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  第四幕「覆水、盆に帰らず」
 
 太陽が西へと旅立っていく。そしてまた次の場所で地上の生命を相手に暴れまわるのであろう。
 太陽が残した熱気という残骸を地面から拾い集めながら、シエルは自宅アパートへと歩いていた。
 公園から大分アパートに近づき、見知った顔と夕方の挨拶を交わす。その内の一人である、同じアパートの女性が挨拶の後に話し始めた。
 この女性はシエルとは隣同士の部屋に住んでおり、色々と世話になっている。年齢は本人曰く二〇代だが、実のところは三〇ちょうどであり、独身であった。背格好はシエルよりも五センチ程高く、社会人らしく髪は短めに切ってあった。顔は中の上とも上の下とも言え、どちらかというと美人の部類に入る。最大の特徴は目周りで、全体的に釣り上がっている。にも関わらず、怖いという印象は無い。それは彼女の性格や話し方によるところが大きいだろう。
「そうそう、シエルちゃん。さっき男の方がアパートの前の塀のところにいてね、私が『アパートのどなたかに御用ですか?』って聞いたら、『はい、シエルというんですが、どうやら留守らしいので、待っているんですよ』ですって」
シエルは一瞬その人物は志貴かとも思ったが、先程別れたばかりだということを思い出して、彼とは違うと思い直した。
「……どんな格好してましたか?」
「う〜んとね、ビシっとしたスーツ着てて、学者さんみたいな感じだった。メガネもかけてたしね。そうそう、髪は長くて、後ろでまとめてあったよ。顔は私の好みだったわ」
女が人差し指を突き立てて、片目で目配せをする。
 それを見ながら、シエルは苦笑いを浮かべるしかなかった。
「あはははは……あ〜それは多分私の上司の方です。わざわざ教えてもらってありがとうございました」
そう言って、シエルは早足でアパートへと向かった。
 後方で、女が「今度紹介してね〜!」と言っているのが聞こえた。シエルには、それが冗談なのか本気なのか判別はできなかった。
 
 
 
 シエルが、アパートへの道の最後の角を曲がると、例の男が見えた。向こうもシエルに気がついたらしかった。背中を塀に預けながら、こちらに向かって片手で合図をした。
 シエルにはその顔はとても見知ったものであった。彼女はあまり知り合いになりたくはない部類の人間ではあったが。
 
「ソロモン!!」
シエルが男の名前を叫んだ。そのままツカツカと近づき、普通に話せる程度の距離まで近づいた。
「やぁ、シエル君。お久しぶりだね。最近ご無沙汰だったから、私は心配だったよ」
メレム・ソロモンが薄笑いを浮かべながら、細い目でシエルを見やる。
「……何の御用ですか?…!まさか任務―――」
シエルが言い終わる前に、ソロモンが片手をその口に当てて黙らせる。
「何を考えているんだね?こんなところで任務なんて言い出して。すっかり平和ボケしてしまったようで、私はがっかりだよ。“弓”」
ソロモンが言った“弓”とは、シエルの通り名である。もちろん“こちら”ではなく“あちら”の世界での、だ。
 シエルが自分の不注意に気がついたのを確認すると、ソロモンはそっと手を離した。
「…すいませんでした」
「わかってもらえればそれで十分だよ、シエル君。ああ、そうそう。長旅で疲れているんだがな……」
ソロモンが上空を点のように通り過ぎていく飛行機を見上げた後、顔の向きはそのままに横目でシエルを見ながら言った。とはいっても、エコノミークラスではなく最上級のビジネスクラスで優雅に来たのだから、疲れているはずはない。
 第一、疲れるのが嫌ならば、空間転移でもしてくれば良いのだ。それをしないのは「つまらないから」で済ませられるからかもしれない。
「わかりました。お茶でも淹れますから、部屋に上がってください」
「それは有り難い。では、お言葉に甘えるとしようか」
シエルは部屋に向かいながら、相変わらずあつかましい奴だと思った。相手の方が年上に加え、上司だから口には当然出せない。
 
