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聞きなし

 射命丸文が耳糞をほじっていると、肩に乗っていた鴉がぎゃあぎゃあと喚いた。耳糞が飛んだのである。しかし、そうして喚かれると五月蝿いから余計に耳糞を飛ばす羽目になり、結局、鴉の何号は行きつけの畑へと飛び立って行ってしまった。

 さて、どうしたものか。鴉がいなければ天狗的に格好が付かない。ただまぁ天狗の肩に鴉がいなければならないという法も無いので、これはあくまで文的に格好が付かないのであった。
 文はしばらく耳糞をほじりながら考えてみたものの、現在に肩に乗ってくれる鴉はあまり多くない。結局の所、鴉の本分は畑から畑へ、山から山へと飛び回ることであって、天狗の肩に乗っていても飯の種にはならない。
 同じ天狗にしても猿田彦やら僧正某やらなら道々に御握りを置いてくれる者もいようというものだが、いかんせん文はそういった天狗道から逸れまくっており、鴉としても頼りにし難い。
 しかしながら、それは鴉の都合なので、文はあまり深く考えないようにしている。目下考えているのは肩乗り鴉の候補のことであった。

 先ずはAが頭に浮かんだが、すぐに沈んだ。この間、某は里の子供に石を投げ付けられて寝込んでいるのだった。寝込むだけなら結構なのだが、寝酒までやっている。百歩譲ってそれも結構としてもだ、寝煙草までやるのだから世話が無い。自前でヤキトリにでもなるつもりなのかもしれないが、誰もそんな不健康な鳥、それも鴉の肉は食うまい。

 次にBだが、今はそっとしておきたい。ある日、彼はぎゃあぎゃあとこう言った。いや、言ったのはぎゃあぎゃあなのだが、まぁぎゃあぎゃあにも意味がある。同じぎゃあぎゃあでも文章の都合でぎゃあぎゃあと書かざるをえない聞きなしであって、しかしてぎゃあぎゃあ。
 要するにぎゃあぎゃあなのでようわからん。

 C。ABCのC。このCはBを見てどう思ったのか知ら、突然文筆に目覚め、寝ても覚めても墨池に筆を浸けている。しかしかまぁこのアホーは『文筆とは身を削ることである』と考えたらしく、自分の羽を一枚もいでは、それに墨を付けてさらさらさり。
 寝酒をやっているAに出来上がったものを見せては文句を言われているらしい。曰く、このようなことをAは言ったそうな。

「ちみねぇ、あかん、あかんよ。文章はセクハラだよ、セクハラ」
「はあ、セクハラでスか」
「そうでスよ。セクハラ」
「はあ、そりゃまたどうしてでスか」
「セクハラ、もとい文章というのはだね、ちみ、如何に人物を舐めるように描写するかなんよ。わかる、ちみ」
「はあ」
「例えば足首よ、首よ、鎖骨よ、肋骨よ。尻よ、腿よ、ぶっちゃけ胸よ。そんなもんを一々描写するわけよ。なにがどうしただの誰が屁をしただの、もうね、セクハラっつーかストーキングよ」
「はあ、やけに具体的でスね」
「そりゃそうよ。私、セクハラしたいもん。ストーキングはまぁ経験済みでスよ」
「はあ、そうでスか」
「そうでスよ。セクハラ。だからちみもセクハラしなさい。セクハラ」
「はあ、セクハラ」
「それじゃセクハラ」
「はあ」

 今ではAの難癖を文章にしているぐらいで、本末転倒。何にせよ忙しそうなので候補から除外しなければならない。

 結局、文はぎゃあぎゃあ言ってるBを呼んだ。Bがやってくるまで大層暇だったので、耳糞をほじっていたら、耳糞で山ができていた。かれこれ十年近く耳をほじっていなかったのである。
 その耳糞を見たB、もとい鴉がぎゃあぎゃあ言うものだから、文は鴉がぎゃあと声を出すまで首を捻った。ぎゃあ。使い物にならなくなってしまった。

 それでも耳糞をほじってすっきりしたので、文は出かけることにした。考えるだけ無駄だったわけだ。

 行くとすればやはり巫女の所にでも行こうと思うのだが、なんせ奴さんの家はすきま風の所為でこの時期は寒い。天狗と言えど寒いのは嫌である。ならば巫女も嫌なはずなのだが、何故かあの巫女はすきまを塞がない。塞いでいてはキリが無いそうな。
 次にネタが豊富そうなのは泥棒魔法使いなのだが、家が汚過ぎて隠れる場所が無い。物が多ければ隠れ易そうな物だが、その隠れるスペースすら隠れる程の汚さである。

 人間は残す所、後一人しかいない。文としては妖怪連中の所にでも行きたいのだが、大概にして連中は何か仕出かす前に何かを仕出かす癖があるため、行くだけ無駄な場合が多い。
 先ずは人間のネタを絞るだけ絞ってから、後はもう形振り構わず妖怪に張り付けば良いのである。

 そうして紅魔館に着いたのは良かったのだが、まだ日が高いというのに、どうも中が騒がしかった。それこそぎゃあぎゃあと五月蝿いぐらいで、文は近くで騒いでいたメイドの首をぎゃあと捻ると、満足して奥へ奥へと進んで行った。


 珍妙な光景であった。まぁ何やらメイドの一人がおめでたで、その出産の現場に居合わせているらしいことは文にもわかったのだが、曲がりなりにもブン屋の端くれ、そんなおめでたい場を珍妙とは言わぬ。
 気付けば隣にいたメイド長をやっている咲夜が解説した所によれば、基本的に、おめでたい話には主であるレミリアが首もとい手を突っ込むのだそうな。突っ込む。どこにか。まぁ赤ん坊が出てくる穴にである。
 この穴について詳細に描写するとセクハラになるのであって、セクハラというか既に良俗に反するわけで、その点に関して文は思考をすっ飛ばした。

 咲夜曰く、妖怪の出産というのは大概にして難産であるから、レミリアが手を突っ込んで運命を引き抜く云々。要するに手を突っ込みたいだけなのではなかろうか。
 現在、レミリアは既に腕を突っ込んでいる最中で、それを見た文の感想は『河童みたい』というものであった。なるほど、妊婦は河童のような腹である。
 河童といえば、天狗と河童は仲が良いものではない。同族嫌悪である。あの粗野の塊みたいな河童連中は見ていて気味の良いものではない。つまるところ、この現在に目にしている光景も河童に似ている以上は気味が良いわけもなく、気持ちが悪い。

 河童がぎゃあぎゃあと鳴いている。痛いのだろう。大概が難産であるからといって、どうして自分が手を突っ込まれねばならんのかと言いたいところであろう。
 いっそ日本刀か何かで子供の入っている袋ごとばっさり切ってもらえんかと思う所であり、それはそれは悲痛な想いであらせられる河童。
 その河童の中で掴むべきものを掴んだらしいレミリアが腕を引くと、ずるりべちゃりぐちゃりと音が鳴る。最後に、すぽんという音が鳴った。


 おぎゃあ。


 文はその音のある風景を写真に残した。
 嬉しそうに産湯に子河童を浸ける咲夜の笑顔が、後に新聞となっている。

 その結びはこうである。

 ぎゃあに『お』を付けるだけで、豪い違いです。――その新聞は鴉達の間でだけ、評判となった。