第九話「メディア媒体」

 人生なんてのは、という言い方はあまり好きじゃないけど、自分の思ったことと距離を保つには勝手が良かった。自分は大概にろくなことを考えていないし、それらを馬鹿なと突き放すのも、心酔するのも、どちらも性に合わないから。
 ――人生なんてのは、劇みたいなものだ。よく、バンドのプロモーションフィルムなどで何気ない日常が早送りで映像として使われ、そのバックに音楽が流れていることがあるけれど、ちょうどあんな感じ。
 音楽は、自分にとっては一番身近で、それでいて時間を実感させてくれるものだと思う。小説や映画ではどうもしっくりしない。物語です、と堂々と銘打たれては、適わないからだ。
 今ここでバックにあれが流れたら楽しいだろうに。悲しいだろうに。嬉しいだろうに。そう考えるのは自分がロマンチストであるわけではなくて、多分、なんらかの後押しが無いと、楽しくも悲しくも嬉しくも、なんとも思えないからなのだろう。
 今現在、この状況ではどんな曲が合うだろう。そんなことを考え始めたら、気づけばうんうんと頷きながら、柄にも無く自分を見つめ直していた。
「寝るな! 顔を上げろ! 目をこすれ! そして耳を立てろ!」
 母国にいた頃に終えた兵役時代の上官であった軍曹のような台詞が、目の前の人間から飛び出す。あの頃は手も飛び出していたから、それに比べたら楽なものだ。昔からこんなふうに物事を考える人間であったから、軍曹には女扱いされるどころかケツを蹴り上げられたものだ。なんてことを考えている間、ノイズが増え続けた。そろそろ真面目にならねば、相手のアンプが飛びかねない。
「で、何の話?」
「これをどうするかという話だ!」
「これ」という割には、目が泳いでいる。つまるところ「これ」を含んだ諸々をどうするかということだろう。
 我ながらよく思うことだが、自分が置かれている状況というのは、ソロモンやシエルといった傑出した面々(もはや人間の範疇で語る気も起きない)がいてこそ存在しうる、もしくは遭遇できるものであって、自分なんてのは後片付けの役目を――本意だったか不本意だったかは別として――引き受けるようになったから、たまたま直に対面できるのだろう。
 私などの代わりはいくらでもいて、例えば極端な話、私の名前が突然変わったり、実は存在していた別人格に取って代わられたりしても、事態の進行にはなんら影響しないに違いない。「だろう」と思った次の段には既に「違いない」と思うのだから、「違いない」の「だろう」。
 ……さても、時間に対しては今したようなレトリックは通用しない。また、時間の経過の一地点の結果として存在している状況に対しては、駄々をこねるだけ時間の無駄だ。私は「これ」と言われたものを素直に直視し、一応はここの責任者らしいスローンとかいうおっさんに回答を述べることにした。
「辞表を書こうにも、私には書く相手がいません」
「そうだ、そうだったな、君はあくまで外部の人間だからな。私が聞きたいのは、その外部の人間がどのように責任を取るのかということだよ」
「責任ですか」
 一言目の時点でその単語は頭にちらついていたのだが、改めて言及されると、呆気に取られた。少なくとも自分は珍しくよくやった方だと自負していたから、余計に。私などはまだ良いかもしれない。
 長年、組織だって活動してきて、その中で育んだ友情や愛情といったものの対象を失うことになった隊員だっているし、もっと切実なのは、情のような一時的な損失に留まらず、手足や内臓の一部を失ってなお生き続けなければならない隊員だ。少なくとも彼らは第一戦で活躍する機会を永久に失ったし、これまでのキャリアを生かして教官や閑職に収まれる者は一握りで、大多数のものは保険金や生活保障をあてにしながらも不本意な転職を強いられる。
「私、いや私らが責任を取ったって、大したことはできません。それならば、辞表が受理される間は繋がっているあなたの首を使って、関係者各位の今後に善処するよう働きかけたらどうです?」
 自分では慇懃無礼の域に達しているつもりではあったが、その効果は無かったらしい。その程度の建前上の礼節は最低限のものと受け取る相手のようだった。もっとも、それなりに明るい人生設計の修正案については反論する余地も無かったらしく、私がいる急ごしらえの医務室からスローンは出ていった。それと同時に、室内に詰めこまれていた隊員たち二〇名ほどが、無事な手足を使って私に賛辞の意を伝えた。このときばかりは、痛々しさが何故か暖かく感じられたのだった。
