わけわかめ

 肝心なときに肝心なことを思い出す。よくあることなんだけど、あたいは自分の迂闊さに反吐が出そうさ。
 やばい、本当に出そうだ。もしそんな醜態を三途の川の利用客にでも見られようものなら、アラヤダ、あの人ったら船酔いしてるじゃない、イヤねぇ、あんなのにだけは世話になりたくないわねぇ、と思われてしまう。
 まぁ、思われたら思われただけ仕事が他に回るんだから良いんだけど、あたいにだってプライドぐらいはある。曲がりなりにも『渡し』が船酔いをしているなんて思われるのは腹が立つじゃないのさ。
 というわけで、あたいは川縁で横になることにした。石が多くて寝心地がちょいと悪いが、これなら反吐は出ない。サボれる上に反吐も出ない案をぱっと思い付くとは、我ながら頭が良い。
 いや、サボるってのは人聞きが悪いな。これは休憩だ。病気療養だ。労働者の権利だ。もち、あたいみたいな妖怪は労働者とは言わないんだろうけど、どんな仕事にだって自覚は必要だ。人から言われる前に自分から率先して労働者としての意識を養おうとするんだから、立派じゃないかしら。
 あー、こうして横になっていると悩みなんてものはどこかに行ってしまうもんだね。
 悩んだ挙句に首を括った馬鹿も客に来る。そういうのを見てると、悩むのは馬鹿らしいと思うよ。それでも馬鹿は毎日のように来る。
 もういっそ、馬鹿なんだから逆立ちしてカバにでもなれば良い。そうすればあたいの手を煩わせずに川が渡れる。渡り切れるかどうかは保証できないけど。
 そういえば最近、逆立ちしてないな。たまには童心に帰ってみるのも、気分転換にはちょうど良いかも。
 よっこーら、せっ。
「わはははは! 川が逆さに見える!」
 当たり前な上にくだらないが、これが意外と面白い。笑うのは健康にも良い。うちの姐さんもこういう景色を楽しめる余裕ってものが欲しいやね。
 ちっこいなりにちっこい体をちんまりと逆立ちさせるなんて、犯罪じゃないかしら。
 これは逆立ちしても敵わない。
 一人でオチを付けて更に笑っていると、両足を誰かに後ろから掴まれた。
「どなたさん?」
「閻魔様です」
「その名を騙るとは太い奴!」
「太いのは貴方の腿です」
 言いながら、ぐにぐにとあたいの腿を揉む。くすぐったくて敵わない。敵わないといえば姐さんだ。
「本当に映姫様ですか」
「ああ、小町はちゃんと様を付けてくれるのですね。なのにどうして、こんな人の目がある場所で下半身を丸出しにして逆立ちができるのでしょう。全く、不思議ですね」
「この世に不思議なことなど何も無い!」
「その通り。ですから、貴方は少し、頭を冷やしなさい」
 子供に言い聞かせるように言ってから、映姫様はそっとあたいの足から手を放した……微妙に前方へと傾かせた状態で。
 倒れそうになれば手を出したくなるもので、私は段々と川へと近付いて行く。それでもなんとか手を突っ撥ねたところで、ぱあんという小気味の良い音が鳴り響いた。
 それは、映姫様が持っていた笏(しゃく)であたいのケツを叩いた音だった。
「また、つまらぬものを裁いてしまいました」
 その声を最後に、あたいは川の中へ頭から突っ込んだのだった。


