栗子

 四季映姫は自分の手にあるフォークを、持ち手の人差し指で撫でた。デザートフォークのでこぼことした意匠が指の腹に当たる。
 目の前のテーブルにはモンブランケーキがある。鼻から舌が出そうな爽やかな栗の香りが、先程から鼻先に漂う。藍色のテーブルクロスは洋食器の白を引き立てていて、肘を突いているだけで楽しい。
 日射しはやや強かったが、葉の熟れた木立が風を染めて、総じて暖かい雰囲気と言える。
 晩秋、このような天気に休日が恵まれたのは僥倖だろう。それは間違いない。
 ただし。
 思考の油断を戒めて、映姫は円卓の顔ぶれを僅かに色の付いた眼鏡越しに見遣った。
 まず目に入ったのは斜向かい、眠そうな顔の妖怪である。紅茶の香りが絶えた途端に椅子から落ちそうだ。コーヒーでも飲んだらと皮肉混じりに言ってやっても「飲むと眠くなる」と子どもみたいな返事をした。八雲紫は壮健である。
 彼女と映姫の間には見慣れない顔の少女が、ケーキの他に頼んだメニューでも待っているのか、頻りに視線を投げている。比名居天子のような天人を間近で見るのは映姫の立場だと滅多に無い。
 当初、紫が映姫のことを閻魔だ閻魔だと連呼していたが、あちらからは紹介された覚えが無い。つい今し方までの会話から察するばかりである。無礼なのか、はたまた会話慣れしてないのか。利発そうではあるので、今のところは特別に悪い印象は抱いていない。行状は別の筋から聞き及んでいるけれど、この席で言うことでもなかった。仕事中の暇を縫っているならともかく、今日は終日オフである。
 そのオフに妖怪くんだりと茶を飲んでるなどと天狗辺りに嗅ぎ付けられたら面倒だが、その心配は無い。
 ここは幻想郷の淵みたいな場所である。外ではないが、来られる者は限られている。そこにある喫茶店の前庭に整えられた茶の席で、三人は落ち着いている。
 店をやっている白髪首、一応は映姫も紫も顔なじみだが、きさくに話し合うような仲でもない。
 外の人間がここに来る場合は、旅行の途中で車が故障したため近くの館に立ち寄ろうとするとか、オカマたちに評判のペンションに泊まるとかすると、来られるかもしれない。今も四、五名のが地図を前にしながら濃そうな色のコーヒーを飲んでいる。濃いのは目の隈もだが、口出しするのは御法度だ。
「それでなんだけれど、暇な閻魔様」
「暇じゃありません。休みです。彼岸はみんな、西を向いてるんです」
 馴れ馴れしい口を利いた紫に、ぴしゃりとやる。休みでも性格が変わるわけではない。間に挟まれた格好の天子が、あの、と口を挟んだ。気を遣ったのではなく、二人だけでガアガアやられては堪らないと思ったのだろう。目尻の辺りがひくついている。
「彼岸は忙しそうなイメージですけど?」
「幻想郷特有です。逆に何故だか、盆と年末が忙しいのですよ。普通は暇なはずなんですがね……」
 二人の会話を、紫は含みのある笑顔で聞いている。恐らくは理由を知っているのだろうけれど、腹立たしいので聞き質したりはしない。
 代わりに、モンブランの上に盛られたクリームにフォークを通す。ふわりとした感触が、目鼻にまで伝わったようだった。丹念に素材を混ぜた証拠だ。一口含んでから、はうん、と溜息を吐く。
「こんな特技があるなら、あの孫娘にも作ってあげたら良かったのに。刃傷沙汰の少ない子に育ったかもしれませんよ?」
「『孫なんかに食わせるには勿体ない!』とか?」
 口調を似せた紫が、自分で嗤う。
「まあ、半分死んだような身の手慰みにはちょうどいいんじゃございません?」
「そこら辺、半人半霊というのもなかなか人間臭さが強いですね。かえって目立つぐらいで。ところでその胡散臭い口調は何とかならないんですか」
