仮想

 焼かなくて良いの?

 私はそのようなことを墓を掘る農奴に向けて言ったのだと思う。あるいは、焼けば良いのに、だったかもしれない。
 そこら辺りが曖昧なのは、屋敷を抜け出したことをきつく咎められたからか。穿った見方ではあるが、幸せだった頃にかこつけて、私の頭が妄想したとも考えられる。それにしてはどう幸せだったか、明確な答えが見つからない。しかし、幼少の頃というのはそういうものなのだろう。

 そうでなければ……ならないだろう。どれだけ不幸だったとしても、かつての自分、そう、自分の責任が己に及ばない頃というのは、幸せなのだ。

 そうでなければ……私は人を傷つけることはできないだろう。

 そうでなければ……なんだ?
 そうでなければ、私は何者になっていたというのだ?

 ぱちり。
 火が弾ける音で私は覚醒した。つい先ほどまで小さな山を作っていたはずの囲炉裏の薪が、炭に埋もれかけていた。気を抜いた折に浅く眠ってしまっていたらしい。重い瞼が痒かった。帰路に雨で濡れたまま火に当たっていた私の着物は、まだ湿っていた。
 いけない、風邪を引いてしまう。暖かい飯を食べようか。酒も良いかもしれない。いっそ、寝てしまおうか。そう思ったが、何もせずに座り続ける。止まぬ夕立の音が、何もかも誤魔化してしまった。

 もとより、私は風邪を引かない。全く気分を悪くしないというわけではなかったが、寝込んだことは無かった。
 もとより、私は食事を取らない。食べられないというより、食べる必要が無い。
 もとより、私は酒に酔えない。それによって昂揚することはある。しかし、それは共に呑む知人の所為だろう。
 もとより、私は眠らない。寝ようと思えば寝られるし、体がそれを是とすることもあるが、眠気は起こらない。
 これらが祟って、死ぬことも無い。

 要するに、私は人ではなかった。では何であるかと訊かれても、私には答えられない。知人も答えられない。人ではない。それ以外に私を誤解を持たせずに表現する術は無い。
 不死である。かつて不死を求める者は、死に全てを呑まれることを良しとはしないからこそ、不死を求めた。しかし……どうだ、私は不死に全てを呑まれた。
 あの子は丈夫だ。あの家の娘は病弱だ。あの者はよく食べ、よく呑み、よく寝る。――そういった風に、私を現すことはできない。
 どれだけ心に対する理解が深まろうと(例えそれが間違った理解だとしてもだ)、人を現すのは体である。優しいだとか厳しいだとか、そんなものは上っ面だ。体に張り付いた虚構だ。
 心は不連続だ。繋がっているようで、繋がっていない。整合性があるようで、そのようなものは無い。ただ、辻褄を合わせているだけだ。だからこそ、人は心を尊ぶ。解釈の余地があるからだ。それが体には無い。
 体は残酷だ。どれだけ心で誤魔化しても、体は変わらぬ。動き、休み、やがて動かなくなる。死ぬのだ。だから、死んだら心が体にならねばならない。
 そのためには、体を捨てなければならない。

 そうするには、焼くのが良い。

 そうすると、骨が残る。それは熱によって罅が入り、触れれば崩れる。かしゃりという音が立つ。

 かしゃり。薪が崩れた。
 はて、私は雨の中、どうやって薪を調達したのか。――考える間も無く、狭い家の扉が開いた。

「邪魔するぞ」
 知人が来た。彼女は濡れてはいなかった。夕立が止んだのだ。それまでの間、私はずっと考え込んでいたらしかった。
 知人は風変わりな裾をした着物に泥が付いていやしないかと確認してから、土間から私の居る場所に上がり込んだ。
「らしくないな。暗がりで考え事かい」
「ああ、うん」
 返事もそこそこに、私はまた考え始めていた。
 心が体にとって泥のような付着物だとするなら、それがもたらす思考もまた、その範疇なのではなかろうか。そういったことを知人に問うと、腰を下ろしていた彼女は何のことかと首を捻った。当然だ。私は何も他に説明していないのだ。それでも、彼女はじきに答えた。そういう性質なのである。
「固形か気体か、あるいはお前さんの言うような液体か。思考はその内のどれに類すると問われれば、まぁ、液体だろう。もっとも、泥を液体と言って良いのかどうかまではわからんが、あれは土が水に溶けてるわけだろう? なら、液体だろうな」
「液体?」
「そう、液体だ。そういう問いだったのだろう?」
「どうだろう。多分、そう、だ」
 私は否定してもらいたかったのだろうか。否定されることを前提に問うたのか。学問とはそういうものだと目の前の知人は言ったことがある。しかし、私は彼女との付き合いにそのようなものを持ち込む気は無いのだ。
 ただ、問うたのだ。納得してもらいたかったからではない。賛同してもらいたかったからでもないのだ。
「なら、液体を焼いたら、どうなる」
「液体は焼けんよ。ただ、蒸発するだけだ」
「心も、そうなのか」
「そうなのかもしれんなぁ。心も、焼けんから」
 やはり、焼くのが良いのだ。私は何故か嬉しくなって、お茶を入れようと立ち上がった。そうすると、私から視線をずらした知人が、ひゃあと間抜けな声を上げた。
「どうしたの?」
 振り返ると、知人は両手を後ろに突いて、腰を抜かしていた。彼女がそのような醜態を晒すのを、私は初めて目にした。

「お前、何を焼いたんだ」

 焼いた?
 私が、焼いた。

「何で、これを焼いた! どうして、焼いた!」

 それは何だ。
 薪のように置いたものは何だったか。

「これは、人間だろう!」

 そうだ、人間だ。
 人間、だった。ばらばらにした、それだった。

 私がそう答えると、知人は何も言わず帰った。何だ、茶も飲まずに。いつもは茶でも出せ、茶も出せないのか、器量が疑われる、それでは良くない、そんなことを口喧しく言うのに。
 それでは何が良くないのだったか。人と。――どうだったか。
 まぁ、良い。
 何にせよ、――

 焼けば良い。


 藤原妹紅の心が生きながら、死なぬままに焼けたのは、博麗によれば肝試しより何十年と先のことである。