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地蔵は斬れない

 閻魔は自分を受け入れない。――
 その事実に、八雲紫は両腕を組み直した。彼女のような奔放な気性にあって、ああいった存在との付き合いを余儀なくされるのは、相当の負担なる。
 平素なら口元を扇子で隠すぐらいのことはしたが、今日の彼女はむっつりとした顔を露わに、散歩をしていた。道士の衣装の所為で、ともすれば参内の途上のようにも見えたが、垂れる頭も寂しくなった、晩秋のすすきの原が広がっているだけだった。
 いや、一つだけ、あるにはある。そのことを紫はすっかり忘れていて、それがまた、腹立たしかった。
 道の先には、地蔵がある。あの閻魔は、地蔵から成り上がったと聞いていた。四季映姫のすました顔を初めて見たときは、なるほどと思ったものだった。

 その映姫が、まったくの石頭だった。
 内心、こんな幻想郷からの魂を受け入れてくれる閻魔に、感謝の念もあった。一応、紫も伊達に長生きはしてなかったから、通せる筋は全て通した。それでもなお、あの閻魔という奴だけは、油断がならなかった。
 万が一、閻魔に拒否されていたら、輪廻転生などというややこしい仕組みを、一から作らなければならなかった。それができなければ幻想郷を、楽園とは名ばかりの、魂の牢獄にするまでのこと。
 閻魔は、幻想郷を黙認した。
 しばらくは気味の悪さを我慢していた紫だったが、挨拶に向かった。それが二人の初対面だったわけだが、そのとき聞かされたのは、映姫が幻想郷担当の閻魔に就任していたことだった。
 これが悪意によるものか、好意によるものか、紫は判断がつかなかった。
 つまり、紫のような妖怪に任せるのは不安だから、閻魔を一人遣したのか。はたまた、幻想郷という枠組みに対する、彼らなりの投資なのか。
 そんな紫に、映姫は、こう言った。
「用が済んだのなら、さっさと帰りなさい。あなたは少し、穿ち過ぎる」
 少なくとも、映姫に対して取るべき態度は、それではっきりした。

 それでも、会わないわけにはいかない。デリケートな問題があれば、多少の我慢をしてでも話し合う方が、結果として労力は少なくて済む。自分の式の、藍には、そういう役目をさせられない。彼女はパートナーではない。とびきり優秀な、下僕である。
 ここ二十年ぐらいは呑気な日々だったが、外から迷い込む人間の数が増えてきていた。望んで幻想郷に辿り着いた者も、中にはいた。紫には腹案があった。それについての相談がてら、三途の川を渡ったのだった。
 映姫の執務室に入ると、正に地蔵みたいな大きさの少女が椅子に座っていた。それが正しく映姫だったが、大きな机を隔てて、紫に顔を向けた。
 無駄に自分の位置を高く作ったりしないだけ、人間の権力者とは違っていたが、大して慰めにはならなかった。
 開口一番、
「私は、あなたを自分と対等とは思っていません」
 と、一刀両断されたからだ。
「来るべきときが来れば、自分で判断なさい。私はそれに、何らかの決裁を下すでしょう」
 簡単に『一任する』とでも言えば、紫も眉根を寄せるようなことはなかったろう。
 紫は機械的に一礼すると、すぐに踵を返した。衛士の目が届かない場所にまで来てから、紫は柱の一つを蹴った。

 自分の子どもっぽさを自覚してはいる紫である。言ってみれば、彼女は怒りを露わにする程に、期待もしていた。
 幻想郷がどうなるかは、紫は大体、予測できている。予想ではない。星々の運行を眺め、大地を観て、川と共に流れて、そうして立てられた、予測だった。計算を根底から前提を覆されるようなことでもない限り、ここは彼女の思った通りの世界になる。
 それが楽しみで仕方が無いからこそ、映姫の挙止に影響されてしまうのだろう。それも、彼女はわかっていた。
 もしや自分は、彼女にも。
 足を止めて道端で考え込んでいると、秋風に乗って、赤ん坊の泣き声が聞こえた。
 この先の地蔵が、泣いたようだった。
 ――捨て子は珍しくなかった。既に郷内に住んでいる者が捨てる場合もあれば、どこからか引き寄せられた場合もある。
 捨て子は神隠しと違って、紫とは無関係だ。
 地蔵の前に敷かれた筵の上で、布に包まれた赤ん坊は、このままにしておけば、誰かに拾われることもあるだろう。それが妖怪か人間か、そしてそのどちらが幸せかは、紫の与り知らぬことだった。
 ただし、紫は地蔵の前に立ち尽くすと、やがて両腕を解いた。
 赤ん坊の上に、ふよふよと浮遊するものがあった。
 丸っこい形をした、半透明の、幽霊の赤ん坊みたいなものだった。
 赤ん坊は、半人半霊だった。
 ただの捨て子よりは珍しいが、それだけで紫の眼鏡に適うわけではない。彼女が身を任せるのは、自らの計算を貫く、閃きだった。
 彼女は赤ん坊を取り上げると、指先をちょいと回して、筵を飛ばした。その筵が地蔵に覆い被さったときには、紫と赤ん坊は姿を消していた。


