同人業界略史

 
 第二次世界大戦終結後、日本の人々は復旧を第一に生活をしていた。大人は仕事を求め外に繰り出し、日々の暮らしに精一杯だった。そんな時代の子供達は、同じ年代の者同士で遊ぶという生活を送り、親の手伝いをし、豊かな余裕のある生活を夢見て一日一日を暮らしていた。
 そんな時代に生まれた子供が、大人になるころ、日本は変わっていた。まず、物質的に豊かになり、三種の神器といわれた電化製品をすべての家族が所持するようになり、物質的な充実は、ほぼすべての世帯で実現した。
その世代に生まれた子供は、同世代の子供と遊ぶことは格段に減った。それを危険視する意見もあったが、時代が変わったので子供の生活も変わったという意見のほうが多かった。
子供は、外で遊ばなくなり、変わりにテレビや漫画を読んで過ごす時間が多くなった。子供同士の会話で昨日のテレビ番組のことや、漫画の話題が多くあがるようになり、それにつれて、子供向けのテレビ番組や漫画の発行数なども、右肩上がりに増えていった。これらのことは高度経済成長の賜物なのかもしれないが、結局は漫画やテレビ番組の増加を望んだ子供の多さを物語っているのかもしれない。
そんな時代の子供たちの中で、将来の職に子供のころの自分をときめかせてくれた漫画に関係した仕事を選ぼうとしたり、夢を与えてくれたテレビ番組を作成したいと思う人は増えていった。しかし、すべての人が思い通りの職種につけたわけではなく、一握りの人しか希望どおりの仕事はつけなかった。そんな人は、アマチュアで続けるか、プロになるまでがんばるか………
 大半の人は、プロになるまでがんばるという道を取った。しかし、時代がそれを許してくれなかった。彼らは、自身の道を追い求めるよりもはるかに甘美で確実な道があった。就職という道だった。
 この時代、高度経済成長末期に、彼らは働きながら作品を作り続けようとした。だが、新たな問題が発生した。発表する場所の圧倒的な不足、彼らはこれに頭を悩ませる。しかし、意外なことに、この問題はすぐに解決した。同人というものだった。
 当時、同人と呼ばれるものは、マイナーな研究をしている人たちの発表、意見交換の場であった。彼らには場所を用意できるだけの人脈や手段はあったが、その場に来ようとする物好きな人はほとんどいなかった。彼らは圧倒的に知名度が低かった。
 片方は知名度や需要はかなりのものがあったが、発表する場所がなかった。もう一方は発表するための場所はあっても知名度と需要はなかった。そのため、この二つが出会ったのは必然と言ってもよかっただろう。この二つの物質の化学反応は強烈だった。時代が石油危機やさまざまな出来事によって外の環境が揺らいでも、反応の速度に変化はなく、むしろ安定していった。
 結果として、いまでいう同人誌即売会があり、人がほしい物のある場所に、すぐさまたどり着けるようにジャンルわけや、サークルという人の思いと考えの形があり、作品という考え、思い、夢の結晶があった。
 
 しかし、物事には最良のときがあり、同時に最悪のときがある。それは同人即売会にもあった。作品購入の際に少しでも早く入場するための手段として、ダミーサークルというものが出現した。これは、サークルとして応募したにもかかわらず、作品を作らず、サークル入場による希少本だけを目的として、希少本の購入価格と売価の差額を利益とした者たちにとっては最良の手段だったのかもしれない。それは理想と英気に燃える新規参入者を蹴落とし、実際に参加サークル数を減らし作品の質を低下させ、さらには創作意欲を持つ者たちを減らしていった。このような現状を打破しようとする者は現れなかった。それはすべての人があまりにも他力本願だった結果かもしれない。
 
 大阪で生まれ、東京で育ち、再び大阪で暮らした少年、長瀬祐介は中性的な顔つきをした17歳の高校生だった。その体つきは男としては華奢で細く男装した少女のようですらあった。彼は口調こそ柔らかいが、その言葉には棘や皮肉が含まれているのが常だった。そして彼は将来の夢を持っていたが、それを現実にするほどの度胸はなかった。
 そんな彼が、同人即売会に出会ったのは、恋人である月島瑠璃子の影響であった。彼女は、趣味としてよく小説を読んでいたが、私生活上の問題が解決し、心にゆとりがでたところで、自分自身が実体験を元に恋愛小説を書こうと思った。祐介と、瑠璃子の兄である拓也の協力もあった。作品は一ヶ月ほどで仕上がり、即売会も受かった。
