第三章「開幕」

 
 栃木県、某市、某街、某市民ホール。そこでは明日の同人即売会に備えて着々と準備が行われていた。同人即売会は多少だが、金の流れが活発になる。現に会場近くのビジネスホテルやコンビニは、かなりの盛況を見せていた。
 
 ビジネスホテル「ジェルサレムズ・ロッド」は、八割近くの部屋が埋まるという盛況ぶりだった。このビジネスホテル、この街の企業ビル街から近くに建設され、利用客のほとんどがビジネスマンやサラリーマンといった企業人達が占め、従業員の男性は、花がなければ出会いもない、などとぼやく有様だった。このビジネスホテル、近くに目を引くような娯楽施設も無く、客の大半が平日利用のため。ゴールデンウィークなどの長期休暇には、出張などでこのあたりに一時的にきているような人間しか宿泊しない。そのため、授業員も休暇がしっかりと取れて喜んでいる節もあるが・・・。
 
 それが今年に限って、どういう訳か客の入りが良くなった。ホテルの経営者は素直に喜んだが、部屋で休日の予定を立てているところを呼び出され、突然仕事を言い渡されゴールデンウィークをつぶされた大半の従業員は、不平を口にしながら営業スマイルを顔に張り付け仕事に励んでいた。
 
 
 ホテルの一室、ここには個性的な容姿の一団が宿泊している。構成員は男一人、女一人、幼女一人、である。構成だけ聞けば、どこかの家族連れかと思ってしまう。しかし、家族と言うには、あまりにも、容姿がかけ離れていた。男、遠野志貴は、多少ぼさぼさしている髪と適当な髪型、丸い野暮ったい眼鏡をかけていて、ジーパンに青いティーシャツと極々普通の格好、一目で分かる日本人である。女、アルクェイド・ブリュンシュタットは、白いサマーセーターに膝まである茶色のスカート、ブロンドの髪をショートカットにしている、どこから見ても外人さんだ。幼女レン、紅い目と少々青みがかった髪、黒が強調された服と、頭の後ろにある大きな黒いリボンの幼女、その容姿を見る限りこの2人の、子供と思えなくもないが、男と女は外見から見れば、二十歳そこそこと言ったところであるだろうし、なによりレンの髪の色がその可能性を極底のものにしている。
 
 この三人、明日このホテルから、電車で15分の場所にある会場で開かれる同人即売会に参加する事になっている。サークル名は「十六夜」である。主催アルクェイド・ブリュンシュタット、構成員遠野志貴、レンの三名、新進気鋭のサークルである。即売会参加も今回が初めてで、今回は物品の販売よりも情報収集や現場の空気になれるという意味合いが強い。
 
 遠野志貴は、ビジネスホテルの一室で、なぜこのような事態になったのか、回想していた。
 
 事の発端、それは彼が、大学の入試試験に落ちてしまったことである。志貴が受けた大学は、一般的な水準で、志貴の学力ならば楽々とは言えないまでも、人並みの勉強すれば受かるだろう。と志貴の周りにいるおおかたの人間からは予想されていた。
 しかし、三月のある日、志貴は燃え尽きた。まぁ、どれぐらい燃え尽きたかといえば、部屋のベッドの上で体躯座りをして、あんパンマンのオープニングを歌っていたくらいである。かなりの重傷であった。
 
「なにがきみのしあわせー、なにをみてーよろこぶー、わからないままおわる、そんなのはーいーやだー」
 
 そのように、精神的に参ってしまっている志貴に、いったん自分を見つめ直すための旅に出てはどうか、と進めたのは、志貴の使い魔である、夢魔のレンだった。
 志貴とレン、この2人は、志貴が車に轢かれるといった事故にあった際に、志貴の夢の中で数奇な出会いをした。元々はアルクェイドの使い魔的な立場にいたが、志貴と契約を結び、正式に志貴の使い魔となったのである。その後、いろいろな場面を経て、志貴の周りにいた武闘派の妹やカレーエクソシスト、天真爛漫の脳天気で周囲からの評価があーぱーという金髪のお姫様、劇物調合の特技を持つメイドや、策謀家で「割烹着の悪魔」の二つ名を持つ薬剤師などの、癖の強すぎる人物達に認められたのである。
 
 そして春、浪人生になったことと、某東大一直線なラブコメ漫画の志貴は自分を見つめ直すための旅に出ようと、遠野家の門から一歩出たところを、アルクェイドとレンに拉致された。
 
