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あいともに

 地底の空は、広そうに見えた。
 想像していたより高く、また遠くまで、色が続いている。
 その色は緑がかった白に近く、黄色のようで、黄色ではない。眩んだ目で部屋の隅を眺めたりすれば、この光景を思い出すだろうか。
「飛鳥がいないのは、冥界と一緒だわね」
 隅から、声がかけられた。窓辺に腰かけていた妖夢は、枕を友にして酒を飲んでいる紫に、顔を向けた。
 普段の格好ではくつろぐのに向かないとかで、薄手ではあるが、珍しく着物を着込んでいる。こういうとき以外だと、最初から西行寺邸に泊まるつもりで、酒を飲むときぐらいか。
 こういうとき、というのは、そうあるものでもない。
 妖夢が紫と旅行に来たのは、初めてだった。
 元々が、身一つで遊び回るのが生き甲斐みたいな人で、さもなければ誰かを旅立たせて楽しむような趣味の悪い人で、こういうことは滅多に無いはずだった。
 話に聞く限りでは、博麗神社の霊夢と一緒に竹林を荒らした、一例のみ。
 数百年単位でなら他にも例があるのかもしれないが、とても付き合い切れるものではない。
 紫が西行寺邸を訪れたのは、昨日のことになる。

「用心棒、貸してくださいな」
「はい、どうぞ」
 という、幽々子とのやり取りだけで、旅立ちが決した。
 地底での異変のことは妖夢も聞いていたが、どうして今更、それも用心棒なんて立ててまで、行く必要があるのか。拒否することは端から考えなかった。
「霊夢に頼んだら、地底の妖怪が怖いのだと思われて、癪じゃないの」
 そういう思考だけは明快だった。
 旅装を整えながら聞いた所では、他にも色々と事情はあるらしい。
 自分一人で行くとなると、いくら力が強い妖怪といえども、最低限の用心はする。しかしそれ故に、かえって周りを刺激してしまうのだった。
「そこいくと、妖夢はどこをどうしても半人前でしょ? 全部お任せして、私はのんびりできるわ」
「私を刺激して楽しいですか」
「失礼ね。楽しくないことをするような風に見える?」
「おっと、手が滑ってトランクの角が紫様の踝に」
 悶絶している紫を尻目に旅装を整え終わると、すぐに出発した。
「踝って、足の果と書くのよね。フェティッシュだわ」
「字が出来た頃にはまだそんな困った概念は無かったと思いますよ」
 馬鹿話をしている間に、地底に着いた。
 地底へと続く穴に入った直後、スキマに入れられたので、実際、どれだけ潜ったものか知れない。
 宿というよか貸家みたいな所が既に用意されていた。ずっと昔、紫が地底の妖怪との調整役をしていた頃に、閻魔から褒美名義で押し付けられた建物だという。
 この二人の関係は妖夢にも推し量れないのだが、そのときは、褒美はやったのだから余計なことをするな、という意味合いが強かったらしい。
「そういえば、今回の異変については、閻魔様はどのように思っているのでしょう」
「仏ほっとけ神構うな」
「まさか」
 紫は言葉を続けず、衡宇も無い簡素な門に貼られた札を、裂いた。一種の結界だったのだろう。一瞬、冷たくもねっとりした空気が、鼻頭を撫でた。
 そういえば、地底というのはこんなにも暖かいものか。元から灼熱地獄はあったにしても、やはりエネルギー革命とやらの影響が大きいのだろう。
 建物のそこかしこに明かり入れがあって、紫もちらりと気にしては、まあいいかと奥へ進んで行った。
 建物は五部屋、別荘としては手ごろな広さの平屋だった。
 結界のおかげか全く朽ちておらず、ついさっきまで酔っ払いが寝ていて、慌てて出て行ったような、そんな生活感があった。
「その比喩には悪意が感じられるわ」
「布団と酒を放ったままにしておいてよく言えますね」
 座敷奥の寝室は、布団は敷いたまま、酒は盃にあり、窓まで開け放してあった。
「気になったのなら片付けてちょうだい」
「あなたが気にしてください」
 式神の藍には留守番をさせているとかで、同行していない。出発のときの理屈が正しいなら、力が強過ぎるのだろう。
 妖夢個人は、旅行先でまで世話役を連れてきたくなかったのでは、と考えた。
 紫は手荷物を座敷の隅に置くや、布団に寝転がってしまった。未だに腐っていなかった酒を口に運んでは、座敷や縁側を見て、目を細めた。
 妖夢も最初こそ手持無沙汰そうに建物の中を歩き回っていたが、結局は寝室に落ち着いた。