 瑠璃子自身は、そんなに売れなくてもいい、と思っていた。祐介もそれに近い気持ちだった。しかし彼らを待っていたのは、必要以上に、腐りきった即売会の現実だった。まず、一部の客に癒着したスタッフによる職権の汎用、はじめて即売会を訪れた2人は少なからずショックを受けた。その後も、色々あった。まるでやる気のないスタッフ、本を売らず人気作家の本を買うがためにサークルとして応募したダミーサークルの多さ、やる気のない作家達の並ぶ島、反対に異常なほど盛況のある壁際、おかしかった、すべてがおかしかった。
 結局、瑠璃子の小説はほとんど売れなかった。いや、本を買ってくれた人がいたのも、奇跡的だったのかもしれない。瑠璃子のサークルがある場所にきたのは二桁に達するかと言うほどの人数だった。その中から何人かの人間が手にとって購入してくれたのだからよい結果と言えるのかもしれない・・・・・・その日だけは。
 数日後、瑠璃子の持っているパソコンに嫌がらせのメールが届いた。即売会で販売した本にメールアドレスを書いておいたのだが、それは感想を聞きたかったからであって、決していたずらに利用されるとは思ってもみなかった。届いたメールの内容は瑠璃子の作った本に対してものもだったが、あまりにも中傷的な内容だった。
 その日から瑠璃子は小説を書くのをやめた、本を読むのもやめた。ただ、惰性に流されて生きているような、そんな日々が瑠璃子の中で続いていた。そしてこの状況を傍観しているほど、祐介は弱くなかった。
 彼はまず、瑠璃子の兄である月島 拓也に協力を願い出た。そのころ拓也は、妹の絶望したような姿を見ているのがいたたまれなくなり、同市ようかと思っていた。そんなときの祐介からの申し出であった。瑠璃子さんを立ち直らせたい。その一言で、拓也は決意した。妹を、瑠璃子を立ち直らせる。彼らはこのために己の手を汚すことを全く躊躇しなかった。
 まず彼らは拓也の情報網と財力を使い、自分たちと同じ志を持つ大小さまざまなサークルを集めた。このサークルを一つにまとめ、新たな巨大サークルとして編成し、規律をしっかりとした一種の軍国主義的な同人サークル、通称「同人連邦」を作り上げた。
 そして、大小さまざまな即売会に参加をし、名をあげたところで、彼らが主催する同人即売会を開催した。その即売会は参加サークル数、入場者数、販売部数、その他全てにおいて全盛期のこみっくマーケットに匹敵するものがあった。そして、彼らはサークルチェックを徹底した。ダミーサークル、これは即売会を健全化する上で必ず障害になるものだった。これを排除するために拓也と祐介は精力的にサークルを回り、チェックを終わらせていった。
 その後も、何度か即売会を主催し、彼らのサークルは飛躍的に強大になっていった。彼らは次第に強大になるサークルことよりも、生き生きと作品を書いて、それを売っている瑠璃子の方が頭の中を占拠していた。そして、時代は激しい動乱の時を迎えた。
 
 その日、同人サークル「同人連邦」は名称を「同人帝国」と改め、長瀬祐介を主催として、全日本のサークルの支配者として降臨した。長瀬が主催になったのは、半ば他の人間に、主催の座に、持ち上げられたからではあったが、長瀬祐介にはそんなことはどうでもよく、ただ恋人の瑠璃子が元気になってくれた事が全てに優先されたのだった。
 それから二年ほどの年月がたち、祐介達は「同人帝国」を去った。理由は、単に社会人として忙しくなり、結婚もしたので、これからはゆっくり暮らしたいと言うことだった。その後、後任としてまだ中学生の男子、藤田浩之が選ばれた。この人選はサークルの首脳部が彼の筆力、経営戦略などの実力を認め、結果彼を主催に選んだためであった。
 ここに超巨大サークル「同人帝国」の独裁同人体制によるオタクの支配が始まった。浩之は主催になった後、様々なことをした。一番大きかったのは、同人の祭典であるこみっくマーケットを大阪で開かれるようにし、秋葉原を越えるオタクの町を大阪の伊丹に意図的に建築した。また、所属する作家やアシスタント、売り子などには、実績に伴った軍隊的な階級、貴族的な階級を与え、サークルの地盤を固めた。それ以後も、浩之の改革は続いていた。「劣悪同人誌排除法」これは「同人帝国」の一つのサークル「同人秩序維持局」の構成員が各参加サークルを回り、彼らの主観に基づいて「おもしろくない」と判断されて本は処分され、サークルの構成員は「同人帝国」の発行する参加許可書が手にはいるまで、参加を禁止されるのだった。
 この許可書をとるのには、「FARGO」と呼ばれる訓練サークルに入り、そこで修了資格を取ることが必須とされていた。だが、この資格はほとんどの者が取れず、創作活動をするには、生きていけないような心になって出てくる者がほとんどだった。なまじ、修了資格を貰えても、中にはいる前とは別人になっており、作風も全く変わっていた。
