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  第九幕「覚悟の勧め」
 
 心臓が止まった状態を死と定義したのは、実に正しいことだろう。人間を動かしているのは心臓。それが循環させる血液によって脳が身体を制御するのであるから、心臓以外の機関は、所詮は心臓よりも下位次元の存在でしかない。
 しかし、これはあくまで肉体的な観点から見た場合での「死」である。本人及び他人が「死」を自覚するのは、精神的観点からであるから、社会の中では精神を司る脳の「死」こそが「死」として認識されるべきであるし、それを理解したからこそ、脳死というものが認められ始めているのである。
 本人は精神が死んだ時点で、自身の死を受け容れたことになるが、その者に関わる他人は、なんらかの方法でその者の「死」を認識しないかぎり、その者はある者にとっては「死んではいない」ということになる。
 行方不明者の家族やその他の関係者が良い例と言える。彼らの中には行方不明になった状況から「死んだであろう」と認識する者もいれば、遺体を確認するまでは「死んでいない」と思う、というよりも信じる、者もいる。
 近頃はこれを現実に実感できる事件が多々ある。国連貿易センター爆破関連事件、えひめ丸沈没事件、各民族紛争……。
 絶望的な状況にあって、「死んでいないと信じる者」は、信じ続け、信じたくて、死を理解したくなくて、受容したくなくて……。
 これこそが悲劇だといえるのではないだろうか。人はこれをいつまで続けるのであろうか……。
 
 さて、遠野志貴はシエルの死を認識した。この時点で、彼女は彼の中で「死んだ」ことになる。しかし、目の前でシエルは生きている。
 一度失ったと認識してしまった状況下で、それ以前のように彼女を見れるということはない。彼女は不確かな存在であると、認識してしまったのだから。
 ここから彼がどのように彼女と接していくかは、彼しだいであろう。
 
「つまり、だ。所詮は君の彼女に対する覚悟なんてものはその程度のものだということだ」
エンハウンスが得意げに志貴に語りかけている。
 その槍玉に上げられた志貴は、その槍が直ぐには抜けられるモノではないことを突き刺し具合から実感していた。
 鏃(ヤジリ)の素材として、シエルが使われた時点で、それは確定的ではあった。そのシエルはというと、居間のソファで、志貴とエンハウンスが向かい合っている視線の脇で、石像が称える、あの独特の「陰鬱な哀しみ」とでも言うべき表情を形作っていた。
 
 現在、この居間には彼ら三人に加えて、琥珀と翡翠の姉妹もいる。その他のアルクェイドを始めとするものは、ちょうど昨日の琥珀と翡翠のように、固く閉じられた居間への扉の前にいた。
 別に彼らが居間にいても、シエルの命をエンハウンスが握っている以上、誰も手は出せないのだが、彼は最低限の人数で志貴と話がしたかったために、このような状況になっている。
 では、それほどまでに志貴と少ない人数で会話したかった彼が、何故に琥珀と翡翠を居間に残したのであろうか。それは、彼女達がいることによる利点が多く、また逆に不利益が少ないからであった。つまり、ローリスク・ローリターンである。
 彼女達には攻撃能力は無いし、お茶などによる会話の潤滑油を供給してくれる。彼としては、それで十分であったし、彼女達、特に琥珀が彼を客として迎えたがったこともある。彼は、彼女には他意が無いように思われ、翡翠共々、居間に残したのである。
 この札には今は何の効力も無いし、抑止力も無い。捨ててもいいし、山から引き当ててもいい。つまり、彼の中ではそういうことなのである。
 人と人との駆け引きはすべからくゲーム的要素を持っている。そして、そのゲームにはルールというものが、暗黙の了解として作られ、存在するのである。
 果たして、この場では誰がプレイヤーで誰が札なのであったか……。
 
