GOTS AND DEATH

 それは最初、ただの地震かと思われた。あるいはどこぞの魔法使いが魔砲でもぶっ放したものか。とにかく大多数の者が大事だとは考えなかったと言って良い。
 しかし霧雨魔理沙だけは、何となく落ち着かなかった。自分が何かしでかしたと思われてはいないかという心配もあったが、一番に頭に浮かんだのは、ボロ神社に住んでいる博麗霊夢のことだった。
 近頃は自宅に引き篭もりがちだったから、たまには顔を見に行ってやろう。それくらいのつもりで出かけた彼女が神社で目にしたのは、跡形も無く粉砕された神社だった。
 粉砕というのは比喩でも誇張でもない。柱は粉々、瓦も粉々。原形を留めているのは庭先に倒れていた霊夢だけという有様だった。
 魔理沙は慌てて霊夢を抱き起こし、白目を剥いていた霊夢の頬を何度か叩いた。
 程無く霊夢の目に生気が戻ったが、彼女は頬を叩かれたことを怒るでもなく、魔理沙の両肩を真顔で掴んだ。
「な、何だよ」
「魔理沙、逃げて」
「はい?」
 耳を疑う。この霊夢という奴は人を囮にすることはあっても、逃げろなどとは言わない。
 そうか、これは罠だ。魔理沙は咄嗟に身を引き、周囲を窺った。つい勢いで霊夢をはっ倒し、後頭部を強打させてしまったが、今はそれどころではない。
 よく辺りを見てみると、地面に無数の足跡があった。どれも形こそ人間のものだったが、魔理沙の倍以上もの大きさがある。
「シドーでも召喚したのか?」
「違うわ」
 いつものように突然現れたのは、八雲紫だった。彼女は気絶している霊夢を見たが、溜息を吐いて魔理沙に向き直った。それから幾つか数えられる程度のスキマを開いてみせた。
「な、何だよ。私が悪いんじゃないぜ?」
「知ってるわ。済んだことはいいから、とりあえずスキマを覗いてみてくれる?」
「後ろから押したりするなよ」
「しないわよ」
 一応は緊急事態だから、ここは信じても良さそうだった。だが魔理沙が緊急事態だと本当に理解したのは、スキマの一つを覗いてからだった。
 見覚えのある景色の上空にスキマは通じていたが、その下では紫よりも信じ難いことが起こっていた。


 どすこい。どすこい。汗ばんだ掛け声が、薄ら寒い庭に木霊する。
 西行寺の庭に集う力士達が、今も肉団子のような顔で、背の高い西行妖にぶちかましている。
 メタボを知らない心身を包むのは、黄ばんだ色の肉の固まり。
「う、うわあああああああああああああああああああああ!」
「驚くのが遅い」
 紫が魔理沙の首根っこを掴み、顔をスキマから引っ張り出す。もう少し直視していたら、正気を失っていてもおかしくなかった。それだけ異様だったのだ。
「何で、何でだよ。何でなんだよ……」
「何に対する質問かしら」
「全部だよ、全部!」
 西行妖が力士にぶちかまされている状況全てだ。とにかく納得のいく説明を求めても無理は無かった。
「相撲ぐらいは知ってるでしょ。たまにあるのよ、こういうことが」
「たまにあるのか……」
「国技なだけに、流行り廃り、外の世界の情勢やらスキャンダルやら、そういうものに影響されて、時折、思い出したように力士がこっちに湧くのよ」
「蝗みたいだな」
「ああ、そうね、そんな感じ。沢山食べるし」
 天下の相撲取りを蝗扱いして憚らないのもどうかと思うが、紫によれば幻想郷に湧く力士は実在の力士ではないとのことだった。だからこそ逆に、力士としての本質的な力が強いとも言えるらしい。
「だからって、いくら何でもおかしいだろ。西行妖にぶちかまして平気だなんてさ」
「貴方は力士について何もわかってないのね」
 紫は得意げに言って、スキマの中に映像を浮かび上がらせた。
 塩。力士が持つ飛び道具である。場を清めるのはもちろん、力士の腕力によって撒かれたそれは砂嵐さながら。
 四股。その衝撃は湾岸地帯を一瞬にして液状化させるほど。
 突っ張り。突進力、貫通力、打撃力。全てを兼ね備えた最強の攻撃。連続して繰り出すことにより、相手を死地へと一瞬にして追いやる。
 ぶちかまし。力士の力士による力士のための突撃。力士がいればベルリンの壁はあと十年は早く崩れていたと語ったのは、故レーガン元大統領であるとされる。
