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串童

 奇しくも、というべきだろうか。
「きゃあっ」
 屋台に悲鳴があがる。その場にいた者なら、肉の焼ける煙の中に蒼白い炎が立つのが見えたはずだ。その炎は屋台の天板を焼きかけ、しかし果たさずに消え去った。
 そして、それを見たものはいなかった。人は、いたのだが。
「どうしたね?」
 屋台の席に座っているにも関わらず、三度笠を目深に被ったままの男。彼がにわかにツバを持ち上げると、乾いた豆のような瞼が見えた。開かれなくなって久しいようだ。言動には注意深さが滲み出ていたが、老いの混じり始めた、歳相応とも取れた。
 ミスティア・ローレライにとって、彼は上客である。男は人間と妖怪の両者と仲買をするのが生業とかで、幻想郷には少なくない。大概が訳ありだから、顔も覚えやすい。妖怪ごとにお抱えがいるとまで言われるが、それはむしろ悪口の類だろう。
 さて、ミスティア本人はといえば、悲鳴をあげたっきり、ひっくり返っていた。
 男は彼女を促すつもりで、見えもしないのに卓に手をついて、煙の向こう側へと乗り出した。それを見て、ようやくミスティアが我に返った。
「ええ、いや、何か『びりっ!』って……ああ」
 恐る恐る手先を見てみれば、人差し指の爪が僅かに欠けていた。彼女の爪は夜雀らしく長めだったから、指そのものは無事である。ただし、均整から生じる美しさを失われていた。一晩もすれば、元に戻るのだろうけれど。嘆息しながらも、気持ちを切り替える。
「お客さんは大丈夫でした? 火も出たみたいでしたけど」
「とんと、スリル・ショック・サスペンスの三つには縁がなくてね。それでも、頬が突っ張った感じはしたかな。ありゃあ、妖気だよ」
「わ、私そんなの出しませんよ!」
 人間と客は別である、が信条だ。屋台をやり始めてからも人間相手に歌声を聞かせて耳目を困らせてはいるが、ひとたび客として現れればサービスだってする。ヤツメウナギが苦手な人が来た場合は和え物で代え、客が一人も来なくても、必ずその日中に拭き掃除をする。妖気を出しての威嚇だなんて、もってのほかだった。
 にわかにミスティアが声を張り上げると、三度笠の男はツバを直して、席に腰を下ろした。
「ま、別にわざとじゃなくっても妖気は出るよ。ビリっとしたなら、それは静電気だ。その拍子に……ってところか」
「うう、なんだか知らないけど、おかげで今焼いたのがパアだよ……」
「串がヘソ曲げたんじゃないかい?」
「まさか」
 とは言ったものの、片付けようと鉄製の串にいざ手を伸ばしかけると、途中で止まってしまった。静電気の痛みは他の痛みとは毛色が違う。口の中にどろっとしたものを覚えて、ミスティアは酒を呷った。呷ってはみたものの、串を前にしたまま落ち着かなさそうにしていた。
「女将さん、気になるなら、供養にでも行ったらどうだい?」
 ミスティアの、指を揉む仕草が止まった。
 気付くと男は一本、串を失敬して、手首から中指の先ほどもあるそれを、自分の額の辺りに掲げていた。
「静電気なんてなぁ、私もやったことはあるけどね。折に触れて道具を大切にする心があるのは、結構、結構。私もこういう商売してると、怪しかったりかわいそうだったり、色んなものに触れるんだ。どうせ大したことができる身の上じゃない、供養に行っては、満足させてもらってるわけだね。小人には小人の礼がある、というやつさ」
「でも……」
 続いたのは、どこで、という問いだった。今ので妖気が串に宿ってしまった可能性が無いわけじゃない。なあに、幻想郷の人間が妖気を多少食ったぐらいで死ぬわけもない。が、良いものを出している自負が、楽しさにも繋がっている。
 今回のようなことで済んでいる内に、男が言うような習慣を身につけておく。それも良いように思えた。
「決まりだね。新しい串は、明日……おや、もう今日か。ま、昼前にでも用意しておきますよ。ええ、御代はいつも通り。ここいらの道に同業者が通るときに邪魔してもらえれば、女将さんの払いでも十分だからね。とりあえず五十本もあれば良いかな?」
 どの鳥が、どのように鳴いて、どの葉が、どんな風にざわめくか……そういったもので男は時間がわかるらしい。ミスティアにも鳴き声は聞き分けられたが、そういう意味付けができるとは、男に教えてもらうまで思いもよらなかった。
 信用して、損は無い。
 ミスティアは先の質問の返事に、懐に温めている小粒の銀を、卓に置いた。
「ひの、ふの……ああ、結構、結構。いつも通り、耳と羽根を隠して、橋のたもとに来なさいな。ところで……」

 どっちの神社に行くんだい?

