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煙に巻かれて

 地震、雷、火事、大山嵐(おやじ)。なかんずく恐ろしいのは火事である。一つにはその原因の大半が失火という人災だからであり、また他の災害の二次災害としても起こるものだからだ。

 さて……、

 その日、紅魔館は紅かった。
 わざわざ『その日』と断っているからには変事である。要するに火事であった。
 外壁という外壁には火が立ち昇っていた。夜は深けており、放火された金閣寺よろしく館の傍らの湖面には炎が映った。野次馬の一人でもいれば感嘆と共に全焼の一文字を脳裏に焼き付かせたことだろう。しかし、そうした者はいなかった。湖を隔てた場所から、今にも湖面を伝ってきそうな火勢に慄(おのの)いているのかもしれなかった。
 館の中から寝間着のまま逃げてきた者達にしてみれば、さぞ肝を冷やしたことだろう。だが、門前に集まった者達は呑気に構えており、中には茶をしばいている者まであった。
「今回は何が原因ですか」
 門を守っていた甲斐むなしく、埒外に置かれて燃えゆく館を見上げていた美鈴が誰にということもなく言った。彼女に寝間着というものは無く、一張羅の民族服のままだった。
「はっきりとはわからないけど、思いつく限りで五つぐらいあるわ」
 メイドの人数確認を終えて一服していた咲夜が指折り数える。
「魔理沙が図書館で魔法をぶっ放した、妹様が癇癪を起こした、パチュリー様が実験に失敗した、それから……」
「あー、もういいですよ。どうせ誰にも責任を負ってもらえないんですから」
 美鈴がなげやりになるのも仕方の無いことだ。館の再建にかかる人足の調達を任せられるし、同時に、彼女自身が一番働かなければならない。
「よくわかってるじゃない。犯人を突き止めても意味が無いのよ」
「だからって、あんまり頻繁だと材木が足りませんよ。この間なんて、とうとう山一つ、ハゲになりましたし」
「もっと館内の空間を細かく分けないと駄目かしらね。ストレスで私がハゲちゃいそうだけど」
 美鈴は堪えた。思わず失笑したが最後、自分が刈られるからだ。傍目にはこれからの苦労を考えて顔を伏せているように見えたから、誰も気にしなかった。
 いや、咲夜だけは気にした。それも、美鈴に対する気遣いという形で。
「あなたも一本やる?」
 差し出された缶ピース煙草を見て、これが原因じゃないだろうかと美鈴は思った。彼女の目線に気付いた咲夜が柔和に笑う。
「私は寝煙草なんてしないし、ポイ捨てもしたことが無いわ」
「それはわかりましたけど、あんまり吸わないでくださいよ。人間には毒なんですから。それに、お嬢様や妹様が真似でもしたら……」
「まったく、あなたは門のことだけ心配していれば良いの」
 そうは言ったが、まんざらでもない咲夜だった。火事そのものは彼女の責任ではないにしても、少しばかり気落ちしていたのだ。
 咲夜は空間を操作でき、火事の被害を最小限に食い止められるが、時折、完璧にはいかなかった。やろうと思えば出火地点のみを空間ごと切り出せたが、そうするには当然、出火元を迅速に突き止める必要がある。今回はその余裕が無かった。火が広がってしまえば、館内にいる者達の避難を妨げないよう、逆に空間の仕切りを解く必要もあった。
「死人や怪我人が出るよりはマシですよ」
 美鈴は煙草を取ると、それに火を点けた。
「うはあ、紙巻きはキツイです」
「ああ、あなたはキセル派だったわね」
「最近はご無沙汰ですけどねぇ」
 咲夜が館に来るまでは門の前で湖を眺望しながら一服するのが日々の楽しみだったが、門番がそれでは示しがつかないと言われて以来、自粛していた。
「とか言って、ほんとは隠れて吸ってるんでしょう」
「そうしたいところですけど、肝心のキセルがどこかにいっちゃいまして」
「それ、いつのこと?」
 思わず問われて、美鈴は口に煙を溜めたまま目を丸くした。こんな所に住んでいると日付の感覚が無くなる。しかし、そんなに前のことでは無い。そう言いかけて、二人の間に入る者がいた。
「盛り上がっているところ、悪いんだけど」
 パチュリーが最前列に出てきた。炎が眩しいのか、いつもより一層、目を細めている。
「おトイレでしたら、そこらでなさってください」
「そうじゃなくて」
「ああ、壁が必要ですわね。ねえ、誰か!」
「……」
「そう恥ずかしがらなくてもようございます。火に当たれば催すのが自然というものです」
 咲夜に呆れたのか、はたまた本当に催していたのか、パチュリーはぷいとソッポを向いて暗がりに消えていった。
「おいおい、あんまりいじめるもんじゃないぜ」
 入れ替わるようにして現れたのは、魔理沙だった。
「やっぱりいたわね」
 咲夜が睨んだのは、魔理沙ではなく美鈴だ。美鈴は煙草を持ったまま、ぶんぶんと両手で否定のゼスチャーをする。
「わ、私はちゃんと番をしてましたよ!」
「嘘をおっしゃい!」
「いや、ホントのことだぜ?」
 意外にも魔理沙が言質を合わせた。彼女によると、適当な窓が開いていたため、そこから入ったのだという。
「よく図書館まで行けたわね。門からじゃないと、迷うようにしてあるんだけど」
「勝手知ったるなんとやら、ってね」
 威張って言うことではない。しかも両手には火事場泥棒の証拠として、本が抱えられていた。
「私は燃えないように運び出したんだ」