 そんな姿が、今日もある。
 仕事といえば食事の用意ぐらい。妖夢が時刻を思い出しかけた頃、紫は盃を置いて、布団から出た。
「お昼は外で食べましょうか」
「そうしていただけると助かります。いくら大丈夫とはいえ、何年も放っておかれた食材を使って料理をするのは、気味が悪いのです」
「年々菜々、腹相下し」
 紫が頓珍漢なことを言って、髪に櫛を通す。
 小一時間もすると支度が終わり、二人は外に出た。

 灰色がかった空気の中に、灯りが浮かぶ。――地霊だ。
 空よりも地面の方に暗い場所が多いのは、ここの太陽が上からではなく下から照らしているからだ。上に行けば行くだけ、遮蔽物の影響を受けない。
 そんな暗い場所を好んで、地霊達は寄っていた。
「おや、羊肉を扱っているわ。あそこにしましょう」
 妖夢に微笑んで、紫は店に入った。遅れて、妖夢も続く。
 店は目抜き通りの中程にあって、座敷が座屏で仕切られていた。肉の焼ける匂いと、若干の焦げ臭さの中に、ぽつぽつと客が入っている。
 大入りというのではないが、昼には少し早いはずの時間に人が絶えないのだから、賑わっていると言える。
 紫は二名分の内訳を店員任せにして注文を終えると、煙管を咥えた。胸元を片手で摘みながら、足を崩して、煙を吐く。
 妖夢が横に置いた刀を店員は気にしたようだったが、特に何も言わず、退けていった。
「やっぱり、妖夢の方に目が行くようね」
「私より、太刀にだと思うのです」
「半霊の方かもしれないわよ?」
 煙を吹いた先で、半霊が頭らしき辺りを振った。煙たかったようだ。
 じきに鍋が運ばれてきて、ジンギスカンとなった。
 それからは盃の方を紫は手にしていた。
 粗方、片付いた頃に、紫は言った。
「冥界とこちらと、妖夢はどちらが住み良いかしら?」
「冥界です」
「それは、好みの問題かしら? それとも、種族としてかしら?」
「どちらもだと思います。何より、あそこに私がいなければ、誰が庭の手入れをするのだろうか。そう考えてしまうのです」
「たまには伸ばすだけ伸ばさせてやれば良いのよ」
「……そうですね、たまには、良いでしょう」
 口ではそう言いながら、わだかまりのようなものが残った。
 妖夢は紫に注がれたままになっていた自分の盃を取ると、舐める程度に飲んだ。
「私に詩文を嗜むような才能は無いのですが、学んではおります」
「うん」
「陶氏の詩に、――既に自ら心を以て形(からだ)の役と為しつつ、奚(なに)ゆえに惆(おも)い悵(むすぼ)れつつ独り悲しむや、とあります」
「帰去来の辞だわね」
「はい。惆も悵も、心のわだかまりです。心のままに生きられないというのは、斯様に苦しいものなのでしょうか」
「自分に心があると思う限り、何だって苦しいわ」
「では、本来は無いものなのでしょうか。無いものをあると思うから、無理をきたすのでしょうか」
「無いものをあるという者もあれば、あるものを無いという者もあるわね」
「――私にはあるのでしょうか?」
「その問いの中に真意があるわね」
「……詮無いことでした」
 やはり、浅学の身で言うことでもないのだろう。舌で前歯の裏をなぞる。そんな妖夢の手元に、紫は酒を注ぎ足した。
「気にしないでちょうだい、楽しかったわよ。藍なんてこの手の問答、やり尽くしちゃっていて、全然言わないもの。計算が好きになったのも、その所為じゃない?」
「紫様の所為じゃないですか?」
「あはは、そう思う?」
「それは、そうですよ」
 紫の笑う影が映る、背後の座屏。
 そこを何者かの腕が貫くのと、そこに妖夢が刀を突き入れるのとでは、後の方が早かった。
 手応えを得るや、刀を返す。肉が広がるのに合わせ、座屏を蹴り、血しぶきごと相手を弾き飛ばした。
「あなたって刀のことになると、精密なのね」
「そうですか」
 言った傍から、今度は妖夢めがけて、背後から飛びかかってくるものがいた。逡巡もせず、血が滴る太刀を振るう。
 太刀はまたしても肉に突き入り、相手の重さを利用して、横に投げ捨てる。刀が肉から抜ける際に、白刃を滑らせれば、体の片側に切れ目が入った。やはり返り血は無い。
 片手に刀を構え直せば、そこからは血が蒸発する臭いと共に、紫雲のようなものが上がり始めていた。
「やはり地下の妖怪は毒気が強いわね」
「羊を裂くようにはいきません」
 話しながら、紫は何やらさらさらと筆を走らせていて、紙にはメニュー表を使い、墨にはそこら辺に転がっていた内臓の血を使っていた。
「お店の方、これを」
 書き終わったものを、戦々恐々としていた店員に渡す。紫は腰を上げ、妖夢と共に店を出た。