 あたいが仲間に助けられたのは、たっぷり三分も見世物にされた後のことだ。酷い話だと思わないかい。助けられたら助けられたで、犬神家がどうだの相変わらずケツがでかいだの言われる始末さ。
 構ってちゃんだなぁ、本当に。あたいも言い返してやろう。
「ケツがでかいんじゃない、骨盤が広いんだ!」
「その割には落ち着きが無いわよね」
「無い無い。全然無い。無いから、あたいは風と共に去らせてもらうよ」
「あっ、こら!」
 さらば、あたいに名を忘れられた同僚よ。
 別に姐さんのお叱りが効かなかったわけじゃないけど、それとは別に思い出したことがある。
 あたいはこれから、約束があるんだ。約束を破ることなど、姐さんが許すわけがない。つまりこれは、姐さん公認の約束だ。
 これは正当化じゃない。あたいは悩みに悩んだ末、約束だけは守る決意をした次第だ。最初はできない約束なんてするものじゃないと思っていたぐらいだから、大いなる進歩だと言える。
 で、その約束というのが、命がけの代物だったりする。どうしてそんな約束をしたかというと色々と事情があるんだけど、説明しておこうか。

 日付なんて覚えてやしないが、大体、一週間ぐらい前のことだ。その日は同好会の集まりだった。
 あたいだってサボるだけじゃ進歩が無いことぐらいは自覚している。だからまぁ、冥界のちびっ子の誘いで、あたいも同好会とやらに参加してみることにした。何事も人との会話があってこそ進歩もあるというものじゃないか。
 その同好会というのが、『刃物同好会』。参加メンバーは件のちびっ子に変なメイドだけ。それぐらいの方が気軽ってもんさ。
 同好会の主旨は『刃物について愚痴やら自慢やらを延々と語り合う』という、実に社会人らしいものだ。
 例えば、――
『いやぁ、咲夜殿は実に羨ましい。弾幕ごっこでもあんなにナイフを投げさせてもらえる』
『おかげで四十肩になりそうで困ってるのよ。あなたみたいにここぞというときに使うのが、一番効率が良いわ』
『でも、やったらやったで怒られるんですよ。開幕一番であんなの避けられるか! って』
 とまぁ、こんな具合。あたいは専ら、話を聞きながら茶化してるね。これだって重要な役だと思うよ。それぞれが好き勝手に話してばかりじゃ、盛り上がりに欠けるじゃないか。
 なのにあのちびっ子と来たら、誘ったのは自分のくせして、先日とうとう、ぶち切れた。
『貴方には刃物に対するこだわりが無いのか!』
『無いね』
 まぁ、悪かったと思っているよ。もう少し言い方ってものがあったと思う。ましてや相手はあのちびっ子だ。メイドは茶でも飲んで落ち着けと言ってくれたが、あまり効果は無く、気付いたら自分だけ仕事を理由に逃げやがった。
『こうなれば、刃物の素晴らしさをその身に刻んでくれようぞ!』
 当然、あたいはよろしいと答えた。放っておいても斬って回るような相手だから、大した問題でもないとタカを括っていた。
 あたいだって、刃物を使って何年だ、弾幕ごっこじゃなかろうと、何とでもなる。そう思っていたとき、例の肝心なことを思い出した。

 わかめだ。

 あまりにも唐突に思い出したものだから、自分でも訳がわからなかった。とりあえずわかめという単語を思い出し、段々と具体的なことを背中に冷たい汗を噴きながら思い出していった。
 そもそも、あたいはいつから、こんな妙にウネウネとした刀身の大鎌を愛用しているのか。死神としての格好を付けるためだけに持つほど、あたいもアホじゃない。きちんと理由があってのことだ。
 まだ仕事を始めたばかりの頃、あたいは、ひたむきさを残した美少女だった。今も美少女のつもりだけど、ひたむきさは無い。
 えんやこらどっこいせと、日々、水底に棒を突き立てていたのだから、正にひたむきだった。
 そのひたむきさを台無しにしたのが、わかめだった。
 どこをどう流れて来たのかは今となってはわからないが、おや、何やら棒の先が重いぞと思って水底から持ち上げてみると、わかめがくっついていた。
 このわかめ、三途の川なんぞに流れていたぐらいだから相当に業が深かったらしく、ここぞとばかりにあたいの棒に取り付いて離れなくなった。
 とはいえ、わかめはわかめだ。まさか『わかめに憑かれてしまった』などと人に相談できるわけもない。
 で、気付いたら乾燥わかめになっていた。
 これがまた丈夫で、一振りで面倒臭い互助会の雑草刈りが終わるようになった。ここいらで草刈りのこまっちゃんといえば、あたいのことだ。
 気を良くしたあたいは、わかめのことなんてすっかり忘れ、鎌として使うようになった。そして現在に至っているわけだ。
 とはいえ、繰り返すようだが、わかめはわかめだ。
 刀と斬り結ぼうものなら、どうなるかわかったものじゃない。しかも、ちびっ子の刀は二つとも業物も業物、斬れないはずの物すら斬ってしまいかねない。
 こうなれば、一撃で仕留めるのみ。あたいとわかめの名誉を守るためには、それ以外に手段が無い。
 幸い、あたいにとって間合いは自由自在。隙さえ突けば、びしっとキメられる。むふふ、ここは一つ、ちびっ子の進歩のために痛い目に遭ってもらおうではないか。