 図書館の本は全て耐火どころかあらゆる耐性を付けられている。それに咲夜が触れようとしたところで、魔理沙が視界から消えた。代わりに、目の前を一筋の真っ赤な光がぶっとく横切っている。
「かーじやー!」
 フランドールの放った光線は、湖の対岸にまで伸びていた。
「生きてるかしらね……」
「咄嗟に本を盾にしてましたから、大丈夫かと」
 二人で勝手に魔理沙の無事を結論付けると、フランドールに向き直る。この火事だから、外に出たことについて咎めるつもりは無かった。
「お怪我はありませんか」
「全然」
 フランドールは手を後ろで組み、胸を張った。珍しく優しい咲夜に照れているのか、頬の辺りが少し緊張していた。
「妹様も無事だったことだし、お茶でも飲みませんか」
「そうね」
 咲夜が食料を持ち出してきた班に指示を与えようと踵を返すと、フランドールがスカートの後ろを掴んだ。
「お姉様もいるの?」
「それは――」
「もちろん――」
 咲夜と美鈴が目を合わせる。ねえ美鈴。ねえ咲夜さん。そんなほがらかなアイコンタクトが、じきに訝しげなものに変わっていき、終いには二人同時に絶賛炎上中の館を見た。
「さ、咲夜さん、お嬢様は起きていらっしゃったんですか」
 美鈴の問いに、咲夜は首を振った。夕食のときこそ世話をしたが、それからは梅雨にあたって必要な準備のために館内を駆け回っていたため、レミリアがどうしていたかだなんてわからなかった。
「それじゃ、棺おけの中で寝ているかもしれないんですね」
「それならまだ良いわ。お嬢様の棺おけは特別製で、燃えたりしないもの。問題は途中で起きた場合よ」
 うっかり棺おけの蓋を開けようものなら、炎と煙に巻かれてしまってもおかしくなかった。それにしたってレミリアなら無事で済むのだろうが、そんなことはどうでもよろしい。
 置き去りにしたことがバレたら、後で怒られる……それこそが今に直面している問題の本質であった。
「仕方無い、私が行くわ」
 咲夜が時間を止めようとしたとき、彼女の肩を美鈴が叩いた。
「もし何かあったら、お嬢様に顔向けできません」
「美鈴……」
 良い話なのだが、とっくに顔向けできない状態に陥っていることを二人は忘れている。あるいは、炎が二人にそうさせたのかもしれない。キャンプファイヤーのときは少しだけ現実を忘れられるものなのだ。――多分。
「それじゃ私が行く!」
 フランドールがいたことまで忘れていた二人は、慌てて引き止めにかかった。もし本当に何かあったら、顔向けできないどころか、向ける顔が無くなる。
 三人がくんずほぐれつの体勢でいると、埒外から待ったの声が上がった。そこには、ずぶ濡れの魔理沙が立っていた。
「私が行くぜ」
 他の三人が驚いた目で魔理沙を見る。
「普段、世話になってるからな……止めないでくれ」
「止めないわよ」
「止めませんよね」
「行ってらっしゃーい」
 今度は魔理沙が驚いた。
「待て、私は部外者なんだ。その私が助けに行こうとしているんだ」
「知ってるわよ」
「知ってますよね」
「お土産ほしいな」
 つい調子に乗って言ってしまったことを、魔理沙は後悔した。もっとこう、『もう間に合わないわ!』『あなたに何かあったら、私……!』『魔理沙、死んじゃやだー!』みたいな展開を期待していたのだが。
 何が哀しくて冷や汗をかいた直後に火中に飛び込まなければならんのか。魔理沙が逆ギレをやって逃げ出そうとしたとき、肩を叩く者があった。
「魔理沙」
 振り向くと、パチュリーの顔があった。
「パ、――」
 魔理沙が言い終わる前に、水の濁流が彼女を襲った。そのまま、館の中へと押し流されていく。
「パカー!」
 間抜けな罵倒が響いた後、炎がぱちぱちと鳴る音だけが聞こえていた。しばらくして、中からボロボロになった魔理沙が一人で出てきた。スタート地点に戻ってきた彼女が倒れても、よくやったと讃える者はいなかった。
「やっぱり部外者じゃ駄目ね」
「期待外れもいいところですね」
「お土産も無いし」
「まったく、本の一つでも持ってきてちょうだいよ」
 さもありなん。
 皆は改めてレミリア救出の方法を考え始めたが、問題は一つに絞られ、そこから先へ進めなかった。
 それというのも、レミリアの位置が不明だからだ。いざ棺おけまで辿り着いて、いませんでした、では後が無い。かといって、放っておけばおくだけ後が怖い。
 しかもフランドールとパチュリーは事態を把握してから無関係を装い、仲良く他のメイド達と一緒に茶をしばいている。結局、咲夜と美鈴だけでどうにかしなければならなかった。
「こうなったら、私はお嬢様の寝室に向かうわ。あなたは別の場所を」
「それしかありませんかねぇ」
「仕方無いじゃない。下手に一緒に行動するよりは、勝手が利く分だけ安全よ」
「でもですね」
「何、文句があるの?」
 咲夜が時間と空間を操れるとはいえ、炎というやつはどうなるかわからない。一瞬の隙を突かれる咲夜が焼け爛れて死んでいく様を想像してしまう美鈴としては、レミリアに怒られることを承知で、咲夜の突入を抑えようとまで考えていた。
「では、私が先に――」
 と、言うが早いか、咲夜が人差し指を口にやった。黙れという意味であることは明白であった。
「何か聞こえるわ」
 咲夜にばかり気を遣っていた美鈴が、言われて耳をそばだてる。最初に聞こえたのは、館が軋む音だ。もう数分も持たないだろう。次に聞こえてきたのは、サイレンの音だ。火事には付きものの、あのウーウーという……。

