第十章「さしあたる道理は」

 秋葉原即売会には二つの側面がある。一つはもちろん即売会としてのものだが、もう一つはショップの販促だ。
 中堅程度のサークルが雑多に配置される分には即売会として正常に機能するのだが、大手サークルを路上に配置した場合、支障が出る。日本橋における何度かの開催によってそのノウハウを得た帝国は各同人ショップの協力を取り付けた。これによって大手サークルはサイン会よろしく店内にサークルを設置することが可能となり、即売会後の製品委託もそのショップに任されることになった。ここから販売面での効率化を見出すことは簡単だが、利点は他にもある。
 大手サークルの存在によって人の流れを予想することが簡単なため、警備側の負担が減った。また、事前に大手サークル獲得のために各ショップが動くため、消費者も即売会毎の傾向を掴み易くなった。
 もちろん欠点もあり、特定の場所に人が集中し過ぎることが第一に挙げられる。ショップ同士の連携やそれを推進する中立な立場の業界内団体の不在は無意味な過当競争をしばしば引き起こしたし(遠野同人商社等はあくまでも取引面でのサポートしかしない)、何よりの問題点は『同人に関係の無い者達にとっては良い迷惑以外の何物でもない』という動かし難い事実だった。
 多数派と少数派というのは局面によって立場を入れ替えるものだが、同人産業という少数派に収まっていなければならないものが奇形的発達をした結果、秋葉原や日本橋では本来の多数派が窮地に追い込まれるという異常事態が発生している。

 ――これらの点を折原浩平は一通り説明し、最後に『私の作戦とはこの異常事態を利用するものです』と付け加えた。彼の他に朝食の席を共にしていたのは川名みさき、氷上シュン、それに深山雪見の三名。司令官御付参謀である里村茜は本日未明の内に秋葉原入りをし、設営等の指揮を行っている。
 この三名は全員が浩平の知り合いだったが、馴れ合いが目的ではない。自覚している以上に飛躍する思考に具体性を持たせるためには、彼らのようなバランスの取れた思考ができる人材が浩平には必要だった。
 川名みさきは浩平がサークル活動をし始める以前から本を出しており(彼女自身の全盲は二度の手術で近視眼者程度にまで回復している)、読み語り等の活動は同盟らしい自由度に溢れていると評判だ。彼女自身の気配りもあって人望は高く、みさきが参加する即売会での連合サークル全体の士気向上は目を見張るものがある。
 氷上シュンはインディーズバンドの活動等を通しての経験を買われ、独特な人柄は話が煮詰まった場で発揮される。いても誰も気にしないが、いないと何か物足りない、癖のある人物である。
 深山雪見は第六連合サークルの長であったが、栃木県における即売会での途中退場の責任を取って一般サークル活動に終始するようになった。それを抜擢する形で第十三連合サークルに引き込んだのが浩平である。彼女はみさきとは親友であり、その影響もあったという。
 三名は浩平の言い分に一応は納得してはみたものの、その後の反応はそれぞれ違っていた。特に雪見は唇を尖らせ、如何にも不満げだ。
「異常事態を利用するって言っても、具体的にどうするのかわからないんじゃ、準備の仕様が無いわ」
「それについて特別な準備は必要ありません。ただ、ペーパーの配布等の計画があるサークルにはその時間を繰り下げるよう通告してください。少なくとも、昼過ぎ以降に」
「そんなこと、言って聞くかしら」
「聞かせてください」
 珍しく強気な後輩に雪見が食い下がろうとしたとき、氷上が口を挟んだ。
「司令官の意向を隅々まで行き渡らせるのが我々の仕事だろう?」
 なおも雪見は座ろうとしなかったため、氷上は続けた。
「深山さんの言い分ももっともだと思う。言い聞かせるにしたって、我々にだけでも司令官の作戦の真髄を教えてもらわなければ、説得力に欠ける。しかも今回は折角の同盟主催だというのに、こちらは大手サークルの参加が一つも無い。少しでも流れを自分達に引き寄せたいと思っている者は少なからずいるはずだ」
「早く完売して御飯食べに行きたいもんね」
 みさきの言葉に雪見は溜息を吐き、ようやく腰を落とした。呆れているというより、いつも通りの親友に安心しているようだ。
 浩平は極力作戦の詳細については黙っていたかったが、幕僚の総意ということになれば話さないわけにもいかない。話すならば、即売会開始直前である今をおいて他に機会が無い。
 彼が更なる説明を終えたとき、全員が朝食を残して立ち上がっていた。