「女子ですね」
 一瞥して、映姫は呟いた。
 紫は、すぐには何のことだかわからなかったが、自分が抱えている赤ん坊のことだと気付いて、ああ、と嘆息した。
「雄雌の仕分けのために、お見せしたわけではありませんことよ」
「そうですか」
 何事も無かったかのように、手元の書類に目を落とす。裁判以外でもやることは多い様子だったが、紫に「邪魔だから出て行け」と言うでもなく、筆を走らせては、判子を捺していく。
 それでも紫が帰らずにいるのを、秘書令の女が咎めようとしたとき、映姫が呼び止めた。
「これを――」
 映姫から書類を受け取った女の目付きは、険しくなったが、深々と礼をして、書類を手に部屋を辞した。
「今のは?」
「休暇届みたいなものです。実際に休暇がもらえるわけではありませんが、一定の効果は期待できますよ」
 悪戯っぽい言い方をされて、紫は喉の渇きを覚えた。
 もとより、閻魔に嘘が通じる道理は無いし、吐くつもりも無い。それにしても、何でも見透かされているというのは、気分の良いものではなかった。
 懐の赤ん坊は、紫に抱かれたきりすやすやと寝ていた。その子を、映姫に手渡す。
 映姫が、書類に向けるのと同じ性質の目を赤ん坊に向ける。紫は礼をして、辞そうとしたが、映姫が呼び止めた。
「この子は、三途の川に沈めてしまうのが、一番良いのでしょうね?」
「かもしれませんわね」
 紫は部屋を辞すると、すぐ傍にあった柱を、蹴った。衛士がぎょっとしたときには、紫はスキマに消えていた。


 一日、――
 八雲紫が、冥界の西行寺邸を訪れた。新春の挨拶以来、二ヶ月が過ぎていた。
 昼過ぎから宵っ張りまで、酒で頬をほんのりと赤らめて、幽々子との歓談を続けたものだった。
 その幽々子が、一足先に床に入った頃。主人に呼ばれれば聞こえる範囲で、仕事をしていた魂魄妖忌は、遅くて軽い夕食を済ませると、紫の機嫌を伺っておくことにした。
「今日はまた、随分と話題が尽きなかったようでございますな」
「あの子は、用事がある相手じゃないもの。楽しかったわ」
「……では、私に用事がありましたか?」
「そうね。今は、あまり楽しくないから」
 大概の者が聞いたら、侮蔑と取りそうな言葉だったが、妖忌は自分の顎鬚を触っただけだった。
 冥界の月は淡白で、紫は居間の、月光が届く縁側寄りの畳に、外向きに座っていた。妖忌は、月光の邪魔にならない場所に、座した。彼の半霊が、ころりと、膝の辺りに転がった。
「あなたのは元気が無いわね」
「ここ数年で、私自身も老け込みましたからな。こいつも相当でしょう」
 用事があるはずの紫の沈黙に、妖忌は、この話題を続けることにした。
「私が思いますに、老いといいますのは、あの世に逝く準備なのでしょう。しかし、私のような身には、まだまだ遠い場所でございます。それも長寿であるといえば、なるほど、嬉しい気持ちもありますが、業の深きは、未だ、皺の一つを顔に刻むのも、渋るのです。神や妖怪が長寿であるのも、業の深さでは似たもの同士だからではないでしょうか。易々と死ねるものと思うなかれ、と」
 紫は盃を傾けると、答えた。
「あなたの言は、私に対する皮肉のようでいて、違うわ。あなたはいつも幽々子のことを考えているのよ。あなたの今の論でいえば、今のあの子は、純真無垢だものね」
「憂いても始まりますまい。憂いや嘆きが深いのは不吉、と昔から申しましょう」
「そうね。あの閻魔にもそう考えてもらえれば、丸く収まるのだけれど」
 そこでようやく、紫は、先日の話を明かした。既に四ヵ月以上が経っている。
 今度は妖忌が沈思していたが、やがて、言葉を紡いだ。
「先程も触れましたが、私のような身は、業が深いのです。その赤子が長じれば、相応の気質を得ましょう。ましてや、あなた様の手の届く場所に捨ておかれるような、因果でありましょう」
「だから、殺した方が良い?」
「そうは申しませんが……もし私がその赤子を育てたところで、何も変わりますまい。精々、庭と剣術に親しむくらいでしょうか」
「あら、幽々子とも親しめるかもよ?」
「よもや、それが目的とは仰られますまい。あなた様は、そんなに感傷的な方ではない」
 今までとは違って、断言してみせる。しばし、二人の間では剣呑な雰囲気があったが、解けた。妖忌の方が、先に馬鹿らしさを覚えたようだった。頬の辺りを撫で付けて、息を吐いた。
「閻魔が白黒を付ける。そういうことなのでしょうな」
「そうよ。そして、あの赤ん坊も、とっくに死んでいるかもしれない。それが閻魔にとっても、一番気が休まる方法なはずだもの」
「は? ――あっ」
 妖忌が呻くのと、紫がスキマに潜り込むのとは、同時だった。

