ケツメイ
四角く切り取られた空間に私はいるのです。まぁ世界は広いと言いますが、ぶっちゃけここは狭い。狭いからこそ、安心できるのです。何でもかんでも広くすれば良いというものではないでしょう。
広さというのは即ち緊張を呼び起こします。西洋の城やニホンのダイミョー屋敷ではどんな部屋も広く、それによって住む者の振る舞いを優美にしていたらしい云々。
かたや庶民というのは往々にして狭い住まいに押し込められるわけですが、彼らこそが革命を牽引した事実は歴史上の皮肉云々。
つまり狭さこそが革命の苗床であって、私は革命の真っ只中に身を置く闘士ということになりはすまいか。すまい。というか狭い。
私、十六夜咲夜がこの狭い空間に入って、かれこれ一時間が経とうとしています。現実逃避がてら思考をややこしくしてみたものの、現状は何ら変わりません。
ここで私の能力を知る余人はその能力を行使することによって現状からの脱却を期待するでしょうが、今や私の味方は時間の経つことであり、下手にそれを止めようものなら私は自分から救いの手を差し伸べる友の手を振り払うにも似た行為をすることになるのです。
友といえば、これまでそんな人物に出会えた例(ためし)が無い。私は時間を止められるわけで、先ほどの例えは私が自分から友の手を振り払ってきたことを顕著に示しているのです。因果応報。
因果応報なる言葉も変なもので、私の主人はその因果を操れるわけだから、もしかしたらこの事態も主人の関知するところであり、私はその手の平の上で踊っているだけなのかもしれないのですが、果たしてそれは希望的観測云々。失敬失敬。
失敬。要するにそれに尽きるのです。私はこの空間に失敬しに来たのです。正直に申しますにここは便所で、私は用を足しに訪れたのです。しかしながらこれは恥ずかしがることでもないのではないか。私はそんなことを声を大に、もとい大便をした後に申し上げたい。
そもそも大便というのは汚いものを自分の体から排出する行為であって、これを汚い、あってはならないなどと言わしめるのはそれこそ汚い口であり、私はその思考を徹底的に弾劾する革命闘士なわけであります。
しかしながら私も大便そのものが汚いことは汚いと認識しておりまして、私は当然のごとくそれがケツに付着している以上は拭き取らなければと考えている次第なのです。
考えているのならばそれを実行しなければ何も変わらないのは世の常でありましょう。私はこの当然のご意見にあえて逆らわなければならない自身を心底恨み、蔑むのです。
神は死んだ! っつーか紙が無い。
これは緊急事態でありますが、しかして緊急事態というのは大概にして緊急に解決されざるものでありまして、今回もその例に漏れず、私は大便を便器に漏らしている次第であります。腹が冷えた所為か、断続的に便意が私を襲うのであります。失敬。
こうして何度かの便意を跨ぎ現在に至っているわけですが、未だに助けは来ないのです。それもそのはず、ここは屋敷の外にある便所なのです。もう半ば存在を忘れられたように裏庭に打ち捨てられている小屋にそれはありまして、私は見回りがてらの散歩を楽しんでいる最中に便意に襲われ、幸いにこの便所を見つけ飛び込んだ次第なのです。
時間は深夜の三時を過ぎ、すきま風だけでなく空気自体が私の体力を奪って行くのです。更には今日一日、昼間に主人に付き添って博麗の巫女の下に茶をしばきに出かけた所為か、眠気まで襲う始末。
いっそ寝てしまえと仰る方もおりましょうが、そこは衆知、もとい羞恥の罠でありまして、ここで寝入ってしまった場合、私がここにいることに気付いた誰かがいざ御救いしまするとドアを開け放ち、私は大股を開いてその御人を出迎えるはめになるのです。
もちろん、我が身の不幸だけを呪う程に私は腐っておりませんから、何か落ち度は無かったかと考えてもみるのです。
