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第七話「弾痕の象徴」

「表玄関、状況安定しました」
「チーフ、これでマスコミが押しかけてきてもバリケードを作る必要がなくなりましたね」
 保安部長が苦い顔をしながら顎だけをある方向にしゃくると、無駄口を叩いていた部下もキーボードの音だけを立て始める。ある方向にいたのは、今にも葉巻を噛み切りかねない、ボスことスローンだった。
 このビルには百人ほどの中隊にあたる部隊が二ついて、彼らは普段は州警察に属しており、州単位ではおよそ二大隊。サンフランシスコの部隊規模は州で二番目にあたる。その二中隊の内、現在、このビルの警備に当たっているのは、第一中隊の一個小隊、第二中隊の三個小隊。これにより連隊が構成され、それぞれ小火器と二層防弾チョッキ、それに支給品でもある拳銃を装備している。
 無事なのは柱と基礎だけである正面玄関にいたのは第一中隊の虎の子部隊で、今ではあまり珍しくなくなった女性隊員も所属している。この女性隊員を含めた全員が負傷し、死者が出なかったことを不幸中の幸いとする他無い。逆に考えれば、ミサイル攻撃と軍用車両によって行われた強襲の被害にあったのが一部隊だけで済んだとも云え、囮にこそ少数精鋭を割り当てたのはヘイグとスローンのぎりぎりの駆け引きにおいては前者の勝利に貢献していた。とはいえ、残りの部隊も無傷で済むことはなかったのだが。