  午前九時(開始一時間前)……秋葉原YYビル

『こちらSKビル。準備完了』
『こちらZO。設営は三十分前に完了したようだ』
 乾有彦は全ての報告を聞き終えると、無線を切った。商工会会員の士気は高く、八百屋のおばちゃんまでもが主要メンバーに名を連ねている。久瀬と商工会会長の働きかけもあって、一昨日の晩までに四十七人委員会もセーフガードを動かすことを承認した。警察・消防への届出も極秘裏に受理されている。
「やり方としてはえげつないよな……」
 開始一時間後の午前十一時には、帝国側サークルは大狂乱に陥るはずだ。楽しみにしていた各サークルのファンの大半も幻滅することだろう。こういった争いが続けば続く程、同人業界は自分達の首を絞めることになる。浩平はそのことすらも計算に入れているようで、『これで思い知ってくれれば良いんだけど』と零していた。
「思い知るべきはお前さん自身だろうに」
 有彦は予言めいたことを呟くと、それっきり黙った。


  午前十時三十分……同盟第十三連合旗頭『エデンの東』サークルスペース

 よくやっているな。浩平は他人事のように鑑みる。しかし、実際の他人からしてみるとよくやっているどころの話ではない。
 忘れられがちなことだが、今回に限らず、同盟側サークルは関東甲信越地方はもとより、東北や北海道から出張ってきている者が多い。今日の分しか東京に来る旅費や予定を都合できない者もいる。当然、その意気込みたるや尋常なものではない。特に第十三連合は栃木県での即売会で在庫を抱えてしまった者達を中心に構成されており、そんな彼らの気持ちを酌みながら適度に個々の行動を抑制させ、同盟の戦術に組み込ませるのは容易ではない。
 それを川名みさきはたった一人で舵取りし続けている。
 準備段階では浩平がぐだぐだしていた頃から各参加予定サークルとの連絡をし、過去の参加記録と調査結果を照らし合わせてのダミーサークルのあぶり出しもした。冠婚葬祭や急用で参加が困難になったサークルの製品の委託先選定には即売会当日の配置等も考慮に入れる必要があるし、何か企画を催すということになればタイムテーブルを幾つか作成して事態の急変に備えなければならない。
 遠征に当たっては経理部と広報部の協力を取り付けなければならず、可能であればバスの貸し切りの手配を行う。
 当日には設営に当たる地域団体との連携、搬入のチェック。問題があれば早急な改善等々、挙げるだけでキリが無い。
 この過程で脱落者が出るのは避けられないのだが、みさきが担当した場合はほぼゼロになる。みさき自身の行動力と気配りはもちろんだが、彼女の信頼に応えようという意識が関係者に芽生える点も見過ごせない。
 では、どうしてこれ程の逸材がこれまであまり注目を浴びなかったかといえば、ぶっちゃけ地味だからである。
 更にはみさきの親友である深山雪見がみさきに労力が集中することを嫌って関係者を牽制したこともあり、みさきの存在は同盟でサークル活動を長く続けている者達の間でのみ『神様の気紛れで遣わされる女神様』として認識されている。これによると雪見が神に相当することになるのだが、その点については誰も突っ込まない。
「景気はどうよ」
 さあ、その神が現れた。そのとき浩平は簡易テント毎に割り当てられたスペースの中でパイプ椅子に座りながら戦況を見守っていたのだが、サークルスペースというよりは快晴の所為で周辺スタッフの避難所と化している。浩平のサークルは旗頭としての価値はあっても、売り上げ自体は中堅以下でしかないのだった。
「食い物……特にウニは無いですよ」
「あんたも根に持つわねー」
 供物が賄えなかっただけで、この神は救急車で運ばれるという珍事を引き起こした。根に持つなというのが無理である。あまりあのときのことは思い出したくない。それはお互いの共通認識であったから、話題は自然と切り替わった。
「みさき先輩のことなら本人が一番わかってると思いますよ」
「そうなんだけどねぇ」
 件のみさきはツバ広の帽子を被った以外は軽装で、度の入った色付き眼鏡の下の目をきょろきょろさせながら主要スタッフがいる幾つかのサークルを廻っている。氷上は浩平の代わりに雑事全般の指示を与えており、雪見も今頃はそうしていなければならない頃だった。そのことを浩平がそれとなく言うと、雪見は渋い顔をした。
「どうも私が廻るよりはみさきに任せるのが良いみたいなのよ。だから、スタッフ側に特別な動きが無ければ私も動かないことにしたの」
「賢明な判断です」
 腹のことを考えれば、とは言葉にしなかった。曲がりなりにも年長である者にあれこれと小言を言うのは、浩平の得意とする所ではない。
 雪見には後方に控えてもらって、状況の推移に当たっては自分に意見してもらうという役目もある。
「それにしても、ちゃっかり新刊なんて用意してたのね」
 簡素な装丁の本を雪見が手に取る。文字と図のみで構成された中身は、それを役立てようとする者でもなければ受け付けないだろう。
「七瀬が景気づけに書いとけって言い出しまして」
「正解だわ。あんたってそういうことしてないと、余計なことばかり考えちゃうんだもの」
「実際の景気はさっぱりですけど」
 浩平の隣では、売り子をしている茜が沈黙している。今回の作戦の結果に関わらず、赤字は確実そうだった。


