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ひじり☆おねえさん

 雲居一輪は遅起きである。
『早起きは三文の得っていうけど、三文ばかしじゃ缶ジュースも買えねえっての(笑)』とかいう主張があるわけではなく、わざわざ早起きする必要が無い。
 普通の尼なら早起きは必須だが、そもそも本物の尼ではない。命蓮が庄屋をとっちめるのを手伝ったりしていた縁で、白蓮が信州から出てきたときに『姐さん! ぱねえっす姐さん!』とか田舎ものを馬鹿にする体(てい)で調子こいていたら、実は気に障っていた白蓮に尼の格好をさせられてしまっただけである。
「ボロの僧衣がそんなに似合うとか人のこと言えませんね! ぶふー!」
 と、自虐的な上に仏教の精神まで嘲笑した白蓮に、一輪は心の底から謝罪し、以来、ずっと付き従っている。このことは寅丸星も与り知らぬことである。
 それでも白蓮の封印が解けた頃は、白蓮が早朝から読経するのに付き合い、朝食の準備などもしていたが、近頃はそういうことは大分減った。
 ぬえが白蓮になついているのもあるし、ああ見えて料理を完璧に作れたりする。得意料理がカレーやチャーハンの一輪にしてみると、ぬえに全部任せた方が楽だし、自分も美味しいものが食べられて、一石二鳥だった。
 他の妖怪も結構増えたし、白蓮が寂しがることも無いだろう。
 そういうことをぼやーっと考えたりしながら、一輪は今を暮らしている。


『だからといって、夕方になってから起きるのはどうかと思う』
 小声で呟いたのは、雲山だ。さっきまで一輪が横になっていた布団を畳みながら、じっとりとした視線を送る。
 一輪は雲山が持ってきてくれた手拭いで顔を拭き、水桶にぽいと投げた。
「だって、近頃は朝になると響子が大声でお経唱えるし、しかも微妙に間違ってるから気になるしで、眠りが半端になっちゃうんだもの」
『夜の九時に寝てれば問題ないんじゃないかのう?』
「寝る時間を持てる者は富を持てる者に優るんですよ」
 寝過ぎはどぶに金を捨てるようなものだと思うのだが、堂々巡りなので、雲山は黙った。
 その目には、この子はやればできる子だもの、お母さん知ってるもの、という意思が込められていた。もっとも、一輪本人はやるだけやって五点差ぐらい付けてロスタイムに入ったような気分でいるので、改心は期待できないのだが。
 近頃は幻想郷も日中は暑く、余計に起きる気がしない。命蓮寺は飛倉と白蓮の法力で室温が快適に保たれているから、寝ているに限る。
 一輪が怠けているのばかり目立つようだが、白蓮も、夜行性でひ弱な妖怪のためにお昼寝の時間を設けていたりする。
 信仰が大分集まった昨今では、里のお年寄りも散歩がてらに涼みに来るようになり、妖怪達を孫同然に可愛がったりもしている。

 さて、たまには自分も風呂掃除ぐらいしようかと廊下を歩いていた一輪を、呼び止める声があった。
「一輪。今夜は暇ですか?」
 箪笥の整理をしていたらしい白蓮が、薄暗い部屋の中に佇んでいた。
 そういう姿を見ると、皺を結んだ顔の頃と、雰囲気は変わっていないように一輪には思えてくる。日を照らすよりも、影を見詰めるをよくする、とでも言うべきか。
「相変わらず暇ですよ。お客でも来るんですか? 手が足りないなら、ぬえを手伝いますけど」
「いえ、たまには一緒に外食でもどうですか?」
「はあ、外食ですか」
 頭にぱっと浮かんだのが乾き飯を持って旅に出る図だったので、慌てて想像し直す。
「――あっ、蕎麦ですね。姐さん、なめこ蕎麦大好きでしたっけ」
「ええ、まあ確かにあれに八幡屋の七味をかけたものは最高ですが、そうではなくて、もっと夕食向きのものです」
「へえ……何だか気になってきましたし、喜んでお供しますよ」
 そう答える一輪の後ろで、何日ぶりの外出か、雲山は指折り数えていた。