「これらに加えて、状況に応じて様々な技を繰り出せる彼らは、正に最悪の敵と言って良いわ」
「んじゃどうしろってんだよ!」
 半ば逆ギレに近い形で、魔理沙が詰め寄る。それも無理の無いことだが、紫は悠然と扇子を扇いだ。
「馬鹿ねえ。餅は餅屋。餅屋が蕎麦打っても誰も食べやしないわよ」
「そ、そうか、魔法なら」
「残念。そういう意味じゃないのよ」
「私の魔法を馬鹿にするな」
「んー、やっぱり見てもらった方が早いわね」
 紫はさっき開いたスキマの一つを扇子で指し示す。魔理沙は紫とスキマの間で視線を行き来させたが、最終的にはスキマの中に顔を入れた。
 今度は紅魔館にある大図書館だった。ここには魔法にかけては魔理沙も一目置くパチュリーがいる。さすがにここは大丈夫だろう。そうタカをくくっていたが、現実は非情だった。
 最初に気付いた異変は、匂いだった。いつもは乾燥しているそれが、妙に湿っぽい。それに目がやたらとしばしばする。空気中に塩分が多分に含まれていることがわかったのは、乾いた唇を舐めたときだった。
 本棚が転倒する音に、魔理沙は顔の向きを変えた。
 その方向では青や紫の光が明滅しており、その都度、大きな爆発音が聞こえた。パチュリーが戦っているらしいが、どうにも距離が遠い。
「おい、これもうちょっと動かせないか?」
「はいはい」
 要望通り、パチュリーの姿が確認できる場所まで移動してくれた。こうして楽屋から見ると、パチュリーの舞台は普段の彼女からは想像も付かないぐらい、派手だった。
 精霊魔法の結晶が唸りを上げ、殺到する力士達に極大の魔法力をぶつけていく。見た目には明らかにパチュリーが優勢だったが、魔理沙はじきに違和感を覚えた。
 力士の数が減っていないのだ。倒れた本棚や散らばった本の数々のおかげで一挙に押し寄せたりはしないが、着々とパチュリーのいる場所へと迫っている。
「何であいつら無傷なんだよ」
「傷は負ってるわよ。ただ、魔法的なダメージの大半は削がれてしまっているわ」
「……力士だから、か」
「ようやくわかってきたようね。そう、力士はああ見えても神聖な存在よ。技術や知識によって自然の力を盗んでいる魔法使いより、ずっとね」
「なるほどなあ、って、感心してる場合じゃないぜ。パチュリーを助けないと」
「それは勝つ気があって言っているの?」
「当然だぜ」
「なら賛成できないわ。あの子を逃がすつもりで言っているのなら、いくらでも協力するけど」
 紫の言い方はまるで、パチュリーが大事かそうでないかを、確かめているかのようだった。
 例えそうでも、いやそうだったとしたらなおのこと、答えは簡単だった。
「勝つために私は行くぜ。あいつが逃げるのを助けられて喜ぶとは、私には思えないからな」
「なるほど、明快ね。それじゃ決定的に事態が悪くなる前に行くとしましょうか」
「およっ、手伝ってくれるのか?」
「賛成反対と手伝う手伝わないは別よ。霊夢が出られない以上、貴重な人手を失うわけにはいかないもの」
 霊夢がどう関係するのかは魔理沙にはわからなかったが、最初からその気があったのなら素直に言ってもらいたいものだった。
 それにしても、これが力士相手でなければ少しは盛り上がるのかもしれないが。そんなことを考えてしまう辺り、魔理沙はまだ、力士そのものに納得がいっていなかった。
 とはいえ現状、考えるべきは他にあった。
 いかにして力士に勝つか。それさえわかってしまえば、後はどうとでもなった。しかしながら、座して考えても良い案は出そうになく、そうしている間にもパチュリーが撃退されかねない。
 ここは戦いながら弱点を探るという、出た所勝負をしかけるしか選択肢が無かった。
「おいーっす、飯食ったかー」
 パチュリーの矜持を傷付けない程度の冗談を言いつつ、紫と共にスキマから出る。パチュリーは精霊石による広翼陣を維持したまま、首だけを振り返らせた。
「やっぱり来たわね、火事場泥棒。火事場の馬鹿力ぐらい出してもらえるんでしょうね」
「おう、出すぜ。いつでも出してるけどな」
 紫に目配せをして、フォローを頼んでから、魔理沙はここぞとばかりにマスタースパークを撃ち放った。
 ズブヌオォオオオオ!
