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コンダラ

「こんなにいらないわよ」
「だってー、霊夢が風邪でもひいたらー、年末年始ー、つまらないしー」
 聞いてるだけで体の免疫力が奪われそうな紫の口調に、霊夢は溜息を吐く。
 紫から手渡された鍋の中には、かぼちゃの煮付けがゴトゴトと入れられている。大きめのかぼちゃを半分ぐらい、思い切って使わないと、この量にはならない。色合いは均等だったから、もっと大きな鍋で大量に煮付けてから、この鍋に移したのだろう。
「私が風邪引くとしたら、あんたらの所為なんだけど?」
 妖怪連中の年末年始は腹立たしいぐらいで、正月の終わりどころか旧正月ぐらいまで騒ぎ続ける。どうせならもう少し居座ってくれれば、これでもかと豆を叩きつけてやるの。そんな虚しい復讐心を霊夢は毎年抱いている。
「大体、あんたは冬眠するんでしょ?」
 去年もたしか、年明けの宴会で一杯だけ飲んで、その場で寝てしまっていた。藍が抱えていったのをよく覚えている。
「ふふふ、霊夢さえ元気なら、夢の中でも会えるもの」
「やめてよね、気色悪いから」
 きっぱり言ったら、多少は効き目があったようだ。それぐらいでへこむわけも無いので、演技なのだろうが。
「まあ、もらえるものは、もらってあげるわよ。そんな腐ったかぼちゃみたいな顔しないでよ」
「そんな顔はしてないわよ!」
「喩え話に怒らなくてもいいでしょ!?」
 結局、紫は玄関口で鍋を押し付けて、ぷんすかぷんと帰っていった。
「……干からびたなますかぼちゃとかにしとけば良かったかしら」
 普通のかぼちゃよりはすべすべである。
 それにしても、この鍋の重さときたら、どうだろう。風邪以前に腰をやりそうなので、慎重に台所へと運ぶ。
 朝食の支度をしてから大分経っているため、台所は寒かった。ただ温泉のおかげで地熱が上がったのか、台所に立つのも辛い、ということは無くなっている。何事も慣れ、とは言うが、寒いよりは暖かい方が良い。面倒臭くない限りは。
 風呂として体を洗うのはもちろん、野菜を洗うのも温泉の湯でできることを考えれば、地底の騒動の恩恵を最も得ているのは霊夢である。
「もしかして、あいつはそれも気に食わないのかな?」
 地霊のことで妙に騒いでいた華扇の顔が、勝手場にぽわぽわと浮かんだ。その顔が鍋の中に落ちたので、霊夢は閃いた。
「あら、美味しそうな煮付け」
 という声が聞こえたときには、白い指がかぼちゃを一欠片摘んでいた。
 青娥はかぼちゃを頬張ると、細い眉を緩ませた。
「んー、良いお味」
「仙人ってのは、どいつもこいつも……」
 勝手に現れて、勝手なことをしていく。
 霊夢はこれまで仙人なんてものには会ったことが無かったから、ここ最近のラッシュぶりには食傷気味である。
「おや、私や豊聡耳様以外にも仙人の知り合いが?」
「前に言ったでしょ。山にも仙人がいる、って」
「ああ……あの名前が覚えづらい……」
「あんたも大概だと思うわよ」
「文化の違いです。私からすると、豊聡耳様のお名前も最初、『これはいったいなんのギャグだろう』と思いましたよ」
 ギャグはわかるらしい。
「で、その山の仙人に、そのかぼちゃを分けてやろうと思ったんだけど」
「けど?」
「あんたが来たのよ」
「私が邪魔だと?」
「それもあるけど、ここんところ、華扇が来てないのよね」
 邪魔な点は否定しない。壁抜きだか壁抜けだか知らないが、そういう方法で侵入してくるのは水戸黄門の飛猿だけにしておいてほしい。じゃあ飛猿なら歓迎するかというと、絶対にしない。壁が直るだけ青娥の方がましだ。
 とにかく、肝心の華扇が来ないのでは、分けられるものも分けられない。