 
「まったく、日本人というやつは、なんでこう地面に座るなんていう習慣を持っているのかね。そんな従属的慣習を止めないから、戦後半世紀以上立ってもアメリカなんていう叛徒共の国にこき使われるんだ。そうは思わんかね?」
などと言いつつ、ソロモンは行儀良く茶の間の畳の上で正座をしながら緑茶を啜っている。
 流石は自称「紳士」のことだけはあるなとシエルは皮肉った。
 ちなみに、ソロモンがアメリカのことを「叛徒共の国」と言うのは、もちろん「プロテスタント共の国」という先入観からである。
 だが、緑茶の味は気に入ったらしく、まだ熱いにも関わらず、二口目で既に湯飲みの半分近くまで飲んでいる。
「あの…別に男性はあぐらをして座っても良いんですけど…」
シエルが湯飲みと急須を運んだお盆を立って持ちながら言う。
 ソロモンがそれを聞いて「ほう、そういうものなのか」と感心しながら足を解いて、あぐらの形に組みなおすと、丸いメガネのレンズを通して、シエルを上目遣いで睨んだ。
 単純に言えば、ロアよりもこの男の方が「蛇」と言うには相応しいと、シエルは心の中で毒づいた。
「ところで、シエル君。君は何故立っているのかね?これでは落ち着いて話もできんではないか。座りたまえ」
すっかり、場を仕切っている。シエルは「やはりあつかましい奴だ」と思いながら、ソロモンと向かいの側に正座した。
 
「それで―――私が“わざわざ”ヴァチカンから“こんな”極東の無神論者共の国に来た理由がわかるかね?私としては、わかっていてほしいんだがな」
ソロモンが質問を言い終わると、シエルが「あの」と言った感じで片手を挙げた。
「無神論者とは言いましても、ちゃんと仏教を信じていられる方もいますし、神社仏閣もありますから―――」
シエル弁護士がが日本という被告人の弁護を続けようとしたところで、ソロモン検事が異議を唱えた。
「主以外は神とは言わないだろう!それは君だってよくわかっているはずだ」
「はい…まぁ、そうなんですが……」
裁判の結果は、日本被告人の弁護人人選ミスが判明したのみであった。
 
「ふぅ……話を元に戻そう。私が来た理由は君だって察しがついているはずだ」
溜息の後にお茶を啜り、話を本題に戻すソロモン。
 お茶が残り少なくなった湯飲みに、茶を足しながらシエルがそれに答える。
「…私が埋葬機関を辞めたいと申請したことですか?それとも、エンハウンスに関してですか?」
シエルがお茶を淹れるのを眺めながら、ソロモンは腕を組んで感慨深そうにしている。シエルがお茶を淹れ終えるのを待って、ようやくソロモンが口を開いた。
 
「両方だ―――いや、どちらかというと前者の方が優先事項だな。エンハウンスのことはついでみたいなものだ」
シエルから視線を逸らしながら言う。これで偉そうに腕など組んでいなければ可愛いものなのだが……
「エンハウンス―――いや、エンハンスなど、こちらには真祖の姫もいるから、問題ではないのだよ」
ソロモンがエンハウンスをここに向かうように仕向けたのも、真祖の姫が始末してくれることを期待したからだ。面倒臭い仕事は他人に任せるのが彼の流儀だった。その間、彼は趣味の秘宝やら骨董品やら遺跡やらを見てまわったりするのである。
 これが彼の人付き合いの下手さの原因でもある。命令したり仕向けたりするのは得意にはなるが、相対的に相手と対等に話したりする経験は積めなくなるからだ。
「ですが―――その真祖の姫でも彼を仕留められなかったようです」
ソロモンの湯飲みを口に運ぶ手が止まる。代わりに口が動いた。
「なんだと、あの真祖の姫がか?!彼女に出会って次に出会えたものはいないと言われる程の彼女が仕留め損なったというのか!!」
シエルは、ソロモンの目が始めて完全に開ききるのを見た。
「どうやら気がつかなかったようですね。貴方のことだから、きっと既に事は成ったと考えて、感覚走査もせずに呑気に私を待っていたんでしょう。平和ボケをしたのは、むしろ貴方の方ではないのですか?」
しかし、シエルも他人のことは言えないのである。志貴を公園に待たせていることの方が気がかりで、エンハウンスを見失った後はアルクェイドとエンハウンスの戦闘時のとてつもない殺気にも気がつかなかったのだから。
 もっとも、彼女にとってはそんな自分の失態よりも、目の前の嫌な上司に一泡吹かせることの方が優先されたのであった。
「―――くっ…まぁ良い。私と君が二人掛かりで相手をすれば問題無く仕留められる。一旦この話は置いておくとしよう」
苛立ちを抑えるようにして、今まで手を付けていなかった茶菓子の醤油煎餅を口に運んだ。
バリバリという煎餅を噛む音が、ソロモンの心境を表しているようで、シエルは可笑しかった。
「…なんだね?君はそんなに私の失態が面白いとでも言うのかね?」
シエルが可笑しさを表情に出してしまっていたのに気がつく。
「い、いえっ。ただ、貴方がお煎餅なんて食べているのが不思議だったもので」
必死に誤魔化す。彼を怒らせたら、シエルの直属の上司に当たるナルバレックに何か言って、申請そのものを無かったことにしかねない。
「うむ…もち米の加工品など食べた事が無かったのでな―――意外と美味いものだな」
というか、彼は米自体あまり食べた事が無い。せいぜい、以前旅行(任務がてらだが)したときに食べたパエリアやラザーニャに入っていたものぐらいだ。
 そんなことを真面目に言うソロモンを見ていて、シエルは本当に可笑しかった。もちろん、今度は必死にこらえた。
 