 わざとらしく間を置いて、男がくすくすと笑った。ミスティアの表情でも想像したのだろう。実際、彼女は泣きそうな顔をしていた。
「いや、失敬、失敬。女将さんが紅白の方とやり合ったことは、私も知ってるさ。ただ、あちらの方が妖怪さんにはちょうどいいのも確かさね」
「んー……ごめんなさい。それでも山の方にする」
 正直、あの巫女にやってもらっても、嬉しくない。元々が気持ちの問題なのだ。
「力の強い妖怪は、細かいことなんて気にしないんだろうけど……ね」
「私が謝られることじゃあ、ないさ。ま、女将さんが私の考えている通りの方で、良かったよ」
 そんな本気かどうか量りがたいことを言って、男は席を立った。膝の辺りまである外套を締め直し、ひょこひょこ歩いていく。
 出しておいた酒とつまみは、全て片付いていた。


  ******


 ミスティアは、昼間から激しい運動はしない主義である。別に、艶のある意味じゃあ、ない。
 嫌味だ。過酷な仕打ちに対する、嫌味だった。

 ミスティアが旧くなった鉄串、凡そ三十本を風呂敷に詰めて出かけたのが、昼前ぐらいのこと。本当はもっとあったのだが、なんだかんだで長く屋台をやっている間に紛失してしまったりしたため、これしか残っていない。
 ヤツメウナギに限らず、蒲焼の類は一枚当たりに結構な本数を使う。客の数を考えると、洗っている手間がなかなか取れないこともあって、やや心もとない数である。五十本一挙に注文したのも、そこら辺の事情があった。
 三度笠の男の気持ちに打たれたことも、否定はできない。普段は茶碗だの皿だの、ちょこちょことしたものしか世話してもらってなかったから、これで大分気が晴れた。
 さて、橋のたもとには約束通りに荷が来ていた。外套と繋がっている頭巾越しに頭を擦って、それから使いの者に挨拶をした。
「はい、確かに。串とはいえ鉄製のが五十……一人で持てますか?」
 愚問ではあるが、態度には出さない。ミスティアが口を噤んだのを察して、使いの者は話を変えた。自分の懐に手を入れると、手紙らしきものを手渡してきた。
「これ、土貸さんから」
 三度笠の男の屋号だ。本名は知らない。意味も無い。実際に書いたのはこの男だろうか?
 ミスティアが手紙を開こうとするのを見計らって、使いの者は橋を渡って近くの里へと去っていった。

 手紙には、山の神社には話を通しておいたこと。使いの者がこの手紙を渡した時点で問題が無ければ、そのまま行ってもらって構わないこと。そこまでは良かったのだが、最後に変なことが書いてあった。
 大を入れれば、中小を侮る。
 漢文、というわけでもなさそうな、平易なものだ。士貸の座右の銘か何かかもしれない。

 ミスティアは辺りに人気が無くなったのを確認してから、新しい串の入った風呂敷を、軽々と担いだ。彼女も妖怪には変わりないのだ。
 さあ、後は山を登るだけだ。下手に飛ぶと厄介ごとに巻き込まれそうだったから、ミスティアは物見遊山も兼ねて、悠々と歩き始めた。

 異変があったのは、山裾の谷を流れる川に出たときだった。ここを遡れば小一時間で山上にたどり着ける最短コースとなっている。
「やあ、人間!」
 いきなり、岩陰から雨合羽らしきものを着た少女が飛び出してきた。ミスティアが目を剥いて驚くのを見て、しかし妙に、相手はしゅんとなった。
「……なんだ、妖怪なのか」
 落ち着いてみれば、相手だって妖怪なのがわかった。彼女はミスティアに敵意が無いのを確認すると、河童であることを明かした。それから、名前を言いかけた。
 その顔にいきなり、べたあっ! と札みたいなものが貼り付いた。
「もぐぉお!」
 くぐもった声を残して、河童が川の方に弾き飛ばされる。彼女がぼちゃーんという間抜けな音を立てたときには、ミスティアは駆け出していた。