 いっそ青娥にしようか、と思っていたら、その青娥が胸元から風呂敷をするすると引き出した。
 青娥が風呂敷をひらりとさせると、中から鍋が出てきて、蓋を開けるとかぼちゃの煮付けが入っていた。
 紫にもらった方の鍋を覗いてみると、ちょうど青娥の鍋に入っていた分だけ、中身が減っていた。
「はい。というわけで行きましょうか。その仙人の家はどこです?」
「え? 行くの?」
「来ないなら行くのが普通でしょう?」
 ――『あんたも行くの?』っていう意味なんだけど。
 これなら紫でも茶に誘っておくべきだったろうか。霊夢は遠くの山まではっきり見える光景に、寒気を覚えていた。


 それからしばらくして、幻想郷の空を飛ぶ二人の姿があった。
 言い出したからには、と風呂敷は青娥が持っていた。彼女はちらちらと、隣を飛ぶ霊夢の、普段着のままの格好を気にしていた。
 気流が邪魔にならないよう、あまり高くは飛んでいないとはいえ、冬の今、上空の気温は氷点下である。
「生身の人間でありながらその格好で平気とは、やはり道術の――」
「少女だからよ」
「私も少女ですよ?」
 何の疑問も覚えずに言い切っているのがわかったので、霊夢は無視することにした。
 それに、全く平気なわけでもない。霊力で防護しているとはいえ、夜中にトイレに起きたときと同程度には寒い。
 他に気が萎える要因は、以前、修行のために華扇の家に拉致監禁されたときに、ろくな防寒具を見かけなかったことである。
「ペットの毛皮でも剥いでやろうかしら」
「何それ楽しそう」
「冗談よ」
 本気にしたっぽいので、はっきりと否定しておく。ギャグはわかっても冗談は通じないようだ。洒落にならない。
「あっ、見えた。あそこよ」
 稜線の木々が途切れた場所に、ぽつねんと中国風の一軒家が立っている。 
 さて、後は降りるだけという距離まで近付いたとき、華扇に懐いている大鷲が近付いてきて、霊夢達の周りをぐるりと旋回した。
 警戒してるのかと思いきや、二度も旋回すると、邸の屋根に留まった。
「歓迎されているのですかね?」
「うーん?」
 何やら様子が変である。
 花の無い牡丹畑も、不安を煽る。牡丹の季節は春なので、当たり前の光景なのだが。
「あれは何でしょう?」
 青娥に言われて示された方向を見てみると、雑多な種類の野鳥が一箇所に集まっている。
 無意識に表情の硬くなった霊夢は、青娥に構わず、鳥の群れに近付いた。
 鳥の真ん中で、華扇が倒れていた。傍には肥料袋が転がっており、中身がこぼれていた。
「仙人って死体が残らないんじゃないの?」
「尸解仙の場合、偽物の死体は残ったりしますよ」
「そうか……つまり、華扇は尸解仙だったのよ!」
「な、なんですってー!?」
 青娥の大声で、鳥が一斉に飛び立つ。
 すると、
「ぶえええええぇっくしょぉーーーーーーーーーーーい!」
 華扇が盛大なくしゃみをした。ストローの包み紙に水を垂らしたときのように、もぞもぞと動いて、ぱっちりと目を覚ます。
「はっ!? 私は羽毛布団に包まれて眠っていたはず……あれは夢!?」
「まあ、正夢といえば正夢だわ」
「おや、霊夢。ごきげんよう」
「ごきげんはいいけど、鼻かみなさいよ、鼻」
 同じ女子として見ていて辛いほどに、鼻水が垂れている。隣にいた青娥がハンカチを貸してやると、返してもらう気が無くなるぐらいにかんでいた。
「はあ、すっきりしました。どちら様か知りませんが、ありがとうございます」
「ご丁寧にどうも。青娥娘々という者です。そのハンカチはあげます」
「にゃ、にゃんにゃんっ!? ということは仙人!?」
 同じ仙人なのに何をそんなに驚くことがあるのだろうか。それともハンカチをくれたことに?