「それじゃ、皆さんお元気で。再就職のツテでご相談があれば受け賜りますから、こちらにお電話を」
 そういって、ポケットの中に無造作に詰めこんであった名刺の束を宙にばら撒いて、それを紙ふぶき代わりに私は退場した。それは照れくささゆえの多少突っぱねた去り際の演出だったのだが、後日、普段は事務役を引き受けているシエルが電話の処理に追われる事態になったのだった。


「どうだ?」
「……悪くはないな」
 供されたコーヒーの一口目が終わるのを待ちきれずに味を問うたのだが、帰ってきた返事は満足に値するものではなかった。しかしながら、この男が果たして満足することなどあるのだろうかという長年に渡る猜疑心も同時にあったから、ヘイグは相応の満足をした。
 ここは支局がある通りから北に三つ数えた通りの一角にあるカフェだった。カフェといっても規格品のアイボリーホワイトを基調としたテーブルやカウンターが整然と置かれた、格式などとは無縁の場所ではある。あるのだが、ここのマスターには他の店と同じ豆を仕入れつつ全く違う味を模索するという中途半端なのだか殊勝なのだかわからないこだわりがあって、肥えた舌に合うレベルのものが偶発的にメニューに登場したことなどには貢献していた。
「量は質を兼ねる、ってやつだよ」
「そういった発言をする人間だとは知らなかった」
 別段、思想的な意味で言葉を選んだわけではなく、たまたま最初に思いついた言葉がそれだったので、軽い困惑と回答の選択に時間を取られることになった。
「……建前の巧妙さの面では政治家に東西の差異は無いさ。まぁ、我が国の公僕らしいことを付け加えておくならば、実績に差異はある、か」
「我が国! その発言こそ恐るべきだ」
「なんだい、お前さんは私がロマニーだとでも思ってたのか」
「建前次第では平気で国籍を変える人間と高尚なロマニーを比べるのは、ロマニーに失礼だろう」
「違いない」
 全面的に賛成したわけではないし、元から与太話の性格が強い会話だったから、素直な態度を相手に示した。それに一連の会話中に口だけでもソロモンが活発になったのは、彼が今の状況に対して肯定的に捉えているからなのだと理解してもいた。状況といえば、生意気そうに長い後ろ髪をなびかせて修羅場で踊り明かしたあの女性は、今ごろ状況を否定的に捉えていることだろう。期せずして、その状況のことにソロモンが言及する。
「ところで、勝手に抜け出してきて良かったのか? 念の為、身代わりはこちらで用意させてもらったが……」
「事後処理にまで出しゃばったら、責任者だけでなくその部下にまで恨まれそうだからな」
「責任者の首は往々にして変わるものだが、下の者はそうは変わらんからな」
「その件に関してなんだがね」
 話が冗談だけで済むような組み合わせでもなければ、そのような羨ましい待遇ではない。ソロモンがどう思っているかは知れないことだが、ヘイグにはそう思える。
「私の把握している範囲のことだけど、作戦に出番が無かったケリー女史が内務鑑査の権限を許されて、現在、鋭意活動中だ」
「それは結構なことだ」
 恨み辛みなんであれ、それを鋭意と評されるような行動に生かせるのであれば、面識のある者としては喜ばしいことだとソロモンは思った。それは彼が恨まれても全然痛くないだけの準備と実力を常に保持しているからできることではあるのだが、目下のところ彼にそういった意識は無い。
「喜んでばかりもいられないさ。彼女が事後処理を終えた段階で実務的な次元での長となった日には、シエル嬢が懸命にも届けてくれた荷物がぞんざいに扱われる可能性だってある。もちろん、君らとの契約自体も反故にされかねない。法的根拠に基づかないとすれば、平気で民事にも介入するのが彼らの業でね。こればっかりは組織の性格上、私にはどうすることもできない」
