第四章「ストレスとカロリーメイト」

 
「出だしはまずまずね」
 
 自由同人同盟第二連合サークル(以下第二サークル)司令官兼サークル『ユキミ大福』主催、深山雪見中将はパイプいすの上で足を組んでそう独白した。
―――このままの状態で行くことができるのなら、こちらの勝利は確実だわ。もっとも、このまま行くことができればだけど・・・――――
 雪見は、この戦況が、このまま当初の予想通りに進むことを、歓迎していなかった。今回の即売会での作戦を、立案したのは、第六サークルの司令官、高槻だった。作戦自体は、過去に、同盟内で行われた即売会で、帝国を叩きのめし、閑古鳥のフルコーラスを歌わせたものなのだが、雪見はその作戦―――過去の遺物を使い回す行為―――に反対した。
 敵とて、馬鹿ではない。一度叩きのめされれば、二度目は、多少でもましな結果になるように、努力はするだろう。風邪のウィルスとて、毎年毎年、既存の薬に或る程度耐性をつける。単純だが、やっかいである。
 
 雪見は、できることなら、この作戦には失敗してほしい、と考えていた。もし成功したら、あまりよくない先例を作ることになってしまう。過去の教訓を生かすのはいい、だが、過去の作戦をそのまま使い、あげく成功してしまえば、なにも得るもののない即売会になってしまう。深山雪見が、同人業界に参加している経路も、そこにある。
 
       ―― 10時5分 サークル『十六夜』――
 
「なぁ、アルクェイド、この即売会なんか変じゃないか?」
 開会早々、そうもらしたのは、遠野志貴という、野暮ったい眼鏡をかけた若者だった。
 なにか、この会場には、普通の人間の生活場では極々珍しい場面でしか感じられないような―――吸い込むたびに胃が痛くなるような重い―――不穏な空気が、会場内に局地的にだが流れている。
 そんな、志貴の言葉を聞いた金髪の女性―――アルクェイド―――は、志貴の口から出た言葉を聞いて、なにを馬鹿なことを行っているの!?と、でも言いたげだった。
 そんな、アルクェイドを見て、志貴は質問の趣旨を変える。
「お前はこの不穏な空気の発生原因を知っているのか?」
 志貴の言葉を聞いたアルクェイドは、にっこりと微笑んだ。その表情を見た志貴の体に、寒気が走った。アルクェイドが見せた笑みは、志貴に言わせれば蠱惑的、だが、それもベクトルは違うが、かわいい表情に入るのではないかと思う。ただ、最初に出会った頃のアルクェイドの微笑みが、太陽のような、と表現するならば、今さっき浮かべた微笑みは、かわいいと思っても、どこか蛇を連想させるものであった。
 そんな、志貴の想いとは裏腹に、アルクェイドは語る。
「志貴は知らないの? 今、同人業界が、同盟と帝国という二つの巨大勢力に分裂して、全国規模の覇権争いをやっていると言うことを」
 