 霊夢は首を傾げたが、それよりも華扇の体の方が気がかりだった。相変わらず胸がでかいなあ、パルいなあ、とかそういうことではない。
「あんたもしかして、風邪ひいてんじゃないの?」
「ははっ、まさか。この通り、早朝から畑に肥料を撒きにきたぐらいですよ」
「もう昼になるわよ」
「……」
 証言と状況から察するに、風邪にも関わらず早朝から無理をしてぶっ倒れた華扇を鳥達が温めていて、そこに霊夢達が来たものだから、『後は頼んます』と大鷲が挨拶した、ということだろう。
 念のため屋根にいる大鷲に霊夢が目を合わせると、うんうんと頷いていたので、まず間違いない。
「こらっ! 何余計なことしてるんですか!!」
 華扇は大鷲にまでぶち切れている。
「そんなに風邪だって認めたくないわけ?」
 全く、と霊夢が苦笑いしていると、風呂敷を抱えた青娥が、神妙な顔をしていた。
「ど、どうしたの? あんたも風邪だったとか?」
「いえ……仙人は風邪なんてひかないはずなんです」
「え? そうなの? じゃあ仙人って馬鹿なの? そっか……なるほどね……」
「何を納得しているのか知りませんが、この方、本当は――」
 華扇の顔が真っ青になっている。額や首筋には汗が浮き、このまま死にそうなぐらいだった。
 青娥は、自分の考えを率直に明かした。
「この方、本当は異変に巻き込まれているのでは!?」
「な、なんですってー!?」
 青娥と霊夢のやり取りの狭間で、華扇は再び、ぶっ倒れた。


 真相はともかく、目の前で死なれるのは困る。霊夢と青娥の意見は一致した。
「仙人すら殺した巫女とか言い触らされたら、あんたみたいなのがまた湧きそうだわ」
「私も道術のためなら同族の死体もあれやこれする女とか思われたくありませんわ」
 二人にお茶を出した龍の子供は、不穏な会話に喉を鳴らした。その様子に、青娥よりも慣れている霊夢が気付いた。
「心配しなくても大丈夫よ。私達に任せて。異変だった場合は手間が省けるわ」
『いや、そういう考え方が心配なんであってですね』
「そうよ、こう見えても私、面倒見は良いんですからね。墓の下までだって手を出しちゃうんですもの」
『もう好きにしてくださいよ』
 さじを投げた龍の子供は、華扇の代わりに肥料をやりに行った。
 その姿を居間のテーブルから眺めていた霊夢が、疑問を口にした。
「ペットが出来ることなのに、どうしてわざわざ自分でやりに行ったのかしら?」
「そりゃあ、自分で手塩にかけて育てたものは、一から十まで、自分でやりたいものですわ」
 流石、キョンシーまで育ててしまうような人物は説得力が違う。
 何かあれば全部こいつの所為にしよう。霊夢は心にそう決めた。
「で、肝心の華扇はさっき布団に運んだわけだけど……どうすんの?」
「ご存知の通り、体の内と外のバランスが崩れると病気になるわけですが――」
「いやいや、ご存知じゃないから」
 道術の達人と思うのは勝手だが、それを前提に話をされても困る。
「ふむ? まあ、長くなるので説明は省きますか。いずれにしろ仙人たる者が病気になったからには、己の力で何とかするしかありません。下手に余人が手を出すとかえって危ないのです」
「えーっと、つまり、看病するぐらいしかすることが無い?」
「そうですね。食事を手伝ったり、下の世話をしたり」
「ねえ……仙人ってうんこするの?」
「私からはノーコメントで」
 仙人にもイメージというものがあるらしい。この問題については華扇から言い出さない限り考えないでおくことにした。
「じゃあ、とりあえずは食事と……後は着替えぐらいか」
 食事は以前、こちらで修行させられたときに、自分と同じ物を食べていたから大丈夫である。さもなければ、かぼちゃを分けてあげようという考え自体が浮かばなかったろう。そのかぼちゃだが、お腹に溜まるものだから、今は食べさせない方が無難である。
 では、それ以外に食べる物があるかといえば、人の家なので勝手がわからない。探せばそれなりに出てくるとは思うが、華扇がいつ治るかわからないのでは、いくら食材があっても見通しが立たない。
「いっそさあ、あの子の着替えを持って、私の神社に移った方が良い気がするのよね」
「ああ、賛成しますよ。ここは養生に向いていません」