 うわさ話の勢いで誤魔化そうとしていたのか、あからさまに嫌そうな顔をされる。
 そんなに苦手なら、私を誘わなければ良さそうなものだのに。映姫は紅茶に砂糖を足しながら、これまでのことを思い返す。
 住んでいる平屋の部屋という部屋にある畳をひっくり返して、ハタキと箒で埃を叩き出した頃である。

 昼はどこかで蕎麦でも食べようかと頭の中で職場の知り合いのリストを繰っていたとき、玄関口から声がかかった。
「ごめんください、閻魔様はご在宅で?」
「はいー?」
 手拭いを頭に巻いたままで応対すると、相手は面食らった様子だった。連れのふよふよとした半霊も玄関戸の縁に頭をぶつけて、塩かけられたナメクジみたく不定形になっている。こんなのの連れは、冥界を任せている西行寺の庭師だけだ。
 たまに挨拶を交わす程度ならともかく、こうして顔をまともに向け合ったのは数年ぶりだった。
「これはこれは……説教でも聞きに来ましたか」
「いっ? そ、それはまあお忙しいようなのでまた今度ということでお願いします。ええ」
 否定されるだろうとは思っていたから、気に障ったと思われない程度に微笑んでおく。ましてや、たまたま近くを通りかかったなんてことがあるはずもない。
「何か言伝でもありましたかね」
 これ以外の用件は無いだろう。そう思って手拭いを取っていると、
「受け取ってください!」
「わあっ!」
 眼前に便せんを突き付けられた。一瞬、暗殺用の武器でも繰り出されたかと思ったぐらいの勢いである。
「おお、これは……またなんとも」
 戸惑いながらも受け取ってみれば、可愛らしい便せんだった。別にハートマークがちりばめられているわけではないが、クリーム色の地に白い水玉が散っていて、心なしか甘い匂いがする。女学生の香り、とかいうと誤解されそうだが、そんな感想を抱く。
 反省文でも書いてきたんですか? 危うく口から漏れそうになった言葉を飲み込んでいる内に、
「そ、それでは私は失礼します! はいっ!」
「あの、ちょっと!」
 呼び止める声を無視して、帰ってしまった。半霊には手が届きそうだったが、あとちょっとという所で飛び去られる。
 埃と日射しの匂いの中で呆然としながら、今一度便せんに目を落とす。
「可愛いところもあるんですねえ……」
 年がら年中、辻斬りをしてそうな印象だったのだが。
 説教が効いたんだろうかと内心で喜びながら、何気なく便せんを裏返す。
「ああっ?」
 目を、疑った。
 差出人の部分には丸文字で『八雲紫』と書いてあった。

 その内容が、今いる場所へ来いという誘いだったわけだ。
 珍しいというより、気味が悪かった。便せんそのものもだが、それについては人それぞれ趣味というものがある。
 いやあ、あるいは私を困惑させるのがそもそもの目的で……。
 考えれば考えるほどくだらなかった。
 まあ、ここの季節ごとに変わるケーキは好きなので、構わないといえば構わない。紫が天子を連れていたおかげで自分の目でどういう人物か確認もできた。
 案外、それが目的だったのか……なんて勘繰りもするが、それはありえない。そういう親切心を彼女が持ち合わせていないのは、短くない付き合いでよくわかっている。良くも悪くも、全て打算だ。打算が過ぎて、むしろ人間臭い領域にまで達している。
 多分、まあそれで確定だろうけれど、天人を連れ回すのが楽しいのだろう。紫のお気に入りが博麗の巫女なのは疑いようのないところだが、無遠慮に付き合える相手ではない。
 巫女は例え相手が誰でも等しく優遇し、等しく冷遇する。そんなのと付き合って毒に中らないのは、あの白黒の魔法使いのような人間に限定される。人間はお互いが人間だというだけで付き合えるからだ。そうでない場合は、我執や妄執に囚われているに過ぎない。