 それが、合図だった。
 妖忌が畳を叩くと、勢い良く跳ね上がった。紫の残した盃と、徳利が、宙を舞い、砕かれ、畳に投戟が、何十も突き刺さった。
 畳が崩れ落ちたときには、妖忌と半霊の姿は無かった。
 黒衣の者が、四名、縁側に現れる。一人だけ後ろを警戒していた者が、袈裟懸けに、斬られた。
「後ろ……?」
 頭領格の呟きを残して、三名は別々の方向に、散った。その内の一名は、地面に落ちた。その胴は、真っ二つにされていた。
「――歳を取ると、どこを見ているかより、どこを見ていないかが、わかるようになりもうして、な」
 屋根に着地して味方の屍骸を見遣っていた者は、その言葉だけで、死んだようなものだった。妖忌の唐竹割りは、頭蓋を砕いていた。
 その血飛沫が止むまで、妖忌はその場を動こうとはしなかった。
 高く茂った木の一本から、頭領格が刃を縦にして、突っ込んできた。それを太刀で難無く受ける。不安定な瓦の上でのことに、頭領格は唾を飲んだ。
「ぬしは、閻魔の所のだろう? 申し上げたき義があるのだったら、身を省みず、進言すべきだろうに」
「それを貴殿らにぶつけるのは、筋違いだと? ――四季様は、赤子を受け入れなさった。裁定者足るに、将来必ず、禍根となろう」
「……同情する。武芸にも長じた部下を失うことに、な」
 妖忌が、小手を返した。それは相手の呼吸と、正に攻撃に移ろうとした瞬間を、極めた。
 その刺客が殺せたのは、足で割った、瓦の一枚だけだった。
 覆面を斬られたとき、紫がそこにいれば、あの秘書令だとわかっただろう。その顔を、容赦無く、妖忌は切り刻んだ。
 そこで一瞬、妖忌の手が止まった。これで、女の素性が余人に知れることは、無くなっていた。
 血塗れの顔を崩して、女は叫んだ。
「感謝――っ!」
 妖忌に向けていた太刀で、自分の首を落とす。少しでも躊躇えば不可能なことながら、彼女はやってのけた。見事と称されるべきだった。
 妖忌は静かになった縁側に降り立つと、刀の血を拭った。
「……女子も、育て甲斐はあるやもしれぬな」


 そして、妖夢と名付けられた少女が、妖忌に引き取られたのは、人間で言えば、まだ三つにならぬ頃だった。
 彼女が、四季映姫の元にいたことを覚えているかどうかは、映姫にしかわからないことだろう。また、覚えていたとしても、映姫と対応して、思い出せるわけもなかった。

 幾年もが経って、幻想郷が開花したとき、紫は一人、盃を傾けていた。
 本来なら妖忌とそうしたかったのだが、生憎、「死ぬ準備をしたい」と言って、幽居してしまっていた。
 冥界を桜で満たされたときには、幽々子のことだ、と割り切っていたのだが、今になってみると、あれにも少し、思う所があった。
 どうして、西行妖以外にまで、春を分けたのか。春というのがそういうものだから、と考えればそれまでだったが、紫には、冥界を満開にした妖夢の姿が、ありありと想像できた。
「今回は、会う機会があるのかしら?」
 あっても、あの頭でっかちは、受け入れはしないだろう。
 いつか妖夢と、全てを話して、盃を交わすことがあろうか。
 紫は、盃に落ちた花びらを、そっと、唇で吹き付けた。酒の滴を跳ねて、花びらは風に乗った。