 うーうー?

「お嬢様だわ!」
 颯爽と館の中に消えていった咲夜を見て、美鈴は思った。
 んなアホな、と。


 一夜明けた頃には、館はすっかり崩れ落ち、火も所々で燻るだけとなった。パチュリーや他の者達は、さあこれで咲夜か美鈴がレミリアからしぼられることだろうと考えていたのだが、そうはならなかった。
 あれからレミリアを担いで館から出てきた咲夜は疲れ切ってしまって、彼女を待っていた美鈴の目の前でぶっ倒れた。恐らく、それを見たレミリアが咲夜を気遣ったのだろうと結論付けて、メイド達は後片付けを始めた。

 結局、今回の出火の原因は何だったのだろうか。――咲夜の代わりにレミリアの日傘を支えている美鈴は考えたが、レミリアの膝を枕にして眠り続けている咲夜を見ていると、段々とどうでもよくなってきた。
 相変わらず死人は出なかったし、三日もすれば館はある程度の形に戻っているだろう。これだけ非常識なのだから、今更に現実的なことを考えても仕方あるまい。
 思わず溜息が出たところで、レミリアが声をかけた。
「あなたも行って良いわよ。私はこの子が目を覚ましたら、神社に行くから」
 美鈴は口を窄めたが、レミリアが行けというからには、行くしかあるまい。美鈴はもう一度だけ溜息を吐くと、レミリアに傘を渡して館の残骸へと歩いて行った。
「まったく、勘の良い子ね」
 レミリアは懐にしまっていた物を取り出すと、その先端に火を点けた。
 古びたキセルから、細い煙が立ち昇る。それを僅かに開いた瞼から見た咲夜は、もうしばらく眠ることにした。