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懊間

誰もが抱き合い、へつらい、泣いて、死んでいく。
誰もが抱き合い、へつらい、泣いて、死んでいく。
誰もが抱き合い、へつらい、泣いて、死んでいく。

長い板敷きの廊下を歩きながら、屋敷の主は行き過ぎる兎達を数えていた。蓬莱山輝夜にあっては、全ての雑事は永琳に任せる日々であるから、興の向くままに任せることが精々の務めである。初夏を過ぎて久しい日であったが、廊下には涼しさすら感じられた。

兎達の中には、足を止めて頭を下げる者もあれば、輝夜に飛び付き、甘える者もある。誰かの後ろに隠れて、恥ずかしそうに目を向ける者もある。しかし、輝夜にしてみれば兎は兎、因幡は因幡で、個性には関心が無かった。それでも兎達は永遠亭に集まり、数を増やしては減るを繰り返す。

仲間の出産の報告のために部屋を飛び出して、仲間達を呼びに駆けていく者がいる一方で、屋敷の庭の一角では死んだ仲間を土に埋めている光景を目にすることも珍しく無い。

死ぬことほど可愛げのあることは無い。輝夜は常々そう思っている。兎達はただ数を増やし、死んでいく。これほど純粋なことなど、そうはありはしない。

その点、あの妹紅などは、人の分を弁えず、蓬莱の薬に手を出した。そんなことをするからには、元からにして可愛げが無かったに違いない。ただでさえ地上の民は卑しいというのに、何が哀しくて、そこまでのことをするのか。蜥蜴が尻尾を求めて彷徨うようなものではないか。どう考えても、輝夜には納得が行かないのだった。今度はどのようなやり口で妹紅を甚振ろうか。そう考えるのが、結局は何よりの上策なのである。

そうして考えながら歩いていると、他の兎とは明らかに格好の違う者に行き当たった。輝夜がわざわざ立ち止まって声をかけるような因幡は、数えるほどしかいない。その内に入る鈴仙は照れ臭そうに頭を下げた。

「永琳と一緒じゃないのね」

辺りを窺いながら訊いた所によれば、因幡のてゐが部屋に押しかけて、永琳を相手にいつもの健康自慢をやりはじめたとのことだった。鈴仙にしてみれば嬉しくない客であったから、自室で本でも読もうと思い、永琳の部屋を辞したらしい。

「師匠はなるほど感心そうに聞くから、あれは良い気になってるんですよ」
「別に永琳はあなただけのものじゃないわ」
「それはよくよくわかっていますが」
「あなたも永琳だけのものじゃないし」
「左様ですか」
「左様よ。左で納得がいかないなら、右でも良いわ」

鈴仙は気の抜けたような調子で、はあとかすうとか呻いたが、自分の背中に輝夜が手を回し、じゃれ付く段になって、理性に波が起こったらしかった。耳をぴんと立てる反面、身体は思うように動かない。鈴仙がてんかんを起こしそうなぐらいまで緊張すると、輝夜がようやく身体から離れた。

「やっぱり月の兎は抱き心地が段違いね」
「そういうものですか」
「小さい頃はいつも遊んでいたもの」

大きくなってからは、殺しもしたしね。懐かしそうに頬を緩めて微笑む輝夜に何も言えず、鈴仙は眺めていた。とにかく、月の兎に思い入れがあるということだけは確かなのだ。そのように自分の矜持を補強してから、鈴仙は頭を下げてその場を辞した。そわそわとブラウスに合わせてあるネクタイを何度も直しながら去っていく彼女を見送ると、輝夜は永琳の部屋へと向かう廊下に足を進めた。

輝夜が部屋の入り口に当たる襖を引くと、まだ室内には因幡のてゐがいた。てゐは輝夜と目が合うと、それまで朗々としていた口を噤んで、無愛想に輝夜の横を抜けて部屋を出て行った。その様子を見ていた永琳は敷いてあった客用の座布団を取り替えると、そこに輝夜を座らせ、自分は傍らに置いてある茶器にお茶を入れ始めた。

永琳の部屋には幾つかの戸棚と衣類のしまってある箪笥、それに押し入れ以外には特に珍しい物は無い。薬の材料などが置いてある部屋は別にあり、そちらは昨今では専ら、鈴仙が管理している。永琳は何か物入りのときにだけ、頭を捻りながら調剤室に篭るのだった。

輝夜の自室が内庭に面しているのとは反対に、永琳のそれは屋敷の外側に位置している。彼女は雑事を請け負うことが多かったから、輝夜に迷惑がかからないようにと、部屋が離れているのだった。輝夜は自室の篭った匂いなどから来る落ち着きが好きだが、永琳の部屋に来て、外の風が吹き込むのを感じるのも、また好きであった。

雨上がりに竹林を抜けてくる風はとても澄んでいて、竹の歯を滑る露の様も想像できるようだった。輝夜は何も喋らず、永琳が茶を勧めるまで、外の様子を目に入れていた。

「今日の姫は気分がよろしいようですね」
「そう? いつもと変わらないわよ」
「ウドンゲには会いましたか」
「いつもより、腹と耳が立ってたわ」

のらりくらりとした会話を繰り返しながら、輝夜は永琳の用意した茶と菓子に手を伸ばす。その菓子は寒天で砂糖と潰した梅の実を固めて竹の葉の上に載せただけのものだったが、輝夜には気になる点もあった。