 それに、博麗神社なら温泉がある。仙人に効能があるかどうかはわからないが、こんな寒風の吹く山中よりは、ずっと良さそうだ。
「じゃあ、早速準備するわよ」
「このかぼちゃはどうします?」
「ペットが食べるには味が濃過ぎるわ。あんた、食べたいなら持って帰っていいわよ」
「なら、お言葉に甘えて。芳香へのお土産にしますわ」
 何だか勿体無い気もするが、そのまま腐らせてしまうよりは、キョンシーの腹の中で腐った方がましな気はする。
 霊夢が失笑しながら席を立ったところで、階段の方から声が聞こえた。
「何を勝手に話を進めているんですか」
 二階で寝ていたはずの華扇が起きてきたことに、霊夢は唇を尖らせた。さっき着ていた道士服は脱がしたはずなのに、別の物を着てきている。髪を両側でまとめているぽんぽん頭巾も取ろうとしたが、暴れられたので断念した。
「耳の良いこと」
「仙人ですから。それより、私はここを離れませんよ。仙人が人間の世話になるなど、言語道断です」
「仙人仙人って、だったら体調なんて崩さないでくれる? あんた、自分の右腕、よく見てみなさいよ」
 自分ではしっかりと腕の形に巻いているつもりなのだろうが、包帯の形が崩れて、霊体のようなものが漏れている。
 華扇は苛立ちをどうしたら良いかわからないようで、霊夢が心配してくれているのはわかっているだろうに、目付きを厳しくしていた。
 余計な口を挟んだのは、青娥である。
「まあまあ、霊夢さん。世の中には女のまたぐらで昂奮して仙力を失った仙人もいますし、鬼の霍乱みたいなものだと思って、ここは穏便に」
「だ、誰が鬼ですか! 誰が!」
「そっちで怒るんですか!?」
 どうでもよさそうなことで騒ぐ二人を尻目に、萃香から逃げてしまった華扇のことを霊夢は思い出していた。
 どんな事情があるかは知らないが、神社に連れていけば、今よりも落ち着かないだろう。もし過去にいざこざのあった者同士なら、こっちまで巻き込まれかねない。
「はあ……まあ、仕方ないわね。うちに連れていくのは諦めるわ」
「そ、そうですよ。私は一人でちゃんと――」
「じゃあ、今日から私、ここで泊まるから。あっ、青娥はどうすんの?」
「と、泊まる!?」
 しれっと言い放った霊夢に、華扇が詰め寄る。
「前なんて何日も泊まったでしょうが。それより、あんまり近寄ると風邪が移るじゃないの」
「いや、しかし……はい」
 ちょこんと椅子に座り込んだ華扇はそのままに、霊夢は青娥に目を合わせた。
「それで、あんたは?」
「昼の間は神社に戻るんですよね? それなら留守にしている夜の間、神社に異常が無いか、見ることにしますわ」
「ふうん……本当に面倒見は良いのね」
「豊聡耳様が眠っている間は、ずっとそうでしたからね。無事に復活されてからは落ち着かないぐらいなんですよ」
 定年退職を迎えた旦那が家にいることについて違和感を覚える主婦のようなことを言って、青娥は微笑んだ。
 二人で華扇の看病をするよりは勝手が利きそうなので、提案には霊夢も賛成だった。
「では帰る前に、昼食だけでも用意することにしますわ」
「……食材は勝手場の龜に入ってます」
「はいはーい」
 華扇は反対する気力が萎えたようで、青娥を素直に見送った。
 勝手に話を進めた自覚は霊夢にあったから、落ち着いた今になってようやく、声を和らげることができた。
「出来るまで寝てたら?」
「そうします……」
「頭巾、ちゃんとはずしなさいよ?」
 崩れた右腕を振って、華扇は階段を上っていった。
 一人残された霊夢は残った茶を啜りながら、紫の好意は面倒臭い結果になることが多いという事実に、天井を見上げたのだった。


 青娥の作ったおかゆは、霊夢の健康な舌でも満足できる一品だった。
 青娥がいる内に一度神社へと戻った霊夢は、留守中である旨を書いた張り紙をしてから、自分の着替えや使い慣れている食材や調味料を持って、再び華扇の邸へと向かった。
 邸では、青娥が寝台にいる華扇と一緒に蜜柑を食べていた。
「あんたら仲良いわねえ」
「ペットの可愛さについて、話が合いまして」
 どちらのそれも正確にはペットではないはずなのだが、下手に突っつくのは遠慮しておいた。
 寝間着姿の華扇はいつものぽんぽん頭巾の代わりにナイトキャップをしていて、柔和な色を湛えた赤髪が、首筋に溢れていた。
