この街がどういった形をしているのか、考えたことがあるか?
 
(ハラワタと同じさ)
 
 意識を鳥と同じ高さまで立ち昇らせ、そこから見下ろしたことがあるか?
 
(そのまま帰ってこれないかもしれないぜ)
 
 ヤモリのように街を這い回り、周囲の墓石たちの中にどんな身体が横たわっているのか、想像したことがあるか?
 
(そんなことを考えた奴が入ってるに違いないさ)
 
 したことがある諸君には、偏見を。そして、したことがないと答える諸君には、鳥の翼とヤモリの丹念さ、そして彼らを地に這うものとそうでないものとに分け、聖別する人間の残酷さを認めることができる。彼らは、それらがあると勝手に思い込んでいるのだから。
 誰にもそんなものはないということから目を背けているに過ぎないというのに。
 
(本当にあるのかもしれないぜ?)
 
 
「私はこう聞きました
『ミスター?家政婦さんが貴方の独り言にはうんざりすると仰ってましたよ』
彼はこう答えました
『言ってることとやってることが違う友人がいてね。彼に手伝ってもらってるのさ』
私はもう一度聞きました
『それは奥様ですか?それとも―――』
彼は私が言い終わる前にこう言いました
『貴方が思いつくであろう人たち全員を守れなかった自分ですよ』」
 
ミシェル・パーマー「幻肢」内インタビューより抜粋
 
 
  第十六幕「存在と時間」
 
 
 ゲイル・ベンターの日記―――ジイさんの遺言でこれだけは続けている―――の今日の分のそれは、今までの中でも五指に入るぐらいの長さになりそうだった。五指に入るものの大半は、ハイ・スクール時代に初めて女に侮辱されたときの憂さ晴らしだったり、カレッジに放送学科を専攻したばっかりに保守層の追求だとかいうレポートを書かざるをえなくなったことだったり、現にこうして一時休学して母親の係累を頼ってイタリアの端っこで研修とは名ばかりのこま使いをさせられている日々の欲求だったりが書き連なっているから、彼にしてみれば久々に筆を走らせる欲求に駆られる一日になっていた。
「なぁ、現場に行かないか?」ようやく一仕事を終えてシフトしたばかりで食堂にいると(プレイボーイの切り抜きの代わりに絵画が飾ってある食堂なんて信じられるかい?)、同じような事情で働いているケインが声をかけてきた。「なぁ、行かないか?」
「現場というと、ついさっき速報で入った爆発現場か?」
彼は片側がひきつった笑顔で頷いた。ご丁寧に手にはリポート用のハンディカメラまで用意してある。
「今なら、煩いポリスの連中も黙ってるだろうぜ。なぁ、行こうぜ。テロだったら、一度現場を抑えられちまったら気づいたら何も無くなっちまってるに違いない」
「わかったよ。その代わり、撮るだけ撮ったらとっとと帰ってくるぞ。疲れてるしな」
「OK」
 
 190もあるでかい図体を振り回すように、ケインは率先して局内の駐車場まで小走りで向かっていく。「車はやめた方が良いだろうな」
「そうだな、渋滞してるのは必死だろうし、官憲から逃げるときにも不便だ。となると」そこまで言うとケインが口を震わせて走り回った後の馬みたいに鳴き始めた。「ああ、そうか、俺を誘った理由がわかったよ」
 
 この局でバイクを所有している人間は少ない。ここでは車が一種のステータスだからだ。好き好んでバイクに乗るような奴は、俺みたいな「若造」だけだった。爺さんがジャップとの戦いから帰ってきたときに買ったらしい放出品のバイクをよく自慢していた所為だろうけど、初めてまとまった金が手に入ったときに真っ先にとびついたのがこいつだった。今じゃバイシクルブームですっかり忘れられたような80年代物だが、馬が合った。
 カウルなんかついていない剥き出しのエンジン部を避けるようにして、ガニマタになっている後ろの相棒に声をかけると、「慣れた腰つきだろ?」と調子の良いことをほざいた。
 現場に近づく前には、もう道端には火災の所為で煙が立ちこめていた。現場に着くと、緊急配備された非難誘導のためのポリツィアの連中しかおらず、今がチャンスだった。「だけどよ、何を撮るんだ?」目に付くものといえば頭を抱えながら非難している連中。それに、煙が吹き出ているい建物ぐらいだ。
「建物が崩れる瞬間を撮るんだよ。シュールだろ?ポリスの連中が見ている前で崩れる官憲建築ってのは」
「ガーディアンみたいな新聞の一面は飾れないだろうけどな」
「メディアの視聴者の大半は、投票をしない民主国家の住人だぜ?」
「隣に食べ物を分けない共和国家の住人とかな」
ケインが顔を歪めて笑いだしたので、自分はいざというときのためにいつでも逃げられるよう、少し離れた路地裏で待機していることを伝えて別れた。
 
