第二幕「三咲町の夏についてのエトセトラ」
 
 その日、遠野志貴は土曜日の午後を、学校から程遠くない公園の木陰のベンチで安穏と過ごしていた。木漏れ日が彼のメガネのフレームのツルの部分に当たり、金属的な光を反射している。季節は夏。時刻は十三時過ぎ。太陽の光は容赦無く地面を叩き、陽炎がそれに苛立つかのように地面から立ち昇っている。それを見た志貴は思わずワイシャツの胸元を掴んでハタハタと扇いだ。この日のこの時刻の気温が三十八度だと彼が聞けば、自分がここに待たされているということを怨んだであろう。
 もっとも、彼は人を怨むようなことが出来る人間ではないので、「温暖化め…」とぼやいたに違いないだろうが。
 
 学校は十日以上前に疾うに夏休みに入り、本来であれば8月に入って今日のような出歩くのも煩わしく感じる程の快晴の日には、彼も今ごろは家の涼しい庭のテラスで椅子に座りながら食後の紅茶を飲みつつ、妹の秋葉、或いは使用人である琥珀と翡翠も交えて談笑でもしていたであろうが、日頃の不真面目が祟って一学期中の補習を受けるために、午前中に学校へと出向いたのであった。
 補習が終わり学校の校門を出たところで、彼は恋人のシエルと会った。彼女は今年の春に卒業し、現在は近くの教会で手伝いをしていた。彼女は元々カトリック信者であったために教会の仕事を嬉々としてこなし、日々を送っている。
 そのため、会ったときも深い青色のシスター服を着ていた。志貴は夏場のためかその格好を見ただけで暑苦しく感じたが、首周りの襟が白地のため、また何より、彼女が暑いような素振りもせずに普段の微笑みを顔にたたえていたため、幾分気が楽になった。
 教会の仕事と言っても、所詮は手伝い程度のことなのだからシスター服を着なくても良いのだが、彼女に言わせると「気分の問題」なのだそうだ。
 彼女曰く、教会の仕事が午前中の十一時に終わったために志貴を食事にでも誘おうと思い、補習のことも知っていたからここに来たのだそうだ。
 
 そうして、シエルのアパートに二人で向かったのだが、公園の辺りで突然彼女が「用事を思い出しました」と言って、しばらく公園のベンチで待っているように指示したため、現在志貴はこうして言われた通りにベンチで待っているのであった。
 
「それにしても……遅いな…」
志貴がぽつりとつぶやく。
 学校を出たのが十二時頃であったから、かれこれ五十分以上待っていることになる。愚痴でもこぼそうとも思ったが、この暑い中をあの暑苦しいシスター服で歩いているであろうシエルのことを考えると、その気も失せた。
 彼女のことだから、きっと帰りに食事の材料でも買っているのであろう。何を自分に振る舞おうかと考えているのであろう。予算について試行錯誤しながらに違いない。
 そんな様子を呆けたような目で空中に見出しながら、彼は待っていた。
 
 ふと、“香”の匂いがしたような気がした。香道やアロマテラピーなどに用いるようなものではなく、お寺や教会など、墓に関係したところで用いる類のものだ。
 
「どこも夏は暑いですねぇ…」
突然、横から話し掛けられて、志貴はそちらに振り返った。
 そこには青いワイシャツを二の腕までまくり、サスペンダーズボンの外国人の男がいた。志貴はあまり人種の知識が無かったために”外国人”という認識しかできなかったが、その男はイタリア系の顔立ちをした二十代前半と思しき容姿をしていた。中肉中背で、髪型はスポーツ刈りと言える程に短目であった。癖のある髪なのであろう、ところどころあらぬ方向に跳ねている。
 ただ志貴が気になったのは、その左腕であった。肩から指先まで、包帯で巻いてあったからだ。
 また先程の匂いがした。どうやらその包帯から出ている香りのようだった。
「となりに座ってよろしいですか?」
包帯や香のことは気になったが、別段怪しい人物には見えないし、片手にトランクを持っていて、そこにスーツシャツをかけてあったから、志貴はビジネスマンが休憩がてら休むつもりなのだと思い、快く男の申し出を受けることにした。
「構いませんよ。どうぞ」
志貴がそう言うと、男が「では」と言いつつ隣に座った。胸ポケットから煙草とライターを取り出す。
「あ〜〜〜、吸っても構いませんかね?」
そういう男を見て、志貴は礼節がある人だなと感心しつつ、承諾した。
 左手に持ったタバコケースから器用にタバコを一本、ケース振るようにして飛び出させると、それを咥えて右手のライターで火をつけた。
 その様子を見ると、左手は怪我をしている風には思えなかった。
 ぷわぁっと煙を吐き出す男は、ごく普通のビジネスマンに見えた。
 男が、志貴の左腕への視線に気づいたようで、「気になりますか?」と聞いてきた。
「えっ?あ、まぁ……」
ためらいながらも、正直に答える。
 