「さて、それじゃあ私はそろそろ……」
 指先に付いた果汁を一舐めして、青娥は立ち上がった。
 華扇は人懐っこい方ではないが、名残惜しそうに、寝台に入ったままでお辞儀をしていた。
 邸の外まで見送りに出た霊夢に、青娥は変なことを告げた。
「あの子、仙人にしておくのは勿体無いですね」
「仲間にしたいとか言うのかと思ったけど?」
「私は力のある人が好きなんですよ。豊聡耳様が一番良い例ですわ」
「やっぱり仙人じゃない」
「今はそうですが、昔は普通の聖徳太子でしたよ」
 ――普通の聖徳太子って。
 霊夢は日本語の奥深さを痛感しつつ、青娥と別れた。
 華扇の寝室に戻ると、彼女は横になっていた。
「調子はどう?」
「おかげ様で、大分楽になりました」
 声には普段通りの落ち着きがあったから、強がりではなさそうだ。霊夢は青娥が使っていた椅子に座り、残っていた適当な蜜柑を掴むと、厚めの皮を剥いだ。
「私はまだ何もやってないけどね。こうやってご相伴に与ってるぐらいでさ」
 蜜柑は甘くて、美味しい。華扇にもやろうとしたが、彼女は首を振った。もう十分食べたのだろう。
「知り合いがいるというのは、それだけで落ち着きますよ」
「ふうん。あんたもそういうこと思うのね。てっきり、一人でいることが好きか他人が嫌いかの、どちらかだと思ってたわ」
「そう思われても仕方ないでしょうね。長いこと一人で暮らしていると、加減がわからなくなるようです」
 風邪で倒れたことも含んでの言葉なのは、大して考えなくてもわかった。
「風邪なんて引くときは引くわよ。あの青色仙人じゃないけど、異変だとでも思いなさいよ」
 華扇は頷いてみせたが、何かに気付いて、寝転んだままで霊夢の顔を見上げた。
「そもそも、あなたとあの方は、何をしに来たんですか?」
「あー……何だっけね。忘れたわ」
 既にここには無いものを持ってきたと言うのも、何だか気が引けた。
 その一方、青娥が来た理由が、再び気になり始めた。
「私がいない間、あいつ何か言ってた?」
「本人があなたに説明した通り、ペットの話ぐらいですね」
「念のため言っておくけど、あいつのペットってキョンシーのことだからね?」
「だから、ペットでしょう?」
 永遠に埋まりそうの無い溝を感じたので、霊夢は溜息を吐いた。
「ま、あいつに何か目的があってもなくても、早く風邪を治すのに越したことないわね」
「大丈夫ですよ。精神が落ち着けば、後は呼吸法で大分改善しますから」
「……あんた、どんだけ心細かったのよ」
「ばっ、馬鹿者! 誰が心細いなんて言いました!」
 起き上がろうとして、折角整いかけていた呼吸が、咳によって乱れる。
「もう、起きちゃダメだっての」
 そんな簡単なことが守れないから、ああやって倒れるのである。
 ――人の話は聞かないし、偏屈だし、まったく、妖怪も仙人も大差無いわ。
 頭に浮かぶ有象無象に、霊夢は首を振った。


 山の夜は静かだった。夜行性の禽獣の身じろぎや、木々や谷間を通る風も、山の大きな精神と一体になってしまっては、聞こえてこないのだった。
 それは人間の呼吸や脈の調べが、意思の強さによって聞こえ方が変わるのにも似ていた。
 霊夢は暖炉の前に佇んで沈思するような趣味は無かったが、客用の寝台で足を擦り合わせながら、影と一緒に寝転んでいると、様々なことが不思議に感じられた。自分がここで寝ていることや、蜜柑が甘かったこと、華扇と青娥、紫……かぼちゃ。
 眠りに就いて、どれぐらい経ったろうか。
 寒さで目を覚ました霊夢が勝手口から外を眺めてみると、青白い闇がどこまでも続いていた。
「やあ、積もったわね」
 まだ朝日の上らない山中に、膝上まで埋まる量の雪が積もっていた。華扇が手入れしたがった畑も、今では雪の下だろう。
 雪かきは必要だろうか、と少し考えたものの、いざとなったら二階の窓から出入りすれば済むだけの話だと割り切った。人の家に来てまで、雪かきの心配はしたくない。その分は自分の神社のために取っておきたい。温泉と地熱の相乗効果でかなり楽になったが、固まった雪は崩さなければ解けない。
 ――案外、境内の雪をそのままにしておけば、あいつらも宴会なんてやろうとは思わないんじゃないかしら。
