○○学会

十六夜咲夜の仕事はメイドである。それもメイド長である。長州力の長、いかりや長介の長がつくぐらいだから、とんでもなく偉い。

彼女の一日は主人が夜の長であるにも関わらず、早朝から始まる。いつ寝てるのか知れないというのに、その肌には艶が無いところなど存在していないのだから恐れ入る。

彼女は自分に対しても完全だが、廊下や窓にも艶に万遍が無いかよく確認するのである。

そんな偉くて完全なメイド長が、滅多に館内に姿を見せない門番の背中を見逃すことは、巨大彗星が地球に衝突するのを見落とすことに等しかった。

廊下の端から端へ、門番こと美鈴に近寄ると、彼女は掲示板に何やら貼り紙をしているのだった。肝心の内容は頭に隠れて見えないが、他には『ペット募集中(妖怪お断り)』だの『今月の弾幕犠牲者』といった興味が湧いたり枯れたりしそうな内容のものが所狭しと掲示されている。

咲夜は鼻歌混じりに画鋲を紙に刺している美鈴の肩を叩いた。美鈴はとうに咲夜に気づいていたらしく、おはようございます、とだけ返すと、顔も振り向かせずに作業を続けている。

「何をやっているの?」
「いえ、部下がまた面白いものを持ってきたので、ガリ版を作って増刷してみたんですよ」
「相変わらず器用なのが揃ってるわね、あなたの所は」
「職場環境が厳しいと娯楽に対して貪欲になりますからねぇ」

娯楽が無い。無いなら作れば良いじゃない。そんな素敵かつ不敵な根性を持つ集団は今や館内においては無くてはならない存在にまで昇り詰めている。そういった部下の所業を罰しない美鈴という上司があっての現在であった。

ちなみに警備部門番課二係が企画・推進した催しとしては、『冥界合同感謝祭・秋の大食い大会における名場面絵画展覧会』、『古今東西拷問用具再現展示会』等々、その研ぎ澄まされた観察眼をフル回転させて実施に移されたものばかりである。

咲夜もそういった物に天啓を与えられたことは少なくはなく、今度は何をやらかすんだと興味本位で美鈴の頭を手で横に退けたのだった。


『そーなのかー学会 定例集会のお知らせ』


一枚の紙にはでかでかと以上のように書かれていた。A4サイズの紙の隅には申し訳なさそうに日時が書き込まれている。咲夜は何度か瞬きをしてから、彼女の後ろに周った美鈴へと振り向いた。

「……ねぇ」
「なんですか」
「これ、定例ってことは、何度もやってるのよね?」
「これの元を持ってきた子によると、どうもそうみたいですねぇ。結構、会員が多いらしいんですけど、私は一度も参加したことがありませんよ」
「会員? 何よそれ」
「何でも、全国一千万人の――」
「ストップストップ! それ以上云うと、何かやばいものに目をつけられるわ! しかもそれテキトーに街頭で署名しただけで会員扱いされるんでしょ!?」
「各種飲食店を――」
「だめよ、だめだってば!」
「やだなぁ、冗談ですよ」

半狂乱で美鈴を制止していた咲夜は彼女の締めの言葉を聞いた瞬間、首を絞めた。腕はがっちりと首にまわされ、例え象の足だろうとへし折れるぐらいに力を込めている。美鈴はそうはさせまいと咄嗟に咲夜の腕と自分の首との間に腕を入れ、何やらくんずほぐれつ、傍から見るとじゃれあってるようにしか見えないが、その実、生と死の境界の只中にあるのだった。

その傍を一般のメイドが「おはようございます」と律儀に挨拶をして通りかかる頃にはぎちぎちという嫌な効果音は止んでいて、二人の腕に痣が残るだけで済んだ。美鈴はこう思う。きっとこの人はこうして人知れずに首を狩ってきたのだ。咲夜はこう思う。私が二秒で仕留められなかったのはこの子だけだわ。恐ろしい職場である。

「で、これは一体、どういう集会なのよ」
「えっと、何事に対してもそーなのかーという気持ちで接することによって、純粋な心で人生をエンジョイしよう、という主旨だそうです」
「元ネタ通り胡散臭いわねぇ……」
「元ネタ?」
「何でも無いわ。作者はこういうのに寛容だから、気にしないで」
「はあ? まぁ、とにかく、小難しい理屈は抜きで何でもかんでもそーなのかーで済ませましょう、と、如何にも御馬鹿さんが思考停止の言い訳に始めそうな内容の会ですね」
「うわぁ、自分で貼り紙しておいて、ぶっちゃけるわね」
「あくまでも一面的にはという前提ですけどね。ある面から見れば、ああこういう考え方もありかなぁ、という感じですし、問題無いでしょう。それに、ちょうど一枚分、掲示のスペースが空いてたもので」

そこまで聞いて、咲夜が首を傾げた。おかしい、昨日の晩に確認した限りでは、そんな空きは無かったはずだ。彼女は掲示板の前から三歩だけ後ろに下がってみた。今に件の貼り紙がされている場所には何があったか思い出すためだ。食べたばかりの朝食のエネルギーを全て脳みそに回すと、じきにそれは為されたのだった。

「『週刊・私のお嬢様』が無い!?」

それはお嬢様ことレミリアの友人であるパチュリーが友人との茶の席での会話を赤裸々に綴ったもので、咲夜の「曲がりなりにも間借りしている身分なのだからそれくらいはサービスしろ」という強引な要請によって掲示されている。このためにパチュリーは少ない良心を痛めながら、レミリアには発見されないように暗示を施してまで書いており、貧血と喘息に加えて最近では胃痛もその持病に加わるのではないかと影で噂されている。なお、噂を流したのは咲夜である。

