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天狗になりやがって

 円がある、とする。
 内側があって円があるのか、それとも外側があって円となるのか。
「円周の線があるから」
 さすがにメイド長らしい回答だ。まあ、別に話自体はどうでも良い。
 文は魔法瓶に入れてきた甘酒を、蓋を兼ねたカップに注ぐ。匂い嗅いだだけで酔いそうな気がするのは、それだけ湯気が濃いからだ。
 紅魔館のある湖畔の現在時刻は、午前三時過ぎ。年を越した後に当たった。
 いやあ、本当なら文としても、年明けの風情だとか今年の抱負だとかを、長々と叙述したいと思っている。
 今頃は博霊神社にも守矢神社にも有象無象が集まって、それはそれは賑やかなことだろう。特に守矢神社は場所が場所だけに、知人の多くが押しかけているはずだ。
 こんな甘酒をちびちびやらずに、お屠蘇を顔にぶっかけるみたいにして飲んでるに違いない。いや、これはこれで好きなのだけれど、魚心あれば水心。
 マフラーや外套を着込み、下半身にはパンストも穿いているが、寒いものは寒い。
 それがどうだ。メイドときたら、三つ折りソックスの上はほんのり赤味を差しているだけで、太腿の中程まで露出している。見事なまでのミニスカメイド服だ。
 何かこう、文は女として負けた気がするのだが、メイドはメイドで人としてどうなんだろうとか思うのは余計なお節介だろうか。
 と、どれだけ他のことを考えてみても、状況は大して変わらない。
 同じ穴の狢。呉越同舟。シドとナンシー。
 最後のはあまり良い例えじゃなかったな。文は反省して、湖面を、そしてその向こうの稜線を見遣った。
「年越しと同時に日の出なら良いのに」
 ここには、日の出を見に来ていた。
 メイドの方はどうしてかは知らないが、文が来たときには、もういたのだった。
 そのメイド、咲夜がため息を吐く。白い生き物が首を伸ばし、暗闇に解けた。
「がっかりなこと言わないでくれる?」
「だって、年越しまではやたらと予定が詰まってるのに、明けた途端にスパンが空くじゃないですか。二年参りの後から初詣までは、ざっと六時間以上も開きがあるんですよ? もっと効率的に分配してもらいたいもんです」
「のんびりできて良いんじゃないかしらね」
「私はクリスマスから年明けまでを一挙に駆け抜けるんです」
「我が儘ねえ……うちのお嬢様と良い勝負だわ」
 そう言って、やはり文と同じ方向を見た。
「おや、そちらも日の出が目当てだったんですか」
「うーん、微妙に違うんだけど、日の出まで暇なのは確かね」
「じゃあ、館の中に入っていれば良いじゃないですか」
「なら、貴方は?」
 お互いに顔を見合う。ふと思い付いて、文はゆっくりと言葉を紡いだ。
 じっとしてられない。咲夜の口から、同じ言葉が出ていた。
「貴方と気が合うだなんて、これも温暖化の影響かしら」
「私の気はエルニーニョですか」
「そんな感じじゃない? 不安定で。正確な所は美鈴がいないからわからないわ」
 年明けに合わせて、先祖の霊を慰めに行っているそうな。門の前が物足りないと思っていたが、それが原因だったか。
「感心なことですねえ。私には真似できませんよ。親の死に目に会う天狗は天狗じゃありません」
「親がいたことに驚くわね」
「そんなことを貴方に驚かれるとは、実に心外です」
「……そうね」
 何か言いたそうにしたが、合わせた目を外されてしまった。
 カップの甘酒が冷めている。文はそれを一気に飲んで、今度からはラッパで飲むようにした。
「天狗になる理由って、ご存知で?」
 思い出したように、実際その通り、文が言う。
 咲夜は視線を投げたままで何も言わない。文は続けることにした。
「先に言っておくと、私は根っからの天狗です。仰るとおり、親なんてものとは無縁ですよ。けどねえ、いるんです。人間から天狗になるのがね。その理由は様々ですが、大体、共通点はあるんですよ」
 親無しが大多数。子を亡くして、世の無常を憂えたのもいる。これは女性に多い。