「ヤコブはどうなった」
「――予定では、あと一分二〇秒で到着です」
 裏口の警備にあたっていた隊員が腕時計に落としていた視線を上げると、そこには質問をしてきた目下のところ命令を出す男はおらず、別の隊員に煙草を分けてもらっていた。
「よくそんなことをしていられるものだ」
 そういうソロモンも、配給されていた飲み物をもらうにあたって、紅茶が良いかコーヒーが良いかを聞かれ、迷わず紅茶を選び、口に運んでいた。
「いつから紅茶党になった?」
「まずいコーヒーは許せないが、まずい紅茶なら許せる」
 ヘイグが自分の質問が馬鹿だったと首を振ると、今しがた駆け抜けてきた支局脇の路地の向こうから、いくらかの粉塵が轟音を尻尾に携え飛び出てきた。何事かと確認の号令を出そうとしたが、ソロモンの視線がいやらしく伸ばされているのに気づくと、振り上げかけた手にもった煙草を口にあてた。
「相棒の方は上手くやったみたいじゃないか」
「珍しいこともあるものだ」
 それは一種の裏返しにも似た意味の言葉とヘイグは思ったのだが、実際のところ、言葉どおりの意味だった。人格的な面はともかくとして、とかく能力面における信頼度は限りなく低く、また、社会的なことになればなるほどそれが酷くなるのが通例だった。そういった点で云えば、弁護士と正反対にあたるのかもしれない。
「この山が終わったら、どうする?」
 ヘイグが口を開いて、しばらく経っても誰も返事をしないことから、どうすればこれほどにまずい紅茶が作れるのかといった興味をごまかす必要に、ソロモンは思い至った。
「私に言っているのか」
「あいにく、ここには他に友人がいない」
「そんなもの、我々にはどこにもいないさ」
「かもしれないな。それで、実際のところどうするんだ」
「……長いことうたた寝の味というものを忘れていたから、もうしばらくはここで馬鹿な連中の頭を気取っていることにするよ」
 彼は毒っ気の少ない煙草の残りをフィルターまで吸いきると、ソロモンの持っていたカップを奪い、そこに吸殻を捨てた。ソロモンはそれがどういう意味で行われたのかわからず、あるいはそう装うようにして、手にいくらかついた紅茶の雫をハンカチで拭った。
「なぁ、お前は知らないだろうけど、ここらにも美味いコーヒーをいれるカフェってのはあるんだ」
「それで?」
「ここを離れる前に、その場所ぐらい教えてやろうと思って」
 そこまで話したヘイグをソロモンが鋭い目つきで制し、通過儀礼とばかりに手の上でハンカチに火をつけた。火の気の無いところで起こった現象を目に留める者はいなかった。彼らは全員、突如響いた銃声と、それに続くタイヤのスリップ音に注意を向けなければならなかった。
「梅の木は山を越えるまでは見つからないものだな」
 ソロモンが口元を歪める中、ヤコブと称されていた搬送用車は横転したままの体制で、火花をヒレの代わりに、真っ直ぐ裏口に向かって突進してきた。彼を助けようとヘイグは足を動かした……つもりだったが、前触れも無く吹いたらしいビル風によって、――いや、そんなものではない。家を出たところにハリケーンが渦巻いていたような強烈かつ唐突な風によって、裏口脇にあった簡素なショーウィンドウに背中を打ちつけることになった。
 ソロモン自体が特異点になったかのように、その空間に触れた部分から搬送用車が変形していき、最終的にはフレーム剛性のひずみの限界に達した。すなわち、自らの反動と進行方向から加えられる反発力によって、裏口正面から目算で、右斜め十メートルまで回転しながら吹き飛ぶことになる。ビル風のいたずらにしては、やはり、そんなものではなかった。
「街中も捨てたものではないな」
 風を一箇所に集中させ、それを物理的に有効な部分に固定させたのだが、少々、ケチがついた。かなりの排気ガスが急激に変化した気圧差によって水滴となり、あたり一帯に嫌な匂いと染みを作ったからだった。無事なのは中心部にいたソロモンと、ショーウィンドウに突っ込んで足だけを表に出していたヘイグ、そして風の巻き添えを食ってそばにあった消火栓に腹を打って寝転がっていた一人の隊員だけだった。もっとも、三人目はこのときに負った助骨骨折によって、やや脂肪がのった肝臓にダメージが残ることになったのだが。
 ヘイグがようやく腹筋を使ってショーウィンドウの凹みから体を抜くと、顔を必死で拭っている隊員数名と、下手なスクラップのされ方をした車体に駆け寄るソロモンの姿が目に入った。彼は致命的に汚れたフォーマル用のスーツズボンの裾を気にしながら、脳の中心部の一時的な、そして鮮明な記憶を整理した。彼が銃声があったことに気づくのと、新たな銃声が響くのとでは、火花の群れほどの間隔も無かった。その銃声は先ほどと同じく、咄嗟に身を屈めてしまうほどの圧迫感と音量を伴っていた。見れば、ソロモンが駆け込んだであろうスクラップの向こう側の手前には、ミスショットの跡がアスファルトに穿たれていた。
 弾痕は子どもの足跡ほどの大きさがあり、数メートル離れた場所にいた彼の目にもはっきりと見えた。それは数ある弾道学用の資料の中で彼が見た写真と酷似していた。
「対戦車砲弾……」
 ヘイグが呟くのと、地べたを這いずり回っていた隊員一名の左肩が吹き飛ぶのとは、ライターを着火するほどの間隔も無かった。隊員の被弾から絶命までの間隔は、もっと短かった。

『何を遊んでいる』
「キャンバスにハエが止まってるのは我慢ならねぇ」
『こちらは撤退準備に入る。ドッグの始末も確認していないんだ。急げよ』
「ったく……アパッチの一騎でもありゃ、楽勝なのによ」
 そういった面でいえば、戦場は楽だった。殺す準備も殺される準備も酷く歪で淀んだ時間の中で予定調和のごとく行われ、自分は許される範囲ぎりぎり外のあたりでスリルと戯れていれば良かったのだから。無線を切ると、途端に自我が強くなるのが自覚できた。煙草を斜に加えながら、肘と肩の按配を確かめた。歳の所為か、昔より持久力が無くなっている。口の中も妙に乾く。変わらないのは生来の性分だけだった。
「確認なんていらねぇさ。あの角度で突っ込んで生きているわけがねぇ」
 頭の中で、適当に問題を解決する。そもそも、問題を作るのも解くのも、そして採点するのも、全ては自分でできることだ。それは戦場で他人本位に振舞っていたときには味わえなかった、素晴らしい麻薬だった。注射器にたっぷりと吸わせてやれば、あとはそれを打てば良い。銃と弾丸と血の相関も似たようなものだった。砲塔の熱はこもり始めていたが、手前のサオよりは御しやすいだろう。
「あのガキ、俺より目立ってんじゃねぇよ」
 スコープに視線を通すと、本来なら狭まるはずの視界が広がるような錯覚がする。このときの一瞬の眩暈がたまらない。こうして、彼の眼は再び開かれる。断続的な風の変化が、頬に心地よかった。