 巫女だ! 紅白だ!
 振り返るのも怖くて、ミスティアはとにかく逃げ続ける。時折、弾幕の一部らしきものが視界の端の岩や木を砕く。
 森にでも入り込めばと思うが、あの巫女の異常な勘には適わない。こちらの足が鈍るだけだ。
 飛んだら飛んだで、今度は良い的になる。地上をどたどたと駆けずり回っているからこそ、狙いを定め辛いのだろう。
 一応、希望はある。ここは妖怪たちの寄り合い状態だと聞いている。山をある所まで登ってしまえば、紅白も下手に荒らせないはずなのだ。
 問題はそこにいつ着けるか。そして、そこまで逃げられるかどうか、だ。
 それでも恐怖以上の原動力はそうは無いものらしい。ミスティアは文字通り脇目も振らずに、川沿いを遡っていく。いよいよ大きな滝が見えてきて、ミスティアは喜びと同時に不安も覚えた。
 あそこまで行って巫女が諦めなければ、こちらが諦めなければならない。
 それにしたって、ぎりぎりの……いや、無理だ。あそこまで行く前に、追いつかれる。一度あの巫女にやられているからこそ、殺気の質を敏感に感じ取れていた。今、自分は逃がしされているに過ぎない。いざとなればいつでも……。
 と、川を下ってきた風が、外套をはためかせた。そのとき、懐に差し込んでいただけの手紙が、零れ落ちた。当然、拾っている暇は無い。だがそのとき、ミスティアはあることを思いついた。
 意を決して、地面を踏み切り、超低空飛行に切り替える。不規則性と引き換えに、とにかく速度を得る。
 突然のことに一瞬だけ紅白が遅れるのが感じ取れた。その一瞬、ミスティアは風呂敷の片方の口を、大きめに開いた。
 新しい方の針が、十本二十本と零れ始める。凡そ三十本も零れるのを待って、風呂敷の口を閉じ、もう一つの風呂敷ともども、胸の方に持ち直した。嵩が減ったので、ようやくである。
 しかし別に、それが目的だったわけではない。確かに追撃は止んだようだが、誘導性の弾もあいつは持っている。油断はできないし、最初からそのつもりだった。
 今まであいつが投げてきていたのは……そう、針だ。
 退魔用の針は、ちょうどこの鉄串と同じぐらいの長さ。そして、今思えば、まるで紅白が来ることを報せるかのような士貸の手紙。
 紅白は鉄串を狙っているのである。わざわざ追ってまで取ろうとするからには、妖怪が使っていた串(あいつにとっては針かもしれない)が珍しいからか。はたまた山の巫女に頼ろうとした意趣返しか。
 考えつつ、ミスティアは歌い出した。
 僕らはみんな生きている、で始まる、明るい詩だ。普段はもっと激しいものを歌っているのだから、かえって悲壮感が増している。
 それでも再び、風呂敷を開いた。今度は十本強が落ちたところで、すぐに口を閉める。とはいえ、もう新しい方の中身は数本しかない。
 でも、ここまで来た自分の気持ちまで踏みにじられるつもりはない。
 この三十本だけは。

 決意を新たに、ミスティアは残った新しい針を、風呂敷ごとぶちまけた。それからはもう何も考えず、ひたすら滝を目指した。
 旧い方の風呂敷に、爪を食い込ませて。
「お待ちなさい! そのままだと滝に突っ込みますよ!」
 声がする。
 巫女の……じゃない。見ると、白っぽさの目立つ天狗らしい格好の少女が、おーいおーいと手を振って危険を促している。
「もう大丈夫ですから、速度を落として!」
 言われて、後ろを振り向く。もう、紅白の殺気はどこにも無かった。
 着いた。ここが、ボーダーライン。
 気が抜けた瞬間、足が地面に引っかかり、体が滝つぼの傍を転がる。それでもなお、一本の針も風呂敷からは零れなかった。