「では、本題に入ろうか。シエル君」
ソロモンがいつものように目を細くして話し始めた。シエルも姿勢を正す。
「何故こんなもの―――申請書などを提出したのかね?」
ソロモンがスーツの内ポケットからフランス語で書かれた書簡を出して、テーブルの上に出した。シエルには見覚えがあった。それは自分で書いたものだからだ。
「アカシャの蛇―――ロアを仕留めたから、などとは言うなよ。そんなものは理由にならん。我々の組織は君の私怨を晴らすために存在しているわけではない。この際、自分から決めて入ったか、入らざるをえなかったか、などというのも無視する。君は既に我々に関わってしまったのだからな。いや、そう考えるならば、むしろこのまま組織に入っていた方が安全だとは思うが?必要な範囲での情報は手に入る。これまた必要な範囲での資金も支給される。何より、一人では危ないと思えば、共同戦線も張れる。何故そこまで辞めたいと考えるのかね?」
シエルがソロモンではなく、目の前に置かれた自分の湯飲みのお茶から出ている湯気を見ている。どうやら自分からは話し辛いようだ、とソロモンは思った。
 それでも、シエルから話すのをしばらく待った。三分程、ソロモンのお茶を啜る音だけが聞こえていた。
 
 ソロモンは湯飲みを置くと、お茶の熱気を溜息と共に体から追い出した。そして、それと同時に、自分の中のためらいも外に追い出した。 
「話し辛いなら私が言おう―――遠野志貴君―――だな?」
湯気をゆらゆらと追っていたシエルの眼球の動きが止まる。それを見逃すほど、ソロモンは平和ボケしてはいなかった。
「ふむ……私は人間だった頃からそういったことには縁が無くてね……すまないが、キチンと君の口から説明してくれないかな?」
自分でも、今日の私はどうかしているな、と彼は思った。自分から相手に物事を頼むなど、いつもの彼からは考えられないことだからだ。
「どうしても…ですか?」
シエルが顔の向きは湯飲みの置いてあるところそのままに、視線だけをソロモンに向けた。
「そこまでは言わないがね。ただ、話してくれた方が、申請を受理する可能性が上がるか下がるかする。話さなければ―――」
「上がりも下がりもしない…」
「そういうことだ。頭の良い君のことだ。どちらが自分にとって有益かはわかるはずだ」
そう言った後、ソロモンは手を組み合わせて、額をその上に乗せて目を閉じた。その姿勢は、単にシエルが話し始めるのを待っているようにも見えるし、神に祈りを奉げているようにも見えた。
 三呼吸程間を置いてから、シエルは話し始めた。
「彼についての報告書は…既に目を通されましたか?」
「ああ、実に興味深い内容だった」
その内容とは、志貴がシキからロアの魂を引き渡され、なおかつそれを滅したこと。そしてそれを行なうために、直死の魔眼を用いたこと。真祖の姫が彼によって一度殺されたことなどである。
「彼の確保は、埋葬機関にとっても有益です。なんせ、あの真祖の姫を滅ぼせるのですから。しかし、彼は幼い頃に魔術協会の人物とも接触しています。ですから―――」
「彼を魔術協会の連中が狙う可能性がある、とも考えられるわけだな。研究材料にはもってこいだからな」
「そういうことです。その際、私が埋葬機関を辞めたという情報が流れていれば、彼等は油断します。そして、予想通り彼等が遠野君を襲ってくれば、私は埋葬機関に戻ります……それで……」
シエルが急に黙ったので、ソロモンは顔を上げ、彼女の方を見た。すると、頬を上気させ、なにやら口をもごもごさせて、喋ろうとしてはお茶を啜っていた。
 それを見て、ソロモンは意地悪そうな笑みを浮かべた。
「つまり―――それまでは二人をそっとしておいてください、というわけだ」
ゴフッという音共に、シエルが茶で咽た。
 シエルが落ち着くまでの間、ソロモンは楽しそうにその様子を眺めていた。
 