―――知るわけねぇだろう、あーぱー吸血姫。
 
 志貴は心の中で少々毒をはいた
 同人業界というものは、遠野志貴―――十九歳、性別男、職業フリータ―――とは全く無縁の話であった。志貴の知人の中で、同人関係の知識を持つ者と言えば、妹の後輩―――瀬尾晶―――くらいだろう。
 志貴は、アルクェイドについてきたことを、ちょっと後悔した。逃走資金の確保のためにとはいえ、漫画を作って売るという行為は、志貴には経験がまったくなかった。それでもこの話に乗ったのは、あの魔窟にすむ住人からの長期逃亡には、巨大な力と資金を持つ者の協力が不可欠と判断したからであって、決して脅されたわけでない。
「それがどうして、俺たちの逃亡の助けになるって言うんだ?」
 パイプ椅子に座っているレンの髪を手のひらで撫でながら、志貴は聞いた。レンは撫でられているのが気持ちいいらしく、目を少々細め、恍惚とした表情を浮かべている。
 ちなみに、アルクェイド主催のサークル『十六夜』の周りにある他のサークルでは、この異色のメンバー構成のサークルを、『家族経営説』と『光源氏兼ボトルキープ説』の二つの説ができあがっていたりする。先ほどから胃の痛くなるような空気が流れている原因は、そのせいでもある。
「いい、志貴? 日本の諺にこういうのがあったでしょ、木を隠すのなら森の中、って。私はそれを人間のレベルで実行しているの」
 つまり、志貴の居場所をカモフラージュするために、人間の沢山いる場所に潜伏するのである。だが、彼らは気づいていない、自分たちが周りから浮いているのを、そして、その構成員からして、目立ちまくっているのも・・・・・。
「なぁ、それは極端な例えであって、人間レベルで実行するのは無理じゃないのか? それに何だ・・・人が集まれば、情報だって、どんな形で彼女たちに伝わるか分かったもんじゃないし・・・」
 志貴はとことん弱気だった。そんな、少々おびえている志貴を見てアルクェイドが―――かわいい―――などと考えたかは不明であるが、彼女の目論見―――志貴を他の女どもから拉致ってレンと一緒に幸せ家族計画―――は、ただ一点のことを怠ったため失敗してしまった。それは、遠野財閥が、一般には極秘に前当主の趣味で、同人業界に参入していることと、いまでは、遠野財閥関係サークル・組織の勢力が、中立勢力として同人業界第三位の勢力を築いている事であった。
 アルクェイドがこのことを知らなかったのは、遠野財閥同人部門の仕事は主に、通販業、情報ビジネスなどで、あまり表に出てこなかったりする。同人業界に関わって日の浅い人間はあまりそのことを知らない。遠野財閥の同人業界に対するスタンスは昔から今現在まで変わっていない、すなわち『君臨すれど統治はせず』である。これは同人誌通販ショップの経営スタイルにも現れており、各ショップが、毎年一定の利益さえ上げていれば、遠野財閥としては特に干渉したりしないのである。
「大丈夫、これだけ人がいれば、盾にもできるし、ちょっと煽動すれば、鉄砲玉に早変わりよ。なにより私の足が普通の人間に後れをとると思う? だいたい、志貴は心配しすぎよ。逃走用の資金さえ潤沢になればこんなアコギな商売から足を洗うって!」
 アルクェイドは、日本で腹黒い人間たちに囲まれて暮らしている内に、染まってしまったらしい。それを見て志貴は『黒はすべての色を飲み込む』などと言った人物がいたけど、あながち嘘ではないのかもしれない。と思った。その拍子に、心の中で過去の、純粋すぎるアルクェイドの姿を思い出してしまい、涙をこらえた。
 
 
 数瞬の沈黙の後、結局、志貴はアルクェイドの言い分に屈した。あの屋敷での軟禁生活に比べれば、まだ、ましなのかもしれない。そう思わなければやっていけない志貴であった。心のオアシス、レンを膝の上に載せ、会場に入る前にコンビニで買ってきた、シュークリームを食べさせている。口の周りがクリームで汚れているのは、彼女が甘いものが好きな証拠なのかもしれない。
「じゃあ、志貴がんばるわよ」
 何処からかっぱらってきたのか、怪しげな杖を揮って張り切っているアルクェイド、もうすでに疲れている志貴、シュークリームを食べるレン、サークル『十六夜』の初陣は、その構成員の異色さのため、目立ってはいたが、閑古鳥が鳴いていた。
 
 
   ―― 10時15分 即売会開始から十五分が経過――
 
 千堂和樹は、むっつりとした顔つきで、自分のサークルにあてがわれたパイプいすに、脚を組んで座っていた。そのまま、顔を左右させて周りの様子を観てみる。帝国のサークルが固まっているこのエリア周辺はお客の姿があまり見えない。同盟の採った戦術の結果だった。過去に、この即売会と同じ戦法を執られた、即売会では、帝国陣は惨敗している。今回、同盟がこの方法を執ることは、即売会の開始2時間前にもたらされた間諜の報告によって知っていた。
―――同盟にまともな指揮官はいないのか?
 その報告を聞いたとき、和樹の口元には失笑が浮かんでいた。和樹とて、できることなら漫画のクオリティで勝負したい。だが、事が個人のレベルから組織のレベルになってしまうと、販売している品物を宣伝もなしに元が取れるほどの売り上げを出す事は難しくなってしまう。
 組織レベルで売り上げを伸ばすには、宣伝以外に方法はない。口コミなどの方法もあるが、危険を伴うのであまり意図的に使いたくはない。ならば、多少の資金をつぎ込んでも、まっとうな方法で宣伝するに越したことはない。
「瑞樹、始めるぞ」
 和樹の静かな一声は、傍らにいた彼の副官、高瀬瑞樹大佐をすぐさま行動に移させた。即売会の開幕前に、各司令官たちと話し合った作戦を実行に移すためである。
 
