墜落論

 夜明けの頃、朝陽にあぶり出されるように、山から烏が飛び立つ。
 それらが住み着いている森の辺りに、烏天狗が寝起きしている建物もあった。
 大体、彼女らの寝床というのは板の間である。寺の広間でも想像してもらえれば手っ取り早いのだが、その建物自体、ボロ寺である場合がほとんどだったりする。そこに集団で雑魚寝している様子は参籠者と大差無い。
 酔狂な人には、一応は女の天狗が折り重なってるのは艶姿に見えるかもしれない。が、そんな悠長なものではない。特にここは烏天狗が集まっているから、尚更である。
 先ず目に付くのは、寝ている間に抜けた羽根。なまじ丈夫な体の所為か、抜けても気にしない。掃除もしない。
「おお、これは某が寝小便を垂れた日の羽根じゃないか」
 とか言って、からかったりする。これが烏天狗の寝床の特徴である。
 着物はというと、几帳面に寝間着に着替えている者は、十いたら一もいない。
 二十いたらいるかもしれない。まあ三十もいれば一はいる。そういうのは何か特別な、例えば断食や一字念仏といった特殊な修法の期間にある者だったりする。たまに真面目なのもいるのだった。
 さて、それ以外の者達は前述した通りの雑魚寝である。服は皺にならないよう畳んであるので、下着姿が専らだ。いや、それならまだ良い方で、素っ裸で寝ている者が半数以上いる。流石に羞恥心もあるにはあるので掛け布を被って寝るが、これがまた薄かったり軽かったりで、寝返りを打とうものなら簡単にはだける。そういう場合は近くの気付いた者が直してやる。
 山の上のことなので気候は安定しているから、年中こんな具合だ。
 そこにガンガンと金属質の音が鳴り響いた。
 比較的まともな神経の持ち主から飛び起きる。気付いたら上に覆い被さっていた先輩天狗を蹴飛ばして、酒瓶と盃をひっくり返し、着替えを掴み、半ば転がるようにして袖と足を通す。
 その内、彼女らが言う所の「徳のある」、ぶっちゃけ年配の連中が、起き始める。やれやれといった具合に酒瓶と盃を取り直し、着替えは後回しで朝一番の酒を飲んだり注いだりする。
 すると廊下の奥から、徹夜組の天狗、射命丸文が顔を出した。天狗にとっては一日や二日の徹夜は、昼寝をしない程度の害しか無い。ましてや彼女らの生き甲斐である新聞作りに必要な作業場は限りがあるから、こうして徹夜でもしないといけない者が出るのだった。文はまとまった量を一気に作るタイプなので、殊更だった。
 昨晩からも、日中に閃いた内容を仕上げていたのである。後は何束かある内の最後の一束を印刷して寝ようと思っていたのだが、
「何ですか、もう。集中できないじゃないですか」
「ああ、ご飯ですよ、朝御飯」
「……あー、はいはい」
 近頃は異変やら取材やらで飛び回ってばかりいて、飯のことなんてすっかり忘れていた。文の場合、一度寝たら天魔直々に踏まれでもしない限りは起きないという事情もある。それを聞いて「文さんって誘い受けなんですね!」と口走った若い天狗は、翌朝、滝のある断崖に逆さ吊りにされているのが発見された。
 さても、印刷の前に食うだけ食っておくのも良さそうだった。
 烏天狗の言う「印刷」は、我々の知っている印刷とは多少異なる。
 記事だけならガリ版刷りでも何でも良いが、彼女らは写真も載せる。だから一般的な印刷作業の他に、要所要所で法力を用いる。つまり念写などをするわけだ。これが修行を兼ねていたことから新聞作りが広まったのだが、今では逆転現象が発生しているようだった。
 それだけ天狗のような存在が暇になったということなので、良いことなのかもしれないが。
 気付けばその天狗らの大半は建物を出て行き、居残り組が酒盛りをしている。恐らく一日中、飯も食わずにこうしているだろう。
「これ、一本もらっていきますよ」
 文は酒瓶をむんずと掴み、台所のある土間へと庭を回る形で向かった。