先ず、ハンカチなりティッシュなりを常備していなかったことは恥じ入るばかりです。しかしこれは主人が血をだらだらと零しながら御夜食した所為であり、それは夜になってから洗濯籠に突っ込んでしまったのです。
ああ、よくよく考えてみればそれを取っておいたら、主人が口付けしたハンカチで尻、それも大便が少しばかりこびりついた尻を拭くことになってしまったわけで、これはこれで感謝すべき事態なのかもしれません。もしここにそのハンカチがあったとしたら、私は最終的に魔に負け、それをケツに押し当てていたに違いないのです。
なるほど、私はもしかしたら幸せの只中にいるのかもしれません。狭い空間に押し込められ、革命闘士として世界に疑問を投げかける立場に私はいるのです。いわばこの空間を空間として形成している四方の壁はエリコの壁であり、この壁を越えたとき、私は祝福を受けるのです。
私はモーセでありキリストであり、もしくはゴーダマシッタルーダなのです。アラアラー、なんてことでしょう。私は気が付かぬ内に礼拝所に辿り着いていたのです。モスク。
私自身の言葉を使えば、ここはプライベートスクウェア。
ここで私は天啓を得ました。つまり、ここを飛び出せば良いのです。何せ外は祝福された世界なのです。
当初は時間を止めて自室へ駆け込む等という案も考えた私ですが、そのようなことは祝福に必要無いのであります。むしろ、この汚れたケツを世界に晒しながら闊歩することこそが革命闘士としての急務なのです。
私はすくと立ち上がると、足に未練たらしく引っ掛かっていたパンティを便器に落としました。これで未練などどこにも無くなったのです。落とした後になってそのパンティで拭けば良かったなんて考えが浮かんで後悔はしましたが、まぁそれはそれです。
さぁ私の新たなる門出です。私は閉められたドアを内側から蹴り飛ばすと、スカートを翻しながらスキップスキップ。誰も見ておりません。これではいけません。私は革命闘士なのです。革命は世界に知らしめてこそ革命なのです。というか、それこそが救いを差し伸べる手なのであります。私が世界人類という友を救うのです。例え畜生だろうと妖怪だろうと私は友と呼べるまでに自分を啓いたのです。
歓喜が私の心を満たしているのがわかります。ケツにこびりついた糞の一欠片まで感じ取れる程に私は覚醒しているのです。失敬。いや、もう失敬などというものは無いのです。失敬というのは自分にやましいことがあってこその言葉であって、むしろ私を尊敬しろ。
ああ、賛美せよ、賞賛せよ。アヤーヤヤーヤー。私は主人の下に行かなければと思い、そのように行動したのです。屋敷の中に人影は少なく、擦れ違う夜勤の者達は奇異の目で私を見遣りましたが、何のことはありません。彼女らは私が救うべき対象であって、その視線こそが私が世界を革命する闘士であり続ける必要の証明であるのですから。
私は主人の部屋に入り、徐に主人のベッドに潜り込みました。すやすやと寝息を立てている主人に口付けをすると、私は満足感の中で眠りについたのです。
気付けば私はシーツに包まれたままどこかの部屋に投げ込まれていました。世界は更に私を狭い所に押し込めたのです。しかもそれは主人の手によるものですから、私にとっては世界と主人が同化したことに相違なく、無上の喜びを胸にしていたのです。
それにしても臭い。私は何かがおかしいような気がしました。とりあえずシーツを破いて外に出ると、そのシーツで尻を拭いたのです。
ああ、その様を主人が見ているではありませんか。主人は目を細めてじっと考え込んでいるようです。
その目はあの夜勤の者達とそっくりでした。
なんてことでしょう、主人こそが私の救うべき対象だったのです。私は逃げようとする主人を後ろから抱きすくめました。
主人は私を数十メートルも投げ飛ばすと、しばらく休むように仰いました。
しばらくというのがどれくらいになるかわかりませんが、私は今、狭い部屋の中でこの手記を書き、喜びと共に復職する日を待ち望んでいます。
失敬。