「いえね、私……左腕が腐っているんですよ」
平然と志貴に告げる。
 
 そんなことを聞いて平然としていられないのは志貴の方であった。
「えっ?!でもさっき…」
そう、男はタバコを器用に一本だけをケースから左手で振るようにして取り出した。腐っている手であんな器用な真似ができるものなのだろうか、と志貴は思った。
「まだ神経や筋肉までは腐っとらんのですよ。今のところは皮膚だけで済んでいるんです」
左手の指を何かを掴んだり放したりするようにして動かす。
『でもまたなんで―――』と志貴は聞こうとしたが、失礼だと咄嗟に思ったので止めた。 その代わり「日本語がお上手ですね」という、当り障りの無いことを聞いたのであった。「実は先程覚えたばかりなんですよ」
冗談のように言う男。しかし、その顔はとても冗談を言っているようには見えなかった。「………」
それっきり、志貴は黙ってしまった。
 じきに男はタバコが吸い終わると吸殻を携帯吸殻入れで始末して、ベンチから立ち上がった。
「さて、そろそろ仕事に戻るとします。お邪魔しました」
「いえ、お仕事頑張ってください」
「はい。もちろんです」
そう言う男の顔には含みがあったが、それがどういった類のものかは、志貴には推し量ることはできなかった。
 足元に置いてあったトランクを持つと、男はベンチから離れていった。
 しかし、十メートル程離れたところで、男は振り返って、志貴に大声で話し掛けた。
「私の左腕が何故こうなったか知りたいですか?!」
志貴は思わず、男の目を見た。聞きたい。志貴の目は、そう相手の男に告げていた。二人の間には十メートルもの間隔があったが、確かに通じたようだった。
「それは―――」
 
「―――私が死徒だからですよ、遠野志貴君!」
「えっ!?」
志貴が叫んだときには、彼はヒュッと音を立てて消えた。人間の目には見えない程の速度で立ち去ったのだ。
 男が立っていた場所には、今では代わりに陽炎が立ち昇っていた。
 
 
 志貴が先程のような暑さにではなく、男のことで呆けていると、
「お待たせしました、遠野君」
と、シエルが声をかけてきた。
 志貴は返事をしようとしたが、「ああ」などという素っ気無い言葉しか口からは出てこなかった。
「あ、すいません。私ったら随分長く待たせちゃいましたね」
そういうシエルも随分長く歩いていたようだ。体力こそあるが、それでも暑い中を歩けば汗はでる。彼女の笑顔と、額から流れる汗が、何かを我慢しているかのようで、志貴には見ていて辛かった。
「ん…とにかく座ったら?シエルも疲れただろ」 
「あ〜、ではお言葉に甘えますね」
そう言って座るシエルに、志貴はポケットからハンカチを取り出し、シエルの方に掲げた。
「どうせハンカチなんて持ってないんだろ…?」
汗をかいているにも関わらず、それを拭っていないことで、志貴はそう思ったのだ。
「一応持ってはいたんですけどね。汗に構っていられなかったというか、汗をかいているのにも気づいていなかったというか……でも、折角ですからありがたく使わせてもらいますね」
シエルは志貴のハンカチを受け取ると、掛けていた眼鏡を取って額を中心に汗を拭った。
 志貴は汗を拭うシエルを見ながら、しばらくその横顔に見惚れていた。
「ん?どうしました、遠野君」
その視線に気がついたシエルが、声をかけてくる。
「あっ…いやっ、その……そうだ、ジュースでも買ってくるよ」
そう言うと志貴はベンチから立ち上がり、シエルに飲み物は何が良いか聞くと、その場から逃げ出すように公園向かいの自販機へと走っていった。
 その様子を見ながら、シエルは嬉しそうに―――全てを見通した母親のように―――笑っていた。
 
