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紅の門

「中国、いらないかも」

レミリアが雪見の席で口元から零した言葉は咲夜を最初の受け皿として、最終的には紅魔館内全てに二日以内で浸透した。その際、咲夜の他に一役買ったのは広報部門である。その外見の割に恐ろしく懐が深い紅魔館で働くメイドの数にあっては、噂話がとんでもない話に発展する可能性がある。実際、それによって私刑の憂き目にあった者も数人いた。そういった事態を防ぐため、レミリアを含めた影響力のある人物の言葉は活字にされ、館内に掲示もしくは各部署の詰所に配布されるのが慣例となっている。とはいえ、それも今回のような場合はあまり意味を成さない。

ここまで歯に衣を着せぬ言葉は誤解のしようが無い。語尾の「かも」という言葉が無ければ、当の門番である紅美鈴は、最期くらいは本名で呼んでほしかったと置手紙を残して、死期を悟った猫のごとく姿を消しかねないところだ。されど、この「かも」という言葉は実に中途半端であり、正式な辞令が出ない間は去るに去れず、生殺しに遭っているに等しい。

朝礼の際にも、食事どきにも、集団浴場で体を洗う段においてさえ、美鈴の周りではまことしやかに彼女の今後やこれまでについてが取り沙汰されるのであるから、堪る堪らないどころの話ではない。しかも、美鈴自身には話し相手がいない。普段の仕事や生活の上でのことなら部下にだろうとなんだろうと持ち前の気さくさで話を振れるというものだが、渦中の人となっては、余計な一言が余計な事態を引き起こす可能性もあるという気遣いが仇となっているのだった。

しかしながら、美鈴は門番の仕事だけはきちんと続けていた。それ以外では食事を残したり、便秘の気が出たりと散々ではあったが、彼女は門の前に立つ段になる度、余人が目を見張るほどに精力的になったのだった。

そんな美鈴を見るに見かねてか、咲夜は午前の仕事を早めに済ませると、休憩のために美鈴用に割り当てられた部屋へと向かった。咲夜が部屋のドアをノックする。もう一度、今度は怪訝な表情をして同じ調子でノックをしてみるが、反応は得られなかった。メイド長じきじきに何事かと美鈴の部屋のドアがある廊下の角から様子を窺っていた警備部の面々に目線で問い質してみても、彼女らはぶんぶんと頭を振るだけで、埒が開かない。少なくとも部屋の中にいるのは確かなのだろう。

「けど、ドアは開くのよね」

試しに捻ってみたドアノブが簡単に回ってしまったことを一人愚痴る咲夜であった。蝶番が軋みをあげた刹那、咲夜の脳裏に嫌な想像がじくりと滲んだ。返事が無いのにドアが開くというこの状況から考えて、これではまるで誘われてるようではないか。そしてそれは、返事をしないのではなく、返事ができない状態だからドアを開けておいたのではないかという邪推に変わる。

「はやまっちゃだめ! クビになる前に首を括るなんて笑い話にもならないわ!」

と、咲夜は大声と共にドアを押し開いてみたが、部屋の中は何の問題も無いのであった。目立つものといえば、壁にかけられた関聖帝君が描かれているタペストリーとその前に置かれた壇の上の香炉ぐらいなもので、あとは基本的に一般的な生活雑貨が棚に飾られたりしている。段彫りが特徴的な足のついたテーブルの上に陶器のポットが置かれていたので、咲夜はそれに触れてみたが、まだ温かさが残っていて、鼻を効かせれば紅茶の残り香も認められた。

「臭い、臭いわ」
「うう、そんなに溜まってませんよぅ」

咲夜が探偵小説気取りの台詞を吐いた途端、間抜けな水流の音の後に美鈴が不浄から出てきた。メイド長にしては珍しい、凡ミスである。

「なんだ、トイレだったの」
「ここのところ便秘気味だったもので……ところがそれ用の伝来のお茶を飲んだら、なんとこれが効果覿面!」
「へぇ、凄いわねぇ。私にも分けてよ」
「ああ、構いませんよ」

食らいボム代わりに話を脱線させて誤魔化している場合ではないというのに、メイド長は意外な収穫に内心喜びを隠せない。不規則な生活の中で得た貴重な一アップアイテムであった。

