縁故

 お待ちしておりました。そう頭を下げられて、レティ・ホワイトロックは眉根を寄せた。眉根を寄せるぐらいなら近寄らなければ良いだけの話なのだが、雪に覆われた高原に丸い皿が置かれていたので、こりゃ縁起が良いと割りに寄ったところで皿の持ち主が雪を引っくり返して地中から現れた。河童であった。
「河童よね?」
「ご覧の通りです」
 レティは河童を見たことが無かったが、伝え聞く程度に皿を頭に乗せてるからには河童であり、その河童はこれでもかと皿をこちらに見せる形で頭を下げている。彼は頭を上げるとにっこり笑ってみせたが、どうにも丸い黒目が不気味であった。
「私、四万十川水系を出とする縁小路家の六十三代目にあたる雅太郎と申します。ガタロウだと堅苦しいので、ガタローとお呼びください」
「私はあなたを呼んでない」
 ガタローはどういう意味かと考え込んだようだが、じきに思い当たった様子。まぁ茶でも飲みながらと彼は近くに作られたかまくらにレティを通した。かまくらは小さく、二人が火鉢を挟んで座ると背中がかまくらの壁に当たる。ガタローは火鉢の上に乗っていたヘコミだらけの薬缶から湯飲みに麦茶を注ぐと、失敬と言って先にやり始めた。
「この時期は乾燥していかんです。こうして薬缶から湯気を出して篭らねば、皿が乾いてしまうのです。あなたが来るのがもう少し遅ければ、三日は寝たきりになっていたことでしょう」
「私はあなたを呼んでない」
「ですから、ガタローとお呼び下さい」
 まったくわかっていなかった。むしろ、物覚えの悪い方だなぁと呆れてすらいた。礼儀正しいのは結構だが、肝心なところで身勝手だ。しかしレティも妖怪であるから、身勝手さについては気にせず、茶をしばき始める。彼女は別に雪で出来ているわけではないので、温かいものもそれなりにイケる口であった。どころか、冬に楽しめるものは全て好きなのだった。そう、今は冬だ。
「河童は夏でしょ」
「夏です。夏でこそ河童です。芥川先生も夏に自殺なされました」
 レティは芥川とやらの知識は無かったが、河童のくせにそんなドブみたいな名前の者に先生を付けるなんて、余程の変わり者か馬鹿なのだろうと割り切った。レティが素っ気無く茶を飲んでいると、河童が黒目を曇らせる。
「河童の話をしましょう。河童の話ですが、実のところ私の話です」
「ガタロー即ち河童じゃないの」
「いえ、私は河童ではないのです。河童のなりこそしておりますが、到底、河童とは呼べないのです。ですから、ガタローとお呼び下さい。どうかガタローとお呼び下さい」
「そんなこと言ったって」
 どう見ても河童だ。頭の皿だけではない。体はアマガエルのような色をしているし、湯飲みを持つ手の指の間は水かきになっている。ガタローは神経質そうに皿の縁を撫でた。
「やはりわかっていただけないですか。ならば、先ずは私の話をしましょう」
「っていうか、実のところあなたの話なんでしょ?」
「河童の話にかこつけて私の話をしようとしたのです。話の腰を折らないでいただきたい」
 そうしたのは間違い無くガタロー本人なのだが、彼なりに筋が通っているらしい。レティは早い所ガタローの皿を割ってここを出て行きたかったので、黙って彼の話を聞くことにした。