 この即売会で実行する作戦を、和樹が最高司令官の権限を持って立案した際、今回同行した三人の司令官の内、二人の司令官―――セバスチャン大将と坂下好恵中将―――は不服そうな顔をしたが、和樹よりも二歳ほど年下の指揮官、大庭詠美少将は、ニヤリとした笑みを浮かべ、作戦を快く承諾した。そして、彼女に、和樹は突撃隊の司令官をするように言った。
 
 
―― 10時20分 同盟第六サークル――
 
「司令官、帝国サークルの一部が、我々第六サークルのメイン商品と同じジャンルのアニパロ本を売りに出しているという情報がはいております」
 同盟第六サークルの旗艦サークル『マッドパラダイス』の主催、高槻研究員――本名かどうかは不明――の横で、一人の青年が報告をする。
 
 青年の名は住井、二十歳、大学二回生、休学届けを出し、半年ほど前まで、ハプスブルグ家の歴史を調べるために、オーストリアを中心にヨーロッパをほっつき歩いていた。
 
 帰国後、ヨーロッパで生かしたその情報収集力を、同盟陣営に所属していた旧知の人間に買われ、大尉待遇で、浩平や七瀬などの友人のいる第二サークルの、情報部に就任、その後半年間で二回の即売会に参加、どれも、地味だが確実な働きを上げ、准佐、少佐と昇進していった。そして少佐昇進と同時に、第六サークルの幕僚に任命されるが、本人はあまりいい顔をしなかった。
 現在、第六サークルの主力サークルには長蛇の列ができている。並んでいる人間は、みな、そのサークルの新刊や、限定品を求めて並んでいる人間だ。今回の作戦では、一人が買える品数をギリギリまで制限し、回転率を下げ、同盟サークル内にできるだけ留めるといった方法が執られている。
 これは、第六サークルの司令官、高槻研究員が即売会前の作戦会議において提案した物だが、帝国はこのサークルに、人が留まる理由を無くさせようとしている。
 
 即売会は、単独で回る人間もいるが、ほとんどの人間が四〜六人くらいの人数で、分担して商品を買う。そうすれば、一人が一つのサークルの商品を人数分買うために、その即売会が終了するまでかかっても、他の人間が自分の欲しかった物を入手しているだろう。しかし、お客の回転率を限界まで下げた、同盟サークルの場合は客にすさまじいストレスを与えることとなった。
 
 旗艦サークル『マッドパラダイス』では、高木研究員と、その幕僚たちが、怒気をはらませつつあるお客の対策に追われていた。
同じジャンルなら帝国の方が面白くて、しかも一人十冊まで変えるぞ、と言う情報が、人の波に乗って、第六サークルに並んでいるお客にも伝わり、途中で列を抜けて、帝国サークルの方へ歩き出す者もいる。
 しばらく経って偵察員から報告が入った。すでに、最初に並んでいた者の半分近くが帝国サークル側に向かったらしい。高槻は混乱していた。
――――このまま、自分が立案した作戦を続けるべきなのか、それとも自分の作戦を棄てて、状況と変えるべきなのか。
 高槻は完全に迷っていた。自分が立案した作戦を棄てると言うことは、自分が無能だということを、周囲にさらけ出すようなものだと、昔から思っていた。しかし自分で、立てた作戦で失敗したときはどうすればいいのか、そうだ、身代わりが必要だ。最初からこの作戦を立てたのが、俺以外の誰かにすれば・・・そう、身代わりさえいれば、俺は大丈夫だ。
 高槻はそう結論付け、少々赤くなっている目で周囲を見回し、スケープ・ゴートを探し始めた。そこに、諜報員から得た情報を整理・分析していた住井がやってきた。
 