「面白いのはここからでして、中には自分が人間の子だと知らず、天狗だと思い込んでるのもいるわけですよ。逆に、子を亡くした人間が天狗となり、その天狗が人間の子を育てたりもする。幻想郷はあぶれたのが迷い込み易い土地柄ですから、私が知っている範囲でも結構います。鬼の方々らはそこら辺を利用して、赤子を喰らっていたんでしょう」
 寒い所為か、口がよく回った。口から出任せなんて言うが、口は正直だ。嘘を言ったのだとしたら、それは気持ちが付いてこなかっただけに過ぎない。今はむしろ、口が付いてきていなかった。
 もっと早く。喉の下の辺りが急かす。甘酒を飲んでも鎮まらない。
「ところで貴方は、子どもと親、どちらで?」
「少女よ」
「良い言葉ですね。少女。うん」
 文の喉元を、すとんと下りるものがあった。自分も少女だ。そう答えるだろう。
「飲みます? もうほとんど無いですけど」
「結構よ。何なら、新しいのを作ってきてあげるわよ?」
「遠慮はしない口でして」
 文は魔法瓶を渡す。次の瞬間には、中身の足された魔法瓶、それとティーテーブルまでもが小さいながらも用意されていた。
 クッキーを一枚摘んで、匂いを嗅いでみる。
「もてなす以上はそれぐらいしてあげないと気が済まないわ」
「これはこれは……いただきます」
 甘酒に合うかどうかは別として、クッキーの味は悪くなかった。咲夜の方はロシアンティーらしく、ジャムを入れていた。
 時間は。そう思って懐から時計を出してみれば、六時を回っていた。
 壊れた……のではない。
「ズルしましたね?」
「最初からそのつもりだったのよ。でも貴方が来た。貴方の所為で身体が冷えちゃったわ」
「その割には身体から暖かそうな熱気が……ってあー! 一人でシャワー浴びましたね!」
 テーブルに片手を突いて、文が詰め寄る。咲夜からは石鹸の匂いがした。これこそズルだ。
「予定が詰まって良かったじゃない」
 その通りではある。
 文は幾分かアルコールが濃くなった気のする甘酒を、あおいだ。
 一際寒い風が吹いて、咲夜が空を仰いだ。
「さあ、日が出るわよ」
 ちょっと待てと言う代わりに、文は問うた。
「我々が太陽と言う場合、それは陽光のことなのでしょうか。それとも燦々と輝く、あの恒星そのもののことなのでしょうか」
「泣きそうな顔をして言うような台詞じゃないと思うけど……そうね、それは」
 あれを目にしたらどうでもよくなること。
 稜線が一段と濃くなり、空には青が滲み、そして光が差した。
 湖面を輝きが走ってくる。視覚的な風が、文を俄に仰け反らせた。稜線がぎりぎりの高さまで陽光を遮ったからこそ生まれる、疾走だった。
「来て良かったです」
「そう言ってもらえると、追い出さなかった甲斐があったわ」
 咲夜は言いつつ、水際で跪く。彼女の手には空のカップがあって、それは陶器の薄青色をしていた。
 湖面の光を掬うように、水を溜める。
「お嬢様がね、これを飲みたがって」
「そのためだけにお気に入りの従者をここに置いて行ったんですか」
 豪気なことだ。文は半ば呆れて、甘酒をやった。
 クッキーが無くなった頃には、太陽が頭に当たる部分まで出ていた。湖面は綺麗というより、既に眩しい。
「さあて、私はそろそろ失礼させてもらいます。他はともかく、上役は私が酒を注がないと怒りますからねえ」
「なら最初から山で御来光を望んだ方が良かったんじゃないの?」
「泰山に登り蓬莱を望むと申しますが、別に山でなくても、出向くのが肝要だと思うのです。始皇帝に比べたら、ここは近いものですよ」
「シ○ッティだかなんだか知らないけど、円の内側とか外側とか、そういう意味で言ったの?」
「正月から下品なこと言わないでください。それにしても、どうなんでしょうかねえ。もし貴方が私の思った通りの人だったら、他の意味に心当たりがあるか、と」
「誰にだって心当たりはあるわよ」
「叩いて埃の出ない人はいませんでねえ。ふふ」
 文はマフラーを巻き直して、咲夜に背を向けた。
「ああ、三が日は新聞が休みですから」
「誰も取ってないわよ」
「そうですか? すぐにでも読みたくないですか?」
 いい加減、怒っても良さそうだ。しかし咲夜に、そうした気配は無い。
 勘付いてないということも無さそうなのだが、本当にわからないのか。片手間とはいえ、数年来の一仕事、それでは残念、やるかたない。
 望蓬莱の故事に倣ったなんて殊勝な精神の持ち主だなんて思われたら、心外である。
