乗化

   一

 ここに、化かしたり化けさせたりで有名な妖怪がいる。二ッ岩マミゾウという名の大狸がその妖怪で、ここ幻想郷では、丸眼鏡をかけた少女の姿として見ることができた。

「ばかす」という言葉は人を惑わす意味だが、「化」という字は、人が倒れ死ぬことを書いたとも、人が変わることを書いたともいう。
 ばかすという音に「化」という漢字が結び付けられた経緯を想像するのはなかなか面白いが、脇に置いておく。

 漢字の「化」といえば、四世紀の人、陶淵明の「帰去来辞」の結びに、

  いささか化に乗じて以て尽くるに帰し
  その天命を楽しんでまたなにをか疑はん

 というものがある。化に乗じる、とは自然に任せるということであり、漢字の「化」が用いられる例としては潤いのあるものだ。
 陶淵明は役人としての暮らしを捨てて後世の誰もが羨むような隠棲と懊悩の生活をまっとうしたが、マミゾウの場合はどうだろうか。


 友人の封獣ぬえに呼ばれた彼女は、根城である佐渡を離れ、幻想郷へやってきた。そこに気負いは無く、「どうれ、化かしてやろう」という純真さがあった。
 考えてみれば山の神も「信仰を復活させる」という神として純真な想いを胸に、幻想郷へやってきた。幻想郷への移住には、スケールの大小はともかく、彼女たちのような純真さが必要なのかもしれない。
 そうした点から幻想郷の経営者である八雲紫の価値観を推理すれば、彼女を覆う暗さの幾分かは晴れる。

 幻想郷では命蓮寺の屋根を借りており、居心地は良い。佐渡の仲間には念仏が好きな奴もいたから、妖怪が寺にいる風景を奇異に思ったりもしない。
 ただし、自分が修行する気は毛頭無い。
 修行の定義とは突き詰めると、人と違うことをすることだ。それによって自身と衆生が救われる。ただし、救われることは救うことであり、救うことは救われることである、という境地に達するのは難しい。
 そしてマミゾウは、既にその境地に達している。彼女は物事の表裏をよく心得ているから「頼られれば助ける」というポリシーに従うだけで良い。つまり、ときに金を貸し、ときに力を貸すのである。
 計算高いようでいて、実際の損得は二の次だ。利用されることもある。それでも、頼られれば助ける。それを続けに続けて、彼女は佐渡では神仏に等しいまでになった。並大抵のことではない。
 命蓮寺の白蓮もその点は心得ているから、他の妖怪の修行に悪影響だとわかってはいても、マミゾウを追い出そうとしたことは無い。

 ――そういう甘さが可愛い。

 マミゾウの心中の声とはそういうものだったが、言っても怒り出しそうなので黙っている。山の神や聖徳太子との会合でも一人で恥をかいたというし、もうそのままの性分でいてほしい。これは全くの冗談ではなく「人徳とはそういうものである」というマミゾウなりの考えからだ。

 今日も白蓮の念仏が、一月の朝もはよから聞こえてきた。
 マミゾウは昨日、夕方から飲み始めて、夜が更ける頃には寝転がっていたから、空が白み始めたばかりのこの時間でも、寝足りないという感じではない。
 布団を敷いてある部屋のすぐ隣、火鉢のある部屋に入ると、ぬえが火を守っていた。
「いつも大儀じゃのう」
「寒いのは嫌だしな」
 そう言うわりに、いつも同じ格好である。心配した白蓮がマントを新調してやったから、出かけるときは暖かそうにしているが、ミニにハイサイという基本形は変わらない。
 妖怪は暑さ寒さに強いとはいえ、温かければ落ち着くし、涼しければ心地良いのは、人間と変わらない。ぬえの格好は、どう見ても寒い。
 そこら辺について以前、突っ込んだ質問をしたことがあって、そのときの答えは「いざ姿を見られたときにダサイ格好だったら嫌だから」だった。なかなかに乙女である。
 そういう乙女からすると、今のマミゾウの格好は看過し難かった。
「いい加減、寝るときに下着になるのやめたら?」
 マミゾウはどてらを羽織っただけで、ほとんどの肌が露出している。今更のように照れると、尻尾で腹の辺りを隠した。
「やめるも何も、酔って起きるとこの格好なんじゃよなあ……」
「もういっそ、『脱ぎ上戸』を『狸上戸』とでも言い換える運動でもしろよ」
「ああ、狐上戸はあるしのう。なかなか良い案じゃ」
「このアホタレ」
 小声で笑った後、二人は無言になった。朝方、透明感のある暗がりの中でじっとしているのも悪くはない。
 この部屋は事実上、二人専用みたいなものなので、他の妖怪はあまり来ない。
 来るとしたら、マミゾウに頼みがあるときだ。
 廊下の軋む音がして、マミゾウは火鉢から顔を上げた。
「誰じゃ?」
「一輪よ。ちょっと来てもらえる?」
 珍しいのが来た。一輪は必要なとき以外はマミゾウやぬえを相手にしない。嫌っているというより、白蓮を尊重しているからであろう。
 マミゾウがぬえに目を合わせると、『お前にだろ』という目をした。よく通る声で、マミゾウは答えた。
「着替えてからで良いかのう」