 「FARGO」、と、いうサークルでの中で何が行われているか、その答えはほとんどの者が知らなかった。そしてこんな言葉がある、「警察に捕まりたくなかったら、「FARGO」の中に行きな。決して警察には捕まらないぜ」・・・。
 この言葉は、「同人帝国」の内部サークルで密かにささやかれたものである。だがこのことから彼らがいかに世間にたいし影響力を持っていたかが分かる。そして、この支配は強固ではあったが城の石垣のように隙間までは埋められなかった。
 
 「同人帝国」が誕生してから三年の年月が過ぎた頃、脱出不可能と言われていた訓練施設「FARGO」から、四人の少女と一人の少年が脱出に成功した。その少女達は、アニメのやおいの漫画を一般の人が見てもおもしろいといえるレベルで書いていたが、「同人秩序維持局」のメンバーがたまたま逆カップリングの人であったがために、「FARGO」に収容されていた。しかし、内部にいた少年の手助けにより、脱出に成功し、一路彼らの手が深くは及んでいない、北の町を目指した。
 この脱出は、用意周到だたわけではない。ただ、物資を運んできたトラックの荷台に、建物の天井裏を無数に走っているエアダクトを通って、発射するときに飛び乗っただけなのだから。だが、エアダクトの運搬口への正確なルートは彼女達には分からなかった。
その難問を打破したのが、少女の一人、天沢郁美と唯一の男性であった名無しの少年だった。少年は元々、「FARGO」に訓練の講師として招かれていた。だが、少年には「FARGO」に対する良い感情は全くなく、「同人帝国」に対しては反感をもっていた。しかし少年の性分なのか、それとも感情があまりないのかは分からないが、少年はそのことを全く表に出さずただ、心の奥底に持っているだけだった。そして少年は、天沢郁美に出会った。
 「FARGO」からの脱出した少年と少女達がいることは、すぐさま「同人帝国」の上層部に知れ渡った。そして、様々なところにいる配下のサークル構成員に連絡をしてとらえるように命令を下した。しかし、結局は捕まえるどころか足取りすらつかめずに、その醜態を全帝国サークル構成員に知らしめただけだった。そして主催である藤田浩之はこの一件を、黙って聞いていたが、その表情は険しく、静かな空気が静電気を持ったかのように、藤田浩之の周りにいた人間には感じられた。
 どうせ、脱出したところで受け入れてくれるようなサークルなんかないだろう。これが、浩之を始め「同人帝国」の首脳達の考えだった。彼らがそんなことを思っている頃、天沢郁美をはじめとした、脱出した人々は彼らが全く予想しなかった方法、徒歩で移動をしていた。これは「同人帝国」も盲点だったのだろう。まさか交通手段に、もっとも移動速度の遅い徒歩を使うとは!
 それからしばらくして「同人帝国」が「FARGO」から脱出した人々の存在を日々の記憶の中に埋没させてしまった頃、郁美達は北国へたどり着いていた。この地で自由に創作活動が出来る反帝国のサークルを築き上げる。それが彼らの共通した思いであったが、それには数多くの同志が必要だった。もっとも、この地は同人業界の中心地が東京から大阪・兵庫に移ってしまったため交通費の圧迫に苦痛を覚えている人が多く、それだけに「同人帝国」への反感も高かった。
 段々と、郁美達は反対勢力を作り上げていった。しかし表だった活動をしようとはしなかった。まだ帝国と戦えるほどの戦力に育ったわけではない、あちらが巨人ならこちらは小人だったのだから。郁美はあちこちを精力的に動き回った。そして季節が一巡した頃、同人業界を二分する事件が起きた。反帝国サークル「自由同人同盟」が北海道で結成を宣言したのである。そして、その宣言により今まで帝国に服従していた、東北に本拠地を持つサークルが、一斉に帝国から離反した。
 この知らせを受けたとき、「同人帝国」主催、藤田浩之は友人宅でお茶を飲んでいたが、突然のことで知らせを聞いていた携帯電話のボディにひびを入れるほど強く握ったという。急遽、本部のある伊丹に戻った浩之は「自由同人同盟」を「同人帝国」に逆らう叛徒の集まりとして、近々叛徒の領内で開かれる同人即売会に参加してその威光をしめさん、とした。
 この知らせを受けた「自由同人同盟」の主催である天沢郁美以下数名は、驚きはしたが悲観的にはならなかった。同盟の首脳達はこれを待っていた。なぜ同盟の作家達が今まで大きな即売会に参加しなかったか、理由は簡単である。帝国に同盟の作家達の情報を、握られないためであった。現在、同盟に参加しているサークルの作家達は、同人作家の中から見れば無名と言われる部類に入っていた。だた、一つ違うのは同盟の作家達は故意に無名でいようとしたのである。