 直撃した力士の肉が捻じ曲がり、汗が蒸発していく。音も凄いが臭いも凄い。だが数秒の照射を経ても、突破はならなかった。数十体の力士が気持ち悪い形になっただけだった。
 お返しに塩を撒かれたことで魔理沙も構えを解くに至り、再び戦線は硬直した。
「役に立たないわねえ」
「う、うるさいやい! 私は乙女なんだ、魔法少女なんだ。あんなのの倒し方は知らん」
「それを言ったら、私達全員、そうじゃないのよ」
「いや、お前と紫は……」
 言いかけた途端、恐ろしい殺気を込められた視線が魔理沙に注がれた。まずい、これでは後ろから力士の群れの中に押し込まれかねない。
 魔理沙が色々な危険を感じたのに前後して、力士側にも変化が起こった。彼らの後方の方で紅色が目立つ発光が確認され、それと同時に肉の固まりがゴム鞠よろしく宙を舞った。
「ごっつぁんでーす!」
「ごっつぁんでーす!」
 断末魔らしい叫びが聞こえるが、わりと元気そうに聞こえるのは何故だろう。魔理沙側に押し寄せていた力士達が動揺し、一部の者達が陣形を乱した。
 彼らの注意が散漫になったのを狙って、無数のナイフが降り注ぐ。しかしこれは効果がほとんど無く、力士達は深々と刺さったナイフを気にもしなかった。
「まったく、何て分厚い肉なの? 屠殺用のナイフでも無理なんて」
 咲夜が魔理沙達に合流するや、愚痴を吐く。ここに来るまでに相当苦労したらしく、服には汗が滲んでいていた。
「……もしかしてその汗って」
「そうよ、あいつらの汗よ」
「うはっ、ばっちぃ! ぎっちょバリヤ!」
「もう一回やったら抱き着くわよ?」
「すまん、まじごめん、許して」
「ふん」
 順調に人手は集まっていたが、チームワークといい対力士としての能力といい、この少女達に求めるには酷過ぎた。女性が土俵に上がれないのは男女差別のためではない。女性に危害が及ばないようにするためである。力士とは本来、それだけ凶暴なのである。
 考えてもみるといい。生物として明らかにおかしい食事の量、相撲に特化された稽古は、人間というよりは力士という生物に彼らを作り変えてしまう。例え一線を退いてもその体型は一生変わることが無い。彼らは人間が魔女や妖怪になるのに等しいことを実践していると言って良かった。
「紫ぃ、何か良いアイディア無いのかよ」
「逃げる以外で?」
「もちろん。ここまでやって逃げるのも、なあ?」
 咲夜とパチュリーに目を合わせてみたところ、意見は同じらしかった。パチュリーは静かに暮らしたい。咲夜は清廉。そのどちらも侵害された以上、逃げるわけにはいかなかった。魔理沙はというと、こうして出て来た手前、功らしい功も立てずに帰るのは単純に気に食わなかった。
「んー、霊夢さえいれば簡単なんだけどねえ……」
 さっきも聞いたようなことを言いつつ、紫が頭を捻る。もしやこれは霊夢の後頭部をぞんざいに扱ったことに対する嫌味なのだろうか。そうならそうとはっきり言えと、魔理沙はへそを曲げた。
「霊夢なんかいなくたって問題無いだろ。そうだ、お前と仲が良い萃香を呼んだらどうだ?」
「駄目よ。一緒に騒ぐのがオチだわ。ここの屋敷の妹の方を出して来ないのも、そんな所でしょうよ」
 咲夜が溜息だけで肯定する。
「妖夢は?」
「斬れない物の中に力士がいたことがショックで、幽々子に泣き付いてるわ」
 ああ、そういえば冥界にも出たんだった。あちらの力士は今現在、どいつもこいつも西行妖にぶちかます順番待ちだとかで、一応は沈静化しているらしい。
「期待はしてないが、アリスはどうだ?」
「人形の服が汚れるからって、今し方協力を断られた所」
 永遠亭の連中も似たような回答だったらしい。乙女とか以前に危機意識が絶対的に低い幻想郷の面々である。パチュリーや咲夜、それに向こうの方で暴れているらしいレミリアにしても、紅魔館に力士らが現れなければ無視していたに違いなかろう。
「っていうか、お前自身はどうなんだよ。スキマにポイはできないのか?」
「そりゃできるけど、外の世界とのバランスが崩れるから駄目」
 紫が否定するのに合わせて、咲夜も自分の能力は使えないと答えた。
「あれだけの体積をどうにかしたら、私の頭がどうにかなっちゃうわよ」
 こうして相対しているだけでも頭がおかしくなりそうなだけに、無理強いはできなかった。となると、出来るだけ戦線が広がらないように努めつつ、向かってくる連中を跳ね除けるのに徹するしか無さそうだった。