   二

 早朝の台所は寒かった。着替えを終え、水甕で顔を洗ってきたマミゾウは、上がり框の所に腰掛けた。大半は土間なので、土の部分にはまだ夜露の黒さが残っていた。
 朝飯の支度をしていた一輪から、膳を渡された。膳といってもカブの糠漬けの小皿だけだった。
「味見すればいいのか?」
「そう。新しく増やした糠床のやつ」
 どうして増やしたのか、とは一輪に聞けない。食う奴が増えたからなのは明白だからだ。
 では何故、儂が味見しなければならないのか。自問したが、食えれば良いやと片付けた。
 どてらの袖から手を出して、一切れ摘んだ。
「うん、うん。よく漬かってるぞ」
 お世辞ではなく、口の中一杯に香りが広がって、飯がいくらでも食えそうだ。
「そう。んじゃ、今度これね」
 手渡されたのは味噌汁だ。お椀の半分も入ってないが、出来立てなので湯気がもわもわと立ち上っている。マミゾウの眼鏡も曇ったが、構わず啜った。
「うーん、腹にしみる……」
 この寺の料理は薄味のはずなのだが、赤味噌とダシの具合が良いらしく、これも飯に合いそうだった。
「なるほど」
 一人で納得した一輪は、マミゾウから膳を返してもらうと、あっという間に空になった食器を水に漬けた。
 そのまま、飯釜の様子や竈の火加減を見始めた一輪は、不意に振り返って、マミゾウを見咎めた。
「もういいわよ」
「これだけ? なんで儂だったんじゃ?」
 半端に腹に入れたせいで、余計に腹が減ってきた。どうせならこのまま、ここで朝食を済ませたいぐらいだ。
 一輪は面倒臭そうに一度視線を逸らしてから、マミゾウに目を合わせ直した。
「あんたが味に『好し』って言えば、他の連中も安心して食べるでしょ。姐さんは何食べても『結構な味ですね』しか言わないのバレてるから、効果無いの」
「まあ、急に味が変わったら、何事かと思うかもしれんしのう」
 山彦の響子が一番わかり易い例だが、ここに修行に来る妖怪は基本、自分の存在意義に迷って寺の門を潜っているので、何事にも敏感な所がある。
 それでなくても寄り合い所帯みたいな寺だから、数少ない共通の問題である食事については、気を遣い過ぎるということが無いのかもしれない。
 その食事を一手に引き受けているのが一輪で、そういえば、とマミゾウは疑問を付け足した。
「食事の支度も修行じゃろ? 他のもんに手伝いとかさせないのかい」
「ああ、それねえ……私も考えたことあるんだけど、私と雲山で、大概が済んじゃうのよねえ。無理に手を増やすほどの大所帯でもないしさ」
 湯気に混じって天井近くに漂っている雲山を見ると、頷きを返された。
「それなら、当番制にしてみるのは?」
「……何? 私の料理じゃ不満?」
「だったら褒めたりせんわい。ただ、何事も変化は必要じゃろ。お前さんにとっても、料理を作らないときがあるのは修行になるんじゃないかのう」
「あんたさっき、食事の支度も修行って言ったばかりじゃないの」
「そういえば、そうだった」
 マミゾウだけでなく、一輪や雲山も笑みを零した。台所での雑談は、他の場所でするよりも素朴になれる気がする。
「でもまあ、いつも私がやってたんじゃ、有り難みが無いかもしれないわ。いっそ姐さんにでも作ってもらおうかしら」
「うん? 作れるのか?」
 あの派手な紫がかった派手な髪で料理をしている姿は想像の手が届かないが、元は彼女も普通の尼だったわけで、別に不思議ではないのか。
「私より上手よ。『料理は魔法の基礎』とも言ってたし」
「魔法か……」
 たしかに、一見して同じ材料から無数の品々を作り出すのは、それだけで魔法と称したくなる。通じるものがあるのかもしれない。もしくは一輪を相手に、白蓮が得意ぶったのか。
 その光景ならばなんとなく想像できたので、楽しんでいると、一輪と目が合った。
「なんじゃ? 用事が終わったら邪魔かの?」
「頼み事を聞いてもらっておいて、邪魔者にはしないわよ。ただ、姐さんのことどう考えてるのかなと思って、ね」
「どう、と言われてものう……儂、ただの居候じゃし?」
「そういうことにしておきましょうか」
 割烹着の袖を揉んで、一輪が料理に意識を戻した。
 思っていたよりものんびりとした会話だったようで、この時期は雪かきが日課になっている響子が、作業を終えて勝手口から入ってきた。
「ふぉー! あったかい!」
「いつも同じこと言うわねえ。服についた雪、ちゃんと落とした?」
「一輪姐さんも人のこと言えないよね。いつも同じこと言うもの」
 と言いつつ、毛の長い、ふさふさとした耳に付いた雪のことは忘れていたようで、手でぺっぺっと落とした。
「響子もここに来るなら、儂もいつも来ようかのう。ぬえと二人でおると、健康に悪そうじゃてな」
「あの子、完全に夜型だしねえ」
 一輪の言う通り、今頃は布団で寝ているだろう。考え方次第ではマミゾウが起きるまで待っていてくれたことになるのだが、本人は絶対に認めないに違いない。
 響子は竈の焚き口の所に座り込んで、呟いた。
「うーん、冬の夜なんて寒くて寂しいだけなのに、よく起きてられるなあ」
 だからこそ、ぬえは起きているのだろう。あれも長く生きているから、「そういう妖怪だから」という以外にも、独特の価値観はある。
 その彼女が居着いたことに白蓮も感慨深いものがあるようで、何かと勝手をしがちなぬえに対して寛容であるのも、そのためだろう。
「外の雪はどうじゃ?」
「降ってはいないけど、結構あるよー。とりあえず通り道だけ綺麗にしたから、後は朝ご飯食べてからにする」
「大儀じゃのう」
 手伝ってやる、とは言わない。頼まれればする。
 マミゾウの呑気な言い方に、響子は頬を緩めていた。