 アルクェイドはレンから、志貴が近いうちに遠野の屋敷から出ることを聞き出していた。そのような志貴を慕っている女性達から見ればAAAに位置づけられるような情報を、アルクェイドがレンからどのように聞き出したかといえば、以前アルクェイドがレンと脅迫近い形で結んだ、通称猫同盟である。
 この同盟は簡単にいえば、お互いが不足しているところを補うためのものであった。アルクェイドに欠けている情報力をレンは持ち、レンに欠けている実行力、武力をアルクェイドは持っていた。さらに、この同盟により、彼女たちの悲願が達成された暁には、志貴をどういった風に分割共用するのかも、しっかりと話し合われ、羊皮紙に猫の言葉で明記されている。アルクェイドも伊達にレンを以前使い魔(もどき)にしていたわけではない。レン限定ではあるが、猫の言葉が分かるのである。
 
 この同盟を成立させるためにアルクェイドは、普段のあーぱーぶりが嘘のように、理論的ではないが相手の心、水面下に渦巻いているような欲望に訴えかけるような説得をした。
 まずアルクェイドは、レンを精神的に揺さぶった。簡単にいえば、レンに自分以外の外敵の驚異というものを、事細かに、なおかつ、リアリティを持たせて語った。このアルクェイドは以前のアルクェイドではなかった。そして、アルクェイドが語り終えたとき、レンの表情は、恐怖に染まっていた。レンは、アルクェイドに事態の打開策はないか、と普段の彼女からは想像できない、焦りと不安の激情を色濃く示した表情で、アルクェイド迫り、アルクェイドは表面上ではレンをなだめながら、内心ではしてやったりと思い、左の唇の先を数ミリばかり上につり上げて、ニヤリとした笑みを浮かべた。そして、綿密な打ち合わせを終えた後、アルクェイドとレンの、通称猫同盟が結ばれた。
 
 そして現在、その目的は半ば達成されつつある。情報はその構成員の少なさと、2人の猫語を使った会話のためか、何処にも漏れておらず、なおかつこの三人が別々に行方不明になったと思われている。さらに、三人のことに気づき追跡する者達がいたとしても、それは決して一枚岩ではない。少々、ダミーの情報を撒けば、混乱し、真偽の区別が付かなくなる。おまけに、敵の活動を資金的に支えている志貴の妹、遠野秋葉は、冷静で客観的な判断力を持ってはいるが、志貴が絡んだことだと、少々のきっかけを与えるだけでまるで、仲間を傷つけられたときの王蟲のように、目ではなく髪を紅くし、激高し、冷静さを失う。その上、公的な面で多忙を極めており、自由に動くことが出来ない。さらに、信頼している人間が皆無であるから、満足な諜報活動も出来ないでいる。
 
 アルクェイドの天敵であるカレー狂いのシエルは、アルクェイドがちょっとしたコネを使って、彼女が所属している組織に圧力をかけておいたから、最低でも二・三年は、身動きがとれないはずである。
 最も注意が必要な人物、割烹着の悪魔は、どちらが形勢有利かを悟れば、自ずとその陣営に協力的になるだろう。いや、情報があちら側にほとんど伝わっておらず、アルクェイドが志貴を擁し握っている時点で、割烹着の悪魔はガルガンチュアの鉄の鎖で、その肢体を拘束されているようなもので、策謀に興じることさえ出来ない。いかに策謀能力が優れていようとも、手には入る情報の質が、真偽のほどが定かではないほど劣悪で、なおかつ量の方も、それ以上に最悪ならば、策士は、策略の骨組みすら組み立てることが出来ない。
 
 洗脳探偵は、洞察力に優れてはいるが、それを生かしきるだけの人材が、周りにはいない。天上天下唯我独尊なお嬢様は、10のうち1を聞き終えない段階で、暴走するだろうし、カレー狂いは遠野家の面々を、完全には信用しないだろう。
 
 この姉妹には、頭があっても手足が伴っていないと、アルクェイドは判断した。だからといって内部分裂を誘うような、情報工作を怠ったわけではないが・・・。
 志貴とて、アルクェイドの誘いに乗る気は最初こそ起きなかった。屋敷を出ようとしたとたん、口にハンカチを当てられ、気がついたら見たこともない部屋の中、しかも体はしっかりと拘束具によって絡め取られている。
 最初は、遠野家の長男という身柄を利用した、身代金目的の誘拐か? と思ったりもしたが、跡継ぎでもなく、数年前まで追放同然に家を追い出されていたため、社会的な価値はそれ程高くはないと、結論を出し、これからどうするかなどと考えているとき、正面にあったドアが開いて、そこから一匹の黒猫と、金髪の女性が入ってきたが入ってきた。
 