「梅なんて、よく取ってあったわね」
「取って置けば役に立つとウドンゲが申しましたので」
「ふうん」

つまらないことをするものだ。輝夜は種を明かされた途端、不機嫌そうに目を細めた。いくらでも機会を待つことができ、それをなんとも思わないような自分に、そのような気遣いは無用だ。永琳は輝夜の考えることを心得ていたが、ウドンゲにあっては良い経験だろうと思ってのことだった。

「姫は、ウドンゲがお嫌いですか」
「因幡は因幡よ。それだけで私は満足なの。ましてや月の兎。何もしなくて良いわ」
「ウドンゲはそうは思いませんでしょうに」
「思うようによく教えなさいな」

永琳は調子を乱すこともなく輝夜に頷くと、減っていた輝夜の茶を足そうと彼女の湯飲みに手を伸ばしたが、輝夜は湯飲みに手で蓋をしたので、永琳は身体を戻した。それから二度ほど風が部屋を通るまで、沈黙は続いた。

「あなた、あの因幡が可愛いのでしょう?」
「姫ほどには可愛がっておりません」
「あなたが弟子を取ったのは、あの子だけ。地上のには目もくれなかったわ」
「それは、弟子になりたがったのがウドンゲしかいなかっただけの話です」

輝夜は目を細めたまま、表情を変えない永琳を見遣る。彼女は目を閉じて、何事か考え込んでいるようであった。こういったときは何を用いてもその鉄面皮を崩すことはできないから、輝夜は立ち上がり、部屋の縁側に場所を移した。

青々とした竹が、我先にと空へ背を伸ばしている。その先にあるのは死しか無い。十全となったとき、竹は腐って行く。

「あの子が死ぬときには、あなたの本音が聞けるのかしらね」
「それは楽しみなことなのですか」
「ええ、とっても」

永琳はそれぎり、口を閉ざした。背筋を伸ばして茶を啜っている彼女を背に、輝夜は部屋を出た。

誰もが抱き合い、へつらい、泣いて、死んでいく。
誰もが抱き合い、へつらい、泣いて、死んでいく。
誰もが抱き合い、へつらい、泣いて、死んでいく。

自分と同じように死ぬことの無い彼女は、果たしてどのような形であろうとするのか。輝夜は兎達を数えながら、自室へと廊下を歩いていった。

途中、再び鈴仙に会った。どうやら、輝夜が永琳の部屋へと向かったのに気づいて、待っていたようだ。輝夜が微笑みかけると、鈴仙は意を得たのか、彼女の師匠の部屋へと駆けていく。輝夜は一層微笑みながら、自室へと向かった。

その日の夕食は、珍しく永琳が輝夜の部屋へ運んできた。いつもであれば、そこらの適当な者に任せられる仕事だ。輝夜はそれとなくお盆の上を見遣り、そこには魚や山菜の汁物の他に、食後の菓子として、先程に永琳の部屋で出された物が置かれていた。

「永琳?」

言うが早いか、輝夜の箸が直ぐ傍に座っていた永琳の片目を貫き、眼窩を突いた。不死とはいえ、痛いものは痛い。意識でさえも常に手の内にあるわけではない。それだというのに、永琳は先の削れた箸を目から抜くと、それをお盆に置いてから、代わりの箸を輝夜に手渡した。永琳の頬を伝った血が乾く頃には、彼女の目は元通りになっていた。

「ウドンゲには健やかであってほしいのです。昔の月のように、健やかに」

永琳の言葉を受けて、輝夜は顔を背ける。それを見た永琳は部屋を出た。彼女が盆を下げるために再び部屋を訪れたとき輝夜はいなかった。先の削れた箸の先が、食事で汚れていた。

誰もが抱き合い、へつらい、泣いて、死んでいく。
誰もが抱き合い、へつらい、泣いて、死んでいく。
誰もが抱き合い、へつらい、泣いて、死んでいく。

輝夜が夜の廊下で大半が月夜の晩の散歩に出て少なくなった兎達を数えていると、鈴仙と会った。訊けば、これから徹夜で師匠と薬を作るとのことだった。

「梅の実、美味しかったわ」

それを聞いて、鈴仙は耳を奮わせた。余程に嬉しかったのだろう。

地上の兎は獣なのだか鳥なのだかわからない存在になってしまった。抽象的で、作為的な存在に堕した。そうしたのは地上に違いない。では、地上とは何なのか。それは月を見上げることができる場所だ。

輝夜は人気の無い部屋を見つけると、その縁側で月を見上げた。

「私が昔のままなら、私は健やかなのかしらね」
「姫はいつでも健やかですよ」

自室に戻ってきた永琳が、輝夜に顔を合わせないままに彼女の斜め後ろに座った。外では、月に照らされた竹林が暗闇と明かりの境で揺らめいている。

師匠。夜だというのに元気な声が、廊下から聞こえた。永琳はこれから調剤室へ行くのだろう。彼女は立ち上がったが、部屋の出入り口まで歩くと足を止めた。

「姫、あの梅は何に漬けてあったと思います?」

輝夜は、気晴らしに妹紅と殺し合っている最中に腹を下して、初めてその意味に気づいのだった。