「いいか、各自散会して予測ポイントに周り込め。防弾チョッキなど捨てろ、ヘルメットもだ。無線もオープンにしておけよ。歩ける程度に怪我をしている奴は、中の連中に状況を教えてやれ」
 ヘイグが指示というよりは怒号を飛ばすと、隊員たちは一斉に路地裏へと散っていった。弾痕から着弾の角度をおおまかながら見て取れば、敵が潜んでいるだろうビルは三つまで絞ることができた。
「ソロモン、俺も行くが……大丈夫か」
「一つだけ教えてくれ」
 距離はあるはずなのに、ソロモンの声は声量の割に落ち着いていた。彼に返された質問から、つい先ほどのカフェの話を思いだし、くだらないことを考えている場合ではないなと気を取りなおす。しかし、彼の続く言葉は、くだらなさという点ではジョークの域を逸しているように思えた。
「お前は毎日、天気予報を見るか?」
 ヘイグは正直に答えるしかなかった。

「あれ?」
「どうした」
 表玄関、シエルが怪我を負った隊員に簡単な手当て――それこそ姿勢を楽にさせたり、即効性のある、彼女の言うところの『手品』で痛みを和らげるといった――をしている傍ら、ゼフィールの片腕の止血をしていた女性隊員が煙草の煙を多めに吐いたとき、あることに気がついた。緊急時用に用意された無線のチャンネルから強制的にノイズが流れていたのだった。あたりの喧騒と興奮に呑まれ、今まで気づけなかった。その旨を彼女がゼフィールに説明すると、周波を合わせるように指示された。
 聞こえてくるのは、州単位の大隊以下の識別コード、続けて、彼らに従うようにという内容だった。
「シエル!」
 ゼフィールに唐突に呼ばれた人物は、先ほどのビル倒壊の際に粉塵で傷ついたサングラスのレンズを露骨に気にしながら、歩み寄ってきた。
「なんですか」
 彼女は不機嫌そうだったが、任務中は大概がこういった態度だったので、気にも留めなかった。
「路地の方から歩いてくる奴、捕まえて来てくれよ。急いで」
「……わかりました」
 、と答えて三秒後には、それらしい隊員がシエルに土嚢のようにかつがれていた。恐らく、かつがれている隊員すら、何が起こったかよくわかっていないのだろう。咥えていた煙草はどこにいったのかとキョロキョロと間抜けに視線を泳がせている。
「あっちはどうなった?」
 はあ、と生返事をした隊員の処分は、ゼフィールのシエルに対する目配せで決定した。投げっぱなしジャーマンスープレックスの体勢で隊員は地面に落ちた。気絶する余裕も与えられない。彼はこの状況を打開するためにベストな行動を選択した。
 大体の事の顛末を聞き終えると、ゼフィールは立ち上がり、手当てをしてくれた女性隊員、シエルの順にもう一度目配せをすると、シエルに支えられる格好で、比較的低いビルから高いビルへと飛び移っていった。女性隊員が呆気に取られている傍には、じきに彼女が気づくであろう、ゼフィールの携帯電話の番号が書かれた名刺が置き捨てられていた。