「何もそんなに急いで買ってくる必要はないじゃないですか」
笑い混じりにシエルが言う。目の前には汗だくの志貴がベンチに座って息を切らせている。
「これを使ってください」
そう言うと、シエルは今度は自分のシスター服の腰ポケットからハンカチを取り出した。
「先程、私が遠野君のを使ってしまいましたから。あ、遠野君のは後日洗濯してから返しますからね」
その志貴のハンカチは、ハンカチを渡す反対の手に大事そうに持っている。
「あ…じゃぁありがたく使わせてもらうよ。でも―――」
 
「別にシエルが使ったやつでも良かったんだけどな」
 
志貴がいつものように自然な笑みを浮かべながら言う。彼は、この言葉がさりげなく爆弾発言であることに気がついていない。
「もうっ!遠野君は変態ですか?!」
顔を真っ赤にしながら叫ぶシエル。その声はうわずっている。
「へっ?俺、何か変なこと言ったかな?」
それでもまだ気がつかない志貴。素直過ぎるというのも、本人は良いかもしれないが、付き合う相手は心休まらないことが多い。だが、それはそれでシエルも嫌ではなかった。
 恋というものは、嫌な部分も好きな部分も全て包括して、異性の相手と付き合えることを言うのかもしれない。少なくとも、彼彼女はそういうものであるという認識をしている。無意識にではあるが。
「もう……まぁ、とにかく温くなってしまう前にジュースいただきますよ」
志貴が買って来たのは、自分の分は「砂糖控えめ」がキャッチコピーの冷紅茶で、シエルは汗だくで歩き回ったためか、彼女のリクエストは「スポーツ飲料」であった。
 志貴とシエルが示し合わせたかのように同時にプルタブをかしゅっと開け、同時に一口目をぐいっとあおる。
「「ぷはぁ〜」」
ここまでは非常に息が合っていた二人ではあったが、飲み物の種類が違う以上、この後のコメントは違っていた。
「やっぱり勉強の後は甘い紅茶に限るなぁ」
と、志貴。普段から琥珀の淹れる美味い紅茶を飲んではいるが、缶紅茶の甘味は、頭が疲れた時にはもってこいであった。
「やっぱり汗をかいたときはスポーツ飲料に限りますねぇ〜」
一方シエルは、普段から常人には想像もつかない運動量をこなしており、常日頃、スポーツ飲料の世話になっている。
 二人にとって、「やっぱり」というのには、日頃の生活が現れていた。
 