  午前十時四十分……同人ショップ『茶々丸』スタッフルーム

 妙な動きが立て続いている。当初は取るに足らないものばかりだったのが、十時半を過ぎた辺りで警戒を余儀なくされた。
 これまでの慣例として、同盟は主催権を取ったときは必ず、帝国のサークルとサークルの間に割って入るように自分達のサークルを配置していた。そうすることによって、多少なりとも売り上げを稼ごうというわけである。
 それが今回はどうしたことか、同人ショップが数多くある主要道路沿いには帝国のサークルを優先的に配置し、自分達は一本横の通りに固まらせた。これといった強力なサークルがいないのは同盟の構造的欠陥の一つとされているが、今回のようなやり方はその欠点を余計に引き立たせてしまう。
 第十三連合サークルの長は折原浩平とかいうらしいが、こちらにおもねるつもりなのだろうか。だとしたら、後々何か恩を高く売りつけようとするはずだ。橋本の頭ではこうした暗い考えばかりが先に立ち、それを見ていた矢島は声を荒げた。
「例のデモ隊の情報は事前に入ってこなかったのか」
「さっき、同盟の深山とかいう人が頭を下げに来たよ。警察と消防には受理されていたんだと」
 商工会が地域産業に貢献しようとしない同人ショップを相手にデモをぶち上げたという情報が入ったのはつい先程のことだ。お祭りムードに水を差す出来事ではあるが、下手に構うと余計に騒ぎが大きくなってしまう。そう思って幹部連中にはこの部屋に集まるよう通達したのだが、矢島だけは現場を離れることを最後まで渋っていた。
「奴らが頭を下げたってデモ隊は引き上げないだろう。なんとかしないと!」
「そう思うんだったらお前が行けば良いだろう」
 橋本の腰が重いのには理由がある。ショップのタイアップ候補サークルを選出する際に、橋本が意図的にサークル抽選を操作したという噂が流れてしまっている。それは事実で、橋本は相当のディベート代を現金で受け取ることになっていた。これは帝国上層部も知らぬことで、つまりは橋本の独断である。
 自分の状況について顧みながら、橋本が思考を廻らせる。九品仏とかいう新人には警戒していたが、彼は事前の準備をするだけすると帰ってしまった。これで彼のここでの発言力は著しく減退した。
 後は金を受け取り、無事に即売会を終えれば良い。矢島にしたって、口裏合わせの報酬として幾らかが渡される。それだというのにこの小心者は現場を目の当たりにしていないと不安で不安で仕方が無い様子だ。
 橋本の考えをある程度察したらしい矢島は後ろめたさから席を外した。橋本が大きく溜息を吐いていると、彼の携帯電話が鳴った。
「どうした?」
『中立のサークルが配布物について伺いを立てたいと申し出ています。どうしましょうか』
「同盟の連中に相手をさせれば良いだろう」
『どうも同盟側はデモ隊の対処で手一杯のようで……』
 役立たずが。橋本は心中で毒づいたが、同盟への当て擦りには調度良いだろうと思い直し、承諾する旨を電話先に伝えた。
 じきに件のサークルの代表者がやってきた。そのサークル代表者によると、出版関係の広報を目的として結成されたサークルであるらしく、あまり堂々と同盟だの帝国だのと所属を名言できないでいるらしい。
「ああ、そういうことか」」
 橋本はすぐに察しが付いた。こうした即売会中のどさくさを利用して、コネを広げようということなのだろう。これまでも、そういった人間は数多くいた。やり方としては卑怯だが、それ故に橋本にもうま味がある。
「それで?」
 挑発的に言うと、代表者は首を傾げた。どうも勝手というものを理解できていないらしい。橋本が嫌味ったらしく笑うと、周りの者もそれに倣った。
「金だよ、金。まさかただで優遇してもらおうなんて思っちゃいないよな」
「はぁ、そういうものですか」
「そういうものなんだよ」
「では仕方ありませんね」
 代表者は妙に冷めた口調で言う。すると、すたすたと火災報知機に歩み寄り、ボタンの上のカバーに思い切り拳を叩き付けた。
 非常ベルが盛大に鳴る。橋本が何事か叫ぶと、部下が代表者を取り囲んだ。
「なんてことをしてくれたんだ!」
 橋本の激昂を代表者が笑う。橋本が怒りに任せて飛び掛ろうとしたとき、何物かが出入り口のドアを叩き割った。
 黒い風が室内に吹き込んだ。
 強烈な横殴りを食らい、橋本が吹き飛ぶ。他の者達も、何が起こったか理解するまえに巨大な鈍器で叩きのめされた。
 ただ一人無事だった代表者が、ひゅうと唇を鳴らした。
「セーフガードってのは乱暴なんだな」
「あんた程じゃないさ」
 黒装束の男が無線で連絡をすると、非常ベルが鳴り止んだ。