   三

 結局、朝食の時間まで台所にいたマミゾウは、その場で飯を済ませると、日が高くなるのを自室で待ってから外出した。
 曇天ではあったが、降っていないだけマシというもの。白色の強い世界は、自然と目を細くさせた。
 着物の上に襟巻きをし、どてらの代わりに鳶色の外套を被り、大きな尻尾を振りながら、マミゾウは雪道を行く。
 普通なら足が埋まりそうな場所でも、ひょいひょいと歩く。その様は、空を飛ぶことよりもひょうきんなものだった。

 ――白蓮に顔を合わせるのを忘れたな。

 あれだけ彼女のことを話していたのに、間抜けなことだ。マミゾウは自嘲しつつ、歩く速度を緩めなかった。
 幻想郷については不案内だったが、人里の場所ぐらいはわかる。
 マミゾウが出てきたのは、人里を見て回りたくなったからだった。
 近頃は狸の集会に顔を出す以外では寺にこもったままだ。火鉢の傍で読書に励むのも嫌いではないが、この時期はどんな店が出ているのか見てみたい。
 そういう気分になったのも、一輪と料理の話をしたからだ。白蓮の魔法の話も気になっていたが、幻想郷での料理について興味が出てきたのだった。
 里の近くまで来たところで、マミゾウは尻尾を術で隠した。里にもマミゾウのことを知っている者はいるし、力のある者ならすぐに妖怪だと見抜ける程度の変装である。
 これはいわば、身嗜みだった。

 川にかかった橋を渡ると、そこは人里だ。子供らが無邪気に走り回っては、見付けたものを道具にして遊んでいる。
 里の外から来たマミゾウのことが目に留まった子もいたようだが、追ってはこなかった。
 さすがに、教育が行き届いているようだ。妖怪かもしれないと少しでも疑えば、警戒する。人里に堂々と来るような妖怪は比較的安全とはいえ、子供が気安く付き合って良いものでもない。
 そうした環境が、人間以外のものを全て妖怪としていっしょくたにし、不思議なことを魔法だと大まかにくくる土壌となっているようだ。
 霧雨魔理沙のように、魔法使いが一つの職業や身分として認められるのも、この土地ならではかもしれない。
 そこいくと白蓮も、お寺の住職という見方と魔法使いという見方、二つの見方を里の者からされている。
 であれば、外の世界でいう文化人のようなものとして魔法使いが捉えられていると思えば良い。
 魔法使いは潜在的に外の世界の物事に敏感であるし、積極的に知識と技術を取り入れ、必要を感じれば物も仕入れ、自分でも作る。それらは何かしらの形で、一般の者にも影響を与える。
 最初に魔法使いとしてこの土地に居着いたのが誰かはわからないが、そうした人物に文化人としての役目を担わせた里の人間は、随分と上手い方法を見付けたものだ。外と隔絶した社会では、そうした特殊な知恵が必要とされたのかもしれない。