「司令、もはや、状況を打開するには一人あたりの本の冊数を増やし、回転速度を上げる以外に方法がありません。どうかご決断を!」
 住井が言ったことは、客観的には何の問題もないのだろう。現状を打開すべく、自分自身の持つ権限で行える事を、彼は行った。だが、それを受け止めた相手は、住井のとった行動をそうは解釈しなかった。あくまで、自分の地位を奪うつもりで、そんなこと言ったと思った――そして、唐突に破綻が来た。
 
――第六サークルの幕僚たちは、自分の見ているものを否定した。人は予想の範囲を超えるものを見ると、一時的に思考が止まる。彼らの場合もそうだった。
 いつもは、いやみったらしく、気むずかしい憎まれ役の、馴染みにくい司令官が、この即売会から新しく幕僚に加わった――有能と評判の――住井少佐を突然殴ったのだ。しかも一発二発ではない。数発、顎に打ち込んで、崩れ落ちたところを、マウントポジションをとりさらに殴りかかったのだ。しかも、徹底的に顔だけを殴り続けた。
――――俺は、俺はなにをしているんだ?
 高槻が、そう思った時、すでに住井は顔を赤く腫らし、鼻血を出して完全に気絶していた。歯も数本折れていた。それを見て、ようやくなにが起きたかを悟った周辺のメンバーや、最前列に並んでいたお客や、売り子は、高槻を拘束し、住井を医務室へ運ぶために、あわただしく動いていった。
 
 このとき、首脳部がほとんど、住井の運搬と応急処置、高槻司令官の一時拘束、そして事後処理のために出払ってしまったため、自由同人同盟第六連合サークルは組織的な行動が全くできなくなり、即売会を終了するまでサークル単位での判断で行動するしかできなくなり、さらに、この事件が多少膨張された形で客や他の人間に広がったために、客があまり第六サークル周辺には近づかなくなった。
 
 
       ―― 11時45分 帝国サークル ――
 
 帝国サークルは盛況だった。同盟の第六サークルが、大庭詠美少将旗下のサークルによって仕掛けられた戦術の前に、勝手に自滅してくれたのだ。多少の運もあっただろうが、それでも勝利は勝利だ。たとえこれが誰の手柄になっても、まず私は勝たなければいけないのよ。詠美はそう思いつつ、営業スマイルを振りまいて、スケブを描いていた。
 
 セバスチャン大将の下にも、同じような報告が入った。副官であるセリオ中尉の報告を聞いたセバスチャンは、軽く息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。
――かれこれ何年になるだろう。最初は――来栖川家の令嬢――芹香お嬢様の頼みで、やっていたことが、だんだんと、自分自身の楽しみになっていった。毎朝の鍛錬の合間にネタを作り、リムジンを運転しながらネームを考え――藤田という小僧を轢き殺しそうになり、就寝時に一日三時間ほど漫画を描く。そんなことをしている内に、芹香お嬢様とその妹、彩香お嬢様は、大学院に進学し、芹香嬢様に言い寄ってきた小僧は、なぜか同人界の頂点に立った。
 
 昔を思い出し、泣いたり怒ったりして顔の皮膚を激しく動かしているセバスチャンの横で、副官であるセリオ――HM−13 セリオ=ツヴァイ――は、そんな上官の表情の変化を見て、自前の鉄面皮を少々引きつらせた。
 HM−13 セリオ=ツヴァイ、メイドロボである。昔、芹香が高校生だった頃、テストとして、芹香の妹、彩香の通っていた高校にテストのために通っていた。メイドロボ初の機能、サテライトシステムを搭載し、様々な情報をダウンロードすることができる。
 高校でのテスト終了後、暫くして、セリオは今までのデーターを下に量産されたが、プロトタイプであった彼女はそのままテスト用として研究所に留まる――――はずだった。
 芹香の妹――来栖川彩香は、同じ高校で短い期間とはいえ、一緒にすごしたセリオに色々と思いこみがあった。できることなら話し相手として、悪友として、そばにいてほしかった。研究所は親会社の令嬢の頼みであったため、セリオを引き取っていた研究所は、ボディに、色々と追加機能を施して、彩香の下に渡した。
 最大の違いは、手のマニピュレーターがさらに細かい作業をこなせるように改良され、服に偽装した追加バッテリーの装備によって、通常のメイドロボの二倍の時間活動できると言うことである。この技術は、次世代機にするための新型バッテリー開発の研究の成果なのだが、この追加された機能のため、セリオ=ツヴァイはセバスチャンの副官兼アシスタントとして働くことになる。彩香が言うには――面白い漫画の続きは早く読みたくならない?――だそうだ。
 