「そういえば、いったい何の用事だったんだ?」
缶の中身が半分近くまで減ったところで、志貴が気になっていたことを聞いた。気になっていたといえば、先程の“自称死徒”の男も気になっていたのだが、もしかしたらシエルの用事というのも何か関係があるのではと思ったので、先に用事について聞いたのだった。 更に志貴は付け加えた。「隠し事は無しだよ」と。
 一瞬シエルの表情が不安定になった。恐らくは、真意の程は隠すつもりであったのであろう。
「はぁ……遠野君はお見通しですか。仕方ありませんね」
シエルはもう一度「はぁ」という溜息を吐いた。どうやら話す決心がついたようだ。
「実は、先程遠野君と歩いていたとき、ある気配を感じたんです。いてもたってもいられずに、その気配を追っていたんですよ。これはもう職業病ですね」
苦笑いをしながら頭をポリポリと掻いている。
「職業病っていったって、もう埋葬機関の仕事はやっていないじゃないか。それに、『今後埋葬機関の仕事を請け負わない』っていうことを、この間、本部に伝えてきただろう」
志貴の目を見つつ、頷くシエル。しかし、志貴はその目に不安のようなものも見て取れたのだった。
「でもね、遠野君。埋葬機関というところは、『やめます』と言って、『はい、そうですか』なんていうところではないんですよ。もっとも、一般の会社や企業だって同じですけど、あそこはその存在そのものが秘匿の特務機関なんです。ですから、なおさらです」
シエルの言っていることは正しい。しかし、それが正しければ正しい程、シエルに平穏は無い。にも関わらず、シエルは淡々と喋っている。志貴には、それが腹立たしかった。
 とはいえ、その淡々とした喋りは志貴のことを心配してのことだということも、志貴は知っていた。だから、志貴は決して表情には苛立ちを出さなかった。
 だが、苛立ちをいくら抑えようとも、志貴のような根が素直な人間には、完璧に自分の感情を外に出さないようにすることなどは、不可能であった。
 それを見逃さなかったシエルが悲しそうな顔で息を吐いた。
「今は、埋葬機関と死徒とは一種の膠着状態になっています。せいぜい、末端の死徒が吸血事件を起こしたのを滅ぼす程度です。ですから、私が任務に参加しなくても、支障がないんです。でも、それもいつまで続くかどうか……」
シエルが頭を俯かせた先に、蟻の集団と羽を痛めて地面を這っているバッタを見つけた。志貴もシエルの視線を追っていたため、それに気がついた。
 最初こそ、蟻とバッタは睨み合っていたが、バッタが飛べないことに気がついた、というより本能的に察知した蟻が一斉に群がった。バッタも群がる蟻を後ろ足で跳ね飛ばし、頭を振り、吹き飛ばす。大勢不利を見取ったバッタが最後の力を振り絞ってジャンプするが、ほんの三十センチ程飛んだだけで、それで力尽きたようだ。しかし、まだ生きているようだった。蟻が先程よりも一層強い足取りでバッタに向かう。
 と、その時、志貴が蟻とバッタの間に自分の飲んでいた“甘い紅茶”をぶちまけた。蟻がそちらに群がっている間に、バッタがなんとかもう一度ジャンプして、ベンチ横の草の上に飛びついた。そのまま短いジャンプを草伝いに続け、バッタは林のなかへ消えていった。
「……偽善だとは思うけどさ。それでも、お互いに傷つかない方法がある内は、その方法を使いたいとも思うんだよ……。本当に偽善だけどね」
志貴が空になった紅茶の缶をベンチの隣の缶捨てに捨てる。そう言った志貴の表情を、シエルは角度の所為で見えなかった。
「……アルクェイドのことを考えてますね…?」
シエルの言ったことは、的を射ていた。的のど真ん中というわけではなかったのだが。
 志貴は神妙な顔をして「ふぅ」と大きな溜息をついた。タバコでもあれば、学生服であることなどお構いなしに吸っていたことであろう。
 
 アルクェイド=ブリュンスタッド。通称「真祖の姫」。金髪で、浮世離れした美しさを持つ美女。シエル達埋葬機関の最終目標である「真祖」の一人であり、志貴曰く「友人」で、アルクェイド曰く志貴は「恋人」。
「では、遠野君は自分を“紅茶”だと思っているんですか?私とアルクェイドのための消耗品だと?もし、そんな風に考えているんだったら、許しませんから!」
シエルの激高を聞きながら、志貴は苦笑いをする。
「はっ、そんなに俺は破滅的じゃないさ。自分をおとしめて相手の気持ちを利用するなんてのは性に合わないしね」
じゃあ、と言うシエルを制しながら、志貴は続けた。
「シエルは勘違いをしているよ。俺が言ったのはあくまで埋葬機関と死徒との間のことを指して言っただけで、アルクェイドのことはおまけみたいなものだよ。俺が今心配しているのは、シエルのことだけだよ…」
シエルの目を見ながら、志貴は言い終えた。
「…遠野君……」
自然に二人の顔が近づいていく。シエルの持っていた缶が地面に落ち、トクトクと中身が地面にこぼれていく。先程まで紅茶に群がっていた蟻が、今度はそれに群がっていく。志貴はシエルを抱き寄せ、口付けを―――
 
「真昼間からお暑いわねぇ〜、二人とも…!」
第三者の声を聞いて、二人が同時にそちらを見た。そこには、見覚えのある金髪の女性がひきつった笑いを浮かべながら、腰に片手を当てて、ベンチの前に立っていた。
 
