首尾
春雨が、しずしず降って、日が暮れて。
翌朝、ぬえは布団の中で目を覚ました。ぬえは朝が早く、陽が昇り始める頃には瞼が解れる。
横になっていた体を仰向けにして、伸びをすると、片方の肘が隣で寝ていた白蓮に当たった。
白蓮はそれにも構わず、すうすうと寝息を立て続けている。
冷や汗をかきながら布団を抜け出したぬえは、廊下に出ると、襖をそっと閉めた。
「おはよう」
「はい、おはよう」
寺の厨房では、一輪が飯炊きをしていた。いつ寝ているのだかは知らないが、白蓮より早く寝たのを見たことが無いし、白蓮より遅く起きるのを見たことは無い。
頭には尼僧の被る頭巾の代わりに三角巾を巻き、煮物や漬物をてきぱきと皿に盛っている。
釜の蒸気が白み始めた空の光を受けて、窓の辺りに靄を作っている。
「すっかり、春の陽が射すようになったね」
「そうね。これでやっと料理の材料が増えるわ」
命蓮寺の住人は食事に制限が無いが、それでも冬の間は食べる物が限られる。
白蓮自身が質素な食生活を好んでいることもあるし、一輪がそうした工夫を修行だと思って率先してやっているためでもある。
ぬえにこの寺の住人としての自覚は無かったが、彼女も性格の割には派手な生活を好まないので、ここに泊まることは多かった。
それがどうして白蓮と一緒の布団で寝ることになったのかといえば、一輪が白蓮には秘密で、ぬえに頼んだからだった。
「もう、大丈夫なんじゃない?」
白蓮と一緒に寝るのは、昨晩に限ったことではない。
ぬえも別に嫌ではなかったが、自分の所為で一度、白蓮に迷惑をかけたことがあったから、自分が余計なことに手を貸しているのではないかという不安から、一輪に訊ねたのだった。
「確かに封印から解けて大分経つけど、夜中、突然に目が覚めて寂しがるようだと、心配だわ」
「ああいう人が寂しがったりなんてするもんかね」
ぬえが布団に入ってきても、白蓮は特に気をかけるでもなく、姿勢正しく、朝まで寝続けている。
「あれなら私じゃなくても、猫でも飼えば解決じゃない?」
「まあ、確かに姐さんは猫好きだけど」
「えっ」
本当にそうだとは思ってなかったので、ぬえは耳を疑った。
「正確には、生き物は何でも好きなのよ」
「それはわかるけどさ」
封印されてまで妖怪のことを考えてるような人物なわけで、そこは疑いようが無い。
ぬえが気になるのは、白蓮が文字通り猫かわいがりするようには思えないからだった。
「あなた、昼間は寺に寄りつかないから知らないだけよ。ちょうど猫も動き回る時期だから、今日辺り、姐さんと一緒にいてみなさい」
一輪にそこまで言われても、ぬえは半信半疑の状態だった。
それでも一輪に言われた通り、起きてきた白蓮と朝食を取ってからも、白蓮は出かけずに、寺に残っていた。
珍しくぬえがいるので、白蓮も自分の書斎ではなく、縁側のある座敷で過ごしている。
縁側の柱に背中を預けて和装本を読んでいたぬえが、不意に口を開いた。
「白蓮なら、魯智深を破門する?」
唐突な質問に白蓮は座机に置いた巻物から顔を上げた。
「何を読んでいるかと思ったら、水滸伝ですか」
「私も白蓮と同じで、昔のはよく読んでたんだけど、こういうのあまり読まなかったからさあ」
ぬえの言う「昔」は千年以上前のことなので、普通の人間のそれとはかけ離れている。ちなみに「最近」だと明治時代どころか江戸初期までが範囲に含まれる。
「そもそも、なんでこれが本棚にあるわけ? 三国志もあったけど」
「水滸伝の舞台の宋代もそうですが、三国時代も仏教と深い関わりがあるのです」
「なーんだ、そんな理由か」
「……まあ、単純に物語が読みたかった、というのもありますが」
白蓮は薄らと笑みを浮かべてから、巻物を閉じて立ち上がった。
縁側に腰掛けた白蓮の透き通った髪に陽光が当たり、紫色の貴相が浮かぶ。ぬえはそれを、ぼうっと眺めていた。
「水滸伝の魯智深は、運命に翻弄されながらも、人情を忘れないからこそ魅力があるわけですから、私が書き手であれば、やはり破門させるでしょうね」
「いや、そういうことじゃなくてさ。当事者だったらってこと」
「それはこれから言う所です。――破門せざるをえない状況、というのは山門を預かる身であれば無いわけではありません。ですから、その場合、私も山を下りることにします」
「それだと白蓮は、梁山泊で頭領になっちゃいそうだ」
「あははは、それは良かったですね」
白蓮が笑うと、彼女の後ろ髪が肩と一緒に揺れる。
そんな光景の中で、影が動いた。
まだ緑の薄いまがきを潜って、猫が入ってきたのだった。
ぬえが注意して辺りを見回すと、その一匹以外にも、幾つかの影が見えた。
――もしかして、私を警戒してるのか?