 現在、セバスチャン大将の指揮するサークルは同盟第四サークルを、第六サークルと同じような方法で潰しにかかっていた。徹底的に、流言を流し、さらに、こちらにお客の気持ちを惹くためのレアアイテム――ペーパー、コピー本――を時限配布する。日本人は、限定や元祖などの――数を制限したり、入手される場所を限定されるような――売り文句にとても心が惹かれやすい。それを千堂和樹上級大将は、理解し利用している。様々な物事を経験し、老練と言う言葉が意志を持ったような存在であるセバスチャンもうならざるをえない。
――――なるほど、18歳にして上級大将は、政治取引の結果や袖の下の賜ではなく、実力か。
 
      ―― 11時45分帝国サークル総司令部 ――
 
 同盟第四サークルが、無力化した、と言う報告を受けた和樹は、そのまま、補給物資――本日の昼食――の調達結果に目を通していた。食料・飲料の確保はほぼ完璧と言ってもよかった。確保できた食糧の何パーセントかは、同盟が利用しようとしていたファーストフード店から買い取ることもできた。しかも、事前に入手した資料によれば、帝国の補給部隊の活躍によって欠けた分の食料は、本来、同盟第二サークル司令深山雪見が主催しているサークル『ユキミ大福』およびその幕僚達のサークルに支給される予定になっていた。
「よし、各自交代で昼食を摂るように」
 和樹がそう言った直後に、伝令に数人の人間が向かう。そして和樹と瑞樹もコンビニの海苔弁を食べ始めた。
 
 
   ―― 12時00分 サークル『ユキミ大福』周辺――
 
「ご飯まだなの?」
 雪見は力も覇気もない声で、サークルの机の上にたれていた。つい今朝まで、コピー本の製本作業を行い、さらに数日前には、原稿の執筆、作戦の確認、ホームページの更新、購読している雑誌のプレゼントのチェックなど、雑多な作業をこなし続け。今日まで――世の漢どもが想像しているような――女の子らしい生活どころか、満足な食事もとらず、ずっとカロリーメイトと栄養ドリンク付けの日々。雪見は『健康で文化的な最低限度の生活』などとは今月は無縁だった。
 空になりかけていた『やる気』を、なんとか起動するに足りる量まで、カロリーメイトでチャージして、即売会に到着し、ここまで指揮を執っていたが、そろそろ限界であった。
 もうなにも考えられない雪見に、誰かが声をかけ、そちらの方に頭ごと視線を合わせると・・・・。
「先輩、雪見先輩大丈夫ですか?」
――目の前に、ウニがいた。
「何でウニがいるのぉ?」
 雪見が、発音とテンポがおかしい日本語を口から発する。話しかけたウニ――浩平は、雪見先輩の目が虚ろなことに気づくが、すでに雪見は限界だった。
 浩平は雪見を正気に戻そうとしたが、だめだった。身近にいたスタッフに頼み救護班を呼んだ。
「浩平君ごめんねぇ」
 スタッフが用意した担架の上で、雪見はそんなことを言った。司令官の中途交代は士気を下げてしまう。しかも、敵の方が今では士気は上だった。浩平は、これからどうしようか、などと思いながら雪見の方を見る。
「悪いけどさぁ、代わりしてくれない?」
 雪見はさらっと重大発言を口から発した。浩平は階級の上からでは准将で、彼よりも上の階級の人間は他のサークルにもいるはずだった。なのになぜ自分が選ばれたのか、浩平は雪見の発言に少々混乱した。
「今この場にいる、人間じゃ浩平君が一番階級高いし、信頼もあるみたいだよ」
「でも副司令官が納得しませんよ」
「その副司令官は、お昼ご飯を無許可で食べに行ったから一時更迭したの、だからよろしく」
 雪見はそれだけ言うと、スタッフに担架で運ばれていった。後に残ったのは、視界の隅で小さくなる雪見を乗せた担架と、にやにやして、浩平の肩をたたく浩平の悪友の七瀬留美――大佐――だけだった。
「信頼されているわね」
「皮肉か?」
 