「やあ、お見事でした」
 白狼とかいう種類の、天狗の少女は、山の上の神社まで案内する道すがらそんなことを言い出した。先ほどのことだろう。得意になるつもりはなかったので黙っていたが、向こうの方から口を動かしてくれた。
「最初に多めの串を捨てる。次に、それより少ない数を捨てる。最後には、なけなしの量を捨てる。これで十中八九、相手は『もう見込みは無い』と思いますよ。実際はまだあるにも関わらずね。その上、あなたは夜雀の能力まで使って、目くらましもした。もっとも、巫女は元から、欲に目がくらんでいたわけですけど」
「……別に」
「はい?」
 別に、自分の発案ではない。頭に浮かんだ通りやっただけだ。
 喉でその言葉を押しとどめているミスティアを、天狗はどう思ったか。まだ喋り足りなさそうにしたものの、ただ規則的に下駄を鳴らした。
 やがてそれが止まれば、守矢神社の鳥居に着いていた。
「では、私は見張りの仕事に戻りますから」
「……ありがと」
「いえ。今度、またお茶でも飲みにきてください。見張り中は暇で暇で仕方ないんですよ。にとりもしばらくは来ないだろうしなあ」
 最後のは独り言だったらしいが、そのまま歩き去ったので、確かめようはなかった。
 とりあえず、あの河童にもお詫びぐらいはしてやりたい。頭の予定の中に山で知り合った二名のことを付け加えている間に、更にもう一人が現れた。
「あっ」
 思わず声が出た。普段ならそんなこと気付きもしないのだろうけれど、今は違う。
 神様だ。それも、懐かしい感じの。
 洩矢諏訪子と名乗った少女は自分の帽子に手をやると、揺すってみせた。頭巾を取れ、ということだろう。さっき転んだときに所々が破けてしまっていたそれを、ミスティアは取り払った。
「おや、本当に妖怪だね。人間ならあいつの言ったことは嘘だし、妖怪なら来ないだろうって思ってたんだけど……」
 士貸のことだろうか。ミスティアが目をしばたかせるのを見て、諏訪子は頷いてみせた。
「ま、こっちの話さ。普段なら早苗を通すんだけど、そこら辺、ちょっと確かめたくてね。どうせ、『それ』は私の仕事だ」
 ミスティアが大事そうに抱えている風呂敷を見ながら、言う。それを受けて、ミスティアは深いため息を吐いた。
「おいおい、私じゃ不足だって?」
「そう、じゃなくて……」
 気が抜けたのだ。とろん、と緩んだミスティアの表情を見て、諏訪子も納得したようだった。
「ま、帰りは手ぶらさ。楽なもんだ」
「あっ、そっか」
 考えてみたら、手元には一本の串も残らないのか。さっきは必死だったから、考えもしなかった。
 しかし、不思議と残念には思わない。
「偉い偉い」
 諏訪子にそう言われて、ミスティアは自分が妖怪であることを忘れたのだった。
「この子たち、供養してあげて」


   ******


「では、これはお礼です」
 士貸とはそれだけ言って、そそくさと駆け出した。
 出費は、今置いてきた礼金、鉄串五十本の仕入れ。あとは仕込みに使った、派手なだけが取り柄の火薬ぐらいか。これはあるときにもらったものを持て余していたやつだから、元手はタダ。ここまで効果があるなら、また手に入れておくのも良さそうだ。
 儲けは、山の上の神と夜雀の信用。生憎、紅白にはその手の勘定は通じない。
「ま、それでも十分さな」
 話を通したときに山の神の片割れが出てきたときは肝を冷やしたものだ。噂には聞いていたが、あちらの方は初めてお目にかかったからだ。やはり、こういう仕事はスリルがある。
 目元を擦ると、ぼろぼろと粉が落ち、やがて瞼が開いた。にかわが落ちたのだ。薄めてあるとはいえ目元が痒くなるのが難点だが、今回はあの女将に目元を見せる機会が多かったから、致し方なくはある。下手をすれば、命の方が危なくなるのだ。
 使いの者にも注意がいった。口数の多い奴だと、口を滑らせかねない。無口に勝る美徳なし、とは言ったものだ。
 さあ、最後の仕上げだ。また新しい串を、女将に仕入れさせなければ。もちろん、こちらも鬼じゃあ、ない。半値で結構、結構。
 ああ、別に損は無い。
 何せたった今、紅白から『妖怪から取り戻した大事な商品』を受け取ってきたのだから。

「やれやれ」
 にひにひと笑う士貸を諏訪子はやり過ごしてから、やがて神社のある方の坂から下りてきた紅白の前に立ち塞がった。
「……何よ」
「ほっときな。ああいう逞しいのがいないと、回るもんも回らない。誰も大損はこいてもいないんだから、大したもんだよ。たとえバレても、やられた方が悪かったのだと思わせられる」
「そんなことは偉そうに説明されなくても、わかってるわよ。私はもらったお金で、お酒飲みに行くところなんだから。邪魔しないで」
 まあ、そんなことだろうとは諏訪子も思っていた。あの男も、そこら辺まで見越していただろう。そういう性質の輩は、今まで星の数ほど見てきた。あれはその中でも、結構な上物である。
「さて、と。それじゃ私も付き合うかね」
「まるでどこに行くかわかってるみたいじゃない?」
「屋台でさっきの男をちくちくやるんだろ?」
「ふん」
 針のむしろ、さ。
 気持ちのいい笑いを残して、二人は夕暮れの道を歩き始めた。



 辺りに闇と、歌と、いい臭い。そこら辺には、夜雀の屋台があるのだという。
 誰が宣伝しているのか?
 ある者は、それは三度笠を被った男だった、と答えた。
 蛙が苦手だから、雨避けに三度笠をいつも着けているのだとか。