 後半部分はヘイグの悲観的な面が目立つが、シエルという名詞が出てきた部分がそれを裏付ける。実のところ、ヤコブに荷物――まわりくどい言い方をしなければ、ドッグことケネス――は乗っていなかった。陳腐にいえば裏の裏は表というやつで、彼はエサウに乗り込み、無線が傍受されるのを前提にソロモンに連絡を取り、敵はまんまとそれに乗せられたわけだった。敵がそれを看破したとしてもすぐには布陣を変えることはできないし、そのまま引き下がってくれるなら良し、最低でも彼らの目をエサウから引き剥がし、支局ビル周辺に集中させることができた。前者ならば撃退の後にこちらの態勢を整えて悠然とエサウを迎え入れれば良し、なんなら敵に気づかれるのを防ぐために、臨機応変に回収に行けば良い。今回は敵が万全の布陣を敷いたからこそ、あえて回収の指令は出さず、目の前の騒乱の鎮圧に専念させただけのことだ。
 以上は事前にヘイグとソロモンとの間で交わされていたもう一つの作戦内容で、結局のところスローンがしたことといえば、無駄な計画と必要な人員を用意しただけだった。この際、無駄が必要の建前となるので、無駄は必要の母となったと言って良い。
 それらを互いに冗談を交えながら確認の意味を込めて今更ながらに淡々と語っていた二人だったが、無駄といえば、というところでそれぞれの性格の違いが出ることになった。
「シエル君もゼフィールも、無駄に貢献したわけだ」
「いやいや、無駄と実利を兼ねる結果を出した点から、非凡というべきじゃないか」
 シエルの場合は日頃の心配性とお節介が適度に混ぜ合わされたことによってゼフィールが言うところの「亀」を破壊することになり、超一級の前線兵力、いやさ彼女そのものが前線といってもいい存在であるにも関わらず、もしものときのための予備兵力兼荷物護衛役となった。ゼフィールにしてみても、証言を取るのに時間はかかるだろうが要人と思しき人物を捕らえるのに貢献し、局面局面では組織力の後ろ盾が無いからこそなのか果敢に奮闘しもした。
「……まてよ」
 ソロモンが、半分以上は誉めているというより馬鹿にした感の強い会話の中で、冷静に顧みた。
「我々は貴様に利用された様相を呈しているんだが、どう思うかね」
「それは的外れな指摘じゃないかな。むしろ君が自分の仲間を利用したとするのがより客観的だろう?」
 大局的な立場によるか、一労働者としての立場によるかで二人の見解は合うこともあればそうでなくもある。こういった場合、最も正当な意見という名の苦情を言えるのは、一労働者に類される者たちだった。
「とりあえず労働分の感謝とそれに見合う給料を」
 十分以内にはこういった会話が、彼らのいるところを先天的かつ後天的でもある嗅覚で探り当てたシエルとゼフィールによって、なかば談判の様相を呈して繰り広げられるまでの間だけ、ソロモンとヘイグはつまみがてらに頼んだピザの予想外の味に驚く余裕が続いたのだった。


 仕事で遠出できるなんて、趣味人としてこれほど幸福なことがあろうか。乾有彦は出発に先立ってとは違い、そう思うようになっていたのだが、その余裕も午前中には使い果たされていた。
 分単位のスケジュールを基に旧友に車を駆らせるのは良いとして、責任自体は有彦が意識すべきことだった。目まぐるしく変わる観光地を横目に確認し、その都度、志貴に停車させ、事前に調べておいた付近の評判や治安を実際に確認し、必要があれば修正するという作業が淡々と繰り返される。また、移動中も気を休めるわけにはいかず、後部座席にいる自分の息子と志貴の娘のちょっとした不安や好奇心が顔に出るのを見逃さないようにする。
 これが二時間を過ごしたあたりで、とうとう有彦が志貴に愚痴を零したのだった。
「なぁ、なんでお前はずっと黙ってるんだ?」
「えっ、喋って良かったんだ?」
 言ってみるものだな、と有彦はつくづく思った。志貴に言わせると「仕事中なのだから黙っていた方が良いかなぁ」ということだったらしく、下手をすると今日一日、有彦は殺伐とした心境で後部座席に充満している無邪気さにあてられることになりかねなかった。そして、志貴に対する怒りとは言わないまでも友人らしい不満が募り、「楽しい記事は楽しい気分で書かないと楽しくない」という彼の信念のもとに、欲求不満だけが記事に現れるのだ。
 これらが避けられた喜びよりも、久方ぶりの「お前ってさぁ」という言葉が突いて出てしまうのは、お互いの甘さに起因する部分、大なりであった。
「生真面目っつーか、なんつーか」