 アルクェイドは、部屋の隅に拘束具を着せられて転がされている志貴を見て、なぜか、ニタリ、と笑った。その、蛇を連想するような、生理的嫌悪感を心の奥底から呼び覚ます笑顔を見て、心の奥底で、本能が、ニゲロニゲロ、と言っている。だが、いかに『直視の魔眼』 ものの死を見ることのできる目を持つ志貴とはいえ、死の線は見えても、それにふれることが出来ないのでは意味はない。結局、志貴は、アルクェイドによってこの格好のまま、床に転がされ、三時間にわたり説得された。この説得の中に、『逆レイプ』や『一服盛られる』だとか『監禁調教』と言った単語がやたらと出てきたのと、説得終了後の志貴が、部屋の隅でガタガタとふるえているのは全く関係のないことだと思われる。
 このように、志貴はアルクェイドとレンというスポンサーを得て、遠野家という魔窟から脱出した。しかし、まず彼らが直面した危機は、資金難ということだった。
 
 アルクェイド・ブリュンシュタットは真祖と呼ばれる吸血鬼の王族の一人である。現在はもろもろの事情により、彼女一人だけになってしまっているが、王族と言うだけあって資金もかなりある。
 だが、この国にきて、しかも一連の騒ぎが終わった後、彼女は暇になった。最初のうち、アルクェイドはほとんど毎日志貴と戯れていたが、志貴が三年生に進級し、大学へ向けた受験勉強を始めると志貴と遊べる回数が、週に一度程度になってしまった。あまりにも退屈になったアルクェイドは、自分も志貴と同じ大学に行き、世間一般に言われている『きゃんぱす・らいふ』というものを堪能しようと思ったが、その大学で貰ってきた入学願書を見てびっくり、自分の経歴を埋めるすべが全くなかった。
 それでもあきらめられなかったアルクェイドは、戸籍偽造の実績がある遠野家総本山に直訴しに向かったが、そこにすんでいる淑女達がそんな甘い思い出作りの手助けをするわけもなく、割烹着の悪魔は笑いながら、やんわりと申し出を拒絶した。
 その一件で、アルクェイドは自分が交渉術、その他知謀に関して全くの素人、いや、それ以下であることを思い知らされた。このままでは。カレー狂や洗脳探偵や割烹着の悪魔や腐女子な妹に策略を弄されて志貴に近づけないようになってしまう。以前、洗脳探偵が声高々に言ったことがある。
 
「武力で問題を解決する時代は終わりました。これはからは知略と謀略と陰謀の三位一体の時代です。力で勝てない敵を、合法的に奈落の底にたたき落とす。これに勝る快感を私は、片手で数えるほどにしか知りません」
 
 
そして、朝が来る。
 
 
 即売会に参加する者の行動は早い。朝日が完全に姿を見せる前に、彼らは動き始める。思い思いの交通手段を使い、会場に向かう販売者と客。そして、天国(サークル入場)と地獄(一般入場)。
 ルネサンスの芸術家の一人にダンテという人物がいる。彼の作品の一つに、有名な「神曲」があるが、その一節にはこのような文がある「この門を通る者はいっさいの希望を捨てよ」と。まぁ、即売会の場合は、人によって、絶望と希望の二つに、両極端なまでに分かれるのだが、地獄の方のお人は、この後、煉獄(サークルに並ぶ長蛇の列)をくぐり抜け、ようやく彼らにとっての天国(お目当ての品物の入手)にいたるわけである。
 
 現在、午前九時、開幕までは一時間ほど時間がある。しかし、帝国・同盟両陣営のサークルはすでにほとんど入場を終え、それぞれ首脳陣がミーティングに入っている。サークル配置は帝国と同盟が両端に分かれて固まっており、その間隙を埋めるように中立サークルがと存在する。この配置は、以前即売会で両者が混合したサークル配置になったとき、一部の者が喧嘩を始め、その為に他の即売会参加者に多大な迷惑がかかったために、日本のどこかにある、即売会を管理・運営していく組織、『即売会実行委員会』で執られた処置である。
 
 即売会開始の、一時間前、両陣営はミーティングを行っている。内容は、どう本を売るかと言う一点に絞られている。
 
 同盟は数の利を活かし、サークルに並ぶお客の人数を常に処理出きるぎりぎりまで増やし、その人数を維持することで、帝国陣営のサークルに客を出きるだけ行かせず、さらには人気があると言うことを、他の中立サークルに見せることによって、同盟サークルが持つ力を、大々的に宣伝しようと言うのである。
 
