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ぺこ

 指に毛が絡んでいた。
 地下に住んでいると、ペットの毛の生え変わりで季節柄を感じるようになったりする。
 膝上にいた犬の腰をぽんぽんと叩いてやると、自分より先輩格の、体の大きな犬の所に走っていった。
『お前、ちゃんと体を洗ってから構ってもらえよ』
『すうすうして嫌なんだよー』
『さとり様に嫌われるよりは良いだろ』
 聞こえてるのがわかっているのかいないのか、二頭揃って階段を下りて玄関の方に行ってしまった。
 古明地さとりが両手を叩くと、季節を跨いで随分とヤレた毛が、ぽろぽろ落ちた。
 他のペットらもどこかに遊びに行ったらしく、二階から見渡す玄関ロビーは閑散としていた。一階への階段はすぐ近く、大きなソファも置いてあったから、さとりは普段、見通しの良いここでくつろいでいる。
 玄関横の勝手口から出て行く二頭を見送り、冷えたレモンティーを啜る。
 いざ手放すとなると、どんなペットでも惜しくなるものだ。
 当たり前のことを実感している自分に、頬が和らぐ。

 妹のこいしにペットを与えようと思ったのは、わりと最近のことだった。
 が、地獄烏の空や火車の燐は、些か惜しい。特別な愛情を持つさとりではなかったが、主人に対しての畏怖と甘えが同居するペットは、なかなか持てるものではない。そうした心理面での機微でさとりを楽しませてくれるようなのは、地霊殿内でも、両手の指ぐらいしかいない。
 そこいくと、さっきの二頭なんかは、わかりやすいわけだ。
 それですらも、こいしにやると考えた途端、惜しく思えるのだった。

 別に、こいしのことを疎んでいるわけではない。ペットをやろうと思ったのは紛れもなく姉としての愛情からだったし、ここの所、妹には変化が見られた。その変化を姉がきちんと認識していて、かつ喜んでいることを、きちんと伝えてあげたかった。
 だというのに、いざやるとなると、駄目だ。
 こいしが次にひょっこり帰ってきたときには、
「これが貴方のペットだから、可愛がれとは言わないけれど、忘れないであげなさいね」
 ぐらいの言葉と一緒に、ペットを贈ってあげようとは思っているのだが。

 もちろん、ペットを贈ることそのものに拘泥する必要は無い。
 無いのであるが、自分もそう口の上手い方ではない。性格的にも、そう面倒見の良い方ではない。ペットを無数に飼っているとはいえ、それは彼らが居着いてくれているだけで、毛繕いを手慰みにしてやるぐらいしか、こちらはしていない。
 そう、その程度の相手ですら、あんなにも惜しい。
 もしかしたら自分は、とてつもなく、愛着が湧きやすいのかもしれなかった。
 そんな自分が、ペットを妹に贈るのである。
 なるほど、これはこいしがどうこうというより、自分にとっての確認事項、通過儀礼なのか。

 つまり、妹が可愛くて仕方が無いのだ、と。

「だからって、何も……ねえ……」
 口の中でもごもごと言って、さとりは頭に被った灰色のフードの位置を直した。後ろから見るとさながらイスラム装束のような格好で、旧地獄街を歩く。

 まだ自分で飼っていないペットを探して贈る分には、惜しくないだろう。
 そんな、我ながら浅薄な思い付きで、繰り出したのだった。 買出し以外で出歩くのは、久々である。
 皆、さとりの能力のことは知っているから苦手にされたりはするが、露骨に嫌われたりはしない。皆、嫌われてここに来た者ばかりである。
 例えば鬼の連中などは「気に入らない奴」と堂々と言ってみせるが、必ず気に入らなければならないものでもない。気に入らないから気に入らない、とはっきり言う。それが鬼というものだ。案外、裏表の無さで言えば、下手な相手より信用がおける。
 ただしその裏表の無さは、さとりからしてみると気に食わなかったりするのだから、世の中ままならない。
 好みの話になるが、多少は裏表が無いと、面白くない。この間やって来た地上の奴らなんて、言葉が気持ちの上を滑走して、飛び立ったような酷さだった。
 そう、酷いぐらいが良い。
 まともな奴に、まともな奴なんていなかったから。

 ……些か、余計なことを考え過ぎている。慣れないことをしている所為だろう、と片付けて、行過ぎる長屋の軒下や路地裏などに目を配る。
 大概、こういう所に、いつの間にか変な奴が居着くのである。地上との行き来が無くなっていた時期でさえ、そういうことがあった。地下だろうと、幻想郷の一部であることに変わりは無いのだろう。
 と、感慨ぶっているわりに、それらしいのがほとんど見つけられない。
 あんまり見つからないものだから自分がそこら辺りに腰掛けて休んでいると、
「お嬢さん、お嬢さん、近頃は鬼らが見回ってるから、そんな所に座っていちゃいけないよ」
 気さくそうな爺さんに声をかけられた。
 問い返すまでもなく、心を読む。
 どうやら、地上との行き来ができるようになって、治安が一時的に悪化したらしい。
 それもすぐに治まったようだが、よそ者に対しての目が厳しくなっているのだった。