「「アルクェイド…!?」」
そう、そこに立っていたのはアルクェイドその人であった。周囲の気温が急激に下がっていく。アルクェイド自身が周囲に殺気を具現化しているのに加え、志貴とシエルの血の気が引いていることも、それに拍車をかけた。
「志貴っ!」
アルクェイドが自分の使い魔に言うような声で叫ぶ。
「はいっ!」
志貴もそれに反応して、思わず素直な返事を上げる。
「誰が『オマケ』だって〜〜?」
あくまで笑った表情を崩さないアルクェイド。これが怒ったときのアルクェイドの癖であった。ただ、この怒りにはもう一段階あり、この怒りは相手を殺す時のみに向けられるものである。その特徴として、口元が微笑むような形に歪み、相手を睨むような目になることで、その最たるものが「魔眼」の解放である。それは、相手に純粋な恐怖を与えるほどだ。
 志貴のワイシャツの胸元を“左手で”掴むアルクェイド。
「あ、あれは言葉のアヤというやつでな……?―――!!!」
志貴がある違和感に気がつく。アルクェイドの利き手は“右手”ではなかったか、と。そしてその右手を確認すべく視線を移した志貴は驚愕した。
 
「おい!その右手はどうしたんだ?右手が―――無いじゃないか!」
志貴の視線の先には、空しく揺れる服の袖があるだけだった。
 
「ああ、これ。さっきとある死徒と戦ったら、不覚をとっちゃってねぇ〜。しかもその死徒には逃げられちゃうし。んで、慰めてもらおうと志貴を探して、ようやく見つけたらシエルなんかといちゃついてるんだもの。今日は厄日ね……」
アルクェイドは志貴を掴んでいた手を離し、再び腰に手を当てて溜息を吐く。
「ちょっと待て…お前、死徒って言ったよな?ってことは、もしかしてシエルが言っていた“ある気配”って―――」
シエルはこくんと頷くと、志貴に答える。
「はい、死徒の気配です。相手に気づかれて、逃げられちゃいましたけどね。恐らくは、アルクェイドがやられたという相手も、そいつです」
「なんで、そんな大切なことを早く言わないんだよ?!」
志貴にとって、死徒がこの街をうろうろしているというのは、我慢がならなかった。使命感というわけではないが、シエルとの日々を乱そうとする奴を、放っておける彼ではなかった。
「それを話そうとしたら、遠野君が埋葬機関の話に持っていってしまったんじゃないですか!……まぁ、私のことを心配してなんでしょうから、良いですけど」
シエルが叫んだり呟いたりする度に表情をころころと替える。その様を見ていて、志貴は怒ったのも忘れて、そんなシエルも「可愛いな」などと考えたりしており、表情にはっきりと出てもいた。
「ほら!またそこで惚気てんじゃないわよ!死徒の話でしょう!」
アルクェイドの一喝と共に志貴とシエルが慌てつつも平静さを取り戻した。
「あ、そういえば―――」
志貴がぽつりと俯きながら呟いた。
「「そういえば?」」
シエルとアルクェイドが詰め寄る。
「ついさっきここで、自分が死徒だっていう男と会ったよ」
顔を上げながら続ける志貴。
 
「どんなやつだった?!」
「どんなやつでしたか?!」
同時に聞くシエルとアルクェイド。
 
「え〜っと…そうそう、左手に包帯を巻いていて、彼は『左手は腐っている』って言ってたよ」
 
「そいつだ」
「そいつですね」
同時に得心するシエルとアルクェイド。志貴はなんだか見ていてほほえましかった。
 
「つまり、だ。全員同じ相手だったということか?」
志貴が表情を真剣なものにして言う。残りの二人がそれに同意する。
「私は知らない奴だったなぁ〜。でも、基本能力の高さを考えると、ネロみたいな死徒二十七祖の一人かもね」
アルクェイドが人差し指の先を顎につけて思い出すように言う。
「アルクェイド、その死徒はどんな武器を使っていましたか?」
シエルにはどうやら心当たりがあるようだった。
「う〜んとね、それなら、私がどんな風にその死徒と戦ったか聞いた方が、わかり易いと思うよ。私も、その方が思い出しながらだから話易いし」
視線をシエル、志貴の順にずらすアルクェイド。
「ああ、その方が、今後そいつと戦うことになった場合の参考にもなるから良いと思う」「私もそう思います」
二人とも異存は無かった。
「あ―――その前にさぁ〜志貴ぃ?」
アルクェイドが、猫が何かを強請るような仕草で志貴に言う。
「な、なんだよ……」
 
「私にもジュース買って来て」
 
 
  第二幕「三咲町の夏についてのエトセトラ」完

  初稿・2001年8月20日
第三幕へ

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