     ―― 12時30分 帝国サークル総司令部 ――
 
 
 同盟サークルで唯一、組織的な行動をとっている第二サークルの司令官『深山雪見 中将』が急病で倒れ、代理に『折原浩平』という准将がたった、という確かな情報が、間諜の手により帝国サークルの総司令部にもたらされると、そこにいた幕僚の大半は、この即売会を勝った気になったいた。
 だが、総司令官 千堂和樹は、その情報に箝口令――敵を軽く見ないため――をだし、その場に立ちこめていた、快勝ムードを一蹴した。
――まだ、完全に勝っていないのに、勝ったと思いこむ馬鹿どもが!
 ある昔話では、ウサギはカメに足の速さを競うという、相手との圧倒的な性能差を背景とした、勝って当たり前の勝負を挑んだ。そして、途中で余裕のためか眠りこけ、結果、負けた。
 お前ら、スラ○○ンクを読み直してこい・・・などとは思っていても言えなかったが、今後のためにも、即売会が終わったら、幕僚達には課題として言い渡しておこうと思う和樹だった。
 
 結局、このまましばらくは同盟第四・第六サークル対して行ったものと同じ戦法を使いつつ、変化があったら言うことになった。ただ、同盟が、違う行動をとったら、和樹達のいる総司令部が指示を出すまで、各司令部が即座に対応するように言ってある。
 これで、相手が奇策を用いない限りは、対処法に関して問題はなくなった。
 さて、同盟はどう出るか? 千堂和樹は、頭の中で様々なことをシュミレーションしつつ、相手の出方を、宝物箱をあける子供のような心持ちで、楽しみに待っていた。
 
 
          ―― 1時 スタッフルーム――
 
 スタッフルームは、喧騒で満ち足りていた。ここにいる出席者は、同盟第二サークル司令代理、折原浩平 准将と数名の同盟サークルの人間、そして、この即売会のスタッフ数人である。
 浩平は、1時半から、すべてのサークルを上げて、限定300冊のコピー本、各サークルの主力本の一人あたりの冊数の底上げなどを行うので、人を効率よく回転させるためのお願いに来ていた。
「話は分かった。」
 スタッフの中で一番偉いと思われる浅黒い肌のマッチョな男が口を開く。浩平は、少々驚いた。目の前にいるマッチョマンの口から出た声は、男にしてはかん高いテノールだったからだ。
「はい、こちらとしても混雑は避けたいので、できれば協力を願いたいんですが」
 内心の――マッチョマンマジックボイスに対しての――動揺は表面には出さずに、あくまでも冷静に話を進める。
「ああ、混雑し将棋倒しになったりするよりは、よっぽどいいとおもう。こちらとしても、事前に話をしてくれて助かった。何回か前の時は、なにも言わずに、同じようなことをやられて、怪我人が二人ほど出た。では、1時半より、そちらの提案通りに人の流れを、整理させてもらう」
 快く承諾してくれたマッチョマンに礼を言い、浩平は退席した。その後、スタッフルームでは、交通整理のために話し合いが続けられていた。
 
        ―― 1時30分 浩平のサークル『エデンの東』 ――
 
 スタッフルームを退出した後、浩平は時間までに作戦を第二サークルに所属しているすべてのサークルに通達した。浩平は結果として、昼食を食べ損なった。
 浩平の立案した作戦がは至って簡単だった。今まで一人あたりの購入数を1〜3冊程度に制限していたものを、1時半からは一人最大10冊までにし、さらに、今まで配布していなかったペーパーやコピー本の配布も行い、完全に帝国サークル側の密集してしまった客を、こちらに引き戻し、スタッフにお客が会場をぐるぐる回るように誘導してもらう。これが、浩平の考えた作戦だった。
――ここまで、帝国に追い込まれてしまったら、状況を五分まで盛り返すのが限界だ。
 浩平はそう判断した。第四・第六サークルが組織的な行動を行えるほど余力が残っていたら、話は違うだろうが、その二つは司令官が―― 一身上の都合により――不在で、指揮権の移行にかなりの時間がかかり、その間にそれぞれの所属サークルが――各自の判断で――行動し、そのため、今回の作戦には、浩平が司令官代理の権限を持って『余力なし』と判断し、各自作戦のじゃまにならないように、と言って、自由にさせた。
 