「あのなぁ、世の中には言われなくてもわかることより、言われなくちゃわからんことの方が多いんだぞ」
「へぇへぇ、肝に銘じておきやすよ」
 少しばかり早めの昼食と通過儀礼とでもいえるやり取りのため、彼ら四人はフィッシャーマンズワーフとマーケット通り(この時点で既に交通規制は解消されている)の間、やや前者よりのあたりの、志貴がたまに来るらしい店で一時休息という状態になっていた。子供たちは車酔いの陰りも無く、じきに運ばれてくる郷土料理に思いを馳せていれば良かったが、有彦は一応は常連の枠に引っかかる志貴に仲介してもらいつつ、店主の自慢話のあちこちから有用と思えるものをメモしたり、頼み込んでメニューの写しを取る許可と写真撮影をフラッシュ禁止という条件で許可してもらった。
「生真面目なのはどっちだか」
「仕事において生真面目は美徳なのだよ、遠野」
「それじゃ俺もそうなるんじゃないのか?」
 してやったり、という表情をする彼ではない。むしろそれはやり返されたはずの側が自分の特権のようにする仕草なのだ。
「日常においても生真面目なのは、ただの嫌味なのさ」
「ああ、そうかい」
 志貴は半ば呆れたように答えたが、内心では楽しんでいることを自覚している。人生全てがフィルムに自動的に収録されているのであるとすれば、このようなやり取りが十代の頃には頻繁に交わされていた証拠となるだろう。
 惜しむらくは、そのフィルムを再生するにあたって、現在では欠けている人物が数多くいるのも確かだった。生きていてもそうそう会えない人物もいるし、永久に会うことができなくなった人物もいる。日本を最初に離れたときに失うと覚悟したことを思い出したが、他方、自分は人生のかなり初期、いや自分が生まれる以前からして、失ってしまったものがあるのだという、信憑性のある錯覚を覚えてもいた。
「秋葉たちは今ごろ一族会議なんだろうなぁ」
「まるで他人事だな」
「いやぁ、実際、想像つかない。なんせ、一度も出席した覚えが無い」
「俺、一度だけ翡翠の都合で彼女だけを後から現地に送っていくことになったんだけどさ、あれだね、もう、ドアの外から来ていた人間に頭下げたときには、そのあとすぐに帰れるってのに、よくわからん閉塞感で危うく鬱病になるところだった」
「うひゃ〜、そりゃ大変だったなぁ」
 志貴にしてみれば、想像しただけで鬱病を通り越し、既に精神病院の一室に叩きこまれた心境である。なんにしても、体験せずに済ませたいことに変わりはないのは確かだ。
「お前なぁ、一応は長男なのに出奔なんて真似できたのも、秋葉ちゃんのおかげだってこと、忘れてるんじゃないだろうな」
 長男、というフレーズが志貴の中で実像となることはなく、それは有彦が想像した曲解の結果としての真実によってだった。だが、そのことを今更掘り返して実はこうだっただのと言うつもりはないし、真実だの事実だのの微妙な差異は、それを必要としている人物以外には、全く実の無いものだった。ただ、
「秋葉には感謝してるよ。いままでも、これからもね」
 、というのは珍しく出た本音で、その「珍しく」が珍しく会った友人との間に起こったのは、まこと珍しいことだった。
 話がこのような清涼な雰囲気を持つと、それが気まずい話題でもないのに話題を変えたくなるのは、反骨精神というよりは、現実離れしかねない不安がさせることなのかもしれない。特に有彦には、そういった漠然とした不安に対する免疫が備わっていた。
「今夜にでも、翡翠の携帯にメールいれとくよ」
 志貴は海外から可能かどうか疑ったのだが、取材先によっては会社から衛星通信用の携帯が支給されるので問題無いとのことだった。それよりも、志貴は深刻な疑問を解消するために勇気を振り絞る必要があった。
「……翡翠、携帯持ってるんだ」
「共働きで、小さい子供がいる親にはお互い必要かと思って、二年ぐらい前にすすめたんだよ」
 有彦なりに志貴の感嘆とも取れるぼやきに答えたつもりだったが、即座に志貴は訂正した。
「持つ必要性はこの際、問題じゃない」
「それじゃなんだってんだ」
「翡翠が携帯を操作する姿が俺には想像できないんだ……」
「……実は俺も未だに信じられないんだ」
 人生という題名のフィルムには、ときとしてミステリーの要素が混じるらしかった。