「んもー、駄目ですよ、朝御飯と一緒にお酒飲んじゃ」
 朝の挨拶もそこそこに、おさんどんをしていた小天狗もとい白狼天狗に、酒瓶を奪い取られた。土間の外側ではしゃがんだり立ったりで十人以上の烏天狗が飯を食らっていた。半数は庭にはみ出ている。
 食いながら、昨晩の続きだと言って地べたに将棋盤を置いてやり始めているのもいる。わんこそばよろしく汁物のお椀を空にしてはお代わりを頼んでいるのもいる。中には握り飯だけもらって早々に出かけるものもおり、正に勝手場だった。
「さて、射命丸さん。ご飯とお握り、どちらにします?」
「銀舎利ならどっちも美味しくいただけます」
「はいはい、両方ですね」
 よく訓練された白狼天狗である。彼女が鍋の傍にいる仲間に注文を告げている間によく見てみれば、以前の異変で名前の出た、犬走椛だった。
「こんな早い時間からご苦労さんですね」
「朝の見回りも兼ねてますから」
 周囲を睥睨し、溜息混じりに言う。起き抜けでまだ眠いのか、食った傍から寝転んでいるのが数人いる。ここみたいな所が山には数ヶ所あるから、見回りというよか、ほとんどお守【も】りだった。
 天狗は基本的に自堕落だから、放っておいてくれと開き直っている者も中にはいる。んが、世話してくれる小天狗がいないと堕落しまくり、栄養失調で民家の屋根に大穴空けて墜落するのだから、迷惑千万。パチンコ代をやらないと喧嘩ばかりして警察の厄介になる宿六と良い勝負。
 これが外の世界なら好きにやってもらっても大した問題にならないのだが、幻想郷は閉じた世界、寄り合い所帯。身内を固めておかなければならない。
 まあ実際は、そこまで固い話でもない。小天狗らも、一日のほとんどは暇しているのだから。食事の世話にしたって、自分らの分もついでに作っている。現に今も土間の框の所で三人ばかりが、きゃわきゃわと尻尾を振りながら賄いを食べていた。
「可愛い娘さんの食事する姿は良いですねえ」
「お食べになります?」
「やははははっ、冗談ですよ」
 危ない危ない、ぽろっと本音が出た。出された飯をさっさと食べ、握り飯は包んで、退散した。
 小天狗らも問答の類には慣れっこだから、なかなか弁が立つ。下手なことを言えば、先程のようにぴしゃりとやられた。
 そして印刷用の小部屋に戻ってから、酒瓶を取られたままだったことを思い出した。

「ずーいずーいずっころばーし、ごーまみっそずーい」
 歌いながら印刷するのがここでの嗜み……なわけがない。しかし文は、この方が調子が出た。早朝には眠るつもりでいたのに予定がずれこんでテンションがおかしい所為もある。
 文の手が動く都度、版板から印刷された紙が取られる。傍から見ていると手品でもしているように見えることだろう。余分な墨が版に付くわけでもなく、指先が少し汚れる程度。刷り上げるというよりも、文字が紙に染み出ている。軽やかな手付きは楽器でも弾いているかのごとし。天狗ならではの洗練された印刷の風景である。
 これで下着姿でなければ、もっと格好も付くのだが。
 理由としては、やはり服に墨が付くと困るからだ。注意していても、袖などは何かの拍子に汚れてしまう。作業用の前掛けやタスキなんかもあるにはある。それを付けたままどこかに行ってしまう輩がいなければ、それで良かったのだが……。
 しかし最大の理由は、汗で臭くなるのが嫌という、下着姿でいることと天秤にかけられるだけのものである。そこら辺について理解してやれるようだと貴方も立派な小天狗になれるだろう、と某天狗は新聞記事で語っている。
「ヤー! 出来ましたよ!」
 今回の特集は天人の天下り問題である。「無いこと無いこと書き上げた」と文も心の中で太鼓判を押す記事だ。
「終わりましたかー? 掃除したいんですけど」
 タイミング良く、椛が箒片手に出入り口の戸を開ける。
 すると文はわざとらしく体をくねらせて、
「きゃあっ! エッチ!」
「はいはい、これ着替えです」
 冷静な対応に、文は少し臍を曲げる。しかし普段でさえ彼女の調子に合わせるのは大変なのだ。新聞が完成した後のそれに付き合いたくないのは誰でも同じと言えよう。
 素直に服を着てから、刷り上がった新聞を紐でまとめる。それと前後して、椛は箒をかけ始めた。
「……他の子はどうしました?」
「お堂とお風呂の掃除です。一人、酔っぱらいに付き合わされちゃってるみたいですけど」
「あっ、そういえば私のお酒どうしました?」
 思い出したままに尋ねる。元々誰の物でもないのだが、誰の物でもないなら私の物でも良いだろうな精神が無ければここでやっていけない。飲めるときに飲み、打つときに打つのだ。
 ときに今なんて、凄く飲みたいわけだ。原稿が上がったのだ。風呂上がりに、病み上がりに、上がったら飲む。アゲアゲノメノメ。
「ああ、あれなら」
「ほうほう」
「射命丸さんからの差し入れでーす! ってことで、上がりの子に持たせました」
 くそっ、仕事上がりか!
 いつの世も、アコギはカタギに敵わない。文はがっくりと床に突っ伏して、存分に悔しがると、
「まあ、誰かのご相伴に与れば良いことです」
 すぐに立ち直った。新聞の束を小脇に抱え、どたどたと外に出て行く。
 彼女の考えはこうだ。
 新聞を届けた先に親切にも置いてある、酒を頂く。
 あえて弁護するなら、ただの泥棒ではない。厚顔無恥なだけだ。
 その不貞不貞しい後ろ姿を、椛のじと目が見送った。
 天魔の方針は褒めて伸ばすだから、文のような突出した個性の者も複数人抱えていられる。これが信賞必罰だなんて仕組みだったら、首を切っておいてまた縫い合わせるを繰り返していただろう。
 はてさて、天魔様はどうしたいのやら。
 烏が呑気にカーカー騒ぐのが聞こえてくる。
 今日の所は、山は平和そうだ。
 椛は適当な所で掃除を切り上げ、縁の下に隠しておいた酒瓶を出す。
「一丁上がりっと」
 今日はこれから、河童と一局、打つ予定だった。