 そして、「同人帝国」対「自由同人同盟」の最初の戦いが始まる。結果だけ言えば、「自由同人同盟」のサークルの圧勝であった。これは帝国のサークルが情報のリサーチを軽視しただけでなく、同盟のサークルが予想以上に筆力などを持っていたこと、情報のリサーチを徹底して土地の好みを完全に知り尽くしていた。参加サークル28。内、帝国サークル19、同盟サークル9。総合部数、帝国14560部、同盟、8400部。売れた数、帝国2246部、同盟、8400部、完売。
 圧勝であった。同盟のサークルはあまりの忙しさに本部に増員を願おうかと言う意見が飛び出したりもして、うれしい悲鳴で満たされていた。一方、帝国はどのサークルでも閑古鳥が鳴き、売り子達は机にひれ伏し、同盟サークルの盛況ぶりをただ、うらやましそうに見ていた。
 これを機に、内面的な活動しかしていなかった、反帝国サークルが一挙に「自由同人同盟」に荷担した。同盟のサークル数は飛躍的な増加を遂げたことになる。しかしそれは量だけであって、質の面ではどうなるのか、は、誰にも分からなかった。
この後、同盟と帝国は慢性的な即売会対決をする。この勝負は簡単に言えばより多く売り上げた方が勝ちなのだ。だが、その勝負は駆け引きが多く、作家の力以上に、即売会に関しての情報や自身のサークル宣伝、人員が疲弊せずにサークルの職務に励むための大小様々な補給が必要である。ある意味、戦略家としての才能が問われるようになっていった。
 この二つの巨大サークルの戦いは慢性的に、だが頻繁に行われていった。ある時は同盟領内で帝国が、また、あるときは帝国内で同盟が、第三者の開く即売会に参加し、熱い戦いを繰り広げていた。この二つのサークルの領土は東京と新潟を線で結んだあたりで分かれている。面積としては帝国の方が多いが、質としては互角に近い。
 この同人業界にかつて無い戦乱が起きてから、しばらくたった頃、帝国領内である新潟県のサークルが自治権を帝国に認められ、自治サークルとして同盟、帝国に様々な同人物資を提供していた。このサークルはネット上で同人ショップなどもしており、普通は一緒の店にはおかれていない同盟・帝国両サークルの本も同じ店舗で扱っていたため、瞬く間に利益を上げ、帝国も同盟も無視できないほどの影響力を持つようになっていった。
 この自治サークル、「月姫」を帝国に認めさせたのは初代自治領主、遠野槙久という中年の男だった。遠野槙久は社会人としても巨大な財閥を経営しており、同人業界に参入して自治サークルを作ったのは、ただの戯れなのかもしれなかった。しかし、槙久自身、しばらくして病で亡くなったが、槙久が作った「月姫」はなくならず、槙久の娘、遠野秋葉が自治領主に就任して、そのまま自治は続いていった。
 この三者の戦力比は帝国45、同盟38、月姫19である。これは帝国と月姫が手を組めば同盟を凌賀するが圧倒的とは言えない。同盟と月姫が手を組めば帝国をしのぐことが出来るが、痛みを伴わずに勝つことは出来ない。この、何とかなってほしいがなんともならない、停滞した状況が激動の時を迎えるのは「同人帝国」本部がある兵庫県伊丹に一人の漫画家志望の若者が出現してからのことである。
 若者の名は、千堂和樹。ごくごく普通の中性的な顔立ちをした少年であったが、十歳の時にこの伊丹に引っ越してきて、その何者も受け入れてくるるような町の雰囲気が好きになり、それを壊した「同人帝国」主催の藤田浩之を憎んでいた。それだけでなく彼の家にメイドロボとしていた、HMX-12、通称マルチ(限定版ネコミミ使用)を藤田浩之は同人販売の利益を盾に持っていってしまったのである。その後、彼はマルチを取り返すために力を欲した。そして、「同人帝国」の同人作家になり、様々な即売会で大小の武勲をたて、加速度的栄進して行くのだった。彼が大学に進学した頃には、「同人帝国」作家軍、上級大将の称号と、「同人帝国」の複数のサークルの責任者としての地位を持っていた。
一方、「自由同人同盟」も一人の作家を得た。17歳でエイエンの世界から帰還したという偉業を持つ少年、折原浩平である。彼は元々創作活動に興味があったわけではないが、いくつかの偶然が彼の背中を引っ張らなければ、彼は作る側ではなく読む側だっただろう。彼は千堂和樹のように、自ら作品を作ろうと、思ったことはなかった。彼は一種の怠け者であり、決して勤勉な方ではなかった。
 
 1998年、五月。千堂和樹は傘下のサークルを従えて、同盟領内で開かれる即売会に参加する準備を始めていた。