白蓮の肩を軽く叩くと、彼女は目を細めただけで、特に何も言わなかった。
じきに猫たちはゆっくりと白蓮の所に寄ってきて、その内の一匹が、ひょいっ、と白蓮の膝の上に乗った。
「はいはい、ねーこねーこにゃーん」
「ぶふっ」
白蓮が猫の顎を撫でながら、鈴を転がしたような声を出すと、ぬえは思わず吹き出した。
「あら、ぬえは猫が苦手でしたか?」
「いや、そういうわけじゃ……」
「ほら、ぬえちゃんですよー、ぬえーんぬえーん、ほーら」
冬から毛が生え変わった猫を白蓮は抱え上げると、ぬえの前で揺らしてみせた。
どういう顔をしたら良いやら、ぬえは困ってしまった。
そこで他の猫が、今度は自分を抱き上げてくれとばかりに、白蓮の足にじゃれ付き始めた。そのおかげで、白蓮はぬえに迫るのを止めた。
――ああ、びっくりした。
小傘が聞けば歓喜するであろう台詞を、心中で呟く。
一輪の言っていたことは、本当なのだった。
ぬえが落ち着きを取り戻している間に白蓮は縁側にあった履物を引っ掛けて、猫たちの真ん中にしゃがみ込んだ。
スカートを引っ掻いたり、その中に潜り込んだりせず、猫たちは白蓮の傍でにゃあにゃあと鳴いては、彼女が細やかな視線を注いでくれるのを待っている。
その光景を眺めていると、白蓮も大きな猫のように、ぬえには見えてきた。
それがどうしたことか、不意に猫たちが首を竦めて、長蛇の列となって、するすると庭から逃げていってしまった。
白蓮は物足りなさそうに自身の手を揉んで、立ち上がる。
その視線の先から、八雲紫が式の藍を連れて現れた。珍しく、徒歩である。
ぬえは彼女らと挨拶を交わすようなことはこれまで一度も無かったが、面識自体はそれなりにある。
ただ、藍が紫に連れられている姿を見たのは、これが初めてだった。
何かあるのだろうか、とぬえが興味を抱いても、仕方の無いことだった。ふと視線を感じて、廊下の角を見てみると、いつの間にか一輪が控えていた。
――もしかして、このためにここにいろとか言ったの?