 話はこうした相性に限らない。巫女は人で、紫は妖怪。幻想郷では些細な違いに思えるかもしれないが、この違いがもたらす影響は絶対だ。
 寿命、嗜好、食習慣、文化、知識。これらの全てが違ってくるのだから当然とも言える。
 同じ人外、妖怪となると、天人以外では西行寺のがいる。とはいえ近頃は比較的活発でも、元が陰気な性質だ。陰気は一つ所に固まるのが理想で、特に西行寺のはその物騒な能力のこともあって、あまり外に出てくれるなと、それとなく言い含めてある。半人半霊の場合ははっきり言ってやったが、あれは霊魂相手の辻斬りがあったため、特別だった。
 考えてみれば、冥界から紫を引き剥がしているのは自分で、それが巡り巡って今日みたいなややこしい状況に行き着いている。映姫は嘆息する。これも己の業がためなのだろう、と。
「女のため息、行き遅れ」
「上手いこと言うわね」
「でしょー?」
 きゃっきゃっとやっている、他二名。行き遅れだのなんだの映姫には関係が無くても、からかいの種にされて心静かでいられるものでもない。
 意趣返しも兼ねて、今度は意識してため息を吐く。
「天界では今頃、あなた方のことをどんな風に噂しているでしょうねえ」
「閻魔の管轄じゃないでしょ? マリリン・マンソンの曲を聴きながら地獄でもスケッチしてなさいよ」
「あんたマンソンなんて聴いてるの? 趣味悪いわね」
 口を挟む紫である。どっちこっち、映姫には意味がよくわかってないので、紫しか反応できなかった。
「アルバム置いてったのそっちでしょー!」
「嫌がらせに決まってるじゃないの」
 とりあえず、単純に仲睦まじいわけではないらしい。こちらがからかっても騒がしくなるだけだと映姫は察する。
 当人らは一頻りやり合うと、天子の方が手洗いに立ち、自然に収まった。
「そろそろタルトが来るんじゃございませんこと?」
 紫の口調が元に戻っている。わかりやすいような、話し辛いだけのような。これぐらいで腹が立つわけでもないので、問いにだけ答える。
「全部でいくつ注文したんです? 私は店主に挨拶していたので、あまり覚えてないんですよ」
「タルトの他には、パイだけですわ」
「それなら、そちらを焼き始めてから持ってくるんでしょう。時間がかかりますからねえ」
 おまけに菓子店でもないので、注文してから作り始める。生地などは用意してあるのだろうが、一つのテーブルのメニューが出揃うのに半刻ぐらいは見ておいた方が良い。
 それでも十分早い方なのだが、紫は不機嫌そうに言った。
「あまり早く早く言うと、店主に自分で作れとか言われるのですわ」
「料理の出来ない乙女になんてことを!」
「まったくまったく!」
 帰ってきた天子が、きょとんとした顔をしながら椅子に座る。
「ちょっとそこな天人、次に店主が来たら、料理ばかりしていたらお前の孫みたいになっちまうぜ、げはは、って言うんですよ?」
「そうよそうですわ」
 こういうときは気の合う二人に圧倒されて、天子はつい口を滑らせた。
「な、なんで私がそんなことを。それに私は」
「はい?」
 一瞬、躊躇したようだったが、彼女は言った。
「私、料理できますから」
 そう言った。


   ******


 みょんなことを、頼まれた。
 紫に頼まれて……いや命じられて閻魔宅に手紙を持って行ったのが、一昨日のことである。
 今日もまた、妖夢は変な頼まれごとをされたのだった。してきたのは紫ではなく、藍だった。まさか今度は果たし状でも、と心配したものだが、内容はまったく不思議としか言いようの無いものだった。