 元々、地元で会場近くの地の利もあり、さらには、数の差もある。会場のスタッフも顔見知りが多く、融通もきかせやすい。その為か同盟サークルは、この即売会をすでに勝った気でいる。中には、『』満員御礼』ならぬ『完売御礼』と書かれた見出しの元、打ち上げ会を催すことを企画する人もいたりする。彼らは、このとき『油断大敵』と言う言葉を頭から、一時的に削除していたようだ。
 このことに危機感を持った。第2サークル連合所属の一サークル主催者である折原浩平は、第二サークル連合のトップである深山雪見女史に話しするべく向かうが、一応意見を聞いて貰うものの、原稿が落ちそうで、連続徹夜記録、一時間におけるドリンク剤使用本数、最短睡眠時間、インスタントコーヒー使用量などの記録を大幅に塗り替え、いつ倒れてもおかしくない雪見女史は、折原浩平の話しを一応聞いたものの、理解しようと頭が動かなかったのか、とりあえず検討はしておく、と言って、再び、『まっとうな人間なら見えてはいけないもの』が蠢く世界へと、意識を向かわせていった。ちなみに折原が、立ち去るときに聞いた雪見女史の言葉は、「電波がぁ、電波がぁぁぁ!」と言う、危ない代物であった。
 
 所変わり、帝国サークル首脳陣のミーティング。同盟のそれと違い、帝国のミーティングは難航していた。難航している理由は、即売会参加サークルの数が帝国陣営の約三倍あり、さらに、開催地が同盟の勢力内で、ほとんどの同盟サークルには顧客がついている。それに比べ、帝国陣営は顧客が付いているサークル自体少なく、また、この地方で人気のある作品やつぼにはまるネタについては、全国規模の情報収集でも、とらえられない部分が多い。宣伝は常に行っているが、それでも地元は強い。
  戦は基本的には、防衛戦の方が有利なのだ。敵地は、守る方に地の利があり、補給が容易である。それに遠征は、今も昔も、攻め込む側の懐が寒くなるしろものである。
 不利な状況、だからこそ千堂和樹は考えた。この遠征の最高責任者であり、ここで各サークルの売り方、つまりは戦術を考えるのが彼の最大の仕事なのだ。そう、彼の頭は冴えている。漫画を描いていて詰まっているときが、夏場の生ぬるい水道水ならば、今の千堂和樹は、キリッと冷えた麦茶である。
 
 和樹は考えた。客層は同盟色の濃い連中が多い。会場はあまり広くない。帝国と同盟のサークル比率は1対3、全国規模でのサークル自体の人気はほとんど拮抗しているが、ここは同盟の地元である。下手をすれば、お客の大半が同盟の人気サークルに並び、客の流れが鈍重なまま、即売会が終わってしまう。
 そうなっては、後々、和樹に反感を持つグループや派閥から、こういった類の意見が出るだろう。『帝国陣営の同人ショップで委託販売された売れ残りの作品を購入して読んでみたが、これほど面白い作品が即売会ではほとんど売れなかった。流行と言うものもあるだろうが、ここまで売れなかったのは、こ売り方に問題がある。責任者に責任をとらせろ』と、これはまずい。
 
 和樹には目的があった。子供の頃に一緒に遊んでくれたメイドロボを、現在皇帝の位についている、藤田浩之から取り戻すという目的が。その為に、己の腕一つで運に頼らず莫大な金を稼げる、漫画家を目指し、様々な同士、仲間を得、今ここにいるのだ。こんなところで負けるわけには行かなかった。先は長い、だからこそ、昔の人間は言った。『千里の道も一歩から』である。
 
 売り方を決めるミーティングの場には、総司令官千堂和樹、その副官高瀬瑞樹、他の司令官に、セバスチャン、大庭詠美、その他、数人ほどがいる。
 和樹が名を知っているのは、セバスチャンと大庭詠美くらいである。この2人は、帝国サークル内では有名な存在だった。武闘派ギャグ漫画と乙女チックな絵の二つを、異常に力のこもったタッチで書き上げる、同人会に初めて老練という言葉を持ち込んだセバスチャン、凄まじい画力と、常にブームを先読みする力で、デビュー三年にして、少将という階級にいる大庭詠美。人付き合いと売り方が巧ければ、今頃は、大将に上り詰めていたと言われる程の人材である。ただ、彼女の人付き合いの苦手さは、半端なものではなく、某特務機関指令の髭眼鏡外ン道と、苦手のベクトルは違うもののレベルは同じであるとも言われている。他にも一癖蓋癖ある人間が多い。即売会に参加する際は、まず希望をとり、その後即売会のレベルに合わせて、選りすぐられ、決定される。階級が高ければ、希望も通りやすくなるし、自身の実力がいかなものか、多少はわかりやすくなる。最も階級が、自分自身の漫画に対する実力を純粋に反映しているものとは限らないが・・・。
 