ぬえの視線に込められた疑問にも、一輪は瞼を閉じたままでいた。
白蓮と紫は、庭先で立ち話を始めていた。
「一応、見つかったわよ」
「それは良かった。ありがとうございます」
「早速、お見せするとしましょう」
紫は三歩後ろに控えていた藍に目を合わせてから、宙を撫でた。
その空間が裂けて、たちまち、辺りに妖気が漏れ出す。それが凝り固まったかのように、中から巨大な影が零れ出した。
その影は、体長四メートルはあろうかという、虎だった。
ここにそれぐらいのことで驚く妖怪は一人もいなかったが、虎の大きさそのものに圧迫感があった。
虎は紫に鼻息を荒げると、白蓮の周りをのっそりと歩き始めた。そして再び白蓮の前に立ったとき、にわかに前肢を振り上げ、白蓮に襲い掛かった。
その虎の動きが、一瞬、空中で止まった。へなへなと前に倒れて、白蓮がそれをやり過ごす。
何があったかと思い、ぬえがよーっく目を凝らすと、白蓮の片手が、虎の股間に潜り込んでいた。
「この子は雄なんですね」
「ええ……ねえ、そろそろ放してやってくれる?」
白蓮の手が虎の股間から抜けると、虎はひれ伏してしまった。
いったい、どれだけの力で握ったのか。未だに雄でいられる状態なのか。ぬえの頭に痛々しい想像が駆け巡った。
「すみません、旅をしていた頃の癖で、咄嗟の手加減が難しいのです」
「癖なんて誰にでもあるものよ。――さて、藍。お待たせ。もういいわよ」
藍は長揖で主人に礼を示すと、白蓮には軽く頭を下げた。
ハンカチで手を拭いていた白蓮が、虎の背中を撫でる。虎は気怠そうに息を漏らして、じきに立ち上がると、のっそのっそと、白蓮と藍に従い、奥の庭へと去ってしまった。
一輪の姿も無くなっており、ぬえの隣には、湯気を上げた茶が盆と一緒に置かれていた。
――虎の相手の方がまだ良かったな。
どう考えても、紫の相手を務めろということである。
ぬえにそんな義理は無いのだが、彼女には情の豊かな面があって、それが行動にも表れる。
これは、自分でありながら自分ではない『鵺』という存在を恐れる人間を見てきたからこそ、培われたものかもしれない。そうした自己のズレを実感できるのは、本来、社会性の強い人間の方であるから、人間の情に沿う形でぬえの精神が育まれた、と言い換えることもできる。
鵺という妖怪が廃れきらぬ源流とは、そういう所にあるのではないか。もしくは、人に忘れ去られた鵺の人情こそが、ぬえとして幻想郷に逃れたのかもしれなかった。
ぬえが去らないことを確認してから、紫も縁側に腰を下ろした。
「虎を飼うようなもの、というと、あまり良くない喩えだけれど、豊干禅師の例もあることだし、坊主とは相性が良いかもしれないわね」
「釈迦は虎に食われてるじゃないか」
「捨身飼虎ね……前世の話なんて、私は興味無いわ」
釈迦は前世において虎の子らのために身を投げたというが、それよりも豊干禅師のように山に隠れて身を修した者の話の方が、紫の気性には合うのだろう。
紫のような相手と問答をする気は、ぬえにも無い。
「結局、あの虎は何なの?」
「あの尼の話をそのまま言うと、『妖怪は自分からこの寺に来られるけど、未だに動物でいる身ではなかなかそうもいかないだろうから、心当たりがあれば連れてきてほしい』というものだったわ」
「本邦にも虎がいたとはね」
「火車が吹雪の中に現れたりするような島国だから、不思議じゃないわよ」
「それ、越後の話だろう? あそこは毘沙門天が生まれ変わったり、水が燃えたり、何でもありじゃないか」
「鵺に言われる筋合いは無いでしょうね。とにかく、いたものはいたのだから、連れてきたのよ。それとも、細かいことは差っ引いて、寝床にでも置いておけば良かったかしら?」
それは困る。この寺で何かあった場合、真っ先に疑われるのは、ぬえである。
紫もそれを知っての発言だろう。彼女は組んでいた足を組み替えると、茶を啜った。
「――考えてみれば、あなたも不思議よね。どうして、ここに留まっているの?」」