 これが十一時ちょうどの出来事である。地元の消防団(彼らも商工会と協力関係にある)が茶々丸の入っているビルを取り囲んでから、事態は一気に進展する。商工会の一部の跳ね上がりが同人ショップに対して強硬手段を取ったという噂が意図的に流され、ほとんどのショップが自主的にシャッターを閉めた。
 これを受けて、帝国側のサークルは近くにいた商工会のデモ隊に突っかかり、散発的に衝突が発生。浩平の指示によって待機していた、普段は裏方に徹している百人近い人員が事態の収拾に乗り出し、午後一時までに同盟側サークルが配置されている通りへの一般参加者の避難を完了。商工会との間でも交渉が成立した。
 それでも納得しないサークルに対してはセーフガードが『自主的措置』を開始。帝国側サークルは事実上、まともな即売活動が不可能となる。

「これでは『事態の収拾』とは言えませんよ」
 浩平の言葉に、セーフガード第六連隊長である牧村南は無言で手元の本に目を落としている。彼女だけは他のメンバーと違って鼻と口を象った白いマスクを口の辺りに付けているが、他の服装は黒一色である。彼女が手に持っているロッドは特殊なものらしく、つい先程、同盟の仕業と考えた帝国側サークルの矢島他数名が浩平に殴りかかって来たとき、ロッドの先端からとてつもない風圧を出して吹き飛ばした。ある路地裏では猛スピードで駆け抜けるセーフガードによって無数の傷を受けた者もいたという。
 彼らセーフガードの行動力と装備は浩平の想像を明らかに逸していた。どう考えても、即売会の治安を守るにしては過剰な部隊と装備である。南のような実働部隊の他に暴れた者を連行する者達もおり、数としては彼らが多く、白い服に身を包んでいる。
 南は手に持っていた『エデンの東』が売り出していた本を読み終えると、ようやく言葉を喋った。
「良い本です。純粋に即売会を楽しもうとしながらも、これからを心配しているのですね」
「あ、ありがとうございます」
 彼女の声に浩平は聞き覚えがあったが、思い出している間も無く南が話を続けた。
「これで私達も安心して貴方に付いて行くことができます」
「は?」
「私と極少数の者達は、本作戦行動後に折原浩平の指揮下に入ることが委員会で決定されています」
 そんなことは聞いていない。浩平はあくまでもセーフガードを今回限りの人員として要請したに過ぎず、彼自身、この作戦後は一般サークルに戻るつもりだった。後は雪見辺りに任せて、大学卒業までの短い期間を楽しみたかったのだ。今後は秋葉原における同盟の活動は商工会の後押しもあって順調に進めることができるし、それによって全体のパワーバランスも変動する。帝国と同盟が緊張状態の中で同人業界を健全に育てていく算段だってできるはずで、そこに浩平がいる必要は無い。
「これは久瀬さんの意向でもあります」
「あのタヌキ親父!」
 実際はキツネに近い風貌だが、浩平にはそこまで推敲している余裕が無かった。いきり立ってすぐにでも久瀬に苦情の電話を入れようとした浩平を茜は止めようとしたが、彼女とは別に浩平の肩を叩く者があった。
「これで思い知っただろう? 人ってのはどんな事態も利用するもんだ」
 茶々丸での仕事を終えた後は諸所を奔走していた有彦が、いつの間にか戻って来ていた。彼の横には茶々丸に突入した部隊の長である片瀬健二と、路地裏に逃げ込んで体勢を立て直していた帝国側サークルを叩きのめした川澄舞が控えていた。