 バイクにまたがったまま、胸ポケットからタバコを取り出して一服つけた。カレッジに居た頃はマリファナ入りのタバコなんかもやったが、コカに手を出しかけたあたりで止めた。日記にそういったことを書いていたら、惨めに思えたからだ。爺さんには感謝しないといけないかもしれない。「それにしてもここは静かだな」
 空にはようやく真ん丸になった月が出ている。路地を二つ曲がっただけでこんなにも静かになるなんて、まったくこの街はどうなっているのだか。それにしたって、サイレンの音ぐらいは聞こえてきそうなものだが。
 すさまじい爆音が聞こえた。最初こそ、軍警察の支局が崩れた音かとも思ったが、そんな音じゃない。それに、聞こえてきたのはこの路地の奥を曲がった辺りからだ。タバコを加えながら半ば呆然としていると、気圧差か何かで突風が吹いた。唇にはさんだだけだったフィルターは、後方へすっ飛んでいった。
 ウェストバッグに忍ばせてあった自分の小型のハンディカメラを取り出す。「ケイン、こっちが当たりを引いちまったらしいぜ」
 盗まれる不安はあったが、バイクのエンジンはかけたままにしてその場を離れた。いざというときにすぐに逃げ出せるようにしておきたかった。音が聞こえた方向へ曲がる前に、その角で息を整えた。思ったよりも興奮しているらしい。
 比較的広い路地を覗き見る。人がいた。その周りの建物の外壁や道路は、とてつもない大きな腕を乱暴に振り回したみたいに抉れていて、100メートルは離れているのに、むせるくらいに火薬の匂いが立ちこめていた。よくあんな場所にいて平気だったものだ。
 カメラを構える。真ん丸お月さんが真上に来てくれたおかげで視界はクリアだ。ロケーションは文句無しだが、次にやることがあった。自分にこう言い聞かせるのさ。「自分はレンズのこっち側にいるんだぜ」
 
 
 
 エドワード・ゲイシーが上空にいる。以前に手厚い歓迎を受けたアルクェイド以外は、この憮然と現れた男に奇異の目を注いでいる。
「やぁやぁ、姫様にあられましてはご機嫌麗しゅう―――」
「何しに来たのよ、変態野郎」
「私はスポンサーに言われたことを実行するのが勤めでして。その上、同志達も満足できるとあれば、これ至上の喜びかと」
件の同志達が、周りの建物から一斉に顔を出す。あるものはその場でクロスボウを構え、あるものはその場から飛び降り、あるものはご丁寧にドアから出てきた。半径50メートル内に30人はいるようだ。
「まったく、仕方ありませんね。真祖の姫、私達は彼らを相手にしますから、貴方は上の奴をどうにかしてください。ここは息が詰まりそうですよ」
ソロモンの言葉どおり、既にこの空間はゲイシーの能力で周りから切り取られている。役割分担についてはシエルがアルクェイドに協力を仰ぐことを拒んだのだが、ゼフィールが「そもそもの原因は彼女なのだから、当然のことだ」と諭すと、それなりに納得したのか黒鍵を構えた。
 
 戦闘が始まると、「それなりに」本気を出している埋葬機関のメンバーが騎士修道会勢を押していた。彼らが何がしかの小手先の仕掛け―――自分らが火達磨になったような―――を使ったとしても、戦闘経験の桁どころか格が違う。すぐに目の前の障害を看破すると、その先にある獲物の数を執拗に攻撃し、減らしていった。空間を限定した場合、彼らのようなプロフェッショナルには割が良いのだ。では、ゲイシーは何故この舞台とメンバーを選んだのだろうか。「恐らく時間稼ぎだろう」一人彼を見つめていたアルクェイドは、肌で感じ取った情報をダイレクトに処理した。
「ご推察とは思いますが」恐らく最初から本音を言うつもりだったのだろう、ゲイシーが話し始める。「これは貴方がたをこの場で粉みじんにするための準備に過ぎません。私の能力では決定打にはならないとのことで、スポンサーの方から人員を割いて頂いたのですが……いやはや、どうにも時間がかかるものでして……ああ、来ました来ました」
気配が増える。尋常ではない視覚でそれらを感知したアルクェイドは、彼らが全員、忌々しい人間が作り上げた傲慢極まりない教えを信じきったもの達が着る衣装に身を包んでいるのがわかった。彼らは死徒の間でこう呼ばれる。「黒い枢機卿」
 
