」

相槌と問い掛けを適度な間隔で出していくことで、紫は幽々子の気持ちを晴らしていく。そのつもりだったのだが。

「でも、あなたから大食らいを取ったら、頭のぐるぐるしか残らないじゃないの」

ついそんなことを云ってしまった。もっとも、それも仕方の無いことである。なんせ幽々子は話の合間に必ず、菓子は桜の花びらを挿した寒天に限るだの、口を指二本が入る以上に開けるとはしたないだの、一々に身をよじらせながら語ったのだから。これでは聞いている側が辛いというもの。紫の言葉を気にして件の頭のぐるぐるを触る幽々子であるが、それを気にした様子も無く、紫は続ける。

「あなたはね、こう、のらりくらりとかわしながらぐわっと食う、云わば蝶の様に舞い蜂の様に刺すイメージなのよ、一般的に。おしとやかに見えて、大食らい。そこが可愛いんじゃないのよ。そのイメージを何年かけて築いたと思ってるのよ。私なんて胡散臭いよ、胡散臭い。ましてや足臭い。ゆあきんゆあきんだなんて、それ何語よ。スターウォーズにでも出てきそうだわ。そんな風に云われるのに比べたら、あなたのモハメド・アリ的なイメージは歓迎されるべきよ、え? わかってるのあなた、ねぇ?」

煙を吐き出しながら、同僚を励ます振りをして愚痴に突っ込みまくるようにする紫である。こういうことを云う場合、その人物は大概、自分はそうじゃないだの、お前よりは秀でているだの内心でちょびっと思ってたりするので注意が必要だ。ちょびっと。

「そう云えば聞こえは良いけど、食虫植物と変わらないじゃないの」
「食虫だろうが食中毒だろうが、植物は植物よ! 云わばあなたはラフレシアよ! 腐っても花なのよ! この業界、花も咲かせられずに枯れるのが何人いると思って?」

一挙に云い切ると、紫はぶはぁと煙を吹き出した。その様にある種の絶望を覚えたらしい幽々子は、急に大人しくなったのだった。紫も気の毒に思えたのか、声音を抑えることにした。

「でもまぁ、自分のイメージを崩すのも大事なことよ。私は応援するわ」
「ほ、本当!?」
「長い付き合いじゃないの。私が嘘を云ったことがあったかしら」
「……月に三度ぐらいは」
「ああ、そう。どうやら私の可愛いゆゆちゃんはどこか遠い星に旅立ったようね。お邪魔したわ」

たん! 音を立ててスキマに煙筒から火を落とすと、紫が立ち上がった。幽々子は今にもスキマから帰ろうとする紫を引き止めようと、慌てて自分も立ち上がった。

「待って、待って!」
「何よ、触らないでくれるかしら」

冷たくあしらわれて、幽々子がとうとう泣き出した。紫は幽々子がごめんなさいと足に縋りつくまで、態度を変えようとはしなかった。

「まあっ、ゆゆちゃんじゃない! そんなところでうずくまって、何をしてるの!?」

わざとらしい口調である。なんて可愛いのかしら! 扇子で隠した紫の口元には笑みが浮かんでいた。

紫は席に座ると、再び取り出した煙筒を吸い始める。幽々子は袖で涙を拭いながら、自分の席に戻った。その段になって騒ぎを聞きつけた妖夢がやっと居間に姿を見せた。

「あら妖夢、御飯の支度が整ったのかしら」

幽々子の変わり様に紫は煙で咽た。幽々子の目元には涙の欠片も無く、先ほどまで曲がっていた背筋は真っ直ぐに、それでいてどこか大らかささえ漂わせているではないか。

恐ろしい子……!

紫が背中を叩いてくれていた妖夢に礼を云うと、幽々子が用件を訊いた。

「何やら居間が騒がしいので」
「もう、妖夢ったら。私が鰻料理を楽しみにしているのを知ってるくせに」
「あはは、そうですよね。あまり手の込んだものはできませんので、鰻重にしました。もう少しで出来ますよ」
「楽しみだわぁ。ああ、山椒の香りまで漂ってきそう!」
「そんなに楽しみになさっていたとは……幽々子様のものは二箱用意しますね」
「お願いね」

この間、紫は声も出せなかった。苦笑いを浮かべながら、幽々子と妖夢の微笑ましい会話を胡散臭そうに聞くのが精一杯だ。そして妖夢が失礼しましたと云って襖を閉めると、幽々子が青ざめたのだった。

「……二箱だって」
「ええ、二箱って云ったわね。もしかしたら三箱用意するかもね、あの調子だと」

もう知ったことかとばかりに紫は目を伏せて、煙草を吸うことに専念しようとした。それでも幽々子のことは気にかかり、表情を窺っていると、段々と表情が崩れていき、じきに幽々子は泣き出したのだった。

「失礼します」
「あら、何かしら」

再び妖夢が現れ、幽々子は笑う。大魔神のような表情の切り替えの早さに紫がまた咽た。妖夢は先ほどと同じように紫の背中を優しく叩きながら、幽々子に用件を云った。

「藍様に幽々子様がとても楽しみにしていたと伝えたら、自分の分をどうにかしてでも幽々子様に三箱用意しようと云い出しまして」
「それは嬉しい心遣いだわ! 紫、良いわよね?」
「ええ、構わないわ。藍には橙と分けてもらえば良いわよ。どうせ帰ったらあの子はまた何か作るんでしょうしね」

そうですか。主人の喜ぶ顔が見れたからか、妖夢は勢いよく頭を下げると、襖を閉めた。妖夢が遠ざかっていく足音が聞こえなくなると、再び幽々子が青ざめる。勘弁してくれ。紫は今までに無い量の煙を吐き出した。

「どうしよう!」
「あなた、わざとやってるでしょ!」
「だって、だってー! 妖夢のあんなに嬉しそうな顔、見たでしょう!?」
「それであなたが悲しんだら、私が喜べないじゃないのよ!」

しまった。紫は思わず頭を抑えた。咄嗟の事とはいえ、自分ともあろうものが無闇に本音を曝け出すとは。目の前では涙が流れていることも忘れた幽々子が紫の言葉に呆けていて、紫には気まずさばかりが目立った。

「ね、今の本音よね?」

幽々子が卓に身を乗り出して訊いてくる。紫は顔を逸らして、照れ臭さ半分、悔しさ半分、煙を何度も吐き出す。そうしてようやく落ち着くと、幽々子と面と向かったのだった。

「私が嘘を云ったことがあったかしら」
「無い無い! 一度も無いわ!」

そうして、二人の顔に笑顔が浮かんだ。しかし、鰻重が来るとまた紫の気分が騒いだ。

幽々子は三箱をぺろりと食べてしまったのだ。

「この嘘吐きぃ! 一生恨んでやる!」
「止めてよぉ! 泣いたからお腹が空いたんだものぉ!」
「きいいいいいいいいいいいいい!」

居間と襖は見る影も無く穴だらけ。それでも構わず紫は幽々子目掛けて弾を吐き出し続ける。

妖夢と藍、それに橙には、二人の間に何が起こったのか、わかるはずもなかった。