「それで、何の御用ですか」
「労働上、避けては通れない女性の大敵に苦しむ同僚を労いに」
「それ知ったの、今さっきじゃないですか」
「あなた、私に苦しまされたいの?」
「いえ、もう十分です」

美鈴はそう云って咲夜に椅子を勧めてから、咲夜が座るか座らないといった頃合に自分の席に軽くなった腰を落ち着けた。

「ああ、お茶も出さずに……」
「いいわよ。私がやるから」

座ろうとしていた席から咲夜が離れ、薪が入れられた達磨の暖炉の上でちょろちょろと蒸気を吹いている薬缶を手に取った。傍の移動卓に乗せられていた急須に茶葉を入れると、そこに湯を注ぐ。咲夜としては実に簡素なお茶の準備といえたが、その振る舞いは上品であり、熱湯は嬉しそうに湯気をあげて急須の中を茶葉と共に踊ったのだった。

「あなたの部屋には匂いが一杯あって、飽きないわね」
「お線香もあげてますしねぇ。今でこそこんなですけど、私は小さい頃、あまりこういう匂いは鼻が詰まって嫌いだったんですよ」
「香の心がわかる子供ってのも、それはそれで嫌よ」
「かもしれませんねぇ」

いよいよお互いが腰を落ち着けて話を進める段になったというのに、二人ともお茶と話ばかりで、一向に本題が見えてこない。咲夜もそれに気づいてはいたが、美鈴自体はいつも通りそれなりに元気なものであるし、会話にも淀みが無いのだから、あははと笑って済ませて、後は流れに任せるのも良かろうと思い始めていた。

「心といえば、咲夜さんにはお嬢様の心はおわかりになるんですよね」

美鈴はやはり美鈴なりに気にしていたらしい。咲夜は茶碗を口に運ぶ手を止めるとそれを卓に置き、縦長に大きく刳り貫かれた窓枠の外を見遣った。美鈴はというと、余計な事を云ってしまったかと気まずそうに茶を啜る。お互いの動きが止まってしばらくして、咲夜が美鈴に目を向けた。

「ただでさえ人の心なんてわかり辛いのに、お嬢様の心を理解するだなんて、傲慢以外の何物でもないわ。それともあなたの目には、私は傲慢に写るのかしら」
「そんなことはありませんよ」
「……ごめんなさい、別に責める気はないの。ただ、私がお嬢様と阿吽だなんて云うのは、それはお嬢様への失礼に当たるわ。それが私には許せないのかもしれない。考え過ぎているだけね」
「はあ……。それくらいじゃないと務まらないのかも……」

自嘲らしい苦笑いを浮かべて、美鈴が呟く。咲夜はそれに目を細めた。

「なんでもかんでも自分に当てはめるのは良くないわよ。私の仕事はあなたには無理だし、あなたの仕事は私には無理だもの」
「謙遜しないでください。咲夜さんなら、何だってできますよ」
「私はお嬢様の手助けをしているだけ。それ以外のことなんてできはしないし、したくはないの。でも、他の者は、特にあなたはそうだけど、自分なりに役目の意味を捉えて仕事をしているでしょう。私は私個人では完全だわ。それは自負できる。だけど、だけどよ。個として完全ということは、自分以外の事柄に意味を見出すことなんてできないのよ。その意味の一端を私に結んでくれたのが、他でもない、お嬢様ってわけ。もっとも、私はお嬢様以外に意味をまだ見出せてはいないのが申し訳ないんだけど」

美鈴は咲夜の言葉を一言一句、噛み絞めながら聞いていた。完全とは何か。そんな解釈を掘り下げるようなことは美鈴には無理だったし、それは不毛であるとも思えたので、彼女はただ、咲夜個人が語る完全とは何かということにだけ思考を傾けた。

咲夜の完全とは、完成されたもののことではないのだろう。完成とは、例えば不老不死になるだとか、革命を起こすだとか、とにかく成ってしまえば後はどうとでもなるような物を指しているように美鈴には思える。しかし、これが完全となるとどうだろうか。完全は完全であろうとし続けなければならない、云わば業なのではないか。そしてそれは、一般的にありえない業だ。そんなことを目標にして人生を生きる者などいないし、いてはならない。間違いなく、不幸になるからだ。