「それは私もたまに思うんだけど……白蓮が面白いから、以外の答えが見つからないんだ」
「まあ、底抜けな所はあるわよね。地獄の釜の底を抜くのにも躊躇わなさそうで」
それが白蓮の教理に適うのなら、やるかもしれない。
神妙な顔で唸っているぬえに、紫は微笑を向けた。
「矢でも刺さったみたいな顔をして、可愛いわね。何だったら、私の式にならない?」
「九尾がいるなら十分でしょう?」
自分の方が格下である、とは思っていない。ただ、誰かと比せられる立場に自分を置きたいとも思わない。そう考えれば、白蓮のような人物の懐以外には、行く所が無いのも道理だろうか。
「そういえば、あの九尾はどうして、白蓮と?」
「仏法と式の関連がどうとかこうとか、言っていたわね。私も興味はあるけれど、あの子から後で聞けば、事足りるわ」
紫の物言いを頭から信じるぬえではない。
ぬえが寺にいることを見て取った紫は、藍を呼び出しておいてから姿を見せて、ぬえと二人きりで話す機会を作ったのかもしれない。そうした気遣いにぬえが感じ入るようなら、紫の手間は報われていただろう。
見えにくいやり取りの最中、裏の方から虎の吼える声が聞こえた。
その声はどこかで反響して、ぬえの首筋を乱暴に撫でた。
紫は扇子で口元を隠すと、ごちそうさま、と呟いて、腰を上げた。
「紫様」
低いがよく通る声をした藍が、建物の角から出てきて、紫に礼をする。
彼女たちが立ち去ってじきに、白蓮がしずしずと、虎と一緒に現れた。
「心配させてしまいましたか?」
「別に。ただ、虎の鳴き声って初めて聞いたから」
「私も本物は初めてですね」
虎の喉を撫でてやりながら、白蓮が答える。
虎の体高は白蓮の肩まであるが、先ほどまでの圧迫感が薄れ、それに隠れていたらしい落ち着いた佇まいが、常のものではない光景から危うさを抜き取っていた。
そちらに向けていた視線を、白蓮に戻す。
「本物って、白蓮は慣れてるんだろう?」
「本邦には虎はいませんよ」
「いや、でも……いるじゃん?」
ぬえも水墨画などの絵としてではなく図鑑などで虎は見たことがある。実は虎髭の毛むくじゃらのおっさんです、と言われても、信じることはない。
「本邦にいる虎は、全て、妖怪としての虎だと思うべきです。星も、そうした出自です」
「ああ……なるほど」
すっかり毘沙門天姿が板に付いている寅丸星の仏頂面を思い浮かべて、ぬえは頷いた。
「じゃあ、こいつもそういう虎なんでしょう?」
「ですから、この子は本物なんですよ。唐土の虎ですよ。幻想郷に勝手に住み着いたものか、スキマ妖怪が唐土から持ってきたものか。試しに般若心経でも聞かせてみましょうか。子守唄と思って、寝るかもしれませんよ」
それこそ妖怪になりそうなので、苦笑いで諌止しておく。
会話をしている間に、白蓮は虎を座らせて、その背中に腰掛けてしまった。
「星も真面目ではありましたが、唐土の虎は実に大人しいのですね」
「さっき吼えてたのは?」
「我慢しているようでしたから、一つ吼えさせてみたのです。寺は仏の掌のようなものですから、好きにさせてからの方が、落ち着けるものなのです」
一度吼えただけでこれだけ白蓮に慣れるのだから、眉唾というわけでもないのだろう。
藍の参考になったかどうかは定かではないが、それはぬえの関知する所ではない。
「ぬえも触ってみますか?」
「それなら、股間を握ってからの方が良いんじゃない?」
「まあ」
白蓮がくすくすと笑う。背中の細かな振動に、虎も頬を緩めたように見えた。
「――では私は、寺内の子らに、この子を紹介してきましょう。ぬえは、のんびりしていてください」
「はいはい、庭の番でもしてるよ」
白蓮が虎の首裏辺りを撫でると、虎はすっくと立ち上がり、白蓮を乗せたままで寺の正面の方に歩いていった。
「驢馬みたいに扱うんだな」
「姐さんにとっては、一切衆生、驢馬のようなもの」
「うわあ!」
廊下の影から、ゆらりと一輪が現れる。彼女が現れると空気に湿り気が混じるので、視覚以上に肌がびっくりしていた。
「いたのなら、会話に加われば良いじゃないか」