 そんな不穏な案が浮かびはしたものの、連中なら「これはこれで」などと言って、雪の上で好き勝手に宴会をやり始めるに決まっている。屋根の上というのもありうる。
 そうした光景がありありと頭に浮かんだ霊夢は、布団に入り直す気も失せて、台所の竈に火を入れた。
 この邸は囲炉裏が無い代わりに、竈の熱が床下にも流れるようになっている。朝日が雪原を撫で始める頃には、炊事のために動くのも億劫に感じなくなっていた。

 華扇はよく寝ていたが、大鷲が邸の上に来たので留守を任せることにして、乾物と汁物で簡単に済ませた霊夢は、神社に戻った。
 早めに神社へと向かった理由は簡単で、また明白でもあった。
 神社の境内には勝手にかまくらが作られ、中では萃香が角で壁を突いたままの格好で酔い潰れていた。炬燵に足を突っ込んだ紫は、お銚子を枕にしていた。
 想像の斜め上をいかれたことに呆れる一方で、炬燵の火が気になった霊夢は、しかし炬燵の中には火の元が無いことを知って、どういう原理なのか首を傾げた。
 そして炬燵布団がめくられたことで、紫が目を覚ました。
「もう春かしらね」
「あんたと話すといつでも春を感じられるわ」
「うふふー」
 半分寝ぼけているようで、また目を閉じてしまった。
 霊夢は除雪用のスコップを取ってくると、かまくらの入り口を雪で塞いで、そこに空気穴だけ開け、何も見なかったことにした。
 青娥の姿は神社のどこにも無い。
 一度帰ったのか、端から留守居などしていないのか。
 元から信頼し切ってはいないので、霊夢は自分の仕事をすることにした。
 鳥居から内側の参道に積もった雪を片付ける間に、太陽は大分高くなっていた。
 拝殿の上がり段に腰掛けて仕事の成果を眺めていた霊夢の鼻を、酒粕の香りがくすぐった。
「お疲れ様でした」
 奥から現れた青娥は、お盆で甘酒を運んできた。
「なんだ、いたのね」
「面倒見は良いと言いましたでしょう?」
 他愛の無いことを言い合いながら、甘酒に口を付ける。まだ熱いそれは、鼻と喉をいい具合にかき回してくれた。
「……これ、うちにあった酒粕じゃないわね」
「あ、わかります? 私が趣味で長年作っているお酒から取ったものですよ」
「死体でも混じってんじゃないでしょうね?」
「お酒はお酒、キョンシーはキョンシーですから」
 そんなきりりとした表情で言われても困る。
 とはいえ、あの華扇でさえ獨酒を作っているし、「どうしてぽんぽん頭巾取らないのよ」と詰め寄ったときも「こ、これは出来立ての獨酒を濾すのに使うんです! 陶潜だってやってます!」とかよくわからない突っぱね方をしていた。
「ところで、昨日はここに泊まったの?」
「泊まりましたよ。あそこのかまくらで一緒に飲んだり、温泉に入ったり」
「わりと好き勝手にしてたのね」
 度が過ぎてさえいなければ、霊夢も怒りはしない。さもなければ、かまくらで冬眠してもらうだけである。
「それにしても、この甘酒美味しいわね」
「あら、本当ですか? それなら家に置いてある酒粕で余っているものを、おすそ分けしましょうか?」
「もらうわ」
 酒粕なんて物は、あればあっただけ助かる。粕汁だけで一冬過ごせる自信まで霊夢にはある。
「じゃあ、出来るだけ早めに用意しておきます。それより、もう一杯どうです?」
 空になった霊夢の盃に、青娥が視線を注ぐ。
 霊夢は返事の代わりに、盃を差し出した。


「ぶえーーーーっくし! あー、ばろちくしょーい……」
 くしゃみを豪快に飛ばした霊夢は、自分がいつの間にか、寝てしまっていたことを知った。飲み慣れない酒粕で造った甘酒は、酔い易かったようだ。
 よっぽどくしゃみがでかかったのか、境内のかまくらがどかどかと崩れて、中から萃香が出てきた。
「しまったなー、かまくらを壊してしまった。あれれ? もう日が傾いてるじゃん?」
 萃香は自分が壊してしまったと思っているらしく、都合が良いので霊夢は黙っておくことにした。
「あっ、霊夢! おっはよー!」
「おそよー。私のことは良いから、そこに埋まってる紫を掘り出してやってよ」
「霊夢のことだから、放っておけと言うかと思ったけど?」
「万が一そのままの状態で死なれたら、土が腐るでしょ。でも、まあ、そうね。助けるのは私が出かけてからにしといて」
「うん? また山の仙人の所? そういえばあの青瓢箪がいないな」