 魔理沙が再度、魔砲の構えをしたとき、紫が後ろから肩を叩いた。
「まあ待ちなさい。私はまだ逃げる以外の方法を答えてないわよ」
「あるのか!」
「あるにはあるんだけど、乙女を捨ててもらうことになるわよ」
「ま、まさか、そんな、お前……まだ真昼間だぜ……?」
「何をどう勘違いしてるのよ」
 紫は勝手に頬を赤くしている魔理沙に呆れながらも、件の方法とやらを明かした。
「……まじでやるのか?」
「やらなきゃ負け、ってね。まあ、やっても負けた気分になれること請け合いだけれど」
「確かにな」
 言われてみれば力士の最大の弱点を突く方法だったが、それは逆に言えば、弾幕ごっこに本格的な戦闘を組み入れるようなものだった。
「霊夢がいれば、弾幕だけで終わったんだけどねえ」
「あー、わかったわかった、やるよ、やってやるよ。私以外の奴は援護だけしてくれてれば良いからな」
 願ってもない提案に、一同が頷く。話が決まってからは早かった。
 魔理沙が愛用の箒に跨るのを待って、咲夜が残ったナイフを上空から一斉に力士の集団へ投げ付けた。頭を狙ったそれらをかわさぬわけにはいかず、力士達の体勢が崩れる。そこをパチュリーが極大魔法の連続によって突き、動揺を全体へと波及させる。レミリアもこちらの動きに気付いたらしく、後方を撹乱する手を強めた。
 魔理沙の進路上から力士達が退いた瞬間、彼女は真っ直ぐ、箒ごと突撃した。半ば箒に抱き着くような格好なのは、衝突を少しでも避けるためである。
 箒の後ろからは魔法によって作り出された星達が流れ出、力士達の足下に転がって行く。
 魔理沙本人はといえば、頬やら肩やらを肉の固まりに掠め、ときに跳ね返りつつ、進路を維持し、目出度くレミリアが空けた空白地帯に抜けたのだった。
 もうそのままぶっ倒れたい気分だったが、その前にやることがあった。それは、指を鳴らすことだった。
 パチンという音と共に、床一面に転がった星が燃え上がる。それは力士達のまわしに燃え移り、彼らは大狂乱に陥った。
「どすこーい!」
「どすこーい!」
 所構わず力士同士が押し合い、へし合い、折り重なり、何とかしてまわしの火を消そうとする。だが脂汗をたっぷり吸ったまわしはよく燃えており、一向に火は消えそうになかった。
「醜い光景だわ。フランに見せなくて正解ね」
 レミリアが呟くのも当然である。肉と汗と熱気。それらがその光景の全てを表していた。
 まわしが燃え尽きるのと同時に、力士達が股間を隠しながら消えていく。そうはならなかった者達も、力士同士の衝突によって力尽き、巨体を床に転がしていた。
 この大図書館での勝負の後、徐々に他の場所の力士達も沈静化していったという。
 紫が記す所の、第三十三次角界の乱の終焉であった。


「だからあ、霊夢さえいれば、力士達を東軍と西軍に分けさせられたのよ。巫女の取り仕切りは、力士にも通じるってわけ」
 けらけらと笑いながら、酒で上機嫌の紫が種を明かす。既に同じことを五回は言っているが、どうも魔理沙に対する嫌味らしく、一向に止める気配が無い。当の霊夢は記憶がすっぽり抜け落ちていたため、何のことやらと酒を呷っていた。
 場所は神社の庭、肴はちゃんこ鍋。鍋は図書館以外の力士達が消える直前、我に返った際に作ったものだとかで、今や幻想郷には汗の臭いではなくちゃんこ鍋の香りが充満していた。これは毎回のことらしく、紫が本気で退治にかからなかった理由にはこれも含まれていたようだった。
 役に立たなかった連中も今頃は相伴に与っていることを想像すると、魔理沙には少し、腹立たしいものがあった。
「大体だな、国技の癖に中途半端にしか相撲を見ていない連中が多いからこんなことになるんだ」
「ま、そんなもんよ。ブラジルにだってサッカーが嫌いな人はいるし、スペインにだって闘牛を殺すのは可哀想に思う人はいるものよ」
「あー、牛か。牛ならいくらでも倒してやるぜ」
「全部、狂牛病だったりして」
「勘弁してくれ」
 魔理沙の溜息に、紫が口元を扇子で隠す。
 幻想郷が現在の形になって、既に一世紀。これからも外の世界でも何事か起こるだろうし、また今回のように力士が来ることもあるだろう。
 ともあれ、役に立たない奴もいるが、霊夢以外にも役に立つ奴がいることがわかった。それだけで紫には、今回の件は満足がいく結果だった。
 鍋の中身が尽きて皆が眠る頃、紫は一人、静かにスキマの中に隠れたのだった。