「お盆に入ってしまうと、幻想郷でも何かと忙しいですからね」
 話しながら歩く白蓮の斜め後ろを、一輪は歩く。白蓮は昔から歩くのが好きで、水の上も歩いたことがあるが、それはノーカンにすべきだろう。
「ここら辺、墓参りや法事よりも親族集まってのどんちゃん騒ぎの方がメインみたいですけどね……」
「土地に限らず、門徒宗はそういった文化だそうですよ」
「ははあ、親鸞上人の人柄ですかね」
「そういえば、私も一度、佐渡に行ってみたかったんですよねえ」
「そんな観光旅行みたいな感覚で流刑のこと言わない方が……」
「何言ってるんです! 金で金儲けできるんですよ! あとトキが食べられる!」
「どっちも今は出来ませんよ! 捕まりますよ!」
 流刑地で裁判にかけられるとか冗談以外の何物でもない。
『稼げるときに稼げ』は白蓮のモットーだが、案外、門徒宗と気が合うんじゃなかろうかと、一輪こそ失礼なことを考えていた。あとトキはあんまり美味しくない。
「というか、折角海を渡るなら、唐土にでも行ってみたらどうですか?」
「今なら飛行機とか便利ですしね。でも私、飛行機とかが苦手で……」
「あれだけ聖輦船に乗っておいて?」
「あの飛行機が離陸する瞬間のなんともいえない感覚が、まるで涅槃に達したようで、トラウマなんですよね……聖輦船は慣れたはずだったんですが、封印が解けて帰る途中、結構きつかったな……」
「再会した感動で黙っていたわけじゃなかったんですねえ」
 こんなに涅槃を怖がる僧侶もそうはいまい。しかし、元はといえば命蓮が先に遷化したのが原因なので、これはこれで白蓮の悟りなのかもしれない。実際、それで数多くの人妖の手を取ってきたのであるから、弟の死を見詰めさせるために仏が信州から旅をさせたのだと思えば、これもまた運命的であろう。
 ――おお、何だか今日の私は冴えているな。
 それは寝過ぎが原因だろう。
 やがて里の中心へと向かう道まで来たが、そこで白蓮は山裾の方へ足を向けた。
「あれ? そっちにお店なんかありましたか?」
「ええ。響子さんに教えてもらったんですよ」
「やまびこだけあって色々聞きかじってるんですね」
 微笑ましく思いながら歩いていると、夕闇の中に行燈の明かりが見えた。辺りには香ばしい煙が漂っていて、一輪は唾を飲んだ。
「あっ、ヤツメウナギの屋台か。私も聞いたことありますよ。夜雀がやってるっていう」
「やっぱり有名なんですね。ほら、ちょうど貸切ですよ」
 お互い、肉を食うことに抵抗は無い。食べ過ぎることが無いようにはしている。
 白蓮が顔を見せると、店主の夜雀は額の汗を拭いた。
「いらっしゃいませ。今日は別の方と一緒なんですね」
「え? ええ、まあ、ええ」
「時間も早いから、ちょっとびっくりしちゃいましたよ」
「ハハハハハ……とりあえずいつもの二つ」
 微妙に乾いた笑い方をしながら、白蓮が屋台の丸椅子に腰掛ける。その隣の席に座った一輪は、被っていた頭巾を取った。
「初めて来たんじゃないんですね」
「……実はぬえとよく来るんです。ほら、あの子、私達とは極力、食事をとらないようにしているでしょう? ですから、私は私でぬえの話が聞きたいということにして、誘ったんですよ」
「あれでかなり繊細ですからねえ……」
 ドラえもんが未来に帰る話を読んだときなんて、涙で座布団が一つ駄目になったぐらいだ。
「あの子、曾我兄弟や赤穂浪士を読んでも泣いたらしいですよ」
「そこまでいくと才能ですね。曾我兄弟といえば、虎御前は私も好きなんですよ」
「ああ、仇討ちで夫を亡くした芸妓ですね。私も好きですよ。信州とも縁がありますし――」
 そういう所の趣味は二人ともよく合う。話に華が咲き始めた所で、店主が御銚子を出してきた。
「さあ、一輪、どうぞ。いつもご苦労様ですね」
「ああ、いえいえ、こりゃどうもどうも……」
 注がれた勢いで、盃を空ける。
 果実のような香りが広がったと思うと、今度は味わい深いコクが舌を楽しませる。これほどのコクは余程発酵に気を遣わなければ不可能だろう。
「あの……一輪?」
「はい?」
 急におどおどとした風になった白蓮を、一輪が訝しむ。
「いえ、てっきり『これお酒じゃないですか!』っていう突っ込みがくるかと思っていたもので……」
 そんなこと今更言うのも失礼だと考えただけで、心中では突っ込んでいた。
「声に出さなくて良かった。おどおどとした姐さんは可愛いもの……」
「その声を出さない方が私は嬉しかったですね」
 冷えた視線をもらいつつも、ヤツメウナギなどのつまみと一緒に酒をやっていると、嫌でも気は緩んでいく。
 白蓮の朱の混じった頬を眺めていた一輪は、普段聞けないようなことを訊ねてみた。
「さっきここに来る途中、流刑の話が出ましたけど……魔界ってどんな所でした?」
 白蓮が日頃、『どこにいようと、私にとってはそこが法界ですから』と言って終わらせている話題だ。
 さぞ話し辛いだろうが、こんなときこそ話してくれても良いんじゃないか。そんな一輪の葛藤がそこにはあった。
 しかし一輪が目にしたのは、白蓮の頬を伝う涙であった。
「そ、そんなに辛い場所だったなんて、私としたことが……」
「いえ、いつも魔界で一緒に飲み歩いていた友達のこと思い出しちゃって」
「結構、好き勝手やってたんですね」
 ――安心したなあ、私、今凄く安心したなあ。
 一輪は寒々しい感慨を覚えながらも、更に訊いてみることにした。今後の人生でまたこの話題を出せる自信が無くなってきたからだ。
「そのご友人って?」
「立派な方でしたよ。孤立した都市で人々のために医療と研究を続けていました。化け物が出ても余裕で倒したり……お元気かなあ、ドクター・メフィスト」
「魔界は魔界でも魔界都市じゃないですか!」
「一輪、あなたは魔界を誤解しています……あそこは魔界都市でもあり、人間たちが考える普通の魔界でもあるのです……いうなれば、ジャンプ漫画に出てきた魔界を全部足したような……」
「わかりやすい喩えなのが余計に腹立ってきましたよ」
 むしろそういう世界だと、かえって平和そうである。幻想郷もいつかそうなるんじゃないか、とか想像したら、一輪は酒を呷らずにはいられなかった。
「他にも友達は沢山出来ましたが、特に気が合ったのは、魔界神の方ですかね。昼間、暇なときにカラオケの割引に誘ってくれたり」
「やっぱり般若心経とか歌ったんですか?」
「それはもちろんですが、倉橋ヨエコとかは一通りいけますよ」
「いや、そんなキリっと言われても」
 仕方ないので、とりあえず酒を注ぐ。白蓮からは涙の色が失せていた。