「瓢箪?」
 青娥のことだろうが、確かに彼女の姿が無い。萃香は景気付けに自分の瓢箪を呷った。
「酒を注ぐのが上手いから」
「……なるほど」
 自分の洒落に霊夢が感心したと思った萃香は、にしし、と笑った。
 霊夢が頷いたのは萃香にではなく、青娥の面倒見の良さについてだった。


 日中の暖かさに肌を潤した雪原には、冷たい風が当たり始めた。
 そこでは今、二人の仙人が、二十メートルほども間隔を開けて対峙していた。
「ついに馬脚を現しましたね。午前中、体力を温存していた甲斐があったというものです」
 普段の道士服に着替えた華扇の視線が、青娥を見据える。
「そんなつれない言い方はしないでいただきたいですね。私は最初から、あなたの力が見たかっただけです。本調子ではないのが残念ですが……私もあまり、遊んでばかりもいられません」
 青娥は薄ら笑いを浮かべると、宙に浮かび上がった。彼女が宙で手を翳せば、周囲に無数の雪玉が飛び上がった。
「どうです? これが本当の仙力というものです。あなたはどんな力で対抗してくれるでしょうね?」
 青娥の羽衣がにわかに風に揺れた。
 大凡、三百個はあると思われる雪玉の内、百個程が、華扇へと襲い掛かった。
 それらは大した工夫も無く真っ直ぐに飛んだから、あくまでも様子見のつもりらしい。
 華扇は雪原に掌底をかまし、白色の帳が雪玉を防いだ。
「なるほど、正に力です。それでこそ鬼の――」
 最後まで言う前に、華扇の放った一発の雪玉が、帳を反対側から突き破って飛んできた。
 それは、青娥の顔面へ突き刺さるかという勢いだったが、寸での所で、猛烈なカーブを描き、外れた。
 浮かんでいた雪玉の半数近くを巻き込んで、雪の上に落ちる。
 雪膚が千切れ飛び、風に舞った。
「雪玉にも関わらず、これほどの回転をかけるとは」
 青娥が睨んだ先には、右腕の包帯の解れを確かめる華扇の姿があった。
「嘘と口数の多い輩は好きません。我が右腕に投げられない玉は無いということを、証明してあげましょう」
 喋りながら、軽い調子で足下の雪を掴む。そしてぎゅっと力を込めたかと思うと、開かれた掌には、カチカチの雪玉が出来上がっていた。うっすらと、煙のようなものも上っている。
 青娥もまた、雪玉を雪原から作り出す。生き残った玉と大きさを比べると、新たな玉は十倍近くある。その代わりといってはなんだが、数自体は減っていた。
「これらをかわし、破壊した上で、私にどんな玉を当てようと言うのでしょう?」
「待ちなさいよ!」
 大声を上げたのは、たった今到着した霊夢だった。
 彼女は雪原には降りず、上空で臨戦態勢を取った。話を聞かぬのなら行動で示すつもりだ。
「華扇、あんた、寝てなきゃ駄目じゃないの!」
「風邪なら治りましたよ」
「嘘つかないでよ。汗かいてるじゃない」
「私は嘘は好きじゃありません」
 嘘をついていること自体は、否定しない。
 ――強情な。
 これは一度、やりたいようにやらせてから止めるしかないだろう。
 そういう霊夢の思考は呆れではなく、諦観である。今の華扇からは汗だけでなく、明らかに普段とは違う気が出ており、こちらが下手なことを出来る状態ではない。
 華扇と霊夢の間に信頼とも緊張とも取れる関係が成立したところで、青娥が何事か語り始めた。
「以前、暇潰しに外の世界で野球を教えたことがあります」
 ――こいつは急に何を言い出したんだ。
 霊夢の目が明らかに胡散臭いものをみるものに変わった。
 が、華扇の目は真剣さを増した。
「その人間は体が弱かったですが、強力な意思を持っていました。文人としても優れていましたから、私は戯れに、かつて日ノ本にも野球に似た遊びをした種族がいたことを教えてあげたのです」
 意味ありげな視線を華扇に投げかける青娥だったが、華扇は押し黙っていた。
「その種族の名は、鬼。――彼らの技は礫を投げる技術にも応用され、動乱の時代には重宝したようですね。武士が率先して鬼退治をした理由に一つでもあります。節分に豆を投げ付けるのも、彼らへの意趣返しなのでしょう」
 そこまで一挙に言って、青娥は柔和に微笑んだ。
「ところでその右腕、どうされたんですか?」
 まるで今気付いたことのように言ってみせる。
 華扇は憮然としていたが、逆に質問をした。