「舞ちゃん、ちょっと頑張り過ぎじゃない?」
 南が舞の幾つかヘコミが目立つ髑髏を模したマスクを見遣って言う。彼女が両手に構えた爪状の武器の端々には引き裂かれた衣服が引っ掛かっていて、SFホラーさながらである。
「浩平さん、この二人もあなたの指揮下に入ります」
「いつから俺はピカード艦長になったんですか」
 浩平の冗談がわかったのは、その場では南と茜だけだった。


  ******

 即売会終了後、四十七人委員会の運営している団体から同人業界関係者に通達があった。これによって帝国側の代表者二名に同人ショップとの癒着があったことが明らかになり、各関係者から漏れた情報はすぐにネットを駆け巡った。それと同時に、セーフガードの活躍によって警察が介入する事態が免れたことと、同盟陣営が積極的に協力の姿勢を示したことが折原浩平の名前と共に知れ渡る。
 これを受けて帝国首脳は入院中の橋本と矢島両名の同人業界からの永久追放を決定。同人業界隆盛のために些か行き過ぎた動きがあったことを謝罪し、秋葉原における主導権を地元商工会、引いては同盟に譲ることを承諾せざるを得なかった。

 さて、この大一番の立役者である浩平の同盟における評価は二つに別れた。諸手を挙げて称賛する者が多数派ではあったが、『彼は同人の発展を望んでいないのではないか』という疑念を持つ者も少なからずいたのである。そういった声があることを七瀬留美から聞いた浩平は、久しぶりにのんびり味わえるJSBの特製コーヒーを飲みながら嘆息した。
「同人に限った話じゃないが、地域を蔑ろにした産業が健全な形で長続きした例はほとんど無いんだ。一つの産業によって地域が空洞化することもある。情報技術等によってグローバル化が進めば進む程、これは顕著になると言って良い。帝国だ同盟だと意気込むのもわからんでもないが、同人自体が無敵にでもなったかみたいに騒ぐのは、余人から見れば滑稽なものに違いないよ」
「お前さんはその余人とやらになりたがっているように俺には見えるけどね」
 茶の相伴に与っていた有彦が言う。彼がどういうつもりかは浩平はわからなかったが、どうやらこのまま自分に付いてくる気でいるらしい。現に、あくまでも客分扱いであるセーフガードの者達を浩平との間に入って指揮する立場になることを、宮城に戻って早々、久瀬に具申したというではないか。第十三連合サークルは相変わらず人員自体は少なかったが、浩平はもう腹一杯という気持ちになりかけていた。
「あんただって大学があるんだろう。どうしてそう引っ掻き回したがるのさ」
「大学なんてなぁ金さえありゃいつだって行けるさ。新卒で雇ってくれる所よりも待遇が良くて面白そうな仕事さえあれば、大学なんて辞めてやるよ」
 馬鹿らしい話である。大卒というのはあくまでも勉学した成果を企業で役立てることができるからこそ就職に有利なのであって、大卒というだけで就職が有利になるなどというのは本末転倒だ。なるほど、そう考えてみれば有彦の姿勢はドライに徹していて、これはこれで健全ではないか。何にしても、有彦自身が決めることだろう。
 浩平は店員の玲に二杯目のコーヒーを注いでもらうと、有彦が取りかけたクッキーを先に抓んだ。