「私はこれまで当たり障りの無い生き方をして参りました。晴れた日には川に来た人間の足を引っ張り、雨の日には畑や田んぼの傍をうろつくといった具合です。私はこれこそ河童であると思いながら生きていたのです。ところが、これは今年の初夏頃の話ですが、私は変な女に会ったのです。彼女は私が気持ち良く川で泳いでいたときに川岸に腰掛け、魚を取り始めました。それは夜のことだったので、変だなぁとは思ったのですが、そこは河童と思っている私です」
 ガタローはその女が何匹目かの魚を取ろうと水面に手を浸けたとき、思い切り手を引っ張った。河童の力は凄まじい。女子供であれば、気付かぬ内に水底に沈められてしまう。
 しかし、そうはならなかった。思い切り力を入れて引っ張ったのに女はびくともせず、ガタローの片手は豪く伸び切った。河童の両手は伸縮自在であるが、それが仇となって、ガタローはひっくり返った。慌てていると、なんと女がガタローを引っ張った。それはひょひょいのひょいといった軽々しさで、ガタローは打ち揚げられた魚のごとく、川原の上にもんどりを打った。
『お前は河童か』
『河童だ。河童と呼べ!』
『河童と呼んだぞ』
 川原で改めてその女をよく見ると頭には角が生えていて、とても人間とは言えない風体であった。その女はどうしたものかと仁王立ちでガタローを見下ろしていたが、彼が状態を起こして座りこんでも、そのままの体勢を続けた。見るからに説教をする気である。
『この川に河童はお前だけか』
『河童は俺だ。俺が河童だ。だからここには俺一人だ』
『なら、お前が里の人間を川に引っ張りこんでおったのだな』
『そうだ。河童だからな』
『ふん、どこが河童だ』
 どういうことだとガタローは憤激した。クチバシを尖らせ、腕を組んで胡坐をかいた姿勢のまま、ガタローはがなり立てた。それでも女は頑として譲らず、貴様は河童ではないの一点張りだった。
『いいか、お前は一度も尻子玉を抜いていない。お前に川に引っ張りこまれた里の人間も、いやぁ大変な目に遭ったというだけで、のほほんとしておる。そんな河童があるか』
『尻に玉なんか無いじゃないか』
『それでも河童か!』
『河童だ!』
『しかし、お前は河童ではないんだ』
『どうしてだ!』
『よかろう、私が本当の河童を教えてやる!』
 それからガタローは女の庵に連れ込まれ、頭に薬缶で水を注しながら、勉強浸けにされた。出される資料は全て河童のもの。河童河童河童。よくもまぁそれだけ河童のものだけ集めたものだと呆れていると、どうやらその場で女が書いたらしい。大した河童通である。
 ガタローは河童の中の河童である自分が河童のことに精通していることを見せつけようと意気込んだが、彼の自信はあっという間に崩れ去った。河童の基本は妖怪として、人間を恐怖させることだったのだ。ただ呑気に楽しんでいれば良いというわけではない。そして、その要は尻子玉を抜くことだった。
『いったい、尻子玉ってのはどんなものなんだ!』
『尻子玉は尻子玉だ。尻子玉というぐらいだから、尻にあるんだろう』
『俺、尻子玉を抜きたい! 抜かなければ河童じゃない!』
『ふ、合格だ……お前に教えられることはもう無い』
『なんだって?』
 困惑しているガタローとは反対に、女は落ち着き払っていた。口元は微笑み、目は優しげだ。彼女はガタローに背を向けて言った。
『お前は自分が河童でないことを認めた。これほど喜ばしいことは無い』
『何の答えにもなってないじゃないか』
『あー、知らん知らん。私は今の台詞が言いたかっただけだ。早く帰れ』
『そんな殺生な』
『うるさい黙れ。帰らんとお前の尻子玉をこの角で抉り出すぞ。これをやるから一人で勉強しろ』
 女は書架から一冊の本を取り出すと、それをガタローに渡した。更にガタローを外に蹴り出し、満足した。ガタローはベソをかきながら受け取った本の題名を確認した。本の表紙には『河童』と書かれていた。


「以来、私は芥川先生のファンなのです」
「それは河童と関係あるの」
「いえ、無いです。ですが、私は河童ではなくガタローなのですから、良いのです」
 長い話だったが、レティにわかったのは、ガタローが変なものにかぶれたのはその女の所為だということだけだった。辛いときには影響され易くなるものだが、ここまで極端な例はそう無い。
「で、私の話なのですが」
「まだ続くの!」
「ここからが重要なのです。まぁ、お茶でも」
「ああ、ありがと」