 元々、枢機卿というのは格教区を取り仕切る司教を管理しているのだが、そのためか独善的な傾向にあるものが多い。あるものは修道騎士の代表であったり、ヴァチカンが管理する銀行の頭取だったりするのだが、そういった役目以外に死徒狩り、それも特に強力なそれらを専門に処理する者もいる。埋葬機関のように日の目を見ることがない者達と違い、彼らには妻も子もおり、力も弱い。だが、信仰の一点を見た場合、恐ろしいほどのキャパシティを持っている。ここに集まった四人もそういった類の者達で、ゲイシーが作り出した空間の外側四点にそれぞれ立っており、カトリックの枢機卿らしく赤い帽子を頭に乗せていた。
「ソロモン、手ぇ空いてる!?」
アルクェイドに出し抜けに呼ばれたソロモンは、目の前にいた連中をパウロとゼフィールに任せた。「今、空きましたよ」
「こら、勝手に空けるなっ!」
相手の鎧の間接を中に着ている鎖帷子ごと切り分けているゼフィールの文句にも耳を貸さずに、アルクェイドに駆け寄る。「何の御用かな?」
「あれ、あんたたちの仲間でしょ?」
「いや、違う。ナルバレックのお仲間だ」
「これからあいつらが何をするかわかる?」
「あの配置からすると……多分、グランドクロスをやるつもりなんだろう。いくら貴方でも、アレを食らったらもう一度ミレニアムを待つ必要があるね」
単純に言うと、と区切ってからソロモンが説明する。「宗教の押し売り」
 頭の中というより、身体に罪の意識を植え付け……というより焼き付けて、相手の精神的浄化を促すというものである。だが、それはあくまで人間の話で、アルクェイドや死徒がそれを食らうと、理解も贖罪もできない罪の意識が強烈に叩き込まれるため、身体そのものが耐えれずに霧散してしまうという、究極の処刑儀式である。
「これを切り抜ける方法は?」
「一度詠唱が始まると止められないから……そうだな、やはりあの上に突っ立ってる奴をなんとかして逃げるしかないな」
わかったといった風に頷くと、彼女はソロモンを下がらせた。身体を自然に任せるように、仁王立ちになると、目を閉じる。
「おやおや、どうするおつもりで?その中では外界への干渉は一切できないというのに」
ゲイシーの茶化した声すらも、なんの問題も無いかのように受け応える。
「ボールはなんでボールでいられるかわかる?」
「なぞなぞですか?」
「答えは簡単。ボールがボールで『あろうとするから』よ」
ボールが形を変えた。それまで大人しかったガン細胞が恐ろしい形に突然変化するように、球体全体が禍禍しい殺気を放つ生き物となる。その一部が大きな鎌となり、ゲイシーの身体を引き裂いた。それを見届けた黒の枢機卿達は、一斉に散会して夜の闇に消えていった。
「……どうやった?」
ソロモンが驚きを顕にする。シエルとゼフィールも、全て片付いていたのでアルクェイドの答えに耳を傾けた。
「あの球体が中と外とを分ける存在だったら、それは中に一つの世界を作り出すということよ。だから、中の世界を作り変えるのよ。殺気に満ちた世界にね。そうすれば、世界の端っこは外に向かって攻撃を始めるわ。まぁ、あいつらは逃がしちゃったけど」
その「端っこ」が5分ほどして無くなると、ゲイシーの二分された体が落ちてきた。ビルの三階から飛び降りたに等しいので、切断部から内臓物が豪快に飛び出た。その顔は愉悦に浸った状態で硬直し、切られた瞬間には絶命したようだった。
「答えはわかっても、なんでそうなのか教える暇も無かったわけですか」
シエルの火葬式典を施した黒鍵が、墓標のように彼に突き立てられる。塵は塵に。灰は灰に。土は土に帰る。だが、彼の肉体は永久に夜と昼の狭間でサマよいつづけるだろう。
「黒の枢機卿がここに来たということは、関係者を一掃するつもりだろうな。恐らく、あの爆破も彼らの手の者の仕業に違いない。本部に戻るのは止めだ志貴達に合流する」
ソロモンが言い終えたとき、既にシエルの姿は無かった。
 
 
 ゲイル・ベンターはケインのことすら忘れて放送局に急いでいた。あんな凄いものをカメラに収めたのは自分だけではないか。志貴が闇夜をつんざくエンジン音を耳にして立ち止まる。「兄さん、どうしました?」
 秋葉の言葉になんでもないと応えると、夜道を急いだ。目の前の路地を曲がれば大通りに抜けるというところで、先ほどのとは違うエンジン音が聞こえた。もっと重い音で、自分はその音を聞いたことがあった。スピデルが目の前にその身体を表す。
「どうもこんばんわ。お客さんを連れてきました」
マルグリッドはいつものように陽気に声をかけてきた。その後部座席から、エンハウンスが降り立った。
 
 
2003/7/17初稿

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