 困った。何より、疲れた。
 返事もせずに蹲っている少女に爺さんが不振がっていると、急にさとりの前から退いた。
「よお、珍しいのが出歩いてるな」
「……今は歩いてませんが」
 一番、気に食わない奴に会ってしまった。
 向こうも、そうだろう。
 星熊勇儀は道端に座り込むと、そのまま一杯やり始めた。
「爺さんもやるか?」
「私は結構ですよ。鬼の酒は年寄りにはきついんだ」
「あはは、んじゃ塩を盛ってやろか」
「死んでからにしてくださいな」
 ちらりとさとりの方を見てから、爺さんは立ち去る。さとりが膝と膝をくっつける力を強めた。
「ほっといてくれたら、歩いて帰りますよ」
「ああ、そうか。うん、そうしてくれ。」
 心を読む。
 やはり、裏表は無い。ただ、どうも変なものが挟まっている。
 珍しいのはどちらだろう。
 さとりが好奇心から視線を上げると、勇儀が目を逸らした。
 釣られてさとりもそちらを見てみれば、何やらみすぼらしいのが立っていた。
 身長は自分と同じくらいの、女の子だった。
 それにしてもあの格好は……何だろう。
 体操着とかいうやつだっけ。
 生憎と体操なんてしたことがないのでわからなかったが、誰かが「ブルマー」とか頭の中で考えていたものだと思う。
 胸の所には「ちこ」と汚い字で書かれていて、どうやらそれが名前らしい。
 靴は履いていないが、特に怪我をした様子も無い。ただしどうにも、そこかしこが汚れていて、格好がブルマーでなかったら、奴隷に見えたかもしれなかった。
「えっと、その……」
 ジロジロ見るのも悪く思えるぐらいだったので、勇儀に視線を戻す。
「……私は知らん。拾っただけだ」
「知ってるじゃないですか」
「知らないんだって! まじで! 知らない! わからない!」
 まあ、確かにあれを見て何がわかるかといえば、変な子だなあ、ぐらいなものである。
 が、それは一般人の話である。
 さとりが「ちこ」に目を合わせると、頭の中に溢れるものがあった。

「……これは酷い……」
 あるのは、他者に対しての侮蔑、そして羨望。
 天人崩れらしい情報の断片があって、中には見覚えのある人物の顔もあった。
 本来の名前は、天子というらしい。なるほど、あのブルマーは昔使っていたものか。
「だろう?」
 さとりの呟きに、勇儀が軽口を叩く。
「知り合いの鬼から預かったんだけどさ、ほら、あんたも覚えてるかしんないけど、伊吹の萃香、あいつ今、天界にいてね、こいつとも仲良かったらしいんだわ。それがなんだか、地上にちょっかい出してる内に、流れ流れて、ここに逃がされたってわけよ」
 聞いてもいないことをべらべらべらべら。彼女にも鬱憤というものはあったらしい。
「ほとぼりが冷めるまでなら、と引き受けたわけね」
「うん……まさかこんなに聞かん坊とは思わなかったんだわ」
 勇儀も色々面倒を見ようとしたようなのだが、どうして自分が、という気持ちが強い天子である。何をしても暖簾に腕押し、戸板にサラダ油、廊下にバナナの皮。終いには放っておくようになったら、後をついて来るだけの状態になってしまった。
「なまじ心が開いてる分、厄介ってことよ」
「閉ざすならとことん? お前の妹じゃないんだから」
「……」
 口の中が苦い。唾が乾いてきている。
 さとりは天子を眺めるだけ長めると、フードを直して、腰を上げた。
「結局、お前は何をしていたんだ?」
「休んでいただけですよ」
 ぞんざいに言い捨て、その場を去る。

 惜しい。

 去り際に天子と目を合わせたとき、そう思ってしまった。


   ******


 外出してから数週間が経った。
 どのペットをやろうとしても惜しく思える日々が、続いている。
 ソファに沈む体は重い。自分の繊細さに辟易していたから、体に力が入らなかった。
 温いレモンティーを飲んでいると、玄関の扉が開いた。
 そうするのは、客人以外では一人だけだった。

 こいし。

「ただいま」
「お帰りなさい」
 こうも堂々と妹を迎えられるのは、誰のおかげなのだろう。何十メートルも離れた場所からなのに、抱き上げたような充実感があった。以前なら、いつの間にかいたのに。
「ああ、こいし、こいし。貴方に私は、贈りたいものがあったの」
「ペット? ペットでしょう?」
「そう、そうよ」
 離れたままで、会話をする。よく気が付く子だと、誉めてやりたくなる。
 その妹が、すうっと笑みを作った。
「私ね、自分で見付けたよ?」
「……え?」
 一瞬、天子が頭を過ぎる。
 が、こいしは一人だった。誰も連れてはいない。
 彼女は姉の下にゆっくりと辿り着くと、横に座った。
「私がここにいれば、お姉ちゃんのペットも私のペットだよ」
「……ああ」
 確かに、その通りだ。
 何もやる必要なんて無かったのだ。最初から、そこにいるだけで、済んだのだ。
 姉妹で同じ環境を共有できる。
 これほどぞくぞくする喜びは……、

「だからあの子も、私のペットだね」

 テラスのカーテンに隠れるようにして、その子は座っていた。
 吹かないはずの風が、カーテンに孕んだ。