 意気揚々と決戦の場、博麗神社に乗り込んだあたいを出迎えたのは、縁側に置かれた、温かい緑茶だった。来るとも言っていないのに、殊勝なこころがけだ。
 ぐびぐびとご相伴に与っているあたいを見つけて、巫女が怒鳴り散らしてきたのには肝が冷えたが、その巫女も肝を冷やした様子だった。
 見ると、あたいの持っていた湯飲みの真ん中から下が斬り落とされていた。視線を移した先では、妖夢が太刀を振り抜いていた。
「な、何をしてくれてんのよ!」
「霊夢は黙れ。これは私と小町殿の勝負……」
「それは私の湯飲みなの!」
 ごもっとも。まだ半分以上残ってたのに。
「さあ、小町殿、いざ勝負」
「人の話を聞きなさいよ」
「ええい、後で弁償する。本阿弥の折紙付だ、それで文句無かろう」
「そんなの、勿体無さ過ぎて飲めないじゃない」
 ちびっ子が巫女の相手をしている隙に、あたいは十分な間合いを取る。最速でわかめ……もとい鎌を振り切れる位置だ。
 あたいはちびっ子には構わず、早速、斬りかかった。
 勝負は勝負という言葉を口にした瞬間から始まっているのだ。
 これはという手応えが、鎌を振り始めたときには感じられた。しかし、それは受け止められてしまった。
 ちびっ子は全く動いていない。
 動いたのは巫女だった。片手には札が構えられ、それがあたいの鎌とかち合っていた。
「もう、本当に勿体無い。こんなことで札を使わせるなんて」
 この巫女、普段はやる気が無いくせに、ここぞという場面で邪魔をしてくれた。我に帰ったちびっ子は、己の未熟さを悟りつつも間合いを離してしまった。
 あたいも巫女から離れたが、巫女はあたいとちびっ子の間に立ち塞がっていた。
「私の前で殺し合いをしようなんて、あんた達、その意味をわかってるの?」
 あたいとちびっ子は答えなかった。答えてどうなるものでもないことは、お互いによくわかっていた。
 巫女はじきに呆れてしまったようで、縁側に腰を下ろした。
「私、知ってるのよ? 知ったのはたった今だけど」
 その言葉にちびっ子は首を傾げただけだったが、あたいはまじまじと巫女の顔を見た。巫女もあたいを見ていた。
「その鎌って、わ……」
「わー! わあああああああああああ!」
 慌てたあたいを見て、巫女がほくそ笑む。こいつ、本当に性質が悪い。
 一方、仲間外れのちびっ子は納得がいかない様子で、やおら太刀を納めた。
「あら、お終い?」
「お終いなのは殺し合いだ。このような輩、楼観剣よりも白楼剣こそ相応しい」
 言って、もう片方の太刀を引き抜く。あたいにはどう違いがあるのかわからなかったが、巫女は顔全体が歪むほどの醜悪な笑顔を浮かべた。
「そうそう、やっぱりそうでなくちゃ駄目よ」
「では、改めて……参る!」
 ちびっ子が一足で間合いを詰めた。あたいは咄嗟に鎌を合わせ、刃と刃が激突する。
「よくぞ、その長物で反応した」
「あたいだって伊達に鎌を持ってるわけじゃないさ」
 そうだ、こいつは鎌だ。あたいが長年連れ添った、愛用の得物だ。
 出会いは偶然だったけど、こいつがいたからあたいがいる。今ではそう思えた。
 そう思えたのだが、じきに刃と刃の間から変な煙が出始めた。煙はどんどんと吹き出て、ちびっ子も堪らず飛び退いた。
「貴様、得物に毒を仕込むとは!」
 知らん知らん。あたいは何も知らん。巫女だけは訳知り顔で眺めていて、あたいは形振り構わず問い質した。
「ど、どういうことさ、これは」
「憑き物が落ちるのよ」
 煙が晴れる。
 棒の先にあったのは、ただのわかめだった。