「作戦開始」
 浩平の一声が発せられると同時に、限定品のペーパー、コピー本が配布される。浩平のまいた情報により、それを知っていた客は目当てのサークルに、列を作って並ぶ。買い終えた客は、スタッフの誘導に従って、指示されて方へ動き出す。
 その方向が、帝国サークルの方でも、彼らは限定という甘い言葉に引きつけられるように、もう一冊ほしさのため、帝国サークルを素通りして、再び同盟サークルに並ぶ。浩平の読みはある程度当たり、客がこちらに固まりだした。
 
         ――1時45分 帝国サークル――
 
 流れが変わった。
 そう感じた人間は、帝国サークルに4人いた。千堂和樹上級大将、高瀬瑞樹大佐、セバスチャン大将、大庭詠美少将の四名だった。
 和樹は、ひかえている間諜に、同盟サークルの動きを探ってくるよう指示し、瑞樹は、先ほど間諜の持ち帰った情報の整理を始めていた。セバスチャンはセリオに、周辺の客が話している事で、この事態に関係のあることを紙にしたためるように言った。詠美は、周りの会話に聞き耳を立てていた。
 
「どう思う瑞樹?」
 5分ほどたち、ある程度、相手の作戦とねらいが分かってきた和樹は、瑞樹に意見を求めた。
「たぶん、スタッフに協力を依頼して、会場内に客の流れの道を作るつもりなのよ。回転率をできる限り上げて、客の前にうまい餌をちらつかせて、自分たちのサークルにまた戻ってくるよに・・・・」
 再び考え込む。相手と同じように、こちらも蓄えてある品物を放出すれば、帝国サークルに客は留まるだろう、だが、おそらく最終的には、客の分布は同じになる。消耗戦に持ち込んでも、意味はない・・・・
「瑞樹、このままでは、お互いに消耗戦になると、俺は思うんだが、このまま惰性に任せて、ゆっくりと売るか?」
「ええ、今、スパートをかけても、ゆっくりと消費していっても、結果は、両者痛み分けってところね。私としてはスパートかけずにゆっくりとやりたいんだけど」
「理由は?」
「私たち、始まってからかなりとばしたじゃない。みんな結構消耗しているみたいだし、下手にスパートかけて、同盟第六の司令官みたいになった人間が出るのがいやだからよ」
 瑞樹の言った言葉に納得し、和樹は、特に指示は出さず、即売会終了まで、流れを惰性に任せた。
 
              ――即売会終了――
 
 
 
 終了の放送がなり、各自が荷物の片づけや売れ残った本の荷造りを始める。その中でも、同盟第二サークルは、片づけが、比較的早く終わり、ほとんどの人員が、第四・第六サークルの荷造りを手伝っている。ほとんどが売れ残った本の箱詰めだった。
 
 帝国サークルは、そういった処理をほとんどすることもなく。各自が、帰り支度をしている。
「和樹、一冊だけ今回作った売らなかったけどどうするの」
「同盟第二サークルの司令官代理にプレゼント」
「本になんか書くの?」
「お互い上司に恵まれませんなぁ、ってな」
 和樹は表紙の裏に、そう書き、スタッフの一人が、スタッフ用にキープしてもらっていた本を取りに来たときに、渡してもらうように頼んだ。スタッフは快く引き受け、本を持って同盟サークル方面へ歩いていった。
「瑞樹、帰るぞ」
 和樹は、瑞樹の腕を引いて出口の方え歩き出す。瑞樹も、そのまま歩くペースをあわせる。帰り客でにぎわっている中、和樹と瑞樹は帰路についた。
 
 サークル『十六夜』は初めてにしては、そこそこ売れ、アルクェイドは採算がとれてほくほく顔だった。志貴は、疲れ切ってだれている。レンは・・・寝ている。
 
 浩平の下に届いた千堂和樹からの贈り物は、一部のやおい好きに、色々妄想の材料を与える結果になった。