 帝国の各陣営の動きは同盟と比べ、淡々としたものだった。それはさながら部落内での間引きの儀式にも似ている。責任の追及を逃れることが出来た者達は何事も無かったかのように次の即売会に備え、責任を負うべき立場の者達は素直に腹を括った。しかし、ただ一人……大志だけはそれに抗おうとした。
 彼は帰参した早々、わざと雑多にまとめた報告書を担当官に渡し時間を稼ぐと、すぐに千堂和樹の部屋を訪ねた。久しぶりの再会だというのに和樹の反応は淡白であり、彼の部屋を掃除しに来ていた瑞希には不自然に思えた。
「お前は俺を利用する気か」
「同志はもう利用する側の立場ではないか」
 それは和樹自身が気にしていたことだ。瑞希は茶を出しながらそれとなく和樹の表情を窺ったが、彼は怒っているというよりも、何事かに苦心しているようだ。それは恐らく、自分自身の感情を持て余しているからだろう。
「我輩はまだ同人から卒業する気は無いのだ。そうである以上は、同志にこそ我輩を使ってもらいたい」
「俺がお前を使って得するとは思えないがね」
「同志は我輩がこれまで同人活動をどうやって続けてきたか知らないわけではあるまい?」
「生憎と、お前の本心はいつも俺にはわからなかったよ」
「我輩は今が嫌なだけなのだ。オタクを金儲けの対象としてしか見ない者もそうだが、その立場を望んでいるとしか思えないオタクが増えている。帝国が出来てからは特にそうだ。つまらない軍隊ごっこを続けることに何の意味がある? これを終わらせることができるのは同志しかいない」
「帝国を無用だというのか。世間から爪弾きにされてきた者達の最後の理想郷を」
「同志は昔から嘘が下手だな。理想郷というのは与えられるものではない。自分で見出し、作っていくものだ。特にオタクはそうでなくてはならない。そんなことぐらい、同志ならわかっているはずだ」
 この会話の間、瑞希は一切口を挟むことができなかった。少し前なら、大志が和樹にここまで食い下がることは無かっただろう。この数ヶ月で、自分達の関係が少しずつ、それでいて確実に変わってきている。瑞希自身も例外ではなく、帝国内部の反動者が勝手に開催した即売会においての制圧を和樹に委任された際に活躍し、現在の帝国では和樹に次ぐ階級となっている。
 大志はそのことも知っていたらしく、俎上に乗せた。
「同志瑞希ではあくまでも同志和樹の補佐しかできないではないか。先立っての即売会でも、巧みに参加サークルの配布開始時間を操作して主催者の信用をがた落ちにしたが、常道でしかない。我輩にしか任せられない仕事が、同志和樹には必ず出て来る」
 和樹はしばらく黙っていた。今現在に傘下に置いた大将級の者達もそれぞれに特徴があるが、大志のような裏側の仕事を全て任せられる人材はたしかにいないのである。嫌なものから逃げず、むしろそれを利用しようとしてきた大志だからこそ、そういった仕事ができるのである。
 和樹はわかったと一言だけ呟くと、瑞希の出した茶に口を付けた。瑞希はほっとした顔付きになり、これで前と同じ友達だねと言ったが、どうにも白々しく聞こえる。大志は複雑な心境だったが、そうだと言って何やら葉書を取り出した。
「投函している暇が無く、こうして直に渡すことになってしまったが……受け取ってもらいたい」
 結婚しましたと書かれた裏面を見て、和樹と瑞希の二人が茶を噴いた。
 裏面には先の言葉と共に写真がプリントされていて、それは大志と岩切が貸し衣装を着て撮影したものだった。形式は神前で統一されていて、紋付袴に閉じた扇子を持っている大志の横で岩切が奥ゆかしそうに目を伏せがちにしている。
「な、ななな、なぁーーーーーー!」
「これ誰、ねぇ、このお相手の人、誰!」
 ただ慌てふためいている和樹と違って、瑞希はどこか楽しげだった。