 スルメを大量に持たされたのだ。背中に担いでいる風呂敷包み一杯に詰め込まれているもの全てがスルメである。
 これをあれよあれよと言う間に担がされ、首の下で結び括られ、また閻魔宅へと向かっている。
 帰ったら風呂に入らないといけないぐらい、臭いがしている。変な妖怪が臭いで寄ってこない内にと、まあ考えても仕方ないということもあり、さっさと閻魔宅へと急いだ。
「ごめんくださ……あれれ、珍しい方が」
「やあやあ、みょん吉じゃないか」
 閻魔宅の玄関先、陽当たりの良い場所に、伊吹の鬼が寝転がっていた。なんだか色の黒いクッキーを囓りながら、酒をやっている。
「何ですか、それ」
「紫が焼いたんだよ。私は試食係に呼ばれてるってわけさ」
「へえ……紫様、クッキーぐらいは焼けるだけの技術がおありだったんですね」
「ああ、うん。昔、変な翁に教えてもらったらしいよ」
「奇特な方もいるもので」
 素直にそう思ったのだが、鬼は何やら苦笑いをした。
「でもこれじゃあ、駄目だろう」
「駄目でしょうねえ」
 食べるまでもなく、不味そうである。鬼が囓る音からして、ボソボソした感じだ。酒をやたらと口に運んでいるのも、無関係ではないだろう。
 だからか、
「お! それはもしや酒の肴!」
 スルメに目敏く気付いた。かなりぷんぷん臭っているから、酒で鼻が鈍ってなければ真っ先に気付いただろう。
「ええ、頼まれものです。ここに置いて行っちゃって良いですかね」
「ふんふふーんふふふーんふーん」
 聞いてない。さっさと指先だけで火をおこして、スルメを燻り始める。どうせ食う以外に使い道は無いだろうから、良いだろう。
 家の中からは食器だかボールだかが落ちる音、それに嬌声が聞こえる。もう帰してだの、お菓子が下手でも料理は作れるだの。
 大妖怪に閻魔様。そのコンビに付き合わされている不幸者がいるらしい。巻き込まれる前にさっさと帰って、それこそ菓子でも作った方が良さそうだった。
「あ、ちょいまち! これ頼まれてたんだわ」
「みょん?」
「ほへほほへ」
 手に持っていたスルメを口にくわえて、玄関の内側に置いてあったらしい風呂敷を持ってくる。心なしか、甘い香りがした。
「ほんふらんほはいっへはは」
「何です?」
 風呂敷を受け取ってやると、鬼はスルメを手に取った。
「モンブランとか言ってたな、っての。紫とか閻魔が作った奴じゃないから、安心して食うと良いよ。っていうかあいつら、酒飲みながら作ってるんだもんなあ。ありゃほとんど宴会だ。このスルメを寄越した奴も、そこら辺のことを察したんだろうさ」
「はあ……では誰が? もう一人の方ですか?」
「あ・た・し」
「酒でも入ってそうですね」
「冗談だよー。私は料理がからっきしなのさ。あ、勇儀は作れるな。あいつさあ、見かけによらず……」
「ああ、わかりましたわかりました」
 会ったこともない人の話をされても困る。そもそも人なんだろうか。
 まったく、料理なんて必要がある者が作れればそれで良いし、それなら作れるようになるものである。あれは技能ではなく、掃除とか洗濯とかと大差ない。やるかやらないか、それだけだろうに。
 もっとも、どんなことでも突き詰めるなら、修行しないと駄目なのだが。
「誰かさんに感謝していただくことにしますよ」
「そうしてやんな」
 閻魔宅を飛び去ってから、半霊の姿が見えないことに気付いた。
 どこに行ったのかと思っていると、いつの間にか風呂敷の中に潜り込んでいた。尻尾に当たる部分を嬉しそうに振って、喜んでいる。
 半霊は物を食べられないので、中身そのものを見て楽しんでいるのだろう。
 できることなら作ってくれた方に手紙でも書きたいものだ。そんなことを、思った。