「あなたが野球を教えた相手というのは、どなたなんです?」
「正岡子規」
 彼の野球好きは有名である。華扇も青娥に負けない程度には余計な知識の量はある。こう言い返した。
「体の弱い方が好きなんですか?」
「嫌いじゃないかも」
 ここに神子がいれば、苦笑いの一つでも浮かべただろうか。
 霊夢は話の半分も理解していなかったし、する気も無かった。
「私、そういう大げさな嘘は好きじゃないのよね」
 ちらりと華扇の方を見ると、彼女と目が合った。
 華扇は何に嗤ったのか、ゆらりと片足を揚げ、投球フォームに入った。
「臨! 兵! 闘! 者! 皆! 陣! 列! 在! ――」
 そこまで力を籠めて叫ぶと、高々と揚がった片足が、ぴくりと動いた。
「ぜぇええええええええええん!」
 津波が砕ける直前を彷彿とさせるその動きは、かくして怒濤となり、雪玉を発射した。
 瞬間に華扇の周囲の雪がめくれて、地表からは土埃が立った。
 投げる際に地面に振り下ろされた片足は、細かな地割れを生じさせた。
 上空にいた霊夢には、射出された玉が弾丸のごとく回転し、雪原を真っ二つに裂いていく様を見ることができた。
 青娥は華扇がどういう玉を投げるか完璧に予想していたようで、大きい方の雪玉を数個、自分と華扇の間に並べた。
 青娥の計算では、先頭の雪玉に華扇の雪玉が衝突し、それに押された先頭の雪玉は次の雪玉に、そしてまた次の雪玉にと衝突を繰り返し、最終的には青娥の道術によって華扇の雪玉を大玉ごと跳ね返すことになっていた。
 その計算は、先頭の雪玉と共に砕けた。
 華扇の投げた雪玉は軌道を安定させるために回転していたわけではなかった。華扇があまりに巨大な力を籠めて投げたことで、回転しないことには形を保つことが出来なくなっていたのだ。
 そこにより大きな雪玉が加わったことで、中に籠っていた力が外へと伝わり、威力は弱まるどころか、飛躍的に増大した。
 その威力は、青娥の予想どころか、華扇の予想をも上回っていた。
 三つ目の大玉が加わった段階で、玉の回転は周囲の空気すら引きずり始めた。そこである種の頂点に達した雪玉の、直進する速度は、蚊が飛ぶ程度にまで落ちた。
「素晴ら――」
 青娥が感嘆の声を漏らしかけたとき、玉が爆発した。
 人里からも見えたというその爆発は、華扇の邸を半壊させ、周囲の山々に雪崩を起こし、冬眠に入ったばかりの熊を怒らせ、耳の良い妖怪を失神させた。
 張り出した結界ごと弾かれた霊夢は、それらの光景のほぼ全てを目撃した。
 彼女が見ることができなかったのは、あの二人の仙人の姿だけであった。


 正月、その二人の姿は、同じ寝台の上にあった。
 二人の体にはどこにも怪我は無かったが、どうしようもないことになっていた。
「まさか、二人揃って風邪にかかるとは……」
「いえ、これは風邪ではありません。異変です」
 未だに強情な青娥に、華扇は呆れかえった。
「あなたの所為で、霊夢にまで見捨てられたんですよ!」
「私だってこの風邪の所為でおめおめ帰れなくなっちゃったんですよ!」
 叫び合った所で、二人仲良く、咳き込む。
 今二人は半壊した華扇の邸で、養生する仲であった。
 お互いにおでこの熱を測り合ったところで、華扇は反対側を向いた。
「布団、引っ張らないでもらえます?」
 青娥の切実な訴えに、華扇は呟いた。
「……あのときはありがとうございました」
「何のことです?」
「あなたのおかげで、霊夢は全部が全部、でたらめだと思ったようですから」
 華扇は自分が強情な所為で、事態を悪化させたことを自覚していた。そもそも、自分が風邪をこじらせたのが原因である、と。
「私は仙人としては半端なもので、自分本来の力に頼らざるを得ないときがあるのです。情けないことです」
「頼れるものには、何でも頼るべきです」
 ――まさか、最初から心配してくれていたのだろうか。
 華扇は首を振って、大した根拠も無い妄想を振り払った。
「とりあえず、一緒におかゆでも作りませんか」
「そうしましょう」
 仙人の食生活はわびしい。それは正月でも変わらないことだった。
 元気になった二人が最初にしたことは、霊夢にかぼちゃの煮付けを作って、持っていくことだった。
 そのとき霊夢から出された粕汁の味を、華扇は長いこと覚えていた。