「あんまりあれに近寄ると、雲山に毛が付きそうで」
「付かないと思うけどなあ……」
心臓に毛が生える方が、まだありそうだ。
「雲山はハゲてるんじゃないわ! 剃ってるだけよ!」
「誰もそんなこと言ってないだろ!」
かえって、どう剃っているかの方が気になってしまう。
阿呆な話をしていたら、途端に眠気が襲ってくる。ぬえは伸びをすると、背中から後ろに倒れた。
「今から寝るの?」
「あの調子なら白蓮は虎と寝れば良いでしょ。私は夜になったら出かけることにするよ」
「それで気付いたら、姐さんの布団が虎柄に――」
「怖いこと言うなよ……」
一輪は手仕草が一々細かいので、受け取る方には生々しいものがある。
ぬえが溜め息をしている間に、一輪の気配は消えた。
「ただいまー」
戯れがすっかり癖になってしまったことを言って、ぬえが寺に戻った。
久々に夜の空をぶらついたが、結局、丑三つ時までには戻ってきてしまった。
散り始めた椿から夜露が垂れる様を眺めていた水蜜と、目が合う。彼女はぺろりと指先を舐めると、ぬえにくっついてきた。
「ぬえはいつでも冥い水の香りがして、実に好ましいね」
「深層水でも鼻から飲んでなよ」
「おかげで風邪知らず」
それは多分、関係ない。やれやれといった具合にぬえが自分の髪を撫でると、庭の隅で寝ている、あの虎の姿に気付いた。
「……白蓮は?」
「珍しく、酒をやってたね。かくいう私も、相伴に与ったりして」
そう言って、水蜜はぬえを放した。なんだか、湿っぽさが残ったような感じがした。
白蓮の寝室は、座敷の奥にある。廊下を回り込んで襖の前に立つと、中から声がかかった。
「――ぬえですね」
「虎じゃないな」
夜気に揺れを感じる。笑いのようでもあるし、震えのようでもある。
ぬえが襖を開けると、白蓮は寝間着姿で、まだ酒を飲んでいた。
「酒とは不思議なものです。積み上げてきた物を突き放すという点においては、修行に優るかもしれません」
「結構、飲んでるみたいだね」
「……昔のことを思い出しまして」
そう呟く白蓮の姿に、哀しみの色は無い。むしろ、そうしたものに未だ囚われている者のことを、行灯の中に見ているようだった。そこに表層の変化は存在しない。
行灯そのもの、行灯の光、そして、行灯によって作られる、闇ではない影。白蓮の陰は、どこにあるのか。
ぬえは白蓮の横に座って、卓の上に置かれた盃に手を伸ばした。盃は二つあったから、ぬえのことを待っていたようだ。
そのことには触れずに、ぬえは酒に口を付けた。
「――越後の酒だなあ」
「わかるものなのですね。スキマ妖怪からいただいたものですよ」
ぬえは二杯ほど、静かに飲んだ。白蓮はその間に、一口だけ飲んでいた。
「ぬえは面白いですね」
藪から棒に言われて、ぬえは喉を鳴らした。
「あなたのように、裏と、裏の裏を併せ持った妖怪は、他にいないかもしれません」
「そう?」
「布団を被ったとき、良いものであれば、中に詰められているもののことまで、わかるものです」
白蓮は盃を空けて、置いた。
「あなたと寝ていると、瞼の裏に陽が射すのです。私の封印が解ける際に、あなたがああいう形で関わったことは、良い先行きの証でしょう」
「そうなのかな……」
ぬえには仏法の深遠さはわからないし、あまりわかりたいとも思わない。
ただし、白蓮が見せる表情は、鵺を見る人間の表情とは、明らかに違っている。
そんな彼女と一緒にいる時間が増えることを、ぬえは嫌とは思わない。
「そろそろ、寝ようか」
「はい」
ぬえは下着姿になると、そのまま布団に潜り込んだ。その隣に、行灯を消した白蓮が、仰向けになる。
布団の中は、いつもより火照っているような気がした。
ぬえが目を覚ましたとき、虎柄が目に入った。
ぎょっとして起き上がると、いつの間にか部屋に這入り込んだ虎が、布団の横で寝入っていた。
「お前は、良い場所に来たんだよ」
ぬえが背中を撫でてやると、虎は僅かに身をよじった。
白蓮の寝顔が僅かに笑ったようだったが、ぬえは気付かない振りをした。