問答無用

 人生に遅すぎるということはないが、それは人のすることが概して手遅れだからでもある。そのために人は常に最善を尽くそうとするわけだが、それすらも手遅れであることに変わりは無い。過去を顧みる限りにおいては。

 かくして、十六夜咲夜は過去を顧みていた。といっても、人に言えないような思春期の苦悩があったわけでもなく、五歳までママのおっぱいを吸っていたというわけでもなく、そんなに昔のことを思い出す気も無かった。精々、ここ一ヵ月程度のことだ。激震に近い揺れが紅魔館を襲うようになったのはその頃からだった。
 昼食後に片付けていた食器のことごとくがメイドの手から滑り落ち、今日こそは桂剥きを達成するぞと意気込んでいたコック見習いの夢は頓挫した。
 夜勤明けに後輩からくすねたグラビアを読みながらトイレに篭っていたメイドは便器に尻を挟み、憧れの先輩のベッドを整えていた者は揺れに驚きながらも、ちゃっかり布団に潜り込んだ。
 窓拭きをしていた某は窓枠ごと下に落ち、風呂掃除をしていたドジっ子は地震と全く関係無く石鹸に足を滑らせて後頭部を強打。鶏小屋の雌鶏は卵を割り、その傍で血を抜かれようとしていた雄鶏が卵を産んだ。
 図書館はもっと悲惨で、ドミノよろしく倒れ始めた棚を押さえようとしたら落ちた本に潰された。一方でこんなものと踏ん張れた者も反対側から倒れてきた棚にやられてしまい、賢明にも上空に逃れた大多数の司書は職務怠慢と罵られ、主の魔法に焼かれた。それが延焼を起こし、煙に巻かれながら死ぬ前に母さんの焼いたアジの干物が食べたかったと倒れ込む者までいた。
 このような驚天動地の大博覧会だったが、真に驚くべきは、誰も死ななかったことだろう。その確認と事後処理が終わった後、今後の地震対策が講じられた。
 問題は、伊達や酔狂で住んでいるような輩が大半である館内において、対策の立てようが無いことだった。
 お互いがお互いの我を通そうとするばかりで対策会議はいっこうに進展せず、終いにはどうして地震なんてあるんだこの野郎めと言い出す始末だった。
 こうなっては会議自体を収拾することが困難であり、それを成し遂げた咲夜は正にメイド長の鑑。そのキャッチコピーは『メイドに地震は似合わない』であった。
 では、何が似合うのか。前向きな自己探求を促す実践的啓蒙主義に彩られた言葉は地震の恐怖からメイド達を救い出し、翌日には何事も無かったかのように鼻クソをほじるアホまでいた。
 一週間後にまた似たような地震があったが、誰も気にせずに終わった。
 そのまた一週間後にも地震はあった。
 そして更に一週間後の今日。地震は無かったのだが、今度は館が水没の危機に瀕していた。近くの湖の水かさが増し、門の所まで迫ってきていたのだ。門番隊などは地に足をつけてはいられなくなり、この親不幸者と説教まで食らった。理不尽なのには慣れていた。
 いよいよ事態を重く見た咲夜は、湖の異変を真っ先に勘付いていただろう門番隊の長である紅美鈴に出頭命令を出した。ドアから美鈴の頭が入ってくると、挨拶代わりにナイフを飛ばす。それは見事に美鈴の額を貫いた。
 景気をつけたところで、咲夜は本格的な調査に乗り出した。今回の事件は近場なため、いつもより気楽ではあったが、彼女は後に心痛さを伴ってこの事件について語らなければならなくなる。
 それにしても、この時点ではとにかく気楽だった。梅雨入りまで間がある所為か、天気は良好。雲は梳かれたばかりの髪を思わせたし、木々の緑は山を登るかのようだった。
 反面、水辺のどこもが普段より高い所まで裾を水に浸けていた。湖の近辺を勝手に縄張りとしている氷精のチルノだけは呑気に昼寝と洒落込んでいて、咲夜は昼寝の邪魔をしがてら聞き込むことにした。
 それにしても、氷精というのは奇妙な生き物だ。しかし、目を開けて寝るのは奇妙過ぎるというもの。眼前でナイフをちらつかせても反応は無く、どうやら気絶しているようだった。
 チルノは湖に足を向け、仰向けに倒れており、足の下の近くから湖にかけて、土が抉れていた。さては魔理沙にでもと思いはしたが、いかんせん、けれん味が足りていないように思える。彼女ならチルノごと地面を吹き飛ばすぐらいがちょうど良い。
 その場にチルノを捨て置いて、思い出しついでに魔理沙の住居がある森へと向かった。家の前に立つと、ここらには季節感が欠けていることに気付き、うんざりした。このような所によく住めるものだと感心するが、彼女には彼女なりの言い分もあろう。
 玄関の前から声をかけてみたが、また悪さでも企んでいるのか、返事は無かった。あるいは、夜中に悪さを考え過ぎて寝ているのか。なんにせよ、悪さをすることに変わりは無かった。
 罠の類に警戒しながらドアを開けて中を進んだが、廊下にまで溢れた本や骨董品は、罠を仕掛けるまでもなく罠然としていた。要は余計なものに触らなければ良いだけの話だ。
 皿の割れる音がしたので、台所と思しき部屋に入った。思しき、というのも、これまた散らかっていたからで、どこに皿がしまってあるのかすらわからない。
 奥まですすむと、割った皿を見下ろしている魔理沙とかち合った。
「片付けないの?」
 気さくに声をかけてみたが、じろりと睨むだけで返事が無い。じきに、面倒だと言ってフライパンごとテーブルに置き、食事を始めてしまった。
 仕方が無いので魔理沙の代わりに割れた皿を片付ていると、ようやく彼女が喋った。もう食べ終わったのかと振り返ったが、布巾を首にかけただけの状態だった。
「何しに来たのかは見当がつくが、教えられることは何も無いぜ」
「そうみたいね」
 食事も満足に取れないというのでは、話にならない。彼女の魔法でも、弾幕ごっこの腕でも、そしてそれを行うだけの根性があってもどうしようもないものを見たらしかった。
 少し頭を捻ってから時間を止め、見つけた野菜を使って手早くスープを作ると、鍋ごとテーブルに出した。
「食べなさいよ。三食分ぐらい作っておいたから」
「勝手に食材を使うな」
「そうね、悪かったわ」
 時間を使うだけ無駄のようだったから、咲夜は台所から廊下に出た。すると、低い唸り声がして、それが止んだ後に言葉があった。
「住む所が無くなったら、泊りに来て良いからな」
 ここにきて初めて、咲夜は薄気味の悪さを覚えた。