ここでレミリアに暗示など効くのかという疑問が浮かぶところなのだが、元々が館内に興味の無いレミリアであり、しかもメイド達しか楽しめないような内容のものが掲示された空間など、そもそも見やしないのである。

さて、熱狂的なこの掲示物のファンである咲夜はというと、その完全なる脳みその働きによって、既に持ち去った犯人を突き止めていた。

持ち去られたとすれば、未明から朝にかけてである。一般のメイドが持ち去ることはありえない。それは死を意味するからである。ではパチュリーが自主的に回収したかというと、それもありえない。昨夜に書き終えたばかりのパチュリーにそのような余力が残っているはずはないのである。

「まだ読んでいないのにぃ!」

これだけを楽しみに、妹様との遊戯もメイドの懲罰も何もかも頑張っているといっても過言ではない。そして、ああ今週もきちんと仕上げていただけた、明日ゆっくり読もう、そんな風に考えていた咲夜にとってこの仕打ちは、さながら、餌に釣られた魚が餌をもらえないのにも似ていて、実に酷いことであった。

だが、何より辛いのは、咲夜の考えが完全であることだ。

「お嬢様!」

咲夜はそれなりに礼式を保ちながらも多少乱暴にレミリアの自室に入ると、ベッドの傍に跪いた。億劫そうにレミリアが身体を起こす。その顔は不機嫌そのものであった。

「何?」
「もしやもしやと思いましたが、他に考えられないのです!」
「だから何?」
「私の楽しみを奪えるのは、私の究極の楽しみの根源であるお嬢様以外にはありえないのでございます!」

そこでレミリアの堪忍袋の尾が切れた。彼女はすうと手を伸ばすと、咲夜の首を持ち上げる。

「だから、何が、どう、ありえないのかしら、ねぇ?」
「でぶがらぼがみらりべざびあばがじでぐべがらぎあじじゅぶばら」
「ふっかつのじゅもんなんて聞いてないわよ」

レミリアが咲夜を放すと、彼女は尻餅をつきながら、事の次第と、昨晩が満月で、寝る前に館内を散歩するから今日はもう咲夜は下がって良いと云ったことを思い出したことも、語ったのであった。

「私がやったって?」
「違うのですか?」
「やったわよ」

レミリアの踵落としが炸裂する。咲夜は薄れ行く意識の中で、ゆうていみやおうきむこうほりいゆうじとりやまあきらぺぺぺ、と呪文を唱えたのだった。なんとなさけない。






「はっ!?」

咲夜は頭痛の残る後頭部をさすりながら、自分が覚醒したことを確認した。今のは夢だったのいうのか。顔を上げると、そこには美鈴が心配そうに立っていた。

「大丈夫ですか?」

思い出した。美鈴がヘッドロックを振りほどいたときに、その反動で自分は頭をしこたま壁に打ちつけたのだった。しかし、状況は夢の中と変わってはいない。なんせ現に貼り紙は無くなっているのだ。

咲夜は時間を停めると、掲示板の前から姿を消した。向かうはレミリアの自室である。

「よう、門番じゃないか。いや、門の中だから、番内?」
「おはようございます、魔理沙さん」

美鈴はいなくなった咲夜のことは気にしないことにして、ずかずかと中まで入ってきてしまった客に向かった。咲夜にこんなところを見られなくて良かったと考えながら、今日は何の用事かと訊いてみた。

「いや、面白そうだと思って昨晩に勝手に持って行っちまったもんなんだが、やっぱり返そうと思ってな」
「珍しいですね」
「本以外は気前が良いのさ」

どうやら、どうでも良いことに気を遣うのが魔理沙らしい。美鈴は苦笑いをしながら、紙を受け取ったのだった。



「お嬢様!」
「何?」

珍しくレミリアは起きていた。退屈そうに久方ぶりに食べる目玉焼きの黄身を潰そうか潰すまいかと行儀悪くもフォークで突いては引っ込めるを繰り返していて、そんな所に咲夜が血相を変えて入ってきたものだから、黄身は潰れてしまったのだった。不機嫌なのはそれが原因である。

「お嬢様、申し訳ありません! この咲夜が、咲夜が悪いのですぅうううう!」

突然、土下座を慣行した咲夜に、レミリアはどうしていいかわからず、ただ席を立って彼女の傍に寄ると、膝を曲げたのだった。

「何かやったの?」
「何もかにも、にんともかんとも……お嬢様はあれをお読みになったのでしょう?」
「あれ?」

咲夜は頭を上げると、懇々とレミリアに説明した。その間、何度も舌を噛んだが、そんなことは気にしていられない。レミリアは何度かその内容に困ったような顔をしたが、どうした風も無く、始終を聞き終えたのだった。

「そんなことしてたんだ」
「本当に知らないのですか?」
「知ってたら、首を握りつぶしてるわよ」
「さ、左様でございますか」

咲夜はほっとした表情を浮かべると、立ち上がり、慌てて身だしなみを整えた。レミリアは何やらつまらなさそうであったが、内心、愉快な子だわと思っていた。

「ところで咲夜。今日は出かけるわよ」
「はあ、どこにでございましょ?」


「そーなのかー学会」


悪夢は始まったばかりだった。