 さて、ゲーム外の者達は面白そうなゲームに参加できない以上、またゲームに参加していないが故の無責任さを持って、状況を予想・想像して楽しんでいた。
「それにしても、なにやら肩透かしではあるな。席に着くための入場券としてレン君、シエル君を使っただけとは……それも私たちが入れない特等席だ。まったく、そこまでして見たい劇とはどんなものなのか」
こんなときでも例えがキザなのがメレム・ソロモンの良い所だとは誰も思わないだろうし、思いたくもないであろう。
「琥珀と翡翠はどうなのよ。あの子達は劇の役者でもないし演出者でもないわ」
アルクェイドもアルクェイドで、一々ソロモンの例えを評する気にもなれず、その例えを流用する有様である。
「アルクェイド様、まだ給仕等の裏方が残ってます」
レンも緊張感が解けて、口が緩くなっている。
「そうね、レンちゃん。正にあの子達にはピッタリの役だわね。となると、実は一番の特等席にいるのは、あの似非修道女なのではないかしら。あのエンハウンスとかいう無礼者も兄さんも、どちらかというと役者にあたるでしょうからね」
秋葉の純粋な水のような口調も、その中に毒の成分が混じっていると、その効果も一際である。
「無礼といえば、志貴だってそうよ。こっちが苦労している間にシエルといちゃいちゃしてたって言うんだからね。案外、良い薬になるんじゃないかしら」
元を正せば、この状況に至った責は彼女に比する所も大きいのであるが、一度自分から事が離れてしまうと、そこまで気を回さなくなるのが普通である。
「それに関しては私も遺憾ではありますけど同感ですわね。まったく、とうとう兄さんも場所を選ばずに……」
「むぅ…妹の言い回しは相変わらず歯切れが悪いわね」
アルクェイドの言も確かなのであるが、秋葉が言うのはすべからく兄に対する文句であり、それはすなわち兄に対する甘えの成分を多分に含んでいることに気づいているのは、身近にいる誰でもなく、つい先ぞに知り合ったばかりのソロモンであったりする。
「近かりし、されど遠からじ……といったところですなぁ」
それはこの状況にも言えることまで、彼は苦笑いの中で気づいていたであろうか。
 
「覚悟…ですか」
志貴が視線をエンハウンスではなくシエルに合わせながら聞き返す。
「そう、覚悟だ。君もこんな陳腐な言葉は何度も言っているだろうし、自分でも覚悟ができていると思っているだろう。けどね、本当の覚悟なんてものは、それが必要になったときに試されるものであるし、それによって自分にとっての覚悟を確固たるものにしたとしても、既に手遅れだったりもする」
それは自身への言葉でもあるのか。鼻で一笑してその懸念を一蹴した彼はそのまま話を続けた。
「そして、覚悟そのものの存在意義についてすら揺らぐ。いや、揺らぐなんていう生やさしいものではない」
そこで一端区切ると、片手の平をひっくり返してから「そう、根底から覆される」と続けた。
 志貴がうんざりした調子でエンハウンスに返す。
「貴方はそんな説教を俺に言うためにこんな手の込んだことをしたってわけですか」
シエルはというと、場の雰囲気に押され、琥珀が淹れてくれた紅茶を既に五杯以上も飲んでいる。
 ちなみに、エンハウンスや志貴が飲んでいるものは、翡翠が淹れている。琥珀曰く、病人には病人向きのお茶がある、だそうだが、心臓疾患と言えるのかどうか怪しいものまで病気というのかどうかは不明である。結果、手分けして琥珀がシエルのを淹れ、それ以外のものを翡翠が淹れる、ということになったようである。
 エンハウンスは翡翠の淹れた紅茶を少々渋い顔をしながら飲んだあと、返事をした。
「そうだ。しかし、だ。説教というものは、それによって対象が自分にとってより良い成長ができるように行なうものだ」
自分にとって、という部分を幾分か強調しているように志貴には聞こえた。
「自分にとって、とは、俺にとって、ということですか。それとも……」
「無論、私にとって、だ」
エンハウンスが志貴の言葉尻を詰める。
「説教なんていうものは、実に自己中心的な考え方に基づくものだということを理解しなければならん。もっとも、私の場合はその後の責任をとるつもりもあるから、素直に聞いてくれると嬉しいんだがね」
そこで、それまで黙っていたシエルが聞き返した。
「責任…ですか」
エンハウンスが嬉しそうに、もっとも下卑た類の、笑いを口元に浮かべる。
「そう、責任。無責任に娯楽を振り撒くだけの道化師だと私を考えているとしたら、それは間違いというものだ」
掲げた片手をちゃらちゃらと振って実に楽しそうである。その様子を苛々しく見ていた志貴が唾の代わりに言葉を吐く。
「……で、貴方の言うより良い成長というのは具体的になんだというんです」
エンハウンスが振っていた手をぴたりと止めて、志貴を流し目で睨む。ようやく本題に入ったようである。
 
