冥っ子万歳

 姪っ子が欲しい。
 幽々子様の言葉を、私はいつもの仏頂面で受け止めた。この人の言うことに一々付き合っていたらキリが無い。かといって全く取り合わないのも角が立つ。
 ここ最近の例を挙げようか。

 秋の夜長を楽しむと言いつつもすることが無く、単に早寝早起きの生活が狂った。知人の集まりの席で『亡霊でも屁は出るのか』という話題にかこつけて、薩摩芋を食いまくった。たまには冬囲いを手伝ってくれるという話を袖にしたら、やり終えてあった分の囲いの結び目が全て蝶々結びになっていた。

 ……毎日のほんのちょっとの我慢で、私の生活は安泰でいられるらしい。私はしばらく思案している風を装って緑茶を啜り、頃合を見計らって湯飲みを置いた。
「姪御以前に、御兄弟がおられませんが?」
「そんなことはわかってるわよ」
 何故か怒った口調だった。こちらとしては幽々子様の『姪っ子が欲しい』という気持ちを最大限に尊重し、現実的な障害について取り上げただけなのだが。
「私はね、別に姪っ子が欲しいわけじゃないの」
「言ってることが違うじゃないですか」
「いやいや、欲しいことは欲しいんだけど。兄弟がいないもん。親もいないもん」
 何故か不貞腐れられた。午前中の内に休憩抜きで囲いの仕上げを終えたのは正解だったらしい。私は二人分の湯飲みに茶を足し、胸元のリボンタイを締め直した。
「つまり、姪っ子が欲しいと思っただけですか」
「そう言ってるじゃない」
 言ってない。
 まったく、思っただけで済んでくれてれば良かったのだが、この人は思った端から口に出す悪癖がある。そのくせ、それについて突っ込むと『勝手に聞いておいて文句を言うな』といった具合の顔をされる。たまに『それぐらいもわからないのか』と馬鹿にされる。
 今日もそうだった。実に腹立たしい。
「選りにも選って、どうして姪御なんですか。子供が欲しいなら、まだわかりますよ。まだ。本当は嫌ですけど、百歩譲りますよ。御庭の広さに比べたら微々たるものですよ。大体、自分からして子供みたいなくせによく言いますよ。欲しいと思うだけでも罪ですよ。わかります? 罪ですよ、罪。幽々子様みたいな御立派な方には罪悪感なんて皆無なんでしょうけど、この際だからよくよく覚えておいてください。罪です、罪。ツマミじゃないですよ。マが抜けてるから間抜け、とか言い出したら怒りますよ。わかりました?」
「んーと、えーっと……妖夢はレッドピラミッドシングよりも弱いって話?」
「違います」
 よくもまぁ罪悪感繋がりで遠くまで行ったものだ。しかも弱いときた。あんな三角頭より私が弱いわけが無い。
「大体、あの方々は耶蘇教ではないですか」
「教団が嫌になって、仏教に……セガールと同じね」
「はいはい、デマは結構です。それにセガールは禅です、ZEN。――それで、どうして姪御なんですか」
「そういえばそんな話だったわね」
 最初からその話だ。危うく三角頭とセガールが厨房で戦ってる図を想像してしまった。しかも、プレデター乱入で爆発オチという、くだらない想像だった。
「やっぱり、こう、姪っ子には夢があると思うのよ。夢が」
「実際、夢物語ですしね」
「話の腰を折らないでくれる?」
 私が黙ったのを見て、幽々子様は調子に乗った。腰が砕けるまで三角木馬にでも乗っててもらいたい。
「歴史上の人物は大概、姪っ子に恋をしているものよ。ぎりぎり三親等内な辺りがまた危険よね。危険イコール素敵よね」
 ああ、イコールなんだ。私が微妙な感慨に耽っているのにも構わず、幽々子様は続ける。
「素敵なものに惹かれるのが少女というものよ。少女といえば私も少女。妖夢も少女ね。だからここは少女同士、姪っ子話で盛り上がろうと思ったわけよ。そう、そうなのよ。そうだったのよ!」
 自分でそうだったとか言い出すのだから信用ならない。今に考えたのがバレバレだ。
「――で、その素敵を素敵に素敵スティールしたい、と」
「妖夢も酷いこと考えるわね」
「おかげさまで」
「照れるわぁ」
 もう、突っ込む気も失せてきた。このままゲームと映画談義でお茶を濁したい。気乗りしない合コンにでも誘われた気分だ。誘われたこと無いけど。
「でも、親兄弟すらいない私には無理ね……」
 あーあ、咲夜さん辺り誘ってくれないかなぁ、なんて考えていると、幽々子様がぼそりと呟いた。
 もしや、幽々子様は自分の素性の儚さを誰かに吐露したかったのではないだろうか。
 だとしたら、合コンのことなんぞ考えていた自分が恥ずかしい。
「私にだっていませんよ。気を落とさないでください」
 自分を引き合いに出してみたが、あまり効果は無かった。足したお茶は冷えるばかりだ。
「そ、そうだ。紫様でも呼びましょう」
「紫ねぇ……」
「そうです、紫様です。幽々子様にとっては兄弟も同然の方。きっとお力になってくれるでしょう」
 あの方なら人様の姪っ子だろうと平気で浚えるだろう。むしろ前科がありそうで怖い。
 幽々子様はしばらく億劫そうに首を傾げていたが、何かの拍子にぴょこんと直った。
「呼びましょう。今すぐ」
「うえっ? 今ですか?」
「今よ、今! 今じゃないと駄目なのよ!」
 幽々子様が卓を叩いて駄々をこねる。面倒臭いことばかり熱心だ。
 自分から言い出したこととはいえ、どうせ出るからには御夕飯の買い物もついでにして来たい。ついでもついでで、咲夜さんに合コンの話を持ちかけてみたくもある。
 上手く段取りがまとまらず、私は座布団の上でそわそわするばかりだったのだが、じきにそれもご破算になった。
 呼んでもいないのに、紫様が隙間を開いて現れたからだ。私の座布団と畳の隙間から現れた所為で、私は思い切り卓の角に頭をぶつける破目になった。
「あらら、大丈夫?」
「相手が紫様ですから」
「可愛いこと言うわねぇ」
 頭を擦るのにかこつけて、紫様が抱き付いてくる。寝起きなのだろうか、甘ったるい匂いがした。
「紫は妖夢のことを本当に可愛がるわよね」
「そうかしら」
 言いつつ、私の頭を撫でる。気紛れで変なことを言われるのと気紛れで優しくされるのとでは、どちらがマシなのだろう。斬れない仲というのは、私をほとほと困らされる。
 私が頭の外と内、両方の感触に戸惑っているのを後目に、幽々子様は湯飲みを空にした。
「ねぇ、紫。私と貴方は兄弟も同然よね」
「そんなの、何でも良いじゃない」
「同然よね?」
 紫様も私と同じ感慨を抱いたのか、急に真面目な顔になって、私から離れた。
「同然だけど、それがどうかしたの?」
「良かった。妖夢も喜ぶわ」
 急に話を振られても困るのだが、紫様はどういうことかと私を見つめる。ここは一つ、確認しておく必要がある。私は膝歩きで幽々子様の側に回る。すると幽々子様が耳打ちをし、私は目を見開いた。
「えっ、何々? 何なの?」
 凄く面白そうに紫様が卓に身を乗り出す。
「ほら妖夢、言ってあげなさい」
「そうよ、言いなさいよ。言ってごらんなさいよ」
 半ば言えと言っているも同然だった。私は胡散臭そうに二人の顔を見比べてから、後ろに下がって背筋を伸ばした。
「お、小母様!」
 言って、私は事態を見届けずに場を辞した。