「手は大丈夫なんですか」
「ああ、一応形は整えたよ。あとは俺の元気な細胞君たちに頑張ってもらうのを待つだけだ」
 付近で最も高いビルの屋上でゼフィールはシエルに答えながら、包帯が巻かれている片手を小刻みに揺り動かして見せた。包帯の間からは粉末状のものが微量ながら零れていた。
「相変わらず痛々しいですね、それ……」
 それもそのはずで、彼がした、体内の塩と捉えられる物質を諸元素と化合し半ば強引に骨周りを結合させるという方法は、神経部分に肌をおろし金でおろすような激痛を与える。
「痛いから効くのさ」
「あなたらしいですよ、そういった精神論は」
「あれ、こういうのはどっちかっていうとシエル向きじゃないかな?」
「どういう意味ですか!」
 志貴やサンヴァルツォほどではなくてもそれなりにシエルの扱いを心得ているゼフィールは、わざとらしくサングラスを下にずらして睨み付けてくる彼女をわざとらしく無視しつつ、肋骨骨折に咥えて肩の骨にヒビが入ってしまった隊員に聞いたスナイパーらしい人物を屋上伝いに視線で探してみる。その間、煙草を咥えた唇が青ざめていることにシエルは気づいていたが、自分のことは自分で管理するという不文律は昔から変わらない。
「やっぱりそう簡単に見つかるような場所にはいないか」
「しかし、狙撃……それも大口径となると、ポイント選びにはかなりデリケートになるはずです。多少のリスクは承知の上でも、場所の選定には狙撃の成功率を優先させるに違いないですよ。もちろん、撤退のことまで考えた上で」
「そういえば前から聞きたかったんだけど、シエルの黒鍵ってそういった心配はしなくて良いんだ?」
「どうせ私はデリケートじゃありませんよ」
 何か敵方と通じる部分があれば参考になるやもと思い聞いたのだが、はぐらかされてしまった。もっとも、外道ともいえるところまで踏み込んだ上で戦術を選択しているシエルの意見が、あくまで兵士としての行動しかしない相手に必要不可欠なわけでもない。なにより、冗談ではなく、本当にナイーヴになっていたので、ひとまずは煙草臭くなった唾を喉に通し、話題を戻すことにした。
「狙撃が最初から計画されていたなら、天候状況は事前に把握しているはずだよな」
「そうですねぇ、SWATの部隊のような土壇場家業は脇に置いておくとして、最初から狙撃を仕掛ける予定であれば、それくらいは当然……でも、珍しいですね」
「なにが?」
「そういう考え方、ソロモンみたいです」
 心底嫌そうな顔をした反面、彼女には収穫もあった。その名詞で思い出したことがある。ゼフィールはそれをシエルに伝えると、彼女は驚きつつも、現在のところ自由に機動できる自分に見合った役目に思い至り、ゼフィールの肩を叩いてから、ビルの群れの中に落ちていった。
「海側からの風、雨期前の雨と、今日の快晴……」
 ぶつぶつと呟きながら、虎視眈々と、敵をスコープの外側から追い詰めていく。手当たり次第に探すことが事態を収集するためには最も堅実な方法だったが、問題がある。それは彼の危険ではなく、敵に逃げられることと、今回のような騒ぎになることへの懸念だ。
「ヘイグとかいう奴が上手くやってくれれば、帰ってサキと昼寝できるんだけどなぁ……あっ、出かけてるんだっけか」
 敵を追い詰めるには安穏とし過ぎているようだった。

 第一予測ポイントは完全な外れだった。第二ではブービートラップにより二名が死傷。そして彼、ヘイグがいる最後の予測ポイントであるビルの一室には、壁一面にスプレーで描かれたピースマークがあり、その傍にはささやかなプレゼントがあった。それは一枚のメモ用紙。内容はこうだ。
「弾痕を残した銃弾はテストショットのものに過ぎない」
 淡々と読み上げたヘイグは、メモ用紙が置かれていた、今は誰も使っていない机の上の文具一式を腕で薙いで床にぶちまけた。
 彼が見たのは、パンクした車と、肩が突然吹き飛んだ隊員、そして件の弾痕の三度だけだ。正確に記すなら、見たではなく、そう錯覚しただけであった。錯覚の中には事実も含まれ、それ故に弾痕が致命的なミスを誘発した。二度目のソロモンを狙ったと思われた弾丸は、ビル郡の音響を利用した、ただの音でしかなかった。実際、あれだけはそのときに撃たれたという確証を持てるものではない。タイヤがパンクしたわけでもなければ、肩が吹き飛んだわけでもない。ただそこに弾痕があっただけだ。弾痕は出来たのではなく、あったのだ。
 ソロモンが搬送用車に駆け寄ったのは、車が目当てではなく、その弾痕が熱を帯びていたり、破片が飛び散るなどしていたかを確認するためだったのかもしれない。しかし、それならば彼はなぜそのことをヘイグに教えなかったのか。
「梅の木は山を越えるまでは見つからないものだな」
 その言葉が、彼には不安と共に、安心材料を与えるものだった。そしてその通り、不安と安心は偶像として存在していたのだが、共に歩いていたわけではなかった。ソロモンが構築した作戦にゼフィールの推察が追いついたとき初めて、作戦は真に完成することになるのだった。