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かみさび

 美徳。
 美徳。美徳。
 何度も同じ文字を地面に書いて、洩矢諏訪子は手に持った枝の動きを、止めた。
 徳。その意味は、自身を省み、心を高められることをいう。これに美が付いて美徳となるのは見た通りだが、美しいかどうか判断するのは見る側の判断である。
 そして八坂神奈子という神は、諏訪子には美しく思えるのだった。
 これまでの何世紀にも及ぶお互いの関係を考えると、自分でも嫌みったらしいものが自身の思索に含まれているのではと疑いたくなる。客観すれば、あれは侵略者以外の何者でもない。しかしこれには反論もできて、侵略者を受け容れるかどうかの判断は、民衆に委ねられる。
 そこいくとやはり、長いこと諏訪子に代わる神として崇められ続けた神奈子は、美徳の持ち主だったと言えるのだろう。
 まず、人の意見を聞き入れる。これだけで、凡庸な人物すら明君になるのは、歴史も証明するところである。神の場合は人間よりも寿命的な面での心配が無いため、聞きたくないことを聞けるかどうかは、後々で大きく違ってくる。
 慎みもある。昔はよく、暇になった諏訪子が膝を出して遊んでいると、もっと奥でないと人目に付くといって、気遣っていたものだった。

 考え、考え。
 諏訪子は枝を繰っている。
 そしてしばらくしてあるものを書き終えてから、ため息と共に呟いた。

「むふうっ、神奈子はかわいーなー」

 ハートマークが、でかでかと足下にあった。


 幻想郷に来てからの諏訪子は、かなりとち狂っていた。いや、元からかもしれないのだが、あえてそう書く。はばかりがある。
 例えば、日記帳がある。その表紙(心の)には、「私と神奈子のセカンドラブ」とかいう、痛々しいタイトルが書かれている。
 なおこの日記帳は、その体裁を交換日記としている。人目に付かない形で、神が二人いる状況の整合を取る、という名目で、かなり昔からやっている。
 そこに諏訪子はことあるごとに、
「あの髪飾りは神奈子に似合うはずだ」とか「今度、一緒に川遊びをしよう」だとか、書いている。
 が、真に凄まじいのは、実は神奈子が担当している方の文面である。
「あまり派手な格好をすると早苗に悪い」とか「まだ水が冷たいから、体力を付けてから」だとか、赤ペン先生なみに丁寧な回答が行われている。
 なお、一般人がこれを読もうと思っても、あまりに達筆、その上に漢文同士なので、まず読み取れないはずである。
 ふと足音が聞こえて、諏訪子は慌てて、地面のハートマークを足で消した。
 現れたのは、誰あろう神奈子だった。快晴の空の下に深い影を伴って、歩いてきた。基本的に仏頂面なのだが、機嫌は悪くないようだ。いつもより髪がよく梳かれている。
 と、さも当たり前のように諏訪子が髪に指を通す。慣れたものなので、神奈子は構わない。
「やっぱり、行こうと思うんだ」
 諏訪子の手の動きが止まって、神奈子は表情を曇らせた。
「あの地獄烏のとこ?」
 二人で八咫烏を突っ込んでやった、旧灼熱地獄の少女のことである。
 神奈子が鳥居の方を見遣りつつ、答える。
「なんか大変だったみたいだし……早苗もまたやられちゃったじゃないの。様子見に行くぐらい、良いでしょう?」
「駄目って、何度も言ってるでしょうが」
「いや、でも……うん」
 曖昧な反応だが、ここは諏訪子に譲ってくれたようだった。この話をするのはもう四度目ぐらいで、凡そ三週間に渡っている。
 そんなに気がかりなら一人でささっと行ってくれば良いのだが、律儀に諏訪子に断りを入れては、にべもないことを言われている。
 そうすればそうしただけ気がかりになるというものだが、それについて諏訪子なぞは、
「それもまた可愛い」
 どじっ子メイドのご主人のような境地に至っていなければ言えないようなことを、口にするだろう。
「やっぱり早苗にでも頼むかなあ」
 その何気ない一言が、境地から諏訪子を帰還させた。
「何でよ?」
「え、何で怒ってるの?」
「質問してるのは私。何でよ?」
「いや、だって、私が行くのが駄目なら、早苗しかいないでしょう?」
 行くのは大前提なのだと、ここにきて初めて、諏訪子は知った。
 その上、重大な問題があった。
「何で私が含まれてないのさ!」
 珍しく諏訪子の大声を聞いて、神奈子があとずさる。そこへ更に、諏訪子が詰め寄った。
「私は神奈子が行くのが嫌なの! 私が行くのは良いの! ……わかった?」
 我ながらに声の大きさに気付いて、落ち着くよう努める。
 神奈子の方も長年の付き合いから何となく自分の非を認めたらしく、それならと改めて提案した。
「諏訪子、行ってきてくれる?」
「……やだ」
「は?」
「お願いしますって言わなきゃ、やだ」
「は……はは」
 笑いみたいなものが零れる。もちろんそれは、呆れの類である。その笑いを堪えて、頭を下げた。
「……お願いします」
「じゃっ、行ってきまーす!」
 電光石火、諏訪子が鳥居を掠めて飛んでいった。地下に潜りやすい地点まで、あれなら数分で到着するだろう。
 まあ、良い笑顔が見られた。
 神奈子もまんざらではなかった。