 さて、人里の目抜き通りに出た。
 雪の無いときよりも農作業が少ないためか、人が多く出てきているように見受けられた。やることが無ければぶらつくしかないのは、どこも同じようだ。
 農家の者は、雪の下からとってきた作物や、ずいきなどの乾物を敷き並べていた。タバコを吸いながら、隣同士で取るに足らないことを話しては笑っている。
 中には気の利いた連中もいて、七輪の上でスルメを網焼きにして、酒を仲間とちびちび分け合っている。
「儂にも、ちいと分けてもらえんかのう」
 いつも持ち歩いている徳利を見せると、おう、おう、と頷いて、筵を勧められた。そこに座り込むと、空になった盃に酒を注いでやった。
「あんた、お寺さんとこの狸だろ?」
「なんじゃ、わかってたのか。化かしがいが無いのう」
「昼間っからこんなむさ苦しいのと酒飲んでくれる娘っ子なんて、妖怪でもそうはおらんが」
 ちげえねえ、と笑い合ってから、スルメを多めに分けてくれた。
 この手の食い物は、狸達にもらう以外に寺では調達できない。時折吹く冷たい風がまた、ちびちびとした食い方によく似合う。
「今日はのう、里のもんがこの時期、何を食ってるのか聞きに来たんじゃよ」
 雑談がてらに話を振ってみると、素直に返してくれた。
 内訳としては、やはり玄米と漬け物が中心だったが、寺と違って奈良漬けなども食べているようだ。意外と凝ったものも食っている。
 自分の子供が川で釣ってきた魚を食べていると自慢する者もいたし、兄弟が猟師だとかで、肉を分けてもらっている者もいた。
「このスルメは?」
「外からの行商がいるんだよ。そうそう、ちょうどこいつも、行商の息子だ」
「親父の顔なんて、全然覚えてねえけどな」
 話しぶりからマミゾウは、行商が気まぐれに作って、放っておかれた子供なのかと思ったが、違うらしい。
 そうなった場合は母親と子供が白い目で見られてしまうため、あくまでも行商が子供を里に預ける形になるそうだ。
 母親も母親で「母親が子供のために腹を貸した」というニュアンスになるようで、行商が戻らず、母親が他の者と結ばれても、重婚や再婚扱いにはならない。これは子供自体が神聖視されている側面も影響しているかもしれない。
「結構、ちゃんとしとるんじゃのう」
「嫌な目に遭わないかっていうと、そんなことは無いけどな。今も酒臭い連中に囲まれちまってる」
「へへ、水臭えこと言うなよお」
 ふざけた仲間が頬擦りをする。マミゾウからすると、一番年長の四十過ぎの男も子供みたいなものなので、髭面同士が頬擦りしていても可愛いもんである。
 ほっこりしたマミゾウは、聞くだけ聞いたということもあり、自分でも見て回ろうと腰を上げた。
 行商の息子が仲間をひっぺがして、慌てて言った。
「そうそう、行商といったら、霧雨店の旦那には世話になったよ。あそこの旦那は行商じゃねえけど、『同じ商売人の子供だ』ってんで、何かあるごとに食い物とか縁起物をくれてな」
「ほう」
 大店である霧雨店のことはマミゾウも知っていたが、そういう侠気のある店主だとは知らなかった。
「あそこの旦那なら俺らよりも飯の話には詳しいと思うんだが……間違っても娘さんの話だけはしない方が良いぞ」
「まあ、そうじゃろうな」
 屋号が屋号なので、人づてに『あの』霧雨魔理沙の実家だということは確認済みだった。
 男は「知ってるなら良かった」とほっとしていたが、最初から霧雨店に行く気は無い。
 ああいう大店は、どうせなら妖怪狸としての腕を試したい相手である。店主の人柄の一端を聞いた今では尚更だ。楽しみは後々まで取っておきたい。
「色々と聞かせてくれて、ありがとうよ。また一緒にやろうじゃないか」
 マミゾウはもらったスルメを噛みながら、再び歩き出した。
 家事を終えた者が昼飯の支度を始める前にと買い物に出てきたようで、さっきよりも賑わいが増している。雑踏にかき消されまいと露天商の声も大きくなっていた。
 何か買おうと決めてきてるわけではないから、こうも商売っけが強くなってくると、少し居心地が悪い。
 マミゾウは道の脇に寄って、人の流れを眺めはじめた。
 先にぶらついておくべきだったか、とは思ったが、後悔はしていない。 
 先程は思いもかけず、魔法使いの話に行き当たることができた。人の家の事情を詮索する気は無いが、霧雨魔理沙は実家とは疎遠になっているというし、彼女の見てきた風景には幻想郷における魔法についての示唆が多く含まれているはずだ。
 上手くすれば、魔理沙だけでなく白蓮や他の連中も巻き込んで、面白いことが出来るかもしれない。
 道端で不穏な考えを巡らしているのを見咎めた者がいる。
 それだけの相手はマミゾウも気付くから、二人は目が合った。
 大陸風の着物の上に外套を羽織った金髪の少女が、切れ長の目をマミゾウに向けていた。
「これはこれは、噂に名高いマミゾウさんではないですか」
「……どちらさんじゃったかの」
「失礼しました。九尾の八雲藍と申します」
 ああ、とマミゾウは頷いた。こうして顔を合わせるのは初めてだが、九尾ほどの妖怪のことは嫌でも耳に入る。
 藍はマミゾウと同じく尻尾を隠しているが、隠しているからこそ見えるものもある。マミゾウの目には、里全体を一瞬で覆ってしまえそうな濃さの妖気を纏った藍が、映っていた。
「年が改まったのを機にこうして出会えたのですから、吉兆と言えましょう」
「そう言われると、気分は悪くないのう」
 冗談めかして言ったが、嘘ではない。慇懃無礼な所は無いし、物腰は柔らかい。何より、美人だ。
 マミゾウは美人が好きである。美人はそれだけで価値がある。それは花と同じで、愛でる者によって毒にも薬にもなる。
「顔に何か付いてますか?」
「こんな田舎じゃ、勿体ないと思ってのう」
「ああ、そういうことですか。それもまた生き方というものですよ」
 なかなかの泰然自若ぶりで、マミゾウは少し笑ってしまった。悪気が無いのは向こうにもわかったようで、こんな提案をしてきた。
「どうです? そこら辺でお茶でも」
「おや、美人さんからナンパされるとは思わんかった」
 今度は、藍の方が笑ってみせた。