 そういえば……始皇帝は旅先で崩御したんだったか。
 思った直後に、文はぐらりと体勢を崩した。
 地面へ顔から落ちる。
 そのままぐったりとして、動かなくなった。



「わああああああああ! 文さぁああん!」
「ふごぉ!」
 マフラーの先を踏みつけられた状態で抱き起こされたものだから、豪快に首が絞まった。
 ああ、死ぬ。本当に死ぬ。
 走馬燈の代わりに、白い毛が目立つ天狗の、泣きそうな顔が見えた。
「文さん! 生きてたんですね!」
「今はゾンビぐらいです……」
 マフラーを踏んでいることを気付かせてやると、椛がぱっと離れた。その憩いで、今度は後頭部を、水際の固い土にぶつけた。
 しばらくのたうちまわってから起き上がり、片足立ちになる。片方の下駄の歯が、根本部分から切れていた。
 息を切らしながら、椛の肩を借りる。
「さ、サスペンスなら三度死んでますね」
「正直に死ねば良かったのに」
 咲夜は泰然としており、ついさっき投げたらしいナイフの汚れを取っていた。レミリア用のカップはテーブルに置いてある。
「ふふん、そうやって偉そうにしていられるのも今の内です! あ……引っかかったな! これを待っていた! 話は聞かせてもらった! この戦争が終わったら結婚するんだ!」
「言いたかった台詞ランキング上位を思い出しがてら口に出さないでくれる?」
 図星だったが、文は動じない。動じるといえば、椛の胸が大きくなっているらしいことに今気付いてちょっぴり動揺した。が、それはそれだ。後で揉みしだこう。
「とにかく、今ので貴方は、自分が天狗だと認めたのです!」
「は、あ?」
 咲夜がナイフを弄ぶ手を止める。椛は申し訳なさそうな顔をしている。
「前々から貴方の能力はぶっ飛んでると思っていたんですよ。霊夢さんなどとは次元が違います。ああ、あれはあれで凄いんですけどね。それで私は地道な調査の末、この椛君から重要な情報を掴んだのです! さあ、椛! 服を取れ! 取れ! 取れ! 三回言ったから観念しろ!」
「何の話ですかもう」
 申し訳なさそうなものから可哀想なものへと椛の表情が変わっている。有り難い初日の出のおかげで、落差が酷い。
 大体、地道な捜査即ち、酒を飲んだときに酔っぱらった椛の話を小耳に挟んだだけだ。そう断ってから、椛は咲夜に目を合わせた。
「いやあ、私が捨てられて天狗になった口なもので、それで色々と刺激しちゃったみたいですね」
「たちの悪い……」
「本当に。まあ、親を見付けてやろう、なんて気も少しはあったかもしれませんけど?」
 椛につられる形で咲夜も文を見る。問題の人物はといえば、咲夜と目が合うと、首をぶんぶん振っていた。
「とにかく、この人ったら、素性のあやふやな人達を脅して回り始めたわけですよ。今日も年越しだっていうのに山を出たものだから、心配でつけてきた次第です。ええ。まあ、それも今日までですね。貴方で最後のはずですよ」
「最後? またどうして?」
「いえ、それがね。私、目が良いんですけど」
 小さい頃に貴方を見た覚えがある。
 そう言って、椛は照れ笑いをしてみせた。
「まあ、能力のこともあって、これは、と目星を付けたんじゃないですか? 最後に回したみたいです」
 文は首振り扇風機みたいに首を振ってるんだか頷いてるんだか、わけがわからなくなっている。
 椛には内緒にしていたはずなのに。どうして。何故。
 そもそも椛から情報を聞いたくせに、わかっていない。このままだとバター状に溶けてしまいそうだ。
 椛は引き上げる素振りを見せた。文を肩に担いで、後ろを向く。
「では、今年もよろしく」
 現れたときと同じく、唐突に去っていく。背中の方に頭をやられていた文はじたばたしていたが、咲夜の姿にふと目を留めた。
 間違えてレミリア用のカップで喉を潤してしまい、慌てている。
 動揺……している。していたのか。
「椛! 取れ! 私を取れ! 取るんです!」
「駄目です。そっとしておいてあげましょうよ」
「ぬわああああ! その言い方止めてください、何だか私だけ悪者じゃないですか」
「悪いのは世の中です。みんな世の中が悪いんです。これで良いですか?」
「は・な・せ!」
 ああ、スクープと縁が無い。
 文は日の出を眺めつつ、嘆息した。