「やっほほーい」
 やって来たのは地下の地下、今ではそれなりにホットな灼熱地獄跡である。地下の空洞ならもっと声が響きそうものなのに、温度が高い所為でそうでもない。
 さて、以前に来たとき同様、余計な連中に見られてはいない。目的の地獄烏、霊烏路空は諏訪子の声を聞きつけて振り返ると、両の眼をぱちくりとさせた。
「誰、だっけ?」
「うわあ……」
 見たら思い出すぐらいしても良さそうなものだ。これじゃ神奈子が来ても、がっかりしたことだろう。やはり自分が来て正解だったと自尊心に付け足してから、諏訪子は帽子を脱いだ。
 すると空の胸にでかでかとある眼球が、ぎょろぎょろと動いた。
「おやおや、そっちは覚えてたか。愉快愉快」
「う……にゅっ、そうだ! 神様だ!」
「そうです、私が神様です」
「神ぃ! 神ぃいいいい!」
 万歳万歳と、全身全霊で歓迎ムードの空である。ばっさばっさ、翼にかけたケープも一緒に、翻る。
 性格自体は悪くないのだ。扱い易い点も含めて。
「ねえ、神!」
「なんぞ?」
「綺麗な神は?」
「……私?」
「ううん、この神は綺麗じゃない」
「どちくしょうがっ!」
 顎に一発、頭突きが入る。空はしばらく涙目になって屈んでいたが、じきに上目遣いで諏訪子を見た。やだ何この子、ちょっと可愛いじゃない。諏訪子も少し打ち所が悪かったかもしれない。元からか。
「……やっぱり綺麗な神の方が優しい」
「ああ、はいはい。神奈子のことね」
「そう、その神!」
「おう、神!」
「神!」
 まるで原住民との会話である。実はこれ、ちょっぴり神奈子の気分が味わえているのだが、諏訪子に自覚は無い。
 適度にテンションが上がってきた諏訪子は、ほがらかに尋ねた。
「それで、その綺麗な神に何か用かね」
「これを渡して」
「んー?」
 ずずいと手渡されたのは、白封筒だった。所々汚れているが、きっと片手だけで、封筒を押さえずに書いた所為だろう。空の右手は制御棒になってしまっているから、使えないのである。しかし宛名は綺麗なもので、「神へ」と丸文字で書かれていた。
「一所懸命書いたんだよ。神のおかげでお燐の他にも、変な色のと沢山、遊べたから」
「ほう、礼状か」
 なかなか殊勝な心がけといえる。お燐というのがどこの馬の骨かは知らないが、さしあたり、問題にしなかった。
「ところでお前、前より髪が綺麗になってないか?」
「ああ、うん。えへへ」
 何故に照れるのかはよくわからないが、放っておいてやろう。きっと思い出し笑いだ。
 空の黒い髪の毛は以前、ぼうぼうで、いかにも野暮ったい感じだった。それを見て神奈子は笑っていたが、後で聞いたら、初めて諏訪に来たときのことを思い出したらしい。何故そこで思い出すのか、甚だ心外である。
 ふふふ、それにしても、髪の綺麗さでなら負けてはいない。諏訪子は自分の金髪に大変な自信を持っている。そこら辺を表には出さないのが、また優越感の証明である。
「それではお前の無事も確認したことだし、私は帰るぞよ。これからも勤めに励むが良い」
「はーい!」
 まあ、遊ぶだけなのだが、そこら辺を言っても仕方の無いことである。ぶっぱぶっぱでトカマクる。温暖化はきっと地球が遊んでるからで、人間はそれに付き合う宿命があるだけなのさ! とかちょっと哲学的なことも考える。
 所詮は子どものすること。
 諏訪子にとって空は、子ども同然のド低脳扱いである。自分が子どもっぽい外見の所為か知らないが、諏訪子は子どもに大変厳しい。早苗が小さい頃によくいじめらて、諏訪子に苦手意識を持ってしまったぐらいだった。
 早苗といえば、あれもまだまだ子どもだ。本来なら、神奈子が気を回さずとも、早苗が地下の様子を見に来るべきだろう。
 帰ったら一言ぐらい言ってやろうと、諏訪子はうすら笑いを浮かべていた。


「で、なんであんたが笑うわけ?」
「くくく、だって、だって……くぷぷー!」
 自宅の居間で、早苗が頬を膨らませる。
 その傍らでは神奈子が空からもらった手紙を広げており、たった今、読み終えたところだった。
 内容を要約すると、こうなる。

『綺麗な神様へ。神がぼさぼさだからとくれた櫛、ありがとう。大切にします。また来てね』

「すわ、すっわっ、諏訪子っ様っ、良い当て馬じゃないですか! ぷひー!」
 ひっくり返ったような格好で、畳の上をのたうつ。更には卓袱台の足に頭をぶつけ、動きが止まった。また三分ぐらいしたら、再起動するだろう。
 ああ、なんでこんな子に育っちゃったんだろうという目で諏訪子が見ていると、神奈子が手紙を畳んだ。
 やや顔を伏せがちにして何度か自分の髪の毛を触ってから、ついと目を上げ、諏訪子に合わせた。
 このとき、諏訪子は、別に早苗に馬鹿にされたからではなく、落ち込んでいた。
 恐らく神奈子が空にあげてしまった櫛は、諏訪子の髪をよく梳いてくれたものだろう。鼈甲細工で、昔、諏訪の者からもらったものだ。幕府があった当時はご禁制で、仕入れるのが大変だったはずだ。それを供えられた神奈子はしんみりしていたのを諏訪子はよく覚えている。
 使っていればじきに素直な感謝の情も湧くという諏訪子の弁を、そのときも神奈子は聞き入れたのだった。
 それを、覚えているのだろうか。
 目が合った瞬間、責めるような感情が巻き起こった。その中心を、神奈子は突き通した。
「諏訪子、今度、一緒に櫛を買いに行こう」
 殺し文句だ。
 諏訪子は帽子で自分の顔を隠した。