 ミーティングは、開始早々難航した。司令官の一人が、今回はもう無理だから、さっさと帰り支度をした方がいいのではないかと意見をあげたのだ。その意見を聞いて、千堂和樹以外の人間は、うなだれ、考え始めていた。そして、その意見に同調しようとする者が現れそうになったときに、和樹は口を開いてこういった。
「物作りの本分は、物を作り、それを他者に提供するところにある。本はいつの時代も高価だった。本が安価になり、誰もが手に取れるようになったのは第二次停戦が終わり、この時代になってからだ。他の音楽CDなどの作品にも同様のことが言える。昔は高貴な者の嗜みとしてでしか存在しなかった物が、今では人間全般の手にわたれるようになったんだ。俺達は、自分だけの作品を売るのではない、この会場全体にいる、現実に飽きた飢えている者達に、ひとときの夢を見せてやろうじゃないか」
 この言葉に共感を覚えた者は、少なくはなかったが、具体的にどうすると言った手段が立案されていない以上、ほとんどの人間が悲観的なままだった。例外がいるとすれば、セバスチャン、大庭詠美、高瀬瑞樹そして千堂和樹の四名だった。彼らには、敵がどのような戦法で来るかがある程度は見えていた。そしてそれに対する解決法も・・・。
「まず、敵の核となっている主力サークルをつぶす。同盟は、客を自分たちのサークルが密集している部分に集中させ、こちらへの客周りを悪くさせるつもりだ。これを無力化するには、奴らが売っている本と同じジャンルで同レベル、もしくはよりレベルの高い作品を、こちらでも用意し、さらに、会場全体にこちらの作品に対しての噂を撒く。そして奴らとは逆に、客捌けをよくするために、一人あたりの最大購入数を、そのサークルの印刷数にもよるが5冊以上にする。この真夏のような熱さの中で、四時間も列に並んで、手に入れた本が、一人一冊では、客は不満を持つだろう。そこに隙ができるはずだ。あとは客ががこちらに集まり始めた際に、そのまま同盟方面に行かないように、あらかじめ用意してある突発本の発売時刻を調整して、そのサークル近辺にとどまるようにすればいい。ただし、突発本は、数がそれ程無いから、一人一冊にする。こちらに人が集中し始めたら、各自それを逃がすな。蜘蛛の糸のように絡みつけ。敵の、客さばきの回転率は、持って昼までだ」
 この作戦の説明の後、それぞれが、自分の指揮するサークルのことで質問し、ミーティングは終わった。
 和樹の作戦は、要約するならば、同盟サークルに並んでいる客をこちらの方へ引きずり込み、そのまま逃がさない、と言うものである。だがその作戦は、最初の一歩がつまずけば、後は瓦解していく危険性も孕んでいる。だが、千堂和樹は、特に心配はしなかった。人がすることに、100%はないのだ。そして、彼は、自分の執った手段の成功を確信していた。
 皆に言った作戦以外に、彼が取った手一つある。それは相手サイドの食料を少々不足気味にするという手である。同盟サイドは、ほとんど数だけの差で勝った気になっている。その数が持つ力を、ある一定の水準で維持するためには、どうしても補給が必要だ。補給先のコンビニ、ファーストフード店の位置確認や、隠れた名店などの把握は、地元だけあってしっかりとしているが、それでも、こちらが先に買いしてめてしまうことまで予想しているだろうか? 地元だから、ショートカットに詳しい、それだけでは食料を手にすることは難しい。それに、ここから買いに行ける範囲で手にできる食料は、同盟全体でギリギリだ。それのうち三分の一でも無くなればどうなるか、客をさばく回転率はガクッと下降線をたどるだろう。
 
 ミーティングの終了後、各自は持ち場に戻り、それぞれが即売会開催までの時間を準備に費やしたり、筋トレをしてつぶしたり、色々していた。
 会場内に設置されているスピーカーより、即売会を開催する合図が放たれる。それを聞き、歓声を上げるお客。サークル所属者は個人個人が激しい拍手鳴らし、各々がバラバラに拍手をしているにもかかわらず、会場内は同じリズムで拍手がなり始める。遠野志貴やレン、アルクェイドなども、乗りで手を叩いている。レンは巧く音がでなくて、む〜、としているが・・・。
 
 
・・・・・・・そして、各々の、夢と野望と欲望を織り交ぜた、即売会がここに始まる。