   四

 藍が案内してくれた先は、一軒家だった。その家の老婆は藍の顔を見ると静かに頷いて、中庭に通したのだった。
 どの草木にも丁寧に雪囲いがされており、池の傍に置かれたテーブルで待っていると、十を数えるぐらいの子供が茶器を一式置いていった。
「何かの術かと思うぐらいのもてなしじゃのう」
「ははは、術とはよく言ったものだ」
 化かすつもりはない、と微笑んで、藍は自分から先に茶碗に口を付けた。
 それに倣ってマミゾウも茶を飲むと、藍が池を覗きながら、言った。
「ここは何かと里のことをお願いしていた家でね。今はもう大旦那も亡くなったから役目も無いのだが……あの老婆が生きている内は、たまに顔を出す約束になっているのさ」
 道端と違って、藍の喋り方は気さくだった。その約束とやらは藍にとって自分を縛るものではなくて、人間との心地良い遊びなのかもしれない。
 そういう気持ちは、マミゾウにもよくわかる。どんなに力があっても、自分のいる風景に潤いが無くてはいけない。人も妖怪も、渇きには強くないのだ。
 渇いたまま生きることもできるが、そこには自分というものはなく、ただ渇きをごまかすためにうろつき回る、哀れさしかない。その哀れさを言葉にすることもできないほどに渇ききり、やがて死ぬのである。
 マミゾウはそんな人妖も沢山見てきたが、目の前で茶を啜っている九尾の方が経験では勝っているかもしれない。
 懐から煙管を取り出したマミゾウは、火皿に煙草を詰めた。
「ここは外よりも煙草に幅があって、嬉しいわい」
 マッチで火をつけると、ぷかぷかやり始める。外の世界だと大規模な禁煙ブームが去って後は、反動で自然崇拝の連中が色々とやり始めて、市場が成り立たなくなってしまった。
 おかげで、口に合う葉っぱを探すだけで一苦労である。
「その外から来たお方は、何をしたいと考えているのかな」
「ぶんぶく茶釜とか?」
「順序がおかしいな。もう既に、寺にいるじゃないか」
「そういえばそうじゃった」
「ふん、食えない狸だな」
 マミゾウがとぼけると、藍も煙管をやり始めた。
 藍が池を覗きながら、言葉を接いだ。
「あなたなら、悪いようにはしないだろう。紫様に怒られない内は、見て見ぬ振りをするよ」
「それじゃあ、その紫様も怒らせるようなことをしないといかんなあ」
「大したものだよ、まったく」
 律儀な奴だ、とマミゾウは内心で嗤った。見て見ぬ振りをするつもりなら、こんな風に話もせずに、それとなく監視の目を光らせていれば済むはずだ。
 それをわざわざ、こうして茶の席に招いているのである。
 昔からこうだったのか、何かあって自分なりに切磋琢磨をしたのか。どちらにしても、こういう人間味を備えた九尾を従えている紫こそ、尋常ではなかろう。

 ――こやつは、池に紫の顔を浮かべていたのかもしれない。

 マミゾウの推理を知る術は無いはずだが、藍は池から視線を外して、マミゾウに体を向け直した。
「さて、と。私から聞きたいことは聞いたし、今度はそっちが聞いていいよ」
「そうじゃのう……」
 滅多にない機会だ。しかし、あれもこれもと聞くのは品がない。
 マミゾウはあれこれと考えて、一つに決めたのだった。
「今日の夕飯、何にするんじゃ?」
「……そんなことでいいのか?」
「飯の件で里に出てきたらお前さんに行き当たったものじゃから、飯の話をするのが理に適うかと思ってのう」
「なるほどね、それは言えてる」
 口元を隠してクスクスと笑う藍は美しく、紫は彼女をどんな風に化かしたのやらと、呆れ半分にマミゾウは煙草の煙を吐いた。
 藍は細めた目を、ゆっくりと開いた。
「カブをすりおろしたものを固めて天ぷらにして、それをつまみに酒を飲もうと思っているよ。あればだけど、百合根なんかも買っていこうかな。後はありものでお吸い物でも用意しておけば、十分な贅沢さ」
 紫がおねむの時期なので、量は作らなくて良いのだという。自分が使役している式も普段はどこぞで好き勝手にしているとかで、雪なんて積もろうものなら顔も見せずに遊んでいるらしい。
「ってことは、ほとんど自分用なわけか」
「そうなるね」
 自分でさっと作れると、そういうときに便利そうだ。マミゾウは舌こそ肥えているものの、「酒があればいいや」と済ませてしまうことが多い。
「つまみかあ……儂は川魚が好きでな。久々に、釣りでもしたいのう」
「酒を飲みながらするには良さそうじゃないか」
「そうなんじゃが、儂が釣りしておると、若いのが勝手に色々と持ってくるでのう。釣りにならんのじゃよ」
 ある意味では釣れているのだが、自分で魚を釣る楽しみが味わえないのも寂しいものだった。
「確かに、好かれそうな感じではあるな。私も気付いたらこうやって一緒にお茶を飲んでるし、そっちこそ何か、術でも使ってるんじゃないかい?」
「お天道様に逆らわないようにしてるぐらいかのう」
「おや、それじゃ私には真似できないな」
「よく言う」
 今日一番の笑い声を上げると、マミゾウは煙管の火を落とした。
 茶碗の中身を飲み干したマミゾウを見て、藍がたずねた。
「もう行くのかい?」
「年寄りの数少ない楽しみをあまり長く一人占めするのは、気が重いでな」
 きっと、老婆こそ藍とお茶を飲みたいだろう。藍は何も言わず、にこりと笑うだけだ。
「じゃあ、また。ごちそうさん」
 中庭から出るときに一度だけ振り返ると、遠くを流れる雪雲を、藍がじっと眺めていた。