「まぁ、最後の私の言ったことさえ入れなければ、辞めることは無理でもしばらく任務を行なわないでいいようにはできるだろう」
ソロモンは、持ってきた報告用の書類を書いている。すらすらと、筆記体が紙の上をのたくっている。ヴァチカンに帰ったら、今度はこれをタイプライターで打ち直して、報告書が完成するわけだ。流石に、最近は情報の正確さと統一を図るために、筆記体や手書きの書類はサイン以外には認めなくなっているのだ。
「やはり……一時的にも辞めることはできないんですね」
シエルが精気の無い口調で言う。その原因は辞められないことが最大の理由だが、咽たことも少し影響している。
「それは仕方あるまい……そこまでやると、むしろ協会側が不審がるからな。任務を行なわなくていいようになるだけでも良しとしてくれ」
「はい、わかりました……ありがとうございます」
ペコリとお辞儀をするシエルをソロモンは片手を挙げて制す。
「礼なんぞしなくていい。これが仕事なのだし、何より―――私はね、君を見ているのが楽しいんだよ」
シエルが怪訝そうな顔になる。何を変なことを言っているんだ、という顔だ。
「そこまで変な風に見なくていいだろう……まぁ、いい。私はね、君がどんな風にこれから生きていくのかが気になるんだよ。既に不老不死ではなくなった君がね」
そう、シエルはもう不老不死ではない。ロアが死んだ以上、彼女が老いようと死のうと、世界はそれらを自然なものとして認めるのだ。
「随分、あつかましいんですね。貴方は」
シエルが先程のような毒づいた風にではなくなおかつ実際に冗談混じりに言う。
「だから、私が来たんだよ。ナルバレックのようなサド女が来たら、それこそどうなっていたことやら」
ソロモンが腕を組んで、ふんっと鼻で笑う。
「まったくです……埋葬機関の人間って、あのナルバレックの悪口を言う時だけ気が合いますね」
「いや、もう一つあるぞ。シエル君」
「はい?」
シエルが興味深そうに顔を前に出す。
 ソロモンもシエルの耳に近づく。そして埋葬機関の誰もが思っているであろう、そして実際には言えないであろう事を口に出した。
 
「奴を…いつか殺したいってことさ」
ソロモンがいつもの意地の悪い笑いを顔に浮かべる。いつもと違うことといえば、シエルも同じ類の笑いを浮かべていることだ。
 
 しばらくの間、顔を合わせて笑い合っていたが、ふとかなり物騒なことを肴に笑っていることに気まずさを感じて、二人同時にお茶を啜った。
 
 
「ふふふふふ……そう、皆そう思っているのね……いいわよ…でも、いざ行動に移したら―――皆殺しにしてあげるんだから!!」
ヴァチカンで遠く極東の一室の様子を術の媒体である器に入れた水を通して見聞きしていたナルバレックが、怒りの波動を執務室に溢れさせた。
 その余波で、器にヒビが入り、水が染み出す。じきに、彼女の怒りの器にもヒビが入ることだろう。
 それが一年後のことか、一〇年後のことかは、誰にも分からないことだ……。
 
 
  第四幕・完
 
  初稿・2001/8/24
第五幕へ

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