「何だったのですか?」
「書面なら、迷惑料と代金についてだわ」
 紫が血に塗れた筆をふうっと吹き付けると、手品みたいに血が取れた。それを懐中にしまって、紫は歩き続ける。
「もちろん、請求先は閻魔の所よ」
「どうして?」
「……とりあえず、お風呂にでも行きましょう。早く刀をしまいなさい」
 妖夢は用心のために抜いていたのだが、血もすっかり失せていたので、言われた通りにする。
 紫は銭湯に着くと慣れた様子で二人分の金を払って、服を脱ぎ始めた。髪を結い上げるのも早く、妖夢は太刀を頭の上に紐で括って、奥に入った。
「源の某じゃないのだから、お風呂のときぐらい、置いて来なさいな」
「さっきの件が無ければ、私もそうしたかもしれません」
 風呂は柵に囲まれた露天になっていて、居心地は良かった。お湯も、温泉なのだろう。酒色を帯びた顔が、今度は汗で濡れ始めた。
「元はと言えば、藍が、あのお札のことを気にしたのが悪いのよ」
「札……ああ、門に貼ってあったやつですね」
「そう、あの札、そろそろ力が無くなる頃で、あの子ったら、そんなこと一々覚えてるんだもの。やんなっちゃう」
 そんな折も折、それなりに地底のことは気にかけていた閻魔が、巫女任せにしないで自分でもちゃんと様子を見てくるよう、紫に書面で伝えてきたという。
 さっきの連中みたいなのは、普段からああいう性質の悪いことをしているのだろう。いくら地上とやり取りできるようになっても、地底は地底、目の届かない所にいくらでもああいうのが湧くらしい。
「札のことさえ無ければ、知らばっくれたのに」
「それは知らばっくれるというか、単に投げっぱなしてるだけです」
「ふん、良いじゃないのさ。久々に、大立ち回りが出来たでしょうに。あれは不可抗力なのだから、説教分には数えられないわよ」
「説教されるかされないかで、斬る斬らないを決めませんよ……」
 駄々のこねかたは幽々子と大差が無い。こちらがちょっと空の方を眺めた隙に、どこからか酒を取り出して、飲み始めていた。
「そんなに邪険にするなら、何で斬ったのかしら」
「……紫様を守るためですよ。ほら、用心棒ですから」
「ああ、そういえばそうだったわね」
 やはり、忘れていたらしい。挨拶代わりに冗談を言う癖は止めてもらいたい。
 膨れっ面をしていると、紫から盃を渡されたので、素直に飲む。
「それなりに騒ぎになってるでしょうし、お風呂上がったら、別荘に戻りましょうか。帰るのは、明日の朝にしましょうよ」
「良いですよ。その代わりと言っては何ですが、今日はずっと、問答でもしてくださいよ。お酒でも飲みながら」
「あら、新しい関係性を築けたかしら?」
「ええ、紫様や幽々子様みたいな方々に、まともな答えを期待しても無駄なんですね。ですから、まともに答えが出ないことばかり聞いてれば、お二方のような性格でも、世のため人のためになるんです」
「心ないことを言うわね」 
 盃を傾けて、紫は空を仰いだ。妖夢は、悠然として、柵の上端を見た。その先に、空があった。
 たまになら、またここに来たい。
 その言葉は、呑み込んでおくことにした。