   五

 とりあえず昼飯は蕎麦でも食って、ぶらぶらと歩き回ろうか。
 そう思って、蕎麦屋の屋台の椅子に腰掛けたまでは良かった。ところが、熱々のなめこ蕎麦を啜り始めてじきに、面倒なのが現れた。
『あの』霧雨魔理沙が、わざわざマミゾウの隣に腰掛けてきたのだった。
「よう、こっち月見蕎麦な! 天カスは多めに入れてくれよ!」
 マミゾウはあえて無視を決め込んで蕎麦となめこを味わうのに集中していたのだが、魔理沙はトレードマークの大きな帽子を外して、こちらをじっと見詰めていた。
「あー、気になるなー。気になるぜー。狸と狐がどんな話してたか気になって仕方ないぜー」
 見詰めるだけじゃ飽き足らずに、鬱陶しい話題の振り方までしてきた。
 しかしマミゾウは元々、魔理沙にも興味があったはずである。それがどうして、いざ目の前にしたら鬱陶しく感じるのか。
 答えは、マミゾウを挟んで反対側の席にあった。
「私、山菜蕎麦で。いつも通り鶏肉とかは入れないでくださいね」
 白蓮が常連らしい口振りで注文して、堂々と腰掛けていた。
 期せずして黒っぽい服装の二人に挟まれたマミゾウは、とりあえず半分ぐらいまで存分に蕎麦を堪能したところで観念し、酒を呷った。
「ふいー……田舎蕎麦と清酒はよく合うのう。それで、なんでまた二人で一緒にいるんじゃ?」
 ぱっと見、派手だし黒っぽいしで、お似合いだが、接点は限りなく少ない。
 まさかお天道様が「この二人を出汁にして悪さなんかしちゃいかんよー」と呑気に言ってるわけでもないだろうが、気まずさはある。
 と、白蓮がマミゾウの手を取った。
「はえっ?」
「マミゾウさんが一人で出かけたって聞いて、私も一緒にお散歩したくなったんですよ」
「それだけの理由で?」
「それだけって、マミゾウさん、夜中しか出歩かないじゃないですか。不良さんですよ。それが昼間出かけたなんて、何かあったのかと思うじゃないですか」
「不良とか言われても……だって儂、狸じゃしのう……」
 しかも普通の狸ではなく、妖怪狸である。夜行性に輪をかけたようなものだ。
 ぬえのような完徹タイプではないが、出かけるなら夜の方が気楽である。
 しかし、心配されていたとわかって、嫌な気はしない。白蓮の熱っぽい眼差しに鼻の頭を掻いていると、魔理沙が話を補った。
「言ってることは立派だけどな。こいつ、お前が見付からないから、こんな目立つなりなのに通りをウロウロウロウロしてたんだぜ。私なんて通りかかっただけで、知り合いのおばちゃんに『何かあったのか』って聞かれたぐらいでさ」
 それがついさっきの出来事だとかで、マミゾウはその頃、藍と一緒に茶を飲んでいた。
 その話を聞いてから白蓮の方を改めて見ると、両手で顔を隠して恥ずかしがっていた。
 マミゾウは魔理沙に、気になったことをたずねた。
「そう言うお前は、儂が九尾のと一緒だったと、どうして知ってるんじゃ?」
「ああ、やっぱり気付いてなかったんだな」
「どういう意味じゃ」
「私はな、お前が道端でスルメと酒をやってたときから、後を付けてたんだぜ」
「ありゃ! 儂はこんな目立つ黒白に気付かなかったのか!
 気付かれるのは楽しいが、こちらが気付かないのはただの間抜けである。
 馬鹿にされたと受け取った魔理沙がジト目を送ってきた。
「失礼な奴だなあ。こう見えてもちょっとぐらいは気配を消す魔法は使えるんだ。ちょっとぐらいはな」
「あっ、それってもしかして、光系のあれですか」
「そうそう、光系のあれ」
 唐突に、白蓮が口を挟んできた。魔理沙が、マミゾウ越しに答える。
「あれ便利ですよねえ。長時間使っても疲れませんし」
「そうなんだよ。どうせ見抜く奴はどんなの使ったって見抜くんだし、ああいうので良いんだよな」
 専門的なお話に発展してしまったので、マミゾウは伸び始めていた蕎麦をやっつけにかかった。
 もし二人の注文した蕎麦が、もう少し出てくるのが遅かったら、箸も付けずに魔法の話に花を咲かせていたかもしれない。
 ところで、魔理沙があの時点でマミゾウの近くにいたということは、実家についての話を聞かれたかもしれない。
 彼女に対して隠さなければならないようなことも無いので、実際に確認してみると、果たして彼女は話の内容を知っていた。
「やっぱり、親父の世話になってる奴は私のこと気にしてるんだなあ」
 しみじみとした物言いで、蕎麦のつゆを飲む。
 マミゾウは、酒をちびりと飲んだ。
「っつーても、実家に戻る気は無いんじゃろ?」
「無い。やることが無くなっちまう」
「それじゃあ、やることやるだけじゃのう」
「言われるまでもない。やってやんぜ」
「頼もしいことだわい」
 冗談めかして白蓮の方を見ると、山菜蕎麦を真剣な顔付きで啜っていた。
「どうかしたのか?」
「いえ、考えてみれば、魔法使いも僧侶も、出家せざるを得ないものなのかなあ、と……」
「どっちも実家暮らしでやられても困ってしまう点では、一緒じゃな」
「では、僧侶になってから魔法使いにもなった私は、出家した機会を最大限に生かしていることになるのでは?」
 コメントに困ったマミゾウが魔理沙の方を見ると、彼女も眉を顰めて首を振るだけだった。
 そこで、ふと思い至った。