 咲夜さんと外界にしけ込んで一両日を過ごし、私は帰路を辿っていた。咲夜さんのおかげで私も近頃はすっかり外界地味てしまった。まぁ、幻想郷にいても下手をすれば閻魔様の厄介になり兼ねず、なるほど人間とはこんなものかと諦観を決め込めた方が割り切って日々を過ごせる。
 それにしても、坂口某主演の新作映画は面白かったとか考えてしまうのだから、拙いかもしれない。半身を刀と一緒にバッグの中に四六時中も詰めておいたので、どうも肩が重い。しかし、足が重いのは過日の件があるからだ。
 いくらなんでも、小母様は無いだろう。かといって言わねばならない状況だったのは確かで、私に過失は無い。無いのだが、頑張って少女少女している紫様に小母様は無い。
 半身の動きも鈍いことだろう。そう思って見上げると、半身の上に紫様が腰を下ろしていた。手には傘を差し、傾き始めていた日にかざしている。
「おかえりなさい」
 口調は優しかったが、私は気が気でなかった。しかし、半身を置いて逃げ去るわけにもいかず、私はただ、立ち尽くしてしまった。
「何をぼうっとしているのかしら。幽々子の面倒はちゃんと看ておいたから、早く帰って夕餉の準備でもしてあげなさいな」
「そ、それでしたら、御一緒にどうでしょうか」
「遠慮しておくわ。厚かましい小母さんなんて、貴方も嫌でしょう?」
 言葉の意味を上手く汲めずにいると、紫様は半身から地面に降りた。
「小母様。――その響き、嫌じゃなかったわよ。幽々子も貴方も、一人じゃないわ。そして、私も」
 傘を翻し、紫様は姿を消した。

 その日の夕食はちょっぴりだけ豪華にしてみたが、幽々子様は構わずに平らげてしまった。