「単刀直入に言おう。遠野志貴君、私と共にこの世の中で覚悟を要求する輩の全てを排除しようではないか」
  
 ぴたりと止めた手は、砲弾を発射する直前の指揮官のそれに近い。砲塔を志貴という対象の鼻先に突きつけ、降伏勧告を述べているのである。勧告に応じなければ、手が振り下ろされると同時に砲弾が志貴に発射されるのである。もちろんその砲弾とは、シエルの心臓停止、である。
「君の能力については調べさせてもらった。ある書類でね」
書類、という単語にシエルが激しく反応した。
「その書類をどうやって手に入れたんですか」
「実に簡単だ。書類を管理していた人間に、書類を見せてくださいと頼んだだけだ」
「そんな簡単に見せるわけがな……!」
シエルが言い終わる前に、エンハウンスが書類を机の上に出した。
「可愛そうに、今ごろは機密書類の複製の責任を取らされて……」
エンハウンスがさも悲しそうに言う。
「ふざけないでください!あの子はただの人間なんですよ。機密書類を扱うからこそ、その重要性や内容に意味を見出さない一般的な人間を選考したのに…それを」
シエルの激高は止まらない。状況がいまひとつ理解できない志貴が彼女に聞いた。
「おい…どういうことなんだ」
「それについては私が代わりに答えようか。つまり、私はそこの彼女が埋葬機関に提出した書類の保管場所…一般的な教会書庫に偽装して保管するようになっていたが…そこで実に初々しい美しさの…そうだな、二十歳前といったところか。書士というのはいわば見習いだからな…女性にお願いしたというわけだ」
書類を手にとって、ノックする要領で弾いた。その音で、完全にシエルの克己心が吹き飛んだ。
「貴方がそうさせたんでしょう!」
その様子を嬉しそうに見つめるエンハウンス。
「少し黙っていてもらおうか。話が先に進まないので、な」
彼が最後の言葉を彼女への強烈な流し目と共に放つと、彼女は身悶えながら、席に着いた。「なっ……」
「安心しな。一瞬だけ心臓の機能を落としただけだ……オカシイな、本当だったらもう少し効果が強くなるようにしたはずなんだが」
本気なのか冗談なのか分からないのは、彼の日頃の行いの所為だろう。シエルはというと、動悸が激しいながらも、なんとかそれに耐えている。
「貴方はぁ……」
志貴が今にも飛び掛りそうな体勢になっている。
「さて、話を元に戻すぞ。ああ、そうそう、彼女を苦しめたくなければ、下手なことはしない方がいい」
志貴がそれを聞いて状況を再認識したのを確認すると、エンハウンスは続けた。
「君も今まで理不尽な覚悟を要求されてきた。違うかな」
違わない、と志貴は心の中で強く唸った。自分の魔眼が目覚める前も、その後もそれは違わなかった。
「使徒だけなどとは言わない。真祖、埋葬機関、遠野家を始めとする異能者、国家、社会……世界中のありとあらゆる理不尽な覚悟の元凶を排除しようではないか」
自分の魔眼とはいったいなんなのか。かつて赤髪の師が語った自分にとって正しいこととはなんなのか。そのようなもの全てが志貴の中で渦巻いているようであった。
 彼は迷いを確かめるためか、眼鏡を外し、居間の隅にいた琥珀に目配せをした。琥珀は、ゆっくりと、頷いた。
 
「エンハウンス、いや、エンハンス。これが俺の答えだ」
 
 懐から取り出した、柄に七夜と刻まれたナイフを取り出し、ソファのスプリングの反動を生かして一気に立ち上がり、机に足を乗せざま、一気にエンハウンスの左手にある死の線に切りかかった。
 不意打ちを食らった彼は、腐った左腕を上腕部から犠牲にした。一瞬間を置いて血が噴出す。切断面があまりにも綺麗だったために、その出血量も半端ではない。しかし、その噴出を狙ったエンハウンスは志貴に事前に切断面を向け、出血で目潰しを食らわした。
 一瞬ではあったが志貴がひるむ。エンハウンスはその間にいつでも撤退できるように窓際にまで後退した。
「血迷ったか。なれば仕方無いな。彼女には死んでもらおう」
彼は先程の要領でシエルを睨んだ。先程の比ではないことは、その目をみればわかる。もっとも、その目をみた彼女は、それがどれほどの眼力であったかなど知るよしもなく死ぬ……はずであった。
 彼らの眼前に、心臓のポンプ機能を最大限に高めて、穴という穴から血を噴出して彼女が死ぬ様が突きつけられるはずであった。
 鼻、耳、目、口…その他どこからも出血はなかった。
 
「ど、どういうことだ。確かに私はあのとき心臓を破壊すると同時に再構築させて制御機能を乗っ取ったはずだ」
左腕の出血を使徒特有の再生能力で止めながら、エンハウンスが驚く。
 そこに、聞こえてくるはずのない角度から声がした。
「それは私が説明しましょうか。エンハウンスさん」
それは、琥珀であった。
 
 
  第九幕・完
 
  初稿2001/10/8
第十幕へ

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