「一輪、御馳走様でした。私から誘ったのに、払っていただいて」
「いやあ、気にしないでください」
 帰途、一輪は頭巾を外したままだった。
 夜更けにはまだ少し早い。今日は気持ち良く寝て、気持ち良く朝を迎えられそうである。
「今日は姐さんと取り留めのない話が出来て、楽しかったですよ」
「そう言ってもらえると、私も嬉しいです」
 心なしか、提灯を持っている雲山も笑っているようである。
「ところで一輪は、地底では結構儲けたようですね」
「ははは、そりゃもう、うんと――うん?」
 一輪の足が、ぴたっ、とその場で止まった。
「先日、あなたが寝てる間に、雲山から聞いたのです。地底で栽培した蓮根が飛ぶように売れて、それを元手に金貸しまでやっていたそうじゃないですか」
「雲山、あんた何勝手に喋ってるの!」
『だってわし、いつまでも黙ってるの、良くないと思って……』
 ちなみにそのときの証文は、まだ取ってある。それらには鬼の血涙さえ染みている。もし一輪にその気があれば、いつでも彼らを顎で使うことができる。
 白蓮はそれらを、一切、焼却しろと告げた。
「私がやってもいいですが、うっかりあなたごと焼いちゃうかもしれませんね」
「はいはいはい! 自分でやります! 自分で!」
 その日は、寝る間も惜しんで証文と帳簿を整理し、焼くはめになった。
 なお、後に白蓮が地底に遊行した際、一輪の証文を焼かせたことをそれとなく広めて、信仰を集めたのは言うまでもないことである。