「お前さんって魔法とか使ったせいで封印されたんじゃろ? だったらやっぱり、順当に機会を得てるんじゃないかの」
「ああっ、言われてみれば! 私は二度も出家していたのですね!」
 封印を出家とすんなり解釈できる時点で凄いが、出家する度に戦闘力が激増する設定でもあれば、今頃は百万を超えているだろう。白蓮の場合、あながち冗談で済まされないから怖いところだった。
「魔理沙よ、こんな先輩もおるんじゃし、気楽にやるといいぞ」
「別に気が重くなんてないんだがな」
 いつも通りの皮肉っぽい言い方だったが、笑いが顔に浮かぶのを堪え切れていなかった。
 人間らしい部分を直に触れた気がしたマミゾウは、魔理沙が聞きたがっていたことも教えてあげることにした。
 マミゾウが話している間に魔理沙と白蓮は蕎麦を食べ終えて、店主から蕎麦湯をもらっていた。
「ってことは、ほとんど飯の話をしただけなのか」
「そうなるのう」
「ふうん。てっきり、うちの実家を襲う計画でも立ててるのかと思ったんだけどなあ」
「そんなそこらの妖怪みたいなことはせんわい」
 沽券に関わるので、マミゾウは魔理沙にこんこんと説いた。
 これは言ってみれば、勝負なのである。
 相手をその気にさせ、同じ土俵に上がり、力と技と精神でもって雌雄を決する。そこまでやって始めて、「化かした」と言えるのだ。
 両腕を組んでいた魔理沙は、ははあ、と嘆息した。
「弾幕ごっこと同じだな」
「あれは若干、力の要素が勝ってる気がするがのう」
「おう。弾幕はパワーだぜ」
「そんなことばかり言ってると、力技以外で勝てなくなるぞ」
「痛いこと言いやがる」
 わりと気にしている部分だったらしい。やはり、繊細な所もあるのだろう。それは彼女特有のものではなくて、歳相応のものだ。
 偉そうに言ったが、こちらは力技がそんなに得意ではない。だからといって、技と精神にこだわっているわけでもない。
 弾幕はパワーだというのなら、それで勢いを付ければ良い話で、パワーにこだわることでパワー不足に悩むことの方が、実際の弱さに繋がる。
 その点、白蓮は年の功と言うべきか、一線を越えているように見受けられる。
「魔理沙さんはほとんど独学であれだけのパワーを引き出しているのでしょう? 大したものですよ」
「お前さんも独学みたいなもんじゃないのか?」
「私は法力の基礎がありますからね。関係の無さそうな仏の教えでも、全て力の源となります」
 そういう教えを妖怪の修行にも生かしているのだから、彼女自身の応用力も凡人のものではないだろう。
 魔理沙に白蓮ときて、では自分はどうか、とマミゾウは考えてみた。
 自分は誰かに習ったわけではない。しかし、化かし化かされの見本はいくらでもある。この世の中そのものが、教科書だった。
 そんな化かしの理に適っていれば酒が美味かったし、適っていなければ痛い目に遭った。
 この「理」に当たるものが、マミゾウの言う「お天道様」なのだった。体系的に講釈を垂れられるほどの見識は無かったが、自身を形作るには十分なものだ。
 するとやがて、マミゾウを見本にする者が出てきたわけだが、佐渡に残してきた虎の子には、そういう動機からマミゾウに従った者もいた。
 そいつらの顔が次々と浮かんできたので、マミゾウは微笑みと酒を呷って、誤魔化した。
「基礎といえば、『料理は魔法の基礎』とか言ったことがあるそうじゃが?」
「一輪から聞いたんですね。ええ、言いましたとも」
 自分の胸に手を当てて、ふふんと鼻息を荒くした。よっぽど自信があるらしい。
「山のお寺にいた頃は当たり前のことだと思って料理を作っていましたが、いざ自分で何でも出来るようになると、料理の奥深さに目覚めまして。肉や魚も捌けますよ」
「なまぐさじゃのう。しかし、食ってるのは見たこと無いな」
「先程も言いましたが、仏法が基礎なのですよ」
 一口に仏法と言われてもわからないが、どんなものでも遵守することで見えてくるものがあるということか。
「料理は材料の調達、調理法、保存方法や食し方まで、ありとあらゆる要素が詰まっています。また、そういう直接的なもの以外にも理由はあるのです。外典(仏典以外のもの)にあるように、大陸の三皇には伏羲(ふっき)という料理を人間に教えた者がおります。本邦にも磐鹿六雁命(いわかむつかりのみこと)や荒神といった料理や台所と縁の深い神様もいますでしょう? 料理の歴史は即ち神秘と技術の結晶ですし、そこに範を求めることで魔法の力も増すのです」
 魔法というと西洋の印象が強いマミゾウだったが、白蓮が出してきた名前はどれも東洋のものだった。
 魔理沙の方も、初めて聞いた話のような顔で、この話はあくまでも白蓮にとっての基礎なのだろう。
 と、そこで魔理沙が指を鳴らした。
「もしかして、お前から料理を習えば魔法の秘密もわかったりするのか?」
「きっとわかりますよー」
 ほんとかよ、と心の中でマミゾウはツッコミを入れたが、よくよく考えてみたら、会話としては凄く真っ当な内容になっていた。
 何せこの二人は、料理の話をしているのである。
 その事実に改めて驚いたマミゾウは、閃いた。
「今日は二人で、寺の夕飯を作ってみたらどうじゃ?」