 ガタローは尻子玉を探し回った。しかし、あるかどうかもわからないもののために人間の尻に手を突っ込むのは可哀想に思えた。第一、何かが抜けたとしても、それが尻子玉とわからなければ意味が無いのだ。
 彼は住み処を地上に移し、芥川作品を手当たり次第に読みつつ、尻子玉の件で悶々とする日々を送った。そんなとき、天狗が訪ねて来た。
『新聞に御用はありませんか』
『連載小説は?』
『残念ながら有力な作家は全て他の新聞に取られてしまいまして』
『ならいらんです。でもまぁ、お茶でも』
 ガタローが文と名乗る天狗に、どうしてわざわざ訊ねて来てくれたのかと問い質した。彼女によると、こんな人も私の新聞を読んでます! といった具合に宣伝するために、持って回っているのだという。また、河童と天狗は近しい関係だとかで、挨拶をするついでもあった。
『尻子玉、ですか』
『ええ』
 自然、ガタローは文にその話を始めた。何か知っていることは無いかと。
『要するに、尻の奥にあるとされる玉ですよね』
『目を皿にして勉強を続けている次第ですが、いかんせん、抜かれたら死ぬだのいうことが書かれたり口伝されているのが精々でして……玉という以外は全く形がわからんのです』
『その手の話に詳しそうな妖怪や人間はここらには沢山いると思いますけど、わかりませんか』
『そういうものだ程度の答えしか返ってきません。最近では、尻子玉というのは河童の恐怖を物理的に表現しようとした近代の人の創作なのではないかという仮定まで頭に浮かびまして、いやはや、どうにもいかんのです』
『別にそれはそれで構わないのではないですか。ここらの妖怪も、どこからどこまで自分がその妖怪だと証明できるか怪しいものです』
『私に他者を啓蒙するつもりはありません。いわば、河童と私ことガタローを線引く物の正体を突き止めようという嗜好なわけです』
『新世代の妖怪による温故知新ですね』
 文はいつの間にか取り出していた手帳にペンを走らせる。ガタローはそれを見て、話を大きくするのは天狗の悪い癖だなぁと呑気に構え、お互いの湯飲みに茶を足した。文は一頻り書き終えると、湯飲みを手に取った。
『玉といえば、近頃、幻想郷では弾幕ごっこというのが流行ってますね』
『そりゃあ、なんです?』
『ご存知無い? あの洗濯物でも干そうかと天気の良い日に鼻歌をやっていると、空から流れ弾が飛んでくるあの弾幕ごっこです。洗濯籠はひっくり返り、あまつさえ窓ガラスも突き割る、はた迷惑な弾幕ごっこですよ』
『ああ、あれですか』
 季節が変わる毎に何かと騒がしくなるので、ガタローが気に留めたことは無かった。霰か雹みたいなものだと勝手に考えていたのだが、なるほど、あれは人為的なものだったのかと妙に納得した。陸暮しは何かと新鮮な出来事に溢れている。
『その弾幕ごっこですが、一般的には攻め手が有利です。まぁ、人間が妖怪を退治するというお題目で行われることが多いためにそういったルールになっているようですが、ルールといってもこれは慣例的なもので、たまに妖怪も攻め手に回ります。受け手に回ると何が辛いかというと、当たり判定と呼ばれるものが大きく、ややもするとどう避けても弾に当たってしまう程のアドバンテージを背負うことになります』
『そりゃまた難儀ですな』
『これは噂ですが、冥界の西行寺嬢は背中に広げた大きな扇全てに判定があったそうですよ。反面、攻め手の当たり判定は身体よりも小さく、その代わりに一発でも当たると特殊な方法で回避しない限りはアウトとなっているのです』
 さて、と文が持っていた湯飲みを置いた。ここからが本題らしいので、ガタローは再三、湯飲みに茶を足した。
『その攻め手の判定に用いられるのが、玉です』
『玉? 弓に単の弾ではなく、王に点の玉ですか』
『その玉です。そう、ちょうどお尻の当たりに……』
『それが尻子玉だと仰りたいのですね』
『あくまでも推察するに、です。しかし、それを立証するにしても、攻め手にさえ回ればあらゆる人妖にそれが付けられますから、些か手間ですし、場合によっては大小差があるのですよ』
『どうせなら大きいのが良いです。件の西行寺の御方はどうなのです』
『やはり攻め手に回ると小さいですね。特に小さいのは博麗神社の巫女ですが、あれは何か作為的なものを感じる程の小ささですから、この場合は埒外に置くべきでしょう』
『誰か大きそうな玉を持っている方はいないでしょうか』
 文は困ったように首を捻ると、手帳を読み返し始める。数分して、彼女が目を見開いた。
『妖怪ですが、まだ攻め手に回ったことが無いために玉の大きさがわからないのがいますよ』


「それが貴方だ!」
 半ば顔を伏せてとつとつと語っていたガタローが叫ぶ。レティはかまくらの外を見遣りながら話を聞いていたが、なるほどというよりは、やっと終わったかという気持ちが強かった。
「文氏の話によれば、あなたは身体全体が当たり判定であるにも関わらず、攻め手に回ったことが無い」
「なんで私がそんな面倒臭そうなものに付き合わなければいけないの? 前にやり合ったときだって、あくまでも人間が見えたから、からかおうと思ってやったことだし」
「そこを曲げてお願いしたい。どうか私に、ガタローにあなたの当たり判定を証明する玉を見せていただきたい!」
 レティは半ばうんざりしていたが、ここで下手にあしらっても後を引く可能性があった。彼女はすくと立ち上がると、薬缶や火鉢をかまくらの外に出し始めた。
「あのう……何をしていらっしゃるのですか」
「あなたはそこで待ってなさい。すぐに終わるから」
 粗方の物を運び出すと、レティは足下が広くなったかまくらに戻った。まだ薬缶から噴き出た湿気が篭っている。
「見せてあげるから、ちゃんと見極めなさいよ」
「よろしくお願いします!」

 途端、かまくらが弾けた。弾けたのだが、中から現れたのは雪球、いやさ、当たり判定の玉であった。ガタローはかまくらの欠片と共にふっ飛び、転げ回った後、がばっと顔を起こした。
「とびっきりでっかいやつだ!」
 歓喜であった。とにもかくにも、ああいった物が妖怪や人にはあるのだ。ガタローが地面に膝を着け、万歳をする。太陽、風、雲、大地……それら全てが彼を賛美している。じきにレティの玉がびくりと動いた。
「ああ、もういいですよ!」
 ところが、全く変化が無い。中で窒息してしまったのだろうかとガタローは考えたが、それは危惧であった。

 玉が、ガタローに向かって転がり始めた。


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 幻想郷に、『文々。新聞』が本格的な冬の到来を告げる。曰く、山では巨大な雪球が河童を押し潰した。ガタローがそれからどうなったのか。先祖の川に帰ったのか、それとも……。文はそこをあえて言明せず、記事を終えている。