「先生と…シエルに」
俺は、最後の堤防を切った。
 
「…”先生”というのは?」
「ほら、以前話したろ?俺の”直死の魔眼”を封じる、この眼鏡をくれた人のことだよ」
「……ブルー、ですか?」
「うん、先輩達が言うところの、ブルーだよ。僕にとってはずっと”先生”なんだけどね」
「…私が遠野君の癖を言い当てた所為ですか?」
「いや、そういうわけでもないよ。癖については以前にある人にも指摘されたしね。なんというか……そう、間が悪かった、とでも言うか…」
「というと?」
「うん、これは”シエル”が関係しているんだよ」
「”シエル”が、ですか?」
「うん」
 こちらが意図的に”シエル”と”先輩”を使い分けていることを、受け容れてくれている。やはり、この人には適わないな…。
「俺…いや、僕は”シエルに頼らないでいたかった”んだよ」
「……自分のことを無理して”俺”と言っていたように、ですね?」
「はは、そこまでは気づいていなかったけどね。けど、多分そうだよ」
「遠野君は”僕”の方が似合ってますよ」
「ありがとう」
「いえいえ」
「……でもね、そうすればそうするほど、自分が辛くなって、シエルにもっと頼りたくなってしまうんだよ。でも、やっぱり”俺”はシエルに頼りたくない。だから、頼らない。だから、より辛くなる。正に悪循環としか言えないよ」
「なんで…そこまでして……?」
「本当のところ、自分でもよくわからないんだよ。そうだな…先輩にとってのカトリック…かな?」
「??どういう意味です?」
 自分でもよく分からない例えだと思ったが、そのまま続ける。
「”僕”にとってのブルー…先生は、僕の考え方の根幹なんだよ。先生の存在、そして先生の言葉。全てが、ね」
「”シエル”が妬いちゃいますよ」
「後で謝らないと」
「そうですね」
 彼女が何とも言えない笑みを浮かべる。ここで終わりにしても良かった。でも、僕は続けた。
「…先生はある日こういったんだよ”君はきっと素敵な男の子になれる”って。だから、僕はそうなるように努力してきたんだよ。まるで戒律や教えを守るように、ね」
「……」
「けど、僕はなれなかったんだよ。”素敵な男の子”になんてね。一番素敵な男の子でありたい、女の子の、シエルの前ですら」
「………」
「だから、僕は…俺は……?!」
 彼女に包まれるようにして抱かれているはずの自分の首筋に、冷たい感触が伝わり、僕は驚いた。
「…もう、良いですよ。遠野君。もう、いいです、よ…」
「センパ…シエル?泣いてるのか?」
「…もう、”シエル”に、戻って良い、ですか?遠野、君」
「ああ、良いよ。ありがとう、”シエル”」
「あはは、もっとも、もう、戻っちゃってますけど、ね」
「そんなのいいから、ほら。これで涙を拭いて」
 必死に何かないかと探した結果、以前街頭でもらってそのままズボンのポケットに突っ込んでおいたポケットティッシュを見つけ、それを彼女に渡す。
「はい、ありがとう、ござい、ますぅ、ぅ」
 
 
 
「……もう大丈夫、かな?」
「すいません、みっともないとこ見せちゃって…」
「これでおあいこ、だよ」
「ふふ、そうかもしれませんね」
「うん」
「でもね、遠野君」
「……なんだい?」
「これは、言うのも恥ずかしいんですけど、それでも言っておきたいんで、言いますね」
 やたらもったいぶる。
「うん」
「私はね、遠野君に頼りたいし、何より……頼られたいと思っているんですよ」
「…でも、それじゃぁあまりにも俺が情けないよ」
「ブルーの言ったことなら、もう気にしなくていいんですよ」
「なんで?」
 なんだか先生のことを馬鹿にされた気がして、少し怒気を含んだ声になってしまった。しかし、そんなことを意に介さず、シエルは続けた。
 
「だって、私にとって遠野君は…志貴は十分素敵な男の子なんですからね」
 
「…?!どこが?」
 今日何度目かの素っ頓狂な声を出す俺。
「そう言うと思いましたよ。でもね、実際そうなんですから。だって、志貴は、私のことを想って頼らなかったんでしょう?そう考えてくれただけで私は十分嬉しいんですよ」
「でも…」
「ほら、そこ!でもって言わないの!話が進まないでしょう」
「ハ〜イ…」
 教師に叱られた生徒のような気分だ。
「よろしい。…いいですか?私と志貴は頼ったり頼られたりするために、一緒にいるんでしょう?それをしていい仲として」
「……」
「だったら、そんな風に1人で頑張らないで下さい。志貴だって、私に頼るだけじゃなくて、頼られても、嬉しいんでしょう?」
「…うん」
「なら、それでいいじゃないですか」
「そう、なのか、な?」
「んもうっ!!そうなんです!!わかりましたか!?」
「…ハイ」
「もっと元気よく!!」
「はい!!」
「もっと!!!」
「はいっ!!!」
「はい、よろしい!」
「ふぅ…」
「ふふふ」
「は、ははは」
 二人共よくわからないことで笑い合いながら、向かいあっている。けど、そうやって笑い会える絆みたいなものだけは、ハッキリとわかる。
 
 
 
俺は…僕は嬉しかった。
”一番素敵な男の子でありたい、女の子の、シエルの前では、素敵な男の子でいられそうだから”
 
 
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