   六

「そういう賑やかなの、苦手なんだよな」
 夜遅く、部屋に戻ったマミゾウから事の経緯を聞いたぬえは、溜息混じりに呟いた。
 何やら賑やかなのは察していたようだが、顔は出さずにここで寝ていたのだった。
「ま、そう思ったから声をかけんかったんじゃが……」
「……何さ?」
「美味かったぞ。二人の料理」
 白蓮はともかく、魔理沙も相当だった。元々和食が好きなので自分でも色々と作るのに加え、森でとれる種々のきのこの活用法を追究した結果、技術的にかなりのものになっていたようだ。
 メニューは白蓮が決めたものが主体で、煮物だけでなく、油で揚げた食材に餡をかけたものなど、凝ったものも出てきた。魔理沙は特に、この餡の類に気合を入れたとかで、確かに美味かった。
 思いもよらずご馳走にありつけた寺の者は喜んでいたが、一輪だけは「こんなに材料を使って……」と小言も口にしていた。複雑な所があったのだろう。
 もっとも、白蓮に向かって「美味しいです、最高です」と何度も言っているのをマミゾウは聞いていた。
「ふうん」
 いい加減に相槌を打ったぬえを見て、マミゾウは鼻で嗤った。
「まだ、台所に少し残ってるぞ」
「……ちょっと、手洗いにでも行ってくる」
 そう言って、ぬえはのそのそと部屋を出て行った。

 しばらくして、白蓮が部屋にやってきた。
「ぬえはちゃんと台所に行ったようですよ」
「あいつどうせ、後で『手洗いには行ったよ。手を洗ってから食事したのさ』とか言い出すぞ、きっと」
「戻ってくる前には、私も退散しないといけませんねえ」
 二人で火鉢を囲んで、低く笑った。
 こうして、白蓮と二人きりになる機会も滅多に無い。マミゾウは煙管の煙を味わいつつ、白蓮の顔を眺めていた。
「どうかしました?」
「うんにゃ……不思議な感じがしてな」
 ついこの間まで、魔法使いなんていう輩と膝を突き合わせるなんて、思ってもみなかった。それが今では、同じ飯を食っているのである。
 マミゾウの言葉に、白蓮は頷いた。
「私も久々に魔理沙さんみたいな子に先輩風を吹かせられて、楽しかったですよ」
「まあ、あいつの目的が達せられたかどうかはわからんのじゃがな」
 魔理沙は予想外に料理が好評だったので、単純に嬉しがっているように見受けられた。厨房で白蓮と並んで立っている姿も見ていたが、目の前の料理に夢中になっていたようだった。
 マミゾウが茶化すつもりでそう言うと、白蓮は口元を押さえて笑った。
「本当は、それが目的だったのでしょう? 魔理沙さんを化けさせるために」
「……まいったのう」
 少し、甘く見ていたかもしれない。
 マミゾウは煙を深々と吸って、吐いた。
「いつ気付いた?」
「むしろ、私が言いたいですね。気付いてなかったんですか、って」
「儂が? 何を?」
「厨房に立っている魔理沙さんを見る目、サイコロの出目を見守っているみたいでしたよ」
「尻尾が出てしまったというわけか」
 マミゾウの閃きとは、魔理沙に料理を作らせてからかうのが目的ではなかった。
 彼女が料理と魔法を結びつけることで、今後、実家との距離感が変わるのではないかと予想したのだった。そういう変化があれば、霧雨店に食い込むチャンスも出てくるだろう。
 これは希望的観測ではなくて、白蓮という目に見える見本がいるからこその考えだった。今後、これを補填していく必要はあるだろうが、楽しみとしては悪くなかろう。
「――とまあ、そういう考えじゃな」
「なるほど。意外と穏当で、安心しました」
「人をダシにしている時点で、穏当も何も無いじゃろ」
「でもそれ、魔理沙さんの変化を見守るのが大前提じゃないですか。穏当ですよ」
「単に投資しとるだけじゃよ。奇貨居くべし、というじゃろ? あれじゃよ、あれ」
「ふふふ、そういうことにしておきましょう」
 マミゾウは自分の大きな尻尾を揺すってから、白蓮にやり返した。
「儂はお前さんにも投資しとるつもりじゃよ」
「また、そんなことを言って。困りますよ」
 急に引き合いに出されて、恥ずかしがる。火鉢に突っ込んで燃やしていたら、いくらでも眺めていられそうだ。
 マミゾウが細い目を向けていると、白蓮は腰を上げた。
「ぬえが戻る前に、失礼します」
「ああ」
 白蓮は去り際に、こう言い残した。
「お料理なら、いつでも作ってあげますからね」

 一人残されたマミゾウが頭を掻いていると、やがてぬえが戻ってきた。
 珍しく困った風な顔付きの友人に、ぬえは首を傾げた。
「なんだ、食い過ぎで腹痛でも起こしたのか?」
 マミゾウは眼鏡を拭きつつ、こう答えた。
「化かされてるのは、儂の方かもしれんのう」
「何を言ってんだか」
 やれやれ、と定位置に座ったぬえが、酒を注いできた。
「お前がここにいるのは、私が上手く化かしたからだろう?」
 それを聞いて、マミゾウは夜にも構わず、大笑いした。
 その晩にぬえと痛飲した酒は、まことに美酒だった。