 館に帰ると、真っ先に図書館へと向かった。思い当たることがあり、それをパチュリーに確かめるためだった。
 地震のおかげで探していた本が棚の奥から見つかったとかで、パチュリーはいつにも増して熱心そうだった。邪魔をする代わりに二葉切りの茶葉で紅茶をいれて彼女に差し出すと、二十時間ぶりの休憩だわと顔を上げた。
「よく死にませんね」
「死んでほしい?」
「ここ以外でなら構わないと思いますよ」
「ここ以外で死ぬつもりは無いわ」
 そんないつのことだか知れないことはどうでも良かったから、本題に入った。
「地震といえば」
「ナマズ……みたいね」
「みたい、と言いますと?」
「場所によるのよ。ある所では地震は龍の仕業だし、ある所では地下深い迷宮の化け物の仕業。山の向こうの巨人が寝返りをしたから、なんてのもあるわ」
「何でもありなんですね」
「それだけ地震が恐ろしいってことね。とりあえずでもいいから、理由がほしいのよ」
 確かめるだけ意味が無い。咲夜が居心地の悪さを覚えて髪の毛を気にしていると、紅茶を飲み終えたパチュリーがひとりごちるように呟いた。
「何でもありなのが一人いるわね」
 咲夜は紅茶も片付けずに、図書館を出た。

 過去を顧みても、何でもありなのは一人しか知らなかった。それが許されているのもまた、一人しかいない。
 それが気に食わないから、いつもちょっかいを出した。他の者が人間風情がどうしてという目で見ていたときも、メイド長になってからも、あれは気楽だった。地震があっても良い。雄鶏が卵を産んでも良い。人間が紅魔館にいても良い。本当に何でもありだ。
「美鈴!」
 先刻にナイフを投げた現場に、美鈴はいなかった。丁寧に汚れを拭き取ったナイフが置かれているだけだった。
 それを拾い上げると、刀身に自分の眼が映った。どうして自分はこんなに必死な顔をしているのか。
 問うが早いか、揺れがあった。それはこれまでのように激しい揺れではなかったが、二度、三度と連続して起こった。数分が経っても断続的に揺れが続き、止む気配が無い。
 次第に慣れてくると、揺れが起きる寸前に何かがぶつかるような音がしていることに気付く。
 門の辺りからだ。
 今いた場所の近くで見つけた部下に適当な指示を出し終えると、時間を止めて一気に門へと向かった。
 玄関ホールの辺りで時間の流れを元に戻すと、とても地面に立っていられないような揺れになっていた。しっかりと固定してあるはずのシャンデリアも、今に落ちてきそうだ。
 その場に集まってきたメイドを後方に控えさせ、有志を募って門の両側に立たせた。後は合図一つで門が外に向かって開く。
 揺れには一定の周期があり、それを読み取った咲夜の号令と共に門が開いた。いや、ぶち破られた。門は半ばまで開いた所で一気に押し返され、内側に返った。
 左右合わせて幅二十メートルもある門が無茶な開き方をした所為で、開ける役を担った二名は壁に叩き付けられた。生憎と咲夜には構っていられる余裕が無く、後方の者達に任せるしかなかった。
 四角く切り取られた空間一杯に顔を出したのは、予想通りナマズだった。いや、龍であった。いやいや化け物、なんの巨人。
 具体的に書くならば、ナマズの顔があり、ヒゲの部分が腕。立派な鱗が付いた胴は遥か先まであり、この様子だと翼すらあっても驚くに値しない。
 あえて命名するならば『生ZOO』といったところか。
 それが門前の水を跳ね飛ばしながらのたうつ姿は正に何でもありで、こんなものが湖にいれば、それだけで水かさが増えてもおかしくない。地震もこいつが湖底に当たったりした余波だろう。
 あまりの事態で逆に冷静になっていた咲夜は、間合いをあけつつ、どうして今になってここまで暴れ出したのかと考えた。
 なかなかに愛嬌のある厚ぼったい目回りには無数の傷があり、がむしゃらに当たり散らしていることがわかった。水かきのついた手は暴れるているというより、もがいているように見える。
 咲夜は今一度、あの名前を叫んだ。
「美鈴!」
「はーい、美鈴でございまーす!」
 がばちょと開いた生ZOOの口内に、美鈴が収まっていた。両手で上顎、両足で下顎を押し開き、何が楽しいのか腰まで振っている。その異様さに倒れる者も相次いだ。
「相変わらず、何でもありね」
「昔、私の地元で流行った胡爬屡波(ウーパールーパー)の卵が棚から見つかりまして」
「アーパーだかなんだか知らないけど、そんなもの孵すんじゃないわよ」
「いやあ、つい懐かしくって」
「ああ、そう」
 それじゃ仕方無いわね、と咲夜が笑う。その手にピカピカのナイフが握られているのを見て、美鈴も笑うしかなかった。

  のさばるネタキャラなんとする
  神主の裁きは待ってはおれぬ
  巫女の機嫌もあてにはならぬ
  紅に裁いて仕置する――

「ちょっと、さーちゃん、今は洒落にならないって!」
「――南無阿弥陀仏」
 光が尾を引く程の速さで投げられたナイフが、美鈴の額に突き刺さる。それでもなおナイフの勢いは衰えず、美鈴の体ごと生ZOOの細長い胴体を通り抜けて行った。さながら、ストッキングに足を通すがごとくである。
 生ZOOはあまりのことに体は跳ね上がり、激痛のままに背中を反らす。そして湖の中心近くでほぼ垂直となり、そのまま反対側に倒れた。
「休職爆裂疾走……腹の中で思い出に浸り続けるが良いわ」
 こうして、生ZOOと美鈴、それにチルノの断末魔が湖面に響き渡ったのである。


 レミリアが起きてくる夕方までには事後処理が完了する必要があった。時間が足りなかったために生ZOOの解体から美鈴の発見まで咲夜がしなければならなかったのは、彼女にとって計算外だった。
 美鈴を宿舎の部屋に放り込み、生臭い体を洗い、起床まで三分という際どさで準備が整った。
 レミリアは騒ぎについて何も口にしなかったが、自分にとっての朝食を取り終えて紅茶を飲んでいると、思い出したように口を開いた。
「昼間は騒がしかったみたいね」
「起きてらしたんですか」
「そりゃあ、ねえ?」
 後ろに控えていた年配のメイド達にも聞こえるように言う。レミリアの食事に付き添えるのは、咲夜以外では古くからの者だけだった。咲夜に睨まれなければ彼女らは誰からともなく失笑していたことだろう。そこにレミリアが追い討ちをかける。
「さーちゃんなんて、いつ以来かしらね」
「お嬢様まで」
「かれこれ七年も前になりますか」
「ワタクシもそのように記憶しております」
「私もです」
 咲夜は口を揃えるメイド達から目を逸らし、レミリアの紅茶を足した。その様子を、レミリアが余裕あり気な視線で舐める。
「十年経てば笑い話よ」
「まだ経ってません」
「今回の件でまた十年を要すのではありませんか」
「ワタクシもそう思います」
「私もです」
 未来はいつだって気楽なのに、過去というのはなんて気が重いのだろう。それを少しでも軽くできそうな相手の見舞いには十年もかからないのが、せめてもの救いだった。