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  第十四幕「A Thief in The Night」
 
 自分の吐き出している息すら頬にへばりつくような感じだった。今年の夏は異常気象というやつだろう―――ここだけじゃない、ヨーロッパ全域で生気を奪うかのように暑い。
 愛車のPANDAは、古くなったエアコンは役に立たず、窓を全開にでもしていなければ、その鉄板の塊の中で自殺しようとしていると見られてもおかしくない。ピネッロは、ステアリングを握る両手の平に浮かんだ汗を、交互に何度も膝で拭きながら通りを進んでいった。カルロがいる軍警察支局の横の路地にある日陰に車を停める頃には、つい先日棚から出した夏物のスーツズボンはクリーニングの跡なんてわからないぐらいにくたびれてしまっていた。
「よう、日陰が似合わない男」
車から降りて一服やっていると、じきにカルロが私服でやってきて声をかけてきた。「今日みたいな日には、その称号は嬉しくないな」
「その『今日みたいな日』にあの制服を着ないで済むのは嬉しいけどな」
「それはお前の話じゃないか。話は車の中でするから、乗ってくれ」
カルロがそれを聞いて車に乗り込もうとしたところで、ピネッロが口を利かせる。「乗ってから文句は言うなよ」
 
「なんだよ、このくそ暑い車は!エアコンぐらい修理するか、オープンカーにでも乗り換えろってんだ!」
走り始めてそんなに経たない内にカルロが毒吐く。大通りに入ると幾分か涼しくはなったが、それでも車内の温度は厳しいものがあった。対向車線を通り過ぎる、カップルらしい男女の乗った高そうなオープンカーを見遣りながら、苛立つ。
「だから、文句は言うなと言ったんだ。これが終わったら、遅い昼飯とでも洒落こもうじゃないか」
「こんなことなら、署の車の方がマシだったぜ」
そんなこと出来るはずもないだろう。そう言いたそうになるのを堪えつつ、話題を替えるように勤めた。いや、本来それが目的だ。
「それで、検死結果が出揃ったって?」
カルロは呻くような声で相槌をしてから、私物用のバッグからファイルブックを取り出した。開くページ開くページ、どれもが一般人が見たら卒倒しそうな写真が添えられた書類が収められている。
「検視の段階でわかってたことだが……結果から簡単に言うぞ。やはり、これは同一犯だ。専門チームの連中の話だと、それ以外は考えられないそうだ」
医学的な証拠を見つけるのを目的とする検死と違い、検視は現場状況から出来る限りの情報を引き出すのが目的で、検死は大概は検視を裏付けたり、それだけでは見つけられない情報を医学的見地から見つけ出すために行われる。
「わかったのはそれだけか?」
「正確に言えば『断定できるのはこれだけ』ってところだな」
「―――推理できる材料ならある、か?」
幼馴染でもあり、自分が期待した以上の働きをする友人に、得意になったとき特有の流し目をする。
「お前さんはこう思ってるはずだ。『これはテロなんかじゃない』ってな。だが、そいつは大きな間違いだぜ。これは間違い無く、ある目的を達成するために行われた計画的な殺戮、つまりはテロだ」
ピネッロは内心、俺が思ってるのは「ただのテロじゃない」だ、と反論していたが、昔からの付き合いで友人がどういうときに一番『頭を使える』のか心得ていたので、その状態を維持するために黙っている。
「ありがちなテロ犯に多い、散発的な思想犯なら、こんなやり方はしないさ。ここぞというときに、これという方法で、民心に訴えかける、とっておきのやり方はな」
手軽だがケレン味の強い爆弾は使わない。アソートライフルどころか拳銃すらも使わない。危険性が高い単独での犯行。そういった諸々の状況証拠から、カルロは喋っている。
「それで?」
ピネッロが、歯切れの悪い高説の結論を友人にせかすと、『とっておきのやり方』で、彼は鼻の穴の片方を膨らませた。これが彼の癖だった。
「今回の事件で、最も民心に訴えることができた人間は誰だ?」
ピネッロは、快適なドライブにはもってこいの平日の昼過ぎに運転をしつづけることすらできない程の、内心から起こる震えを抑えきれないといった様子で、車を片側に寄せて停車させる。
 カルロが朝刊を取り出して、その一面を友人に見せた。「そう、こいつさ」
『教皇の試練への訴え』という見出しが、彼の写真と共にそこにはあった。
 
 
 ピネッロが、それに付き添ったカルロと祈りを終えると、カルロはピネッロに背中を向けた。「楽しくなってきた」
「お、おい!どうやって帰るんだよ」
「傍まで仲間を来させてるんでな、これから観光地巡りでもするさ」
なるほど、丘の下の方に見える道路に停めたピネッロの車の後ろに、いつのまにか別の車が停車している。教皇庁の方へ何らかの裏づけを取りに行くのだろう。遠ざかる友人の背中を見送ると、トルネオ神父がいる教会へと入っていった。
「俺もあいつのことをとやかく言えないな」
それが、ピネッロとカルロが会った最後の機会になった。
 
 
「とうとう、これを渡さなければならない日が来たようです」
トルネオは跪いていた。丘の上に建てられた、教会の中で、荘厳なバロックのロジックに埋もれ、葬られてきた者たちが、生と死の狭間で恨みを覚えた者たちのリストを壇の上に置いて、その直線状に位置する像に手を合わせている。
『彼』の妻が、自分の管理する墓地に葬られたのが、彼が運命的な歯車だと感じるものが動き出したときだった。
『彼』にこのリストを託したら、自分はどうなるか。間違い無くこの世にはいられないだろう。だが、これ以上隠していて何になるというのか。信仰というものを言い訳にした愚行を、いつまで隠しておけというのか。
 
 本来であればあのとき、そう、前教皇が不可解な死に方をしたあのときに……。
 
 彼の思考はそこで止まった。『彼』が来たのだ。今は動くときだった。ピネッロという同志と共に。
 
 
初稿2003/7/2

次回の幕を開ける

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