 その後、あたいはちびっ子と一緒に遅くまで酒を酌み交わした。肴はわかめとぬたの和え物。わかめは、あたいの鎌だった物だ。調理はメイドがやってくれ、同好会はいつに無く一つになっていた。
「うう……あたいの鎌が、わかめが……」
「明日一番で、刀匠に当たってみましょう」
 ちびっ子は実に大人だった。巫女には茶器を一式贈呈する約束をし、あたいの鎌は自分との勝負で使い物にならなくなってしまったという噂を流すように言付けた。メイドも協力してくれるらしい。
「貴方は確かに刃物を愛していた。それだけで私は十分です」
 危うくこのちびっ子を愛しまいそうなぐらい、立派なことを言う。
 ああ、和え物も美味いなぁ、こんちくしょう。
「ようし、今日はちびっ子の言う通りにしてやるさ! 何でも言ってみ!」
「そ、それは、しかし……」
 横目でメイドを見ると、彼女は言ってみれば良いじゃないと微笑んだ。ちびっ子は照れ臭そうに酒を呷って、たどたどしく口を開いた。
「あ、あのですね。わかめで思い出したんですが」
「ほう」
「ゆゆゆ、幽々子様がですね、たまに変なことを仰るんですよ。わかめで」
 珍妙な主だ。あたいも人のことは言えないが。
「それって、わかめの味噌汁が飲みたいとかじゃなくって?」
 メイドがもっともな質問をしたが、ちびっ子はぷるぷると首を振った。
「その、なんて言うんでしょうね。何やら酒といえばわかめよね、とか仰るんですよ。酒にわかめが合うのかと問い質しますと、笑われてしまうんです。それで、一体全体どういうことなのか、教えていただきたくて……」
「ほほう。殊勝な心がけだ」
 そうは思わんかね、とメイドを見遣ると、顔が引き攣っていた。あたいの傍に寄り、耳打ちをし始める。
「まさか本気で教えるつもりじゃないでしょうね」
「大人の階段を上るのはシンデレラストーリーの定番じゃないかい」
「それシンデレラ違う! っていうか、もう十二時過ぎてる!」
 ちびっ子は首を傾げつつ、死んでら? とか呟く。ああ、なんてアジアの純心。
「ようし、お姐さん頑張っちゃうぞー!」
「ちょっと、止めなさいって!」
 制止を聞かず、御銚子を引っ掴む。するとメイドはあたいの腕を掴み、片手にはナイフを構えて凄んだ。
「本当にやったら、剃るわよ……!」
「……変態だ」
「変態はそっちよ!」
 こんな具合で、夜はどんどんと深けていった。なお、メイドは有言実行の徒であったらしく、一日で二つもわかめを失った私は、朝帰りを姐さんに見つけられ、あたいはまた川に叩き込まれた。

 川から上がったとき、あたいの体にはわかめが巻き付いていた。