完全であるために完全であろうとする。ただ歯車を回すためだけに歯車を回すがごとき連関。永久機関の見る夢と現実。そこにレミリアという対象がいて初めて、歯車は手応えを得たのだった。

「いいこと、美鈴。お嬢様は一度あなたを認めた以上、それを気分任せにどうにかするようなお方じゃないわ。それはむしろ、妹様の本分よ。だから、お嬢様を信じて、門を守りなさい。まあ、あなたがもう門のことなんてどうでも良いなら、話は別だけど?」

しかと咲夜を見つめ返す美鈴を見て、咲夜は席を立った。例のお茶、楽しみにしてるわ。そう云い残して、彼女は部屋を出た。


レミリアが起きてから彼女に付きっきりだった咲夜が一時的に辞したのを見計らって、レミリアが口を開く。室内は暗く、大きな丸テーブルの上に置かれたランプだけが光源だった。レミリアの声は、そのランプのガラスを透き通って、席を同じくしていたパチュリーへと届く。

「やっぱり無駄なことだったわ」
「門番のこと?」

レミリアが飲んでいた茶のカップを置く。相伴に与っているパチュリーは軽度の眼鏡をかけて本に落としていた視線を、レミリアに向けた。普段から食い入るように本を読んでいるため、視力の低下に気づけなかったことを悔やむのが最近のパチュリーであったが、眼球自体には異常が認められなかったため、しばらくは代えを用意するつもりは無い。

「あの子は芯が強いから。わざわざ揺さぶることなんて無かったのよ」
「門は云わば外と内の境界。その門番自身を曖昧にすることによって、外と内とをそれをそれとしながらも合わせる。霊夢とあの妖怪を見るまでもなく思いついたことだけど、それに当の門番が耐え続けることができるか。役目も名前すらも曖昧にし続けられることが、どれだけの苦しみか。それは内に閉じ込められ続ける者や内に帰ることを許されない者たちのものよりも深い苦しみ。それでも、何物からも意味を失わないだけの強さが必要なのよ。この館の門番には」

それを確認するために、それとなく咲夜の前で妄言を吐いた次第であった。今日、寝る前あたりにでも、咲夜に云って聞かせれば、次に目覚めた頃には館の中は静かになっていることだろう。

「実際のところ、咲夜が助けたようなものだけど、でも、それはあなた自身の運命の糸がそれだけ強靭なものだったということよ。結構なことじゃない」
「パチェにしては野暮なことを云うわね」
「私もその糸に絡まっているのかしら」
「絡まるような糸は大した糸じゃないわ。完璧な糸は、それだけであらゆるものを繋ぐのよ」
「羨ましいこと。私は本の虫だから、糸は吐けないもの」

そう誤魔化して、パチュリーは再び本に視線を落とす。現在、読み進めているものは、彼女の下で働いている小悪魔がまとめた蔵書の目録である。ページの所々には走り書きがされており、それはパチュリーの手によるものだった。そろそろカバラの発祥とその後の時代の相違点から何か使えそうな思い付きでもしてみようかと、そろりと指をページの上で躍らせている。

レミリアは会話が尽きるのが嫌だったのか、何か話題は無いかと考えながら茶を口に含んだ。

「それにしてもこのお茶、変な味がするわねぇ」
「例の、便秘に効く――ってやつでしょう? はあ、あの子たちもまだまだ若いわ」
「人間って、こんなのを飲んでまで収めたい苦しみがあるの?」
「さあ、私にはもうわからないわ。まぁ、たまにはこういうのも良いかもね。人間臭さもあるに越したことはないでしょう」
「臭い話だわ」
「臭い物には蓋をしないと」
「それじゃ、やっぱり門番に頑張ってもらわないといけないわ。こんな話、闖入者には聞かれたくないもの」

云われるまでもなく、その門番は今も紅い門の前に立っていた。月がに不吉な影が走る度、彼女は体を敵に向かって躍らせる。彼女がいる限り、そしてレミリアが望む限り、門は大